戻る

  無二  

『俺にとってお前は、ここにきて初めてできた友達なんだ』  

 統学院の卒業式。あたたかい風が卒業生達に惜しみない賛辞を送っていた。
 活気で溢れる卒業生達にまぎれて一護は照れくさそうに、だがはっきりとした声でそう言ってくれた。
 最初は同級生の一人でしかなかった。それからよく話すようになってからも、俺はお前にとってどれほどの存在なのかいつも聞きたくて仕方がなかったんだ。
 他よりもお前に近しい存在だとうぬぼれていいのか。

『友達じゃ足りねえな。親友だ』

 にっと一護が笑う。
 その素のままの笑顔を初めて見せてくれた日のことを俺は覚えている。

『なんでも言えよ。なんでも聞くからな』

 俺は感動で何一つ言えなかった。

『冬獅郎?』

 一護が顔を覗き込んでくる。
 おい、目線を合わせるために屈むなって何度言えば分かるんだ。

『わりい。親友だからな、これもやめねえと』  

 いつかお前の目線に追いついてみせる。
 だが一護よりも高くなって屈んでやるのも面白いかもしれないと、意地悪な考えも浮かんだ。

『よろしくな、親友』

 固くそれぞれの手を握り合った。

 この日のことを、お前は覚えているか。一護。




「それでよ、ルキアのやつが‥‥‥」
 今日の出来事を話す一護に冬獅郎は適当なところで相づちを打つ。今は昼時で偶然顔を合わせたことから共に食事をとることになった。  
 一護から聞くようになった様々な名前。ルキア、恋次、修兵、そして海燕。
 表情も柔らかくなった。初めに配属された十番隊では同僚とうまくいかず、いつもどこか張りつめたようにしていた。だが硬い表情はゆっくりと解けていった。それが海燕という男のお陰だというのが気に食わなかったが。
 増えていった友人達。一護の周りを人が囲んでいった。冬獅郎には一時それがひどく気に入らなかったが、その友人達に一護が俺の初めての親友だと紹介されてからは気にならなくなった。そのときのあの悔しそうな友人達の表情を見て冬獅郎は遠慮なく優越感に浸らせてもらった。
 初めての親友。
 羨ましいだろう。この位置は決して変わることはない。
「冬獅郎、聞いてんのか」
「聞いてる。おしるこを一気飲みしたんだろ」
 統学院の卒業前に二人揃って十三隊への入隊が決まった。それで妬まれたりもしたが、二人揃って仲の良いことだと教師達は口々に褒めてくれた。卒業の日、涙を流しながらそれでも笑顔で送り出してくれたことを思い出す。
「何笑ってんだよ」
「いや。卒業式の日のことを思い出してたんだ」
「ああ‥‥‥」
 思い出したのか一護が微妙な表情をする。
「特に鬼道の教師が号泣してたよな。お前についに一つも鬼道を習得させてやれなかったって」
「思い出したくもねえよ」
 一護に対する鬼道の教師の熱血指導はすさまじかった。
「よく喧嘩したよな」
「俺はお前に巻き込まれてただけだ」
 喧嘩を売ってくる奴は無視していた冬獅郎に対し、一護は問答無用で殴っていた。
 流魂街じゃ当たり前だ、殺されないだけ感謝しろ、最初の喧嘩でそう言っていたのを思い出す。凍えるような目だった。一護は喧嘩を売ってきた同級生を、己に仇なす敵と捉えていた。冬獅郎はこれほどまでに冷たい目をする人間を今までに見たことがなく、自分がいかに安穏と暮らしてきたのか改めて認識させられた。その日初めて一護の闇を知った気がする。
 妹を思い、優しく細める一護の目を知っている。だからこそあの目が信じられなかった。
 だが日が経つにつれ、喧嘩を売られても一護は相手にしなくなった。しつこい輩は仕方なく相手をしていたが、それでもあの切りつけるような雰囲気はなりを潜めていった。
「お前は変わったな」
「ん。そうか?」
「ああ。たしかに変わった」
 十三番隊に配属されてからはその変化は顕著に現れている。
 冬獅郎の言葉に一護も思うところがあるのか肩をすくませた。
「お前も変わったぞ、冬獅郎」
 そうだろうか。どこが、と冬獅郎が尋ねると一護は意地悪そうににっと笑った。
「背がちょっと伸びた」
「‥‥‥一護っ!!」    
 
