飼い猫のブルース

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  01  


 寂しい屋敷だ。
「ぅわっ、ネズミ!」
 という訳でもないらしい。足下を走り抜けていく鼠に驚き、一護はその拍子に足を絡ませて尻餅をついた。
「イっ、てぇ、」
「何しとるん」
「っわ!」
 後ろからぬっと顔を突き出してきたのは狐目の男。
「ネズミが出て、」
「ふん、まあ出るやろな」
 興味ないと鼻を鳴らし、狐目の男は立ち上がった。その際に持っていた着流しをばさりと投げやった。
「縫うといて」
「あ、はい」
 廊下へと消えていった男の背中を見送り、一護は乱暴に渡された着流しを綺麗に折り畳んだ。そして先に掃除を済ませてしまおうと濡らした布を取る。
「猫でも飼うか」
 しかしそれには屋敷の主人の許可が必要で。
 果たしてあの狐目の男、ギンは頷いてくれるだろうか。








 にゃおん。
「ほら」
 拵えたのは所謂猫まんま。鰹節をたっぷりとかけてやった。
「美味そうだな」
 にゃおん。
「そっか」
 一護がいた流魂街では猫まんまでさえも人間にとってはごちそうだ。それをがつがつと食べる猫を見下ろしていると、一護の腹も空腹を訴えてきゅうと鳴った。
「腹減った。早く帰ってこねえかな」
 屋敷の主人はまだ帰らない。帰ってこないことには一護も食事にありつけない。
 作法なんてものはまったくもって身に付けていないが、自分はこれでも使用人。主人よりも先に手をつけるわけにはいかなかった。
 しばらく視線は猫まんまへと注がれる。それを無視してぺろりと平らげた猫は、満足そうにまた鳴いた。
「帰ったで」
 やっと。
 日付を跨いではいかないが遅い時間だった。一護は猫を一撫ですると、出迎える為に玄関へと小走りで向かった。
「お帰りなさいませ、旦那様」
「ん」
 慣れない言葉で迎えると一護は畏まって床に手をつき礼をした。そうしろ、と言われた訳ではないがそうするものだというくらいは知っていた。
 無言で突き出された斬魄刀を受け取って、次には白い羽織を脱がせる手伝いをした。
「湯の準備が」
「メシ」
「あ、はい」
 一護は一足先にギンの部屋へと向かうと斬魄刀と羽織を壁に掛け、今度は居間へと急いだ。
 用意してあった料理を並べ、支度が終わったと同時に着替えたギンが姿を現した。
「酒」
「どうぞ」
 猪口へと酒を注ぎ、それをギンは一気に煽る。
 食事よりもまず酒。酔ってしまわないかと一護はいつも思うのだが、ギンがそうして前後不覚に陥った様は見たことがない。
「も一杯」
「はい」
 それからギンは酒だけしか口にしなかった。もしかしたら夕餉は既に済ませていたのかもしれない。
 だったらなぜ”メシ”なのだ。この男の考えていることが一護には分からない。出会ったときからこの男についての疑問は尽きなかった。
 知っているのは死神、隊長、三番隊、本当は薄く開いた狐目、それだけだった。
「一護」
 呼ばれたときにはもう硬い床の感触を感じていた。
 徳利が投げ出され、中身を零しているのが視界に映る。それがぐいと上向かされて、今度はギンが視界いっぱいに映り込んでいた。
「一護」
 額を撫でられた。そのまま前髪が後ろへと梳きやられる。
 大きな掌が後頭部へと回されて、そのまま持ち上げられたなら。
「あ、」
 口と口とが重なった。
「柔あらかい」
 むん、と香る酒の匂い。差し込まれる舌は一護にとっては苦くて不味い。
 逃げ出したくて、しかしそれもできない。息が苦しくなって、やめてくれと胸を押し返すこともできない。
 逆らってはいけない。
「名前」
「‥‥‥‥ギン、さま、」
 満足そうに笑う顔。普段は素っ気ないくせに、こういうときだけ笑みを見せる。
 袷から忍びこむ手に一護の唇が震え、それが伝わったのかギンは一層楽しげに笑った。








 賢い猫なのか、ただの意地汚い猫なのか。
 にゃおん。
 朝、それも早朝。決まった時間に食事を強請ってくる。
「‥‥‥‥ん、」
 カリカリカリ、と聞こえる音に目を覚ました。
 また爪を立ててるな。
「こら」
 ぴたりと止まった音。しかし今度はにゃあにゃあとしきりに鳴いてくる。
 目覚まし代わりの猫に一護はもそもそと布団から起き上がった。しかし、何も着ていない。
「‥‥‥‥‥‥」
 裸で寝る趣味は無い。
「なんや、もう朝かいな」
 隣にいるのは同じく素っ裸の男。
 一護は慌てて相手に布団を掛け直し自分の着物を探したが、あるのは男の着流しだけ。どこで脱いだ、脱がされたと昨日の記憶を遡ってみると、答えは居間だと思い当たった。
「えぇよ、ボクの着ていき」
 ここはギンの寝室だ。着物ならいくらでもある。
 一護はありがたく着流しを借りると慌てた仕草で寝室を出ていこうとした。
「メシできたら起こして」
「はい」
 障子を開ければ猫。甘えるように足に擦り寄ってきた。
 着替えて居間へと行けば、そこには昨夜から何も手をつけられていない食事と、脱ぎ散らかされた自分の着物。それを見て、恥ずかしさとどうしようもない無力感がこみ上げた。
 にゃおん。
 ああそうだ、食事。
 一護の後を付いて回る飼い猫に、少しだけ癒された。鼠捕りに猫が飼いたいと言えば、ギンはその日の内に猫を貰ってきてくれた。でも本当は鼠などどうでもよく、寂しかったからだとは言えなかった。
 この猫も自分と同じだ。誰かに飼われていなければ、生きてはいけない。

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