Soul the High & Low
「な、なんだあ!?」
啓吾の叫び声に周りは振り返り、訝しんだ。どう見ても一人で騒いでいるようにしか見えない。
「鳥か? 鳥がぶつかったのか?」
きょろきょろと辺りを見回しても鳥らしき姿は見当たらない。
「何してんの?」
「おおうっ、水色! 今、誰かが俺を殴ったんだよ!」
「へえー」
「興味持てよ!」
「だって、もうそれ何回目なの」
最近この友人は同じことを繰り返し言うのだが、実際に殴られたところは誰も見たことがない。それは本人にも言えることだった。
「幽霊に殴られたんじゃない?」
「なにぃ! マジか! トゥルー!?」
いい加減面倒くさくなって水色は適当なことを言ったのだが、啓吾は真に受けてしまった。
「これはいかん!『ぶら霊』に投稿せねば!!」
「嬉しそうだね」
あんなに怯えていたのに、打って変わって啓吾の顔はキラキラとしてした。そして胸の前で両手を交差させると恒例の叫び声を発した。
「ボハハハハー!」
「はいはい」
恥ずかしいので水色は五歩ほど下がって他人の振りをした。
一護の恋人はネジが一本どころか二、三本は外れているちゃらんぽらんな男だと言われている。
「‥‥それは、まあそうだけど」
彼女としてフォローすべきなのだろうが、一護はその的確な判断に肯定の意を述べてしまった。
ここは尸魂界。一護は死神代行として訪問し、定例報告を済ました後で乱菊とルキアの三人でお茶をしていた。
「檜佐木が言ってたんだけど、両手を交差させて奇声を発してたって」
「ああ、『ぶら霊』ね」
ドン・観音寺の真似をして一時はしつこいほどに一護の前でしていた。一護が一緒にやらないと泣くので渋々一回やったことを思い出した。
「どこらへんに惚れてんの?」
乱菊が聞く一護の彼氏の噂は碌でもないものばかりだった。言っているのが男ばかりなのがその要因でもあるのだが。
「どこらへん、て、」
啓吾のどこに惚れていると聞かれても。
「‥‥‥‥分かんないです」
「何だそれは! そんなものでは誰も納得せぬぞ」
特に男共は納得しない。一護に恋人がいると知って、その顔をわざわざ現世に見に行ったのだ。
そして一様にあり得ねえだの、何だあの男許せねえだの、俺のほうがいい男じゃねえかあのチャラ男だの、非難轟々だった。
今では抹殺したい気持ちをなんとか抑えて、姿が見えないことをいいことに殴ったり蹴ったり膝カックンしたりとささやかな復讐を繰り返していた。
「どっちが先に告白したの?」
「あっち」
「やっぱり」
なぜやっぱりなのか一護には分からなかったが、二人には妙に納得されてしまった。
「いつ? どこで? なんて言われたの?」
「聞いてどうすんですか」
聞いてもあまり面白くはないと思うのだが、乱菊も、人物は知っているがその辺のことは知らないルキアも興味津々といった顔で迫ってきたので一護は記憶を遡った。
「えーと、高校に入学して一ヶ月目に、」
「うんうん」
「昼休みの屋上に呼び出されて、」
「ほうほう」
「太陽に向かって好きだーって叫んでた」
「はあ?」
そんな反応だと思った。だがまさにそんな感じで告白されたのだ。いや、最初は告白だとは分からなかったのだが。こいつまた変なこと言ってんな、と思ったのが最初の感想だ。
「なにが?って聞いたらお前がって言われて、それで付き合うことになった」
「待て待て待て!」
「なんかすっとばしてない? 一護はどうして付き合おうって思ったのよ」
「よく分かんないです」
「あああ!!」
二人同時に頭を抱えて唸られた。
「なんで俺ってお前と付き合ってんだ?」
言ったあとに一護は後悔した。
「一護おおおうぅぅ!!」
「あ、わり」
涙目どころか本気で泣いている。ついでにうるさい。
だが一護はそれに腹は立ちはしないし、苛々もしない。時折鬱陶しいがそれは父親に対するものと似ていて、まあ許容範囲なのだ。
「今の無し、無しな」
つまり付き合っているというか、付き合えるというか。こんなに手のかかる男と自分は付き合えるのだということは分かった。
「なんだよ! 今の残酷な言葉は俺の心を確かに傷つけたぞ!」
