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  愛し泣き  

 初めて手を握ったとき。
 柄にもなく泣きそうになったのを覚えている。
 ある日、一護のほうからも軽く握り返してくれた。
 緊張と照れのためか、きゅっと唇を噛み締めている。
 それが可愛くて思わず唇を寄せた。




「殴られた」
 ぶすっとした顔には確かに赤い痕がある。
 話を聞いた乱菊はその瞬間に修兵を指差して大笑いした。終いには突っ伏して床をバンバンと叩いている。
「そんなに人の不幸は面白いですか」
「あはははははははははははは!!」
「‥‥‥‥‥」
 相談した相手を間違えた。人選ミスだ、修兵は頭を抱えた。
 殴られた頬が熱い。好きな女に殴られたからか、余計に痛みを感じてしまう。
 一護が好きだった。
 出会った瞬間から惹かれていた。だからなりふり構わずに押して押して押しまくった結果、やっとのことで思いを受け入れてくれたのだ。
 周りからはごり押しだのなんだのと文句を言われたが、知るかそんなもんザマーミロ!と内心では小躍りしていた。
 なぜなら一護は自分を選んでくれたのだ。
 海燕ではなく、自分を。
「あー、笑った笑った。っておーい、檜佐木?」
 乱菊が声をかける、だが幸せな思考に浸っている修兵は気付かない。
 突然相談に乗ってほしいと乱菊に言ってきた修兵の頬には、赤い殴られた痕。だいたいの事情は顔を見た瞬間に分かったが、話を聞くと面白さのあまり笑ってしまった。
 修兵が一護と付き合うことになったと自慢しにきたときは、訳の分からない怒りに任せて乱菊は修兵を殴ってしまった。乱菊だけではない、一護の知りあいには概ね修兵は殴られている。
 ざまあみろだ。気に入っている少女を独り占めにする男を乱菊は気に入らない。
「一護にはもっといい男がいると思うんだけどなー。志波さんとか」
「一護には俺だけっすよっ!」
 やっと乱菊に意識を向けた。修兵はぎりぎりと睨んでくる。
「でも殴られてるじゃない」
 乱菊が指を指す。修兵は思わず頬に手を当てた。
 先日一護に殴られたのだ。それもグーで。
 今思い出してもつらい、なんで殴られなければならないのか。
「ちょっと口づけようとしただけなのに」
「ほんとは嫌われてるんじゃないの?」
 乱菊の一言に修兵は今度は胸に手を当てた。  
 いや、まさかそんなことはない筈だと自分に言い聞かせるが、人間弱っているときほど考えることは弱気なものだった。
 一護は嫌なことは嫌だとはっきり言うし、そもそも好きでもない奴と付き合う筈がない、それに手を握っても振り払わなかったじゃないか、待てよ、あいつは優しいから気を使って‥‥‥
 ショックを受けたように修兵は動かなくなる。それをうざそうに見ていた乱菊はため息をついた。
 どうしてこんな男がいいのだろうかと、一護の顔を思い浮かべる。
「冗談よ。あの子のことだから驚いてつい手が出たんでしょうよ」
「そ、そうっすよね」
「ていうかまだキスしてなかったのね」
 意外だった、顔に69なんて刺青をしているのに。
 付き合いはじめてから三ヶ月だ、世間の基準がどうなのか知らないが乱菊にはまだしていなかったのかという感想が真っ先に思い浮かんだ。
 乱菊の視線に修兵が気まずそうに顔を背けた。
「だって、あいつ手を握るだけでもやっとなのに、それ以上となると、」
 最初なんて触れることさえ許してくれなかった。徐々に徐々に、まるで懐かない猫を手懐けるような気分だった。それが気付いたらもうどうしようもないほどに惚れていた。
 海燕に頭を撫でられたりからわれたりしている一護を見るたびに嫉妬した。自分も触れたい、海燕よりもずっと親しくなりたい。
 だから一護が自分の思いを受け入れてくれたとき、天にも昇る気持ちとはこのことかと思ったほどだ。
「我慢すれば?」
「いやです」
 即答だった。
 これだから男はと、乱菊が冷たい眼差しを送った。
「一護が嫌がることはしませんよ。ただ、こうなんていうか、こちらから行動を促すというか、」
「つまり雰囲気を盛り上げる訳ね」  
 その為に色々やった。はっきり言って女には不自由していなかった修兵にとって、こんなことはしたことがない。
 だが恋愛初経験の一護にはどうにもうまく伝わらなかったらしい。連敗を更新していた昨日、一護を家に送る途中に初めて一護のほうから手を握り返してくれたのだ。そのいい感じな雰囲気のまま初の口づけにもっていこうとしたのだが、あと少しというところで一護に拳を見舞われた。
「あの子にとっては男と付き合うこと自体が一大事なのよ。経験豊富なあんたが待ってやらなくてどうすんの」
「そうですけど‥‥‥」  
 分かってはいるのだが、一護を目の前にするとどうにも我慢がきかない。可愛くて可愛くて、すぐにでも押し倒してしまいたいぐらいなのに。だがそんなことをすれば一護を怯えさせてしまうだろうと分かっていた。
「それが出来ないんなら別れな」
「絶対に嫌ですっ!」
 乱菊といい他の男といい、修兵の顔を見るとすぐに別れろと言ってくる。おそらく同じようなことを一護にも言っているのだろう。一護は、どう答えているのか気になった。
 乱菊がふう、と息を漏らす。
「とりあえず自分の気持ちを言ってみたら」
「はあ」
 そこで乱菊が修兵の胸ぐらを掴んだ。
「でも情に訴えるような真似は駄目よ。一護の気持ちを一番に尊重すること。じゃないと殺す」
「は、はいっ」  
 その迫力に喉が引きつった。  
 修兵のほうが背が高い筈なのに、なぜか乱菊に見下ろされている気がしてならなかった。




