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  大事な石ころ  


「あ〜気持ちワルい」
「二日酔いですね」
 ソファに背中を預けてあ〜あ〜唸る雇用主を冷たい視線で眺めながらも新八は濃いお茶を入れてやった。
「ちょっと神楽ちゃん、テレビ切って」
「今めっちゃイイところネ。銀ちゃんも見るアル」
「見ねえようるせえよ。切れって、頭割れそう」
 テレビの画面上で繰り広げられているのは野球の試合だ。それを食い入るように観戦する神楽は聞こえていないのかリモコンに触ろうともしない。そのすぐ後にテレビ画面がワッと盛り上がった。
「うるせぇえええ!」
「コラ! 静かにするネ、ワットソン!!」
「ワットソン選手のせいじゃないでしょ」
「コイツが打つから画面がうるさくなったヨ」
「いいから、切るよ」
 神楽は不満そうだったが具合の悪そうな銀時を見て渋々従った。しかしテレビを消されて不機嫌に唇を尖らせていた神楽は次にはもう表情を一変させて素早い動作で銀時の傍により、眉を下げ心配そうに銀時の顔を覗き込んだ。
「銀ちゃん、お酒控えるネ。体に悪いヨ」
「酒は百薬の長ですぅー」
「量によるでしょ。がばがば飲んで、そのうち肝臓悪くしますよ」
「いいんだよ。がばがば飲んだ分、げろげろ吐いてるから」
「ああもう足広げない。胸も零れそうですよ」
 いつもの格好ではなく襦袢一枚で銀時はソファに寝転がっていた。乱れた胸元や引き締まった細い足を惜しげも無く晒す銀時に、通常の青少年なら何か思うところだが、新八はもう見慣れてしまったせいか特に胸に訴えかけてくるものはない。
「嫌味か、新八君。零れるほどねーよ。だったらお前だって眼鏡が今にも零れそうだよ」
「眼鏡は零れません」
 自分たちだからいいものの、まさか外でもこの調子ではなかろうな、と母親のように新八は心配になってしまった。
 そしてあられもない姿のまま寝息を立てて眠ってしまった銀時に、呆れとそして土方に対する同情が沸き起こる。
「マヨラーの奴、こんな銀ちゃん見て襲っちゃったりするのかな」
「しないでしょ。というかできないでしょ。あの人ああ見えて純情だから」
 きっと手を出したくてもそんな自分は卑怯だと思って延々と悶えているに違いない。そしてそんな恋人の前で銀時は平気で今のような姿を晒すのだ。
「銀ちゃん言ってたヨ。マヨラーは”よし”って言うまで手出してこないんだって。公私共々忠犬だってこの間褒めてたネ」
「ブリーダー気取りかよ」
 銀時のほうが年上だ。それも仕方ないかもしれない。
「でもあんまり長く”まて”するのは良くないって言ってたネ」
 神楽が眠る銀時の髪をそっと引っ張った。
「腹が減ってる分、がっついてくるって。なぁ、新八、これってどういう意味アルか?」
「‥‥‥‥‥さぁ?」
 新八の視線が天井辺りを泳いでいった。