「だから無しだっつってんだろ。忘れろ」
一護は読んでいた雑誌で顔を隠し、もうこれ以上言うなと意思表示をした。だが座っていたベッドが軋むのを感じて雑誌から顔を上げると、不安そうな顔をした啓吾がそこにいた。
「なに?」
死神代行の合間を縫って今は啓吾の家へと来ていた。一応この地区には担当の死神がいるのだが、見た限り非常に不安をかき立てられる。そこで一護は虚が出現すると彼氏そっちのけで現場に駆けつけてしまうので、現在は何度もほったらかしにした償いに部屋で一緒に寛いでいるのだ。
コンに相手をさせてはとチャド辺りに言われたが、どうせ碌なことにならないと分かっていたので一護がそれをしたことはない。
「なんだよ、」
ずっと黙っているのを不審に思い、一護が雑誌を置いて顔を覗き込んだ。するとごく自然な感じで顔を寄せられたので避けようかと思ったが、最近扱いが酷かったことを考慮してそのまま一護は目を閉じた。
普段はヘタレなくせにこういうことはそつなくこなす。だがすべてにおいてそつなくこなす男であったなら自分は付き合ったりしないだろうな、とぼんやり考えた。
「はぁ、」
唇が離れて閉じた目を開けると真剣な顔をした啓吾がいた。
「する?」
「おおお、お前! 女の子がそういうことを言うな!!」
真剣な顔から一転、普段の情けない顔に戻り一護はそれを見て笑ってやった。
「安心しろ。俺は好きでもない野郎とはこんなことしない」
「そ、そうだよな」
あからさまにほっとした様子の啓吾に、自分の失言を一護はこっそり反省した。一護はこの男が自分に惚れているのは知っていたが、男のほうは一護が惚れてくれているのかどうかはいまいち自信がなかったらしい。
それも無理はないと思う。なんせ一度ならず二度三度といわゆるデートの約束を破り、また途中で抜けだすという彼女としてはあるまじき行動を繰り返してきたのだ。
「一護、好きだ」
「おう」
男らしい返事に啓吾は苦笑いするも、女の子らしい一護を好きになったのではないのだ。
緊張して訳の分からない告白をしたがまさか付き合ってくれるとは思ってもみなかった。後で聞くと、なんか面白かったから、と微妙な理由を聞かされた。
「じゃ、すす、するか、」
「結局すんのかよ」
まあいいけど、と笑った一護はキスされそのまま押し倒された。
そしてめったにはかないスカートの裾から素足に触れられたとき、一護は嫌な霊圧を感じて目を開けた。
「あ!?」
ぶない、と言おうとしたが間に合わず。啓吾はあっけなく殴られ気絶させられた。
ずしりと重みを増した体を乗せたまま一護は上半身を起こす。ありえない人物の登場にどういう反応をすればいいのか分からず、ぱくぱくと口を開閉した。
「よし、成敗」
「な、なにしてんだ!!」
一護が怒鳴った相手は当然とばかりに拳を握っていた。その厚い拳で殴られた啓吾の後頭部に手をやるとわずかに膨らんでいる。このまま放置しておけば更に腫れるだろう、一護は啓吾をベッドへと寝かせるとタオルを冷やしに一階へと下りようとした。
「ぐおっ!!」
が、途中で戻ってくると侵入者の鳩尾に拳を入れて、今度こそ一階へと下りていった。
当分は目を覚まさない啓吾を部屋へと置いて、一護は近くの公園へと行った。
「このバカコンビ! 何してんだよ!!」
「何って、なあ?」
「ねえ?」
恋次と修兵は互いに顔を見合わせて頷き合っていた。それを見て一層怒りに煽られた一護は蹴りを入れようと足を振り上げる。
「わ、やめろって!」
「短い着物だな。下履いてんのか?」
狼狽えたのは一度殴られた恋次のほうで、修兵はむしろ興味津々といった感じで顔を下に下げて覗こうとしていたので、一護は蹴りを諦めて足を下ろした。
「恋次、てめーどういうつもりだ」
啓吾を殴って気絶させたのは恋次だ。修兵は窓の外で待機していた。
「先輩がやれって」
「ああ? 俺が行けって言ったときにはもうお前部屋の中に入ってたじゃねえか」
「俺がやらなかったら先輩がやってたくせに!」
「まあな」
どうやら反省の色は皆無だ。一護の霊圧が上がり、それに気が付いた二人がさすがにやばいと思ったのか、小さな声で謝った。
