眼鏡祭
01 冷血眼鏡
「黒崎」
呼ばれて一護は振り返った。その先には友人達に囲まれた同級の浮竹がいた。
「これ、貸してくれてありがとな」
「いいえ」
神経質そうな眼鏡を指で押上げ、一護は殊更冷たく返事をすると、浮竹に貸していた書物を受け取った。
「凄く分かりやすかった」
「それは結構」
真面目そうにきちりと分けられた一護の前髪。しかしいつも綺麗に髪留めで留め整えられているそれが、今日に限って少し乱れていた。浮竹はそれに気がつくと、自然な動作で手を伸ばした。
「っ!」
ぱちりと音が鳴り、その瞬間辺りの空気が固く凍った。
「‥‥‥‥前髪が、落ちてるぞ」
叩き落とされた己の手を撫でながら、浮竹は気にしてないというふうに丁寧に指摘してやった。しかし後ろにいた友人達はそうではなく、険悪な視線を一護へと向けている。
「どうも」
「っおい、叩いておいてそれだけか!?」
「いいんだ、行こう。じゃあな、黒崎」
笑顔で手を振って食ってかかろうとする友人の背中を押しながらも浮竹は廊下を歩いていった。一護は零れた前髪を押さえ、その後ろ姿を睨むように見据えていた。
「ガリ勉娘に殴られたって本当?」
「‥‥‥‥‥なんだそれは」
授業中。私語をするなと隣に座る京楽を睨んでやったが、睨まれたほうはにっこり笑ってどうなんだと答えを迫る。
「そもそもガリ勉娘ってのはなんだ」
「あのコのあだ名。知らないの?」
一番前の席に座り、教師の弁舌に真剣に聞き入っている生徒が一人。目立つのはその生徒のオレンジ頭のせいだけではない。両隣に誰も座っていないからだ。ぽつんとした背中に、浮竹は寂しそうだと眉を寄せた。
「黒崎か?」
「そう。で、殴られたの?」
「殴られてない」
「なーんだ」
つまんないの、と軽口を叩く親友の体を浮竹は肘で押しやると授業を聞けと注意した。しかしそう言いながらも自分は授業など聞いてはいなかった。
視線の先には一護がいて。
「わぉ、熱視線」
「黙れよ」
強めに肘で小突いてやって、浮竹は黒板へと視線を移す。しかし五秒とたたずにまた一護へと視線がいった。
ガリ勉と呼ばれているなんて知らなかった。確かに一護は誰よりも成績がいい。学院の書庫で、寮の門限ぎりぎりまで書物を漁って勉強しているのを何度も見たことがある。努力するその姿に、しかし中には気に入らないと思う者が少なからずいるのだ。
何より一護の態度がそれに拍車をかけている。一匹狼、群れたりしない。同級の女子生徒が輪を作ってお喋りしている隣で一護は書物に目を通す。話しかけるな、という雰囲気に誰も一護に近寄らない。
普通に声を掛けるのは浮竹だけだ。しかし一護はいつも”いいえ”か”どうも”のどちらかで、それを見ている友人達の中にはせっかく話しかけてるのにと一護を批難する者も何人かいた。
いつも一人。
大きなお世話と言われそうだが、浮竹はどうしても一護を放っておけない。
「浮竹君、ちゃんと先生の話を聞かないといけないよ? それともあれかね? 気になるあのコのほうが勉学よりも大事なのかね?」
思考を邪魔され且つからかう言葉に腹が立つ。しかし我慢、と自分に言い聞かせて授業を聞くフリをした。
一護はいつもどこで食事をとっているのだろう。食堂で見かけたことは一度も無い。それから今日返したあの書物、京楽によれば絶版ものらしい。手に入れられる人物は限られている。ということは一護の実家は貴族なのだろうか。
何も知らない。何も一護は言わない。
‥‥‥‥‥気になる。
「一護ちゃんて眼鏡とったほうが絶対イイと思うんだよね。浮竹はどう思う? え、なになに? 眼鏡どころか学生服もとっちまえって?」
「うるさいぞお前!!」
叫んだ瞬間、しまったと思った。だが遅い。教室中の目という目が浮竹へと注がれていた。もちろん、一護の眼鏡越しの茶色の目も。
視線が合って、浮竹の中で途端に恥ずかしさがこみ上げた。
「すい、ません‥‥‥‥、」
最悪だ最悪だ最悪だ。
黒崎に、呆れられた。
「元気出せよ」
「お前っ」
声を荒げ、再び後悔することとなった。