眼鏡祭
02 BANG! BANG!
剣術の授業。
今日は護廷の隊長である元柳斎が直々に相手をしてくれるとあって、生徒達は皆浮き足立っていた。
一護もその例に漏れず、いつもの真面目そうな顔が緊張でやや強ばっていた。
「お前でも緊張するんだな」
「‥‥‥‥‥別に」
気安く声を掛けてもこのつれなさ。しかし浮竹はめげずにあれこれ話題を振っては一人でにこにことしていた。
「浮竹」
「なんだ?」
「話しかけるな」
つい、と眼鏡を押し上げて、一護は目も合わせずにそう言った。
浮竹は素直に黙る。しかし一護の隣から動こうとはしなかった。
無言で突っ立っている姿はおかしなものがある。向かい側にいる京楽と目が合って、何してんの君達、という視線を送られたが浮竹は構わずに一護の隣に立ちその表情を観察した。
隣に立つ男にはまったく興味ないという態度に少々傷つくものの、一護の意識はただ一人、元柳斎へと向けられていることに気がついた。
その表情の切ないこと。
浮竹はぎょっとして、一護と元柳斎を交互に見やった。
‥‥‥‥‥まさかな、ありえない。
なかば言い聞かせて浮竹は引き攣った笑みを浮かべた。そのとき元柳斎と視線が合う。何度か言葉を交わしたことのある元柳斎に、反射で頭を下げれば穏やかな目を向けられた。
照れたように後頭部に手をやる浮竹を、一護は冷たく一瞥した。
「いやー、まったく適わなかったねえ」
授業は終了。
元柳斎にとって統学院の生徒など赤子の手を捻るも同然。二人してこてんぱんにのされてしまった。
浮竹も京楽も手足に痣を作って、しかし満足そうに頷き合った。
「だが前よりも手応えを感じた」
「だね。山じいも褒めてくれたしね」
そんな二人の脇を一護が音も無く通り過ぎていく。
「黒崎っ」
振り返った一護は、ものすごい目つきで浮竹達を睨んできた。
「え」
「用向きは」
「えぇと、」
どうして睨まれるのか分からない。口ごもっていると一護は答えも聞かずに歩き去ろうとしたので、浮竹は咄嗟にその腕を捕まえた。
「ま、待て!」
細い手首にどきりとした。そして一護の舌打ちにぎくりとした。
「離せ」
「う、あ、すまん」
ぱっと腕を離して一護を見下ろせば、相変わらず鋭い茶色の目がこちらを見据えていた。自分は何かしただろうか。これほどまでに毛嫌いされる理由が思い当たらない。
「その、あれだ、‥‥‥‥黒崎は、すごいな」
「何が」
「先ほどの剣術の授業だ。黒崎が一番、元柳斎先生とやり合えていた」
自分たちは一回二回で竹刀を弾かれ体勢を崩していたが、一護は何度も打ち込み打ち込まれ、その技量に浮竹はもちろん他の生徒も圧倒されていた。
しかし当の一護は始終浮かない表情で、そしてそれは今もだった。
「どうも」
一言そう言ってその場を去ろうとする一護の腕を、浮竹は懲りずにまた掴んだ。
「っあ、すまん!」
一護は体温が低い。いや違う、自分の体温が上がったせいだと自覚して、浮竹は誰にも知られず鼓動を速めた。
「その、頼みたいことがあるんだが、」
図々しいとは思ったが言うなら今だ。緊張で早口になりそうな唇を一度舐めて潤すと、浮竹は殊更ゆっくり言葉を紡いだ。
「良ければ、剣稽古の相手をしてくれないか?」
端で聞いていた京楽は積極的な親友の発言に驚いた。そして一護はどう答えるのだろうかと視線をやれば、そこには真冬の空気を纏う一護がいた。
「浮竹十四郎」
「‥‥‥‥? なんだ?」
一護は眼鏡を押し上げると、その体勢で静止した。そして凍える視線と声でもって、浮竹を打ちのめした。
「俺は、お前が、心底、嫌いだ」
あんぐりと。
口と目を見開いて浮竹は固まった。
一語一句区切って言われた台詞。特に”心底”という言葉は一段声が低かった。
「一緒に剣稽古? 馬鹿かお前は」
その声はまるで針のようだ。ちくりちくりと浮竹を刺す。
「山元先生に褒められたからといって、いい気になるなよ」
最後はぶすりと刀で刺された心地がした。一護の目に、明らかな嫉妬が見てとれたからだ。
「黒崎、お前‥‥‥‥」
「山じいが好きなの?」
言った。
京楽ののほほんとした声に浮竹だけでなく、一護も固まった。
「だってさあ、山じいとの打ち合いが終わった後、お褒めの言葉が無くて一護ちゃんてばなんかショック受けた顔してたじゃない?」
「京楽、それだけで」
決めつけるな、と言いかけたがその言葉は喉の辺りでつっかえた。
一護が、真っ赤な顔をして全身を震わせていた。
「あれ、当たり?」
あっちゃーと言って大して悪く思っていない京楽に、次の瞬間拳が襲った。
「お前もだっ、京楽春水!」
隣で親友がぶっ飛ばされるのを見ても浮竹は微塵も動けなかった。
一護が、元柳斎に。
それで頭がいっぱいで、ただポカンと一護を凝視するばかり。
「俺よりもっ、弱いくせにっ、成績下のくせにっ、なのにっ、褒められやがってっ」
それが不機嫌の理由らしい。
かつて見たこともないほどに一護は取り乱していた。前髪がはらりと落ちて額を隠す。眼鏡もややずり下がってしまっていた。そうして一気に幼くなった容貌に、浮竹は場違いにも可愛いなとか思ってしまった。
「いいか」
男二人に指を突きつけて、一護は殊更冷たく言う。
「お前ら二人は俺の敵だ。今後一切っ、俺に、話しかけるな」
思わずはい、と頷きそうになるほどの気迫。
最後に眼鏡を押し上げて、一護は荒々しく去っていった。
「ーーーーー浮竹」
しばらく立ち尽くしていたらしい。肩を叩かれて浮竹が背後を振り返れば、そこには頬を赤く腫らした親友がどこか惚けたように立っていた。
「あぁ、大丈夫か」
「‥‥‥‥なんかさあ、あれだよね」
「どれだ?」
様子がおかしい。打ち所が悪かったのか。
「恋は矢の如し」
「‥‥‥‥は?」
「京楽春水、討ち取られてしまいました」
胸を押さえて溜息一つ。
その切ない表情に。
あぁ。
浮竹は天を仰いで嘆息した。