「最近、あいつが誰かに殴られたりするって騒いでるけど、お前らの仕業か」
「俺達だけじゃねえってっ」
まったくの潔白ではないがすべての犯行を被せられても困る。隊長格の何人かが関わっているが、それを言うと後で何をされるか分からないので二人は口ごもった。
「誰がやったかは後で聞く。俺はもう戻るからな」
「駄目だ!」
「続きか! 続きをするのか!?」
年頃の少年少女だ。やることやってるとは思ってはいたが、一護はなぜかその規格からは外されていた。その男らしい性格もそうだが、あれほどの霊圧と強さを持っているのだ、そんじょそこらの男では相手はできない。ゆえに恋人などいないと思っていたのだ。
それがまさか既に現世に恋人がいるとは、しかも霊力の欠片もないただの人間だとは思いもしなかった。
「続きをしようがしまいがお前らには関係ねー!!」
「するんだな!?」
「不潔! 不純異性交遊反対!」
「るせえ! その69削り取ってから物言いやがれ!」
ぎゃんぎゃんと叫んでいる間も一護は啓吾が起きやしないか心配だった。目が覚めて一人だと寂しがっていないか、それを気にしてちらちらと家がある方向を気にしていたのでそれに気が付いた男二人は当然面白くない。
「別れろ」
直球な修兵の言葉に恋次はぎょっと目を剥いた。回りくどいことは自分も嫌いだが、だからといって正面切ってものを言える質ではない。
言われた一護も驚いて目を見開いていたが、すぐに修兵を睨みつけた。
「なんで」
「釣り合わねえよ」
いつもの眉間の皺がさらに増えて、一護が本気の怒りを示しているのは一目瞭然だった。
二人のやりとりに遅れをとった恋次は息を呑むしかない。
「霊力も何にもねえ。お前とあいつとじゃ、ちっとも釣り合いがとれてねえじゃねえか」
「‥‥‥そうだな、釣り合ってねえよな」
そこで一護が悲しそうに目を伏せたので修兵は罪悪感に駆られ、手を伸ばそうとした。思っていることを言ったが、傷つけてしまうのは嫌だ。矛盾しているのは百も承知だった。
だが手が届く前に一護は再び視線を上げて修兵を見据えた。
「でも釣り合ってないのは俺のほうだ。俺には、あいつはもったいねえよ」
その思いが強くなったのは尸魂界に行くことになったときだ。
「俺が何してるか気になるくせに、聞いたら困ると思って聞かねえんだ。尸魂界に行くときも、何も聞かずに送り出してくれた。夏休み中ほったらかしてたのに、帰ってきたら文句一つ言わずに迎えてくれた。そうだよ、まったく俺とあいつは釣り合ってねえ」
もっと彼女に相応しい女はいる筈だ。それなのに変わらず好きだと言ってくれる男は啓吾しかいない。
「あいつは俺を見捨てない。馬鹿で間抜けで情けないやつだけど、こんな女に最後まで付き合ってくれるんだ。だから俺は絶対に別れない」
きっと縋っているのは自分のほうだ。最悪の女に捕まった啓吾に同情するが、一護のほうからは絶対に別れは切り出さないと確信していた。
「小突く程度なら許してやるけど、あいつに何かしてみろ。卍解して細切れにしてやるからな」
睨まれて修兵と恋次は後じさった。直接卍解で戦ったことはないが、白哉がそれに敗北しているのだ。その威力は半端ではないと知っていた。
『ホローヴ! ホローヴ!』
「あ」
死神代行証が奇声を上げて虚の出現を知らせた。普段なら一護が死神化して虚を倒しに行くところだが、今はここに隊長格が二人もいる。
「お前らが行けよ。そしたら今日のこと許してやる」
先ほどまでの怒りをぱっと沈めると一護はそう提案した。それに乗らない訳にはいかない二人は頷くと、もう一度一護を見た。
「明日行くから。茶菓子用意しとけよ」
「あ、ああ」
「‥‥悪かったな」
気まずそうに謝った修兵に一護は笑いかけてやると、早く行けと促した。一度は怒りを覚えたが、啓吾に対する霞がかった想いを言葉にできたいい機会だったと思うことにした。
「‥‥‥帰ろ」
二人が去ると一護は踵を返し、啓吾がいる家へと向かった。
アリバイ作りに自販機に寄ってジュースを買うことを忘れずに。