眼鏡祭
04 眼鏡は一つあればいい
一護は基本的には大らかな人間だ。
しかし、そこに元柳斎が絡むと途端に心の狭さを発揮する。
「なんだっ、あの新しく副隊長になった奴っ」
っチ、と舌打ちして一護は向かいの廊下を睨みつけていた。
そこには愛しの元柳斎と、最近副隊長へと昇格した青年が談笑していた。
「まあまあ、落ち着いて」
「余裕を持て。お前のほうが断然有利だから」
親友として浮竹と京楽は励ましてやったが言葉にはあまり心がこもっていなかった。
「学院を首席で卒業、スピード出世、そして何よりあの眼鏡! 俺とキャラ被ってんじゃねーか!!」
隊長としての威厳も何も無い。一護は手拭があればぎりぎりと噛み締めていそうなほどに嫉妬の炎を燃やしていた。
「彼、優秀だそうじゃない」
「先生も期待しているみたいだな」
「許せねえっ」
ダン、と欄干に拳を叩き付け、一護は増々怒りを膨らませていた。そんな一護を間に挟んだ浮竹と京楽は宥めるものの、実際にはどうでもいいと内心では冷めていた。
「俺の中の正義が奴を葬れと言ってる」
「その正義はたぶん間違ってると思うよ」
教え子達の中で一護は誰よりも元柳斎に忠実だ。しかし暴走しがちな忠誠心に、それを止める役の親友二人は毎回毎回溜息を禁じ得ない。
「十四郎、春水」
学院を卒業して隊長になるまでの数十年。自分たちに対しては氷の固まりのようだった一護も今ではこうして気軽に名前を呼んでくれるようになった。
しかし、すべてが良い方向へと向かったと言えばそうではない。
「お前ら、俺のこと好きだよな」
この台詞の後に続く言葉、二人にはだいたい予想ができている。
「あの眼鏡を葬れ」
「ちょっ、いくらなんでもそれは」
「できることとできないことが」
無茶を言う。しかし一護はできないと首を振る親友二人に畳み掛けた。
「やってくれたら一緒の布団で寝てやる」
「ね、寝るだけ?」
一護は眼鏡を押し上げてにやりと笑った。
「俺達もう大人だろ」
その一言で男二人は色めき立った。その真ん中で一護が小さく舌を出していることには気付かない。一護は一言も行為については言及していないが、それに気がつかない哀れな男二人。
「楽しそうですね」
同期で仲が良いと護廷では有名な隊長三人に声を掛けたのは、今まさに抹殺命令の下された目標の人物だった。穏やかな笑みを浮かべて挨拶をしてくる好青年に、一護はあからさまに顔を顰めた。
「黒崎隊長」
「なんだよ」
顔に思い切り気に入らないと書いてある一護に、気付いていないのか青年はにこやかに話しかけてきた。葬れと言われた浮竹と京楽は迷っていたが、本人を目の前にすればやはりできないと思ってしまう。
「今度の合同訓練、よろしくお願いします」
「俺は見てるだけだ」
「皆、黒崎隊長が観覧するとあって浮き足立っていますよ。うちの隊長や、もちろん僕も」
「あぁそうかよ。せいぜい怪我して眼鏡が割れないように気をつけな」
おそらく。一護が参加していればどさくさに紛れて青年の眼鏡を叩き割っていただろう。絶対そうだと確信を込めて浮竹と京楽は不機嫌一色の一護を見下ろした。
敵愾心剥き出しの一護を目の前にして青年は怯むことが無い。そして笑みから真剣な表情になると、一護に向かって一歩足を踏み出した。
「本当は、貴方の副官に就きたかった」
「はぁ?」
長い付き合いのある人間でなくても今の一護は目の前の青年を気に入っていないと分かる筈だ。浮竹と京楽は初めて不審を込めて、この誠実そうな青年を観察した。
「先ほど、山元総隊長に貴方の隊への移動を嘆願したところです」
「言っとくけど、俺は今の副官で十分満足してるからな」
暗にお断りだと言えば、青年は自信に満ちた目で言い放った。
「彼よりも僕のほうが遥かに貴方のお役に立てますよ」
一護の眉間に皺が一本追加された。己の右腕を貶されて平然としている隊長などいない。
「お前、なんて名だ」
「藍染惣右介です」
一護は眼鏡を押し上げて、そしてそのままの体勢で静止した。
「藍染惣右介」
この光景。
浮竹と京楽には覚えがある。
「俺は、お前が、心っっっ底、嫌いだ!」
心の底から嫌いだと言えば、さすがの藍染もわずかに目を見開いて表情を無くしていた。しかしそれも数秒で、すばやく笑みをつくると一護を見返した。
「僕のどこが気に入らないというんですか」
中々にやる。
かつて同じ台詞を言われた浮竹は、すぐに立ち直った藍染に感心してしまった。自分は立ち直るのに一日かかったというのに。
「色々あるけどな、特に上げればそのっ、眼鏡だ!」
「‥‥‥‥