おはようパンチ
「黒崎サン、ていうんですか」
あのオレンジ頭をどうやら店長は気に入ったらしい。ジン太は浦原の視線の先に目をやった。
「ふぅん、変わったコ」
テッサイが溜息をついた。扇で隠された浦原の口元、ジン太の低い位置からははっきりと捉えることができた。
抑えきれない笑み。くっと吊り上がった唇は時折開いて一護の名前を呟いていた。
どこがいいのか分からない。あれは男だ。男に限りなく近い女。
浦原の女の趣味は知らないが、自分はごめんだとジン太は思う。
「面白いですねえ、あれ」
このときは単なる興味程度だったらしい。珍しいものが好きな浦原からすればにわか死神はその珍しい対象物だろう。きっと頭の中では色々と実験してみたいとか考えているに違いない。
だからそれほど気にしなかった。浦原が頻繁に店を開けても、一護がときどき店に訪れても、呼びに行こうとしてテッサイと雨に止められても、ジン太は気に留めたりはしなかった。
「おふぁよーう」
「おはようございます」
テッサイがせっせと朝餉の支度をしていた。浦原は腰を下ろして眠そうな目をこする。
いつもの光景に、しかしいつもと違う何かをジン太は感じとっていた。
「店長、なんか」
「何です?」
「‥‥‥‥や、何にも」
声がいつもと違う気がするのも気のせいか。低くて艶があるとでもいうのか、そう考えて自分でも何のことか分からなかった。
「ねえ、雨」
「何でしょう」
「女の子って何が好きなんすかねえ。ぬいぐるみ?」
「‥‥‥‥個人差があると思います」
テッサイを手伝っていた雨が控えめに答えた。何か微笑ましいものでも見るかのような雨の表情に、ジン太は首を傾げた。
「実用的な物を好む方もいるかと思われますが」
「あぁー‥‥‥‥‥、そうか、それっぽいかも」
テッサイの言葉に、じゃあ何にしようかな、と浦原は呟いた。ジン太はびっくりして握ったばかりの箸を取り落としてしまった。
「店長、女ができたのか?」
「えぇ?」
そこで沈黙。
しん、と静まり返った食卓に雀の鳴き声だけが響き渡った。
「ジン太‥‥‥‥」
「ジン太くん‥‥‥‥」
「ジン太殿‥‥‥‥」
「は?」
心底分かっていないというジン太の顔に、三人三様の溜息がこぼれた。そしてそれぞれが箸の動きを再開させ、いつもの食卓の風景が取り戻された。
ジン太を除いて。
「何だよ」
「テッサイ、この煮物美味しいですねえ」
「ありがとうございます」
「この卵焼きもとってもふわふわしてます」
「ありがとうございます」
「何なんだよ!」
声を荒げてみても三人は貼付けたような笑みを崩さない。雨だけは時折ちらちらと視線をよこしてきたが、それがどういう意味なのかはジン太には理解しかねた。
「いや〜昨夜はオレンジ色の猫がアタシの為だけにあんあん鳴いてくれて‥‥‥‥」
「店長!」
「いやいや? にゃんにゃんでしたっけ?」
「逆にいやらしいです」
どうやら分かっていないのは自分だけらしい。除け者にさせられた気がしてジン太は当然面白くない。
「もういい!」
八つ当たりのように雨の皿からおかずを奪うとジン太はがつがつと飯をかき込んだ。
「ちょっとテッサイ、この子達の教育はアナタに任せたつもりでしたけど」
「雨殿はすぐに気付きましたぞ」
「女の子は早熟ですもの」
「ではジン太殿も熟すときを待てばよろしいのでは」
苛立ちまぎれに食事を続けるジン太の耳にはその会話は届かなかった。
何かが壁に激しくぶつかる音でジン太は目が覚めて、一体なんだと欠伸を噛み殺す。隣で眠っている雨は気付いていないのか、幸せそうな寝顔を晒していた。
外は太陽が上ったばかりで明るいオレンジ色の光に照らされていた。テッサイならばもう起き出して朝食の準備をしているだろう。だったら今の音はテッサイか、一体何をしたんだと廊下へ出れば、
「朝!? 朝なのか!?」
このよく通る声はオレンジ頭、一護の声がして、ジン太は一気に目が覚めた。
「夕方じゃなくて!? 朝!?」