 とりあえず一護に会わなくては話にならない。
 今日は一護は休暇で護廷には来ていない。だが家に行くのは憚れる。一応妹達には紹介をされているが、初めて会ったときは微妙な顔をされた。妹達にとっては大事な姉を奪う男にしか映らないのだろう、妹の出したお茶は渋くて不味かった。
 明日、護廷に来たら真っ先に話をしようと修兵が考えたときだった。
「修兵さん」
「!」
 慌てて後ろを振り向く。
「いち、ご、」
 気まずい。昨日の今日だ、なんて言っていいのか分からない。
 だが一護の装いに修兵は目を見開いた。
 一護は死覇装ではなくて浴衣を着ていた。肌寒いのか、上に羽織っている羽織は修兵が一護に贈ったものだ。いつか脱がしてやる、そう思って贈ったのだが、着ているのは初めて見るので自然と頬が緩んだ。
「明日、話せばいいかと思ったんだけどよ。なんか気になっちまって」
 一護が怒ったようにそう言うが、耳はほのかに赤い。
 一護も自分と同じことを考えていたのかと思うと修兵は嬉しくなる。それに恥ずかしがって修兵の前では女物の浴衣を着たがらない一護が、こうして自分の贈った羽織まで着て会いに来てくれた。
「俺もだ。とりあえず、副隊長室にでも行くか」
「仕事は?」
「もう終わった」  
 だからこそ乱菊に相談に乗ってもらっていたのだ。もしも相談せずに帰っていたらこうして会えなかったのだろうと思うと乱菊に感謝したくなる。
 じゃあ行くかと、一護の手を握った。
 そして握り返してはくれなかった。それに、苦笑した。