 そうして笑い合った。統学院時代のように。
 死神となっても変わらない。
 お前の笑顔。
 変わったりしないでくれ。
 無くしたりしないでくれ。

 誰も、奪ったりしないでくれ。






 とても気持ちのいい朝だった。
 からりと晴れて、雲一つ無い空。
 それなのに、泣くなよ。寝小便桃。
「‥‥っ、ぅ、‥‥だっ、てっ、」
 幼馴染みの泣く姿は久しぶりに見る。冬獅郎はぼんやりとそう思った。
 そういえば一護。お前の涙は見たことがない。
「‥‥‥いち、ご、くん、」
 一護は眠っていた。
 健康そうに焼けていた肌が今は青白い。
「一護」
 返事は無い。
「一護」
 返事は無い。
「‥‥‥‥一護」
 縋るように呼んでも、返事は無かった。  




 雛森が冬獅郎を見つけるやいなや、ぶつかるように飛びついてきた。
「おい、なんだよっ!」
 怒鳴ってみるが幼馴染みに反応はない。
 だが小刻みに震えていた。
「どうした。泣いてんのか」
 雛森の手がぎゅっと冬獅郎の死覇装を握る。顔を上げると、目をまっ赤にして泣いていた。
「なにが、」
「一護くんが‥‥‥」
 そのとき、自分はどんな顔をして聞いていたのだろう。

 回想を断ち切って冬獅郎は目の前の一護に視線を戻した。
 泣きつかれた幼馴染みは別室へと運ばれていき、今はいない。
「なにがあったんだ、一護」
 手を握る。だが、そっとだ。骨が折れていたと聞いた。踏みつけられたのだ、何度も何度も。手の甲に草履の痕が幾重にも刻まれていたのだという。
 布団に隠れたところはもっとひどいと聞かされた。
 顔はそれほどの傷は見られないが、それは今は、ということだ。気を使った四番隊の隊員が顔の傷をできるかぎり癒してくれたらしい。一護は顔に傷をつくることに特別なにも思っていなかったが、それでも痛かっただろう。
 深夜、ぼろぼろの状態で発見された。帰ってこない姉を心配した妹達が訪ねてきて、十三番隊の隊員達が探したところ護廷の片隅で息も絶え絶えな一護を見つけたのだという。もし妹達が来なければ一護の発見はずっと遅れていただろう。もしかしたらその間に死んでいたかもしれない。
 死、という言葉に冬獅郎の心臓が重く脈を打つ。
「一護」
 返事をしてくれ。
 何があった。 
 誰がこんなことを。
 それでも一護の様子に変化は無い。包帯越しの冷たい温度に不安をかき立てられる。かすかに聞こえる寝息だけが、生きているのだと教えてくれていた。
 奪わないでくれと、あれほど願ったのに。だがそんなものは現実の前では何の役にも立ちはしない。あっけなく踏みにじられてしまった。それがひどく悲しくてならない。
 ぴくりと指が動く。ほんのわずかなものだったが、たしかに動いた。
「一護?」
 今度こそ返事をしてくれ。
「‥‥‥とう、しろ、」
「一護っ、」
 顔を覗き込む。手を伸ばし、これほどはないというくらい優しい仕草で一護の頬を撫でた。
 一護が声に導かれるようにして目を開ける。待ち望んでいた、茶色がかった榛色の目が冬獅郎をとらえる。次いで安心したように細められた。
「よお、なに、泣いてんだ」
 泣いてなんかいない。だがそれは言葉にならずに息だけがただ溢れた。
 痛みで動かない首に目線だけで辺りを見回すと一護はひとつ息をついた。だがそれだけでも痛むのか、眉間に皺が刻まれる。
「ここ、四番隊、か」
「そう、だ。お前は、ぼろぼろの状態で発見されたんだぞ。何があったんだ」
 ようやく出るようになった声で一護を問いつめる。だが一護はそんな冬獅郎の顔を見て微笑むばかり。
 愛おしそうに見てくるので、それどころではないのに冬獅郎の鼓動がはねてしまう。
「とうしろう」
 大事に大事に、まるで宝物のようにそう名を呼ばれた。
 切なさに泣きたくなる。
「‥‥‥言えよ。何があった」
 それでも聞かなければならない。冬獅郎のどこか鬼気迫った目に、それでも一護は微笑んで返すことしかしない。
「もういいんだ」
「なにがっ!」
 けが人だということを忘れて怒鳴りつけてしまう。思わず握っていた手に力を込めてしまい一護が苦痛に呻く。それにはっとして冬獅郎は手を離した。
「冬獅郎」
「わるい」
「いいんだ。‥‥‥俺はさ、お前に感謝してんだ」
「なにを、」
「ありがとな。だから、もういいんだ」
 一護が自分に何を感謝しているのか、冬獅郎には見当がつかない。  
 だがどれほど感謝されても、納得できる筈がなかった。この悲しみを、悔しさを、忘れることなどできないからだ。
「よく、ねえだろ。お前はよくても、俺はもういいなんて言えねえんだよ。お前がもう痛くねえって言ったとしても、俺が痛いんだ。痛くて痛くてたまんねえだよっ! 今だって、こんなにも痛いのに、なのに、お前はもういいって言うのか?」
「冬獅郎、俺は、」
「覚えてるか」
 一護の言葉を遮って、冬獅郎は遠くを見つめた。昔を思い出すように。
 今でも鮮やかに思い出せる。音もにおいも、風の音も。すこしも色あせてはいなかった。
「なんでも言えよ。なんでも聞くからな」
「あ、」
 卒業式の日のことが、一護の胸を駆け抜けていく。
「俺だってそうだ。なのに、あの言葉は嘘だったのか」
「嘘なんかじゃない」
「親友だからって全部話してくれとは言わない。誰だって心に秘めていたいことはある。けど今のお前は痛くて苦しい思いをした。悲しい思いもしたんだ。それは、親友には言いたくないことなのか。ずっと、秘めていたいことなのか」
 俺じゃ、力になれないか。
 冬獅郎の言葉に一護は自分が思い違いをしていたことを悟る。ひとりで完結しようとしたが、それは間違いだ。
 苦痛を堪えて手を動かす。そっと冬獅郎の手に触れた。
「やっぱり、お前に感謝しなきゃな。ありがとう。‥‥それと、聞いてくれるか」
 壊さないように手を握り返すと、冬獅郎はゆっくりと頷いた。