 誰かが髪に触れてくる。
「ちょ、やめろよワットソン‥‥‥」
「誰だ、ワットソンて」
「んぁ?」
 焦点の定まらない視界をしきりに擦れば、ここが居間ではなく自分の寝室だということと見下ろしてくる黒い影に気がついた。
「ワットソン?」
「だから誰だよ」
「知らね。おはよう多串君」
 へら、と笑い身を起こせば土方が居心地悪そうに顔を背けた。
「新八と神楽は?」
「眼鏡は道場に帰った。チャイナも今日はそっちに泊まるってよ」
「あぁ、そう。お茶飲む?」
「俺が入れるんだろ」
 銀時は当然、と頷いた。そして目が合って自然に笑えば、しかし土方はまた顔を背けてしまう。
 こちらをまっすぐ見ようとはしない。
「何、どしたの」
「別に」
「多串くぅん」
「気色の悪い声出すな、‥‥‥‥バッ、くっつくなよ!」
 土方の背中に張り付いて、銀時は首にしっかりと腕を巻き付けてやった。振りほどこうと土方が暴れるが銀時はぎゅっとしがみつく。両足を腰に絡みつかせて、蝉のように土方という樹にくっついた。
「何何、多串君? 俺に言えないことでもあるのかね?」
「離せって、」
「顔が赤いよ。嬉しい?」
 ちゅ、と耳に口付けてやったら土方の体がびくりと揺れた。それが面白くて銀時は今度は首筋に唇を寄せた。
「なんで制服ってどれもこれも首を隠してんだ? 邪魔だってこれ」
 固い詰め襟を鬱陶しそうにどかし、それでも銀時はうなじに唇を押し付ける。襟足にもそっと唇を押し当てれば整髪料の匂いがした。
「首を、獲られない為だろ、」
「あぁ、そうか。天人は、そうだったなぁ」
 首から頬へと唇を滑らせると、後ろから覗き込むようにして土方の唇に己のそれを重ね合わせた。子供同士の戯れみたいに、くっつき離れ、またくっつく。
「今思えば侍ってのは何でああも無防備に首晒してたのかね。ね、多串君はどう思うよ?」
「知るか、」
「儚いもんだね、侍ってやつは」
 悲しむようにそう言って、銀時はこれが最後とばかりに土方の額に唇を押し当てた。
「あちゃ、脱げた」
「!」
 額へと顔を伸ばした拍子に銀時の襦袢がすとんと肩から落ちた。肘の辺りで止まったが、土方の目の前には己の動悸を乱す白い肌と小振りの胸が目一杯に映り込んでくる。
「あぁ、ごめんごめん」
 銀時はぱっぱと襦袢を肩にかけるが、それは適当だった。今にも脱げそうな危うさが、土方を焦らして煽りまくった。
「多串君は見えそで見えないのがお好みだよね。これでいいかい、え?」
「てめっ、ずっと分かっててやってたな!?」
 こちらは見ないようにと気を張っていたのに。
 そう訴えてくる年下の男に、意地悪い顔で年上の女は平然と構えていた。
「やらしい視線が胸の辺りを彷徨っては逃げてたね。見たきゃガンガン見ればいいのに。逆にやらしいよ」
「お、俺はなぁ、」
「触りたきゃ触っていいんだよ。変に気使わなくても、エロいことしてーって思ったらしていいんだって。俺のこと大事にし過ぎだ。宝石みたいに扱って、そんなに大層な女じゃないよ、俺は」
「お前、」
「優しくされると苛々する」
 眉を寄せて銀時は吐き捨てた。
 しかしそのすぐ後、顔を覆って土方に抱きついた。
「あぁ、嫌だ、今の無し、何言ってんだ俺。最低、もう死んでくれ」
「銀、」
「ただ遠慮しないでくれって言いたかっただけなんだ。それなのに、あぁもう」
 がしがしと乱暴に頭を掻いて、銀時は大きく息を吐いた。ちら、と土方の顔を盗み見れば、ばっちりと目が合った。
「大事にするに決まってる」
 そして言われた言葉に銀時は驚いて目を見開き、何度も瞬かせた。一緒に開いた唇に可愛らしく口付けられて、ようやく意識がはっきりしてきたほどだった。
「好きな女は大事にしたい。適当になんか扱えるか」
 真摯な瞳に見つめられ、銀時の擦れた心がきゅんと優しく掴まれた。そんな錯覚に、じわじわと顔が熱くなる。
「赤いな。嬉しかったか?」
「なっ、生意気だぞテメ!」
 からかわれて狼狽えた。自分がそうなることなんて久しぶりで、頬が増々赤みを増した。
 滅多に見られない銀時の少女のような反応に土方はくっくと笑いを押し殺し、そして大事に大事に抱きしめた。
「二日酔いで疲れてるんだろ。寝てろ」
「一緒に寝る?」
「あぁ、傍で手握っといてやる」
 それは何もしないということだ。
 銀時はもう一度驚いたように息を止め、それから真っ赤な顔をさせて土方を睨んだ。
「‥‥‥‥ほんとはしたいくせに」
「まぁな。でもしたいってのは大事にしたいってことだ。いつだってそうしたい」
 まただ。
 銀時はまた優しく心を掴まれて、それが気持ち良く思ってしまう。
 体の快感だけではなく、心が気持ちいいときもあるのだと、忘れて久しい感覚が呼び起こされた。まるで羽毛で襟首を撫でられているような、こそばゆい感覚。
「‥‥‥‥じゃ、寝る」
「そうしろ」
「んで、起きたらしよう。大事に、抱いてくださいな」
「あぁ。おやすみ、銀時」
 二人で布団に横になった。腕枕に最初は慣れなくて銀時は中々眠れなかったが、次第に瞼が重たくなる。
 そしてまた髪を撫でられる感触に、心が気持ちいいと喜び跳ねた。

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