 考えてみればこれって密室に二人きりじゃないか。
「落ち着け、俺」
「なんか言った?」
「いや、」
 座布団を出すと、そこにきっちりと一護が正座する。死覇装だときりっとした印象が強いが、浴衣に羽織だとどこから見てもたおやかな少女にしか見えない。初めて会ったときに男だと勘違いした自分が修兵には信じられなかった。
「顔」
「?」
「痛かっただろ。殴って悪かった」
「ああ、大丈夫だ。俺のほうこそ、その、なんだ、悪かったよ」
 修兵が口づけようとしたことを思い出したのか、一護の頬がぱっと赤くなった。
 ああ、可愛い、触りたい。
 初心な反応に、無意識に修兵が一護の頬へと手を伸ばす。だがそれは寸前で避けられてしまった。
「「‥‥‥‥‥‥」」  
 沈黙が部屋を満たす。
 非常に気まずい空気を先に破ったのは修兵だった。取り繕っても仕方がないとばかりに、頭を掻いて一護を正面から見据えた。
「俺はお前に触れたい」
「っ、うん」
 修兵の直球な言葉に思わず一護が羽織を握った。
 恥じることなど何もない。開き直ってしまえば、後はすらすらと言葉が出た。
「口づけしたい」
「っ!」
「それ以上のこともしたい。なんだか分かるか?」
「‥‥‥‥‥‥」
 一護は俯いてしまう。そんな一護から視線を話さずに修兵は言葉を続けた。
「つまり俺は、お前にやらしいことをしたくてたまんねえんだ」
 一護の表情は髪に隠れて見えなかったが、おそらく真っ赤になっているのだろう。もしかしたら嫌悪に顔を歪めているのかもしれない。
 だが唐突に顔を上げると、一護は意を決したように修兵の手に己の手を重ねた。細くて長い一護の指に修兵の目が釘付けになる。初めてのことに鼓動がはねた。
「嫌いな訳じゃないんだ。その、むしろ、好き、なんだけど」
「‥‥‥っああ、」
 その言葉にほっとした。  
 好きと言われてこんなにも胸が熱くなる、そうなるのは一護だけだ。
「ただ、どうしていいのか分かんなくて。俺、誰かと付き合うなんて初めてのことだし、まだ慣れないっていうか、」
 一護が必死に言葉を紡ぐ。話すにつれて一護の頬は赤さを増すばかりだ、そこに口づけたいと修兵は思った。
「だから、もうちょっと待ってほしいんだ」
 ぎゅっと一護の手に力がこもった。
 そのいじらしい姿に修兵の胸が熱くなる。そして今はまだ、この幼い気持ちを育てるほうが大切なのだと気が付いた。
「お前が待ってくれって言うんなら、俺はいくらでも待つ」
 そして一護の手の上に更に自分の手を重ねた。
 その温もりに一護がほっと息をついて、今日初めて笑ってくれた。その笑みを愛おしそうに修兵が見つめると、恐る恐る聞いてみた。
「なあ、頬はいいか」
「?」
「唇じゃなくて、頬なら口づけてもいいか。」
 一護の顔がこれでもかというほどに赤く染まった。修兵の手の中にある一護の手がびくりと動くが、それを優しい力で包み込んだ。
 一護が視線を落とす。そしてほんのわずかだが頷いた。
「ありがとな」
 修兵が身を乗り出して一護の肩に手を置いた。一番下にあった手は一護の手を包み込み、安心させるように握りしめた。
 そして軽く引き寄せて赤く染まった一護の頬に、そっと唇を寄せた。
「ん」
 一護が小さく声を漏らす。
 触れたらすぐに離すつもりだったが、愛しさのあまり長く口づけた。薄く目を開けると一護はわずかに眉を寄せて恥ずかしくてたまらないといった顔をしていた。
 その顔を見つめて修兵の目頭が熱くなる。肩から背に手を移動させて優しく抱き込んだ。
 愛しい。
 自分はきっと、いつか愛しさのあまりに泣いてしまうだろう。
 わざと音を立てて唇を離す。それに一層頬を染める一護が可愛くて、もう一度頬に唇を寄せた。


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