 幼い頃夢で見た、恐ろしい怪物を思い出した。
「貴様のせいだ」
 男の顔がひどく歪んで見えるのは気のせいだろうか。一護を囲む男達は、皆一様に歪んだ顔していた。
「貴様のせいだ」
 違う男が、同じ台詞を吐いた。
 知っている男達だった。実際にはこうして面と向かうまで思い出しもしなかった者達だったが。
「なぜ貴様のような奴のせいで、俺達があんな目に遭わなければならない」
 十番隊にいたとき一護に対して暴力を振るっていた。一護はそれを甘んじて受けていたが、その必要は無いと知ると相手にもしなかった者達だ。問題が発覚してきつい罰を受けたと聞いた。
 その仕返しか。
「くっだらねえ」
「なんだと!?」
 殺気が膨れ上がる。だが一護にとっては何ということはない。
「どうせまた罰を受けるだけだ。諦めて帰んな」
 適当にあしらってその場を去ろうとした。だが男達は不気味に笑い始める。それを不快に思った。
「妹がいるんだってな」
「!!」
「それも二人」
 去ろうとした足は止まってしまう。驚愕の目を向けると男達は一層笑い出す。
「気を付けろ。瀞霊廷の中とはいえ危険がない訳ではない」
「てめえっ!」
「だが、お前がおとなしくしているというのなら、その危険は何も心配することはない。分かるか?」
 おとなしく殴られろということか。だがこの場で全員蹴散らして、二度とこんな気を起こさないようにしてやれば。
「早まるなよ。ここにいるのが全員じゃない」
「俺達に少しでも反抗してみろ。遠くにいる仲間がすぐさま、」
「分かった」
 その先は聞きたくない。
 言った通りおとなしくなった一護を、左側にいた男が殴りつけた。
「っ!」
 地面に倒れる。呻き声など出してやるものか。
 這いつくばった一護を次々と暴力が襲う。痛くてたまらなかったが、それでも意識は無くなろうとしない。
 流魂街にいた頃を思い出す。馴れた痛みだ。いや、もっと痛く、恐ろしかった。瞑った目の視界が赤く染まる。頭の奥でもうひとりの自分が殺せと言ってきた。
 
 殺せ。殺してしまえ。こんな奴ら、雑作もないだろう?  

 ‥‥‥けど、妹達が。
 
 気にするな。どうせ本気じゃない。自分のことだけ考えろ。あそこではいつだってそうしてきたじゃないか。こんな奴らを殺してきただろう。お前の敵だ。殺してしまえっ!

「っ、」
 わずかに身じろぐ。  
 ‥‥思い出した。俺のものを奪おうとする奴、傷つけようとする奴には容赦しなかった。それ相応の痛みをくれてやった。

 そうだ。‥‥‥やれ、一護。

 起き上がろうとした、そのとき。

『お前は変わったな』

「!!」
 力が抜ける。誰にも見えなかったが、顔は激しく後悔したように歪められた。
 自分は今、なにを考えた。なにをしようとした。
 もうひとりの声はすでに聞こえない。自分の中にいまだはびこる闇の声。変わりたいとそう思っていたのに。
 あとのことははっきりとは覚えていない。ただただ心の中で、親友の名を呼び続けていた。    




「お前のお陰だ。止めてくれてありがとな」
 話を聞き終わった冬獅郎はどうしていいのか分からなかった。自分のせいで、一護がこんな目に合ってしまったのだろうか。
「それは違う」
 冬獅郎の表情から何を考えていたのか察したのだろう。それは違うと一護ははっきりと否定した。
「目が覚めて、最初にお前に会えて嬉しかった。礼を言おうってずっとそう思ってたんだ。だから自分のせいだなんて考えんなよ」
 包帯を通して冬獅郎の体温を感じる。それがひどく幸せだった。
「止めてくれてよかった。殺さなくてよかった。変わったままでいてよかった。なあ、そうだろ」
「でも、」
「親友」
 一護は思いを込めてそう呼んだ。
「俺は、変わったよな」
 一筋。涙が頬を伝う。
 初めて見たそれに、冬獅郎も泣きたくなった。
「‥‥‥ああ。お前は変わった」
 泣きじゃくる一護を抱きしめて、自分も変わりたいとそう思った。

 護りたい。
 この腕の中の存在を護れる、そんな男に変わりたかった。





 件の男達は瀞霊廷を追放されたという。
 事件を知った夜一率いる刑軍が直々に尋問してその場にいなかった仲間もすべて吐かせたらしい。その関わったすべての人間が追放処分にされた。それもこれ以上は無いというほどきつい罰を受けて。門番にも決して入れてはならぬよう触れを出しているらしい。
 一護はそれを聞いてざまあみろとは思わないが同情する気にもなれなかった。妹達をたてに脅したのだ。決して許されることではない。   
 皆に心配をかけたことを一護は申し訳なく思った。目が覚めた雛森に大泣きされてさすがに良心が傷んだのだ。雛森だけではない、ルキアにも怒られながらも泣かれてしまった。それ以外の人達には主に説教をされたのだが、体が動かないので逃げることもできなかった。一生分の説教を聞いた気がする。
「一護」
「冬獅郎」
 最近では冬獅郎と一緒にいる時間が増えた。以前よりも絆が深くなったと一護は思う。
「あんまり無理すんなよ。仕事も休みながらやれ」
「大丈夫だって」
「貸せ、俺が持つ」
 一護の持っていた書類を奪う。空になった両手を見下ろして親友に視線を移す。冬獅郎はなんだか変わったような気がする。
 その冬獅郎は前をまっすぐに見据えていた。
「俺は隊長になる」
 突然の宣言に一護は目を丸くした。
「隊長になって、そうしたらお前が副官だ」
「俺?」
 冬獅郎は頷く。
「ずっと護る。悲しい思いはさせない。だから、もうすこしだけ待っててくれ」
 真剣な声だった。
 じっと見上げてくるその目を一護は受けとめる。
「‥‥‥うん。待ってる。ええと、よろしくお願いします」
 何を言っていいのか分からなかったので一護はとりあえず頭を下げた。
 いつかその日はやってくるのだろう。そんな確信があった。
「おう」
 満足げに返事をすると冬獅郎は書類を持って去っていった。  



 覚えていてくれ、親友
 この誓いを
 俺は必ず叶えてみせる
 そのときには親友を卒業しようと思うのだが

 お前は、頷いてくれるだろうか



戻る

-Powered by HTML DWARF-