「新しい朝ですね。希望の朝だ」
「絶望だっ、もん、門限‥‥‥‥っ」
昨日、一護が店に来ていたことをジン太は知っていた。そして帰ったものだと思っていたが、今思い起こせば帰る姿は見なかった。
「なんで起こさねえんだよっ、起こせって言ったよな!?」
「言いましたねぇ」
「だったらなんでそうしねえんだよっ、このっ、耳はっ、飾りかっ、取れるのかっ、でっかくなっちゃうのかっ」
「痛いっ、痛いっ、取れませんしでかくもなりませんよぅっ」
一護は分かるがもう一人は本当に浦原なのだろうか。
ふざけた口調は変わらないものの、声色が、なんとも甘ったるい。
「へらへら笑ってんな!」
「アタシ最近気付いたんですけど、一護サンに痛めつけられるのが好きみたいです、エヘ」
直後に鈍い音がした。最初に聞いたものと同じ、壁にぶつかったようだ。
「いっ、痛ぁ! 血が出ましたよ!?」
「出血大サービスだ、喜べ」
それにしても一護はなんて命知らずなのだ。浦原に対してあの物言い、ついでに暴力。ジン太には到底できないし、またするつもりもない。
浦原は底知れない男だ。怒った姿など見たことはないが、底知れないからこそ本気の怒りも底が見えないと知っている。
静かになった部屋に、もしや一護は今頃斬り刻まれているのではないかと嫌な考えが横切った。
「いっ、てぇ‥‥‥‥っ」
一護の苦痛の声にジン太は震え上がった。斬られた、絶対斬られた。
「気持ちいいでしょう?」
「いくないっ、血ぃ出たっ、死ぬ!」
「出てませんし死にません。そうやって毎度泣かれるとアタシ、新たな一面が芽生えてしまいそうです」
「ひ」
俺も泣きたい、とジン太は思った。背後で雨がごそごそと布団を頭まで引っ張って、耳を塞いでいたとは知る由もない。
「抜けってっ、痛、マジ痛いっ」
「そう言われても、ちょっと抜けないんですが」
刀が抜けない。串刺し状態を想像して、分かってはいたが浦原のあまりな鬼畜ぶりにジン太は戦慄を覚えた。
これは助けにいったほうがいいのか。しかし自分程度が割って入れば一護の二の舞だ。
「息を吐いて。抜いてあげますから、ね?」
「うぅ、ん、‥‥‥‥‥‥‥いっっってえっ、何でまたいれるんだよ!」
「抜いたら挿れる。扉だって開けたら閉めるでしょ、常識です」
「だったらお邪魔しますって言えっ、不法侵入者め!」
「お邪魔しまーす」
「痛い! 出てけ!」
緊迫感が一切感じられないのは気のせいか。それに何かこちらが考えているのとずれている気がする。
とりあえずもう一度寝ようと布団へ戻りかけたジン太だったが、部屋からはいまだぎゃあぎゃあと押し問答が聞こえてくる。これでは眠れない。
「‥‥‥‥っせえなあ」
せっかく眠気が戻ってきたが、一護の声はよく通る。そして声を上げさせているのは浦原。
ジン太は閉めようとした襖を再び開き、静かにしろと二人に言う為に廊下へと足を踏み出しかけ、
「っだ!?」
後頭部の衝撃で昏倒した。
「‥‥‥‥‥‥ごめんね、ジン太くん‥‥‥」
ジン太愛用の金棒を手に、雨が申し訳無さそうに立っていた。
「おふぁよーう」
「おはようございます」
テッサイがせっせと朝餉の支度をしていた。浦原は腰を下ろして眠そうな目をこする。
いつもの光景に、しかしいつもと違う何かをジン太は感じとっていた。
「なんか頭痛え。コブができてんだけど、何でだ?」
「ジン太くん、寝相悪いから‥‥‥‥」
「おい雨、お前頬に何か付いてるぞ」
「‥‥‥‥ケチャップ‥‥‥‥」
水っぽいケチャップを拭って雨は曖昧な笑みを浮かべた。
「テッサイ、なんで五人分なんだよ」
「‥‥‥‥店長」
「あー‥‥‥四人分でいいですよ。当分起きてはこないでしょうから」
「誰か泊まってんのか?」
「‥‥‥‥‥‥」
気まずい感じで食事が始まった。今度は誤摩化すような会話は一切ない。
まただ、また除け者にされた。
ジン太は苛々と箸を噛むと、目が合った雨の皿からごっそりおかずを横取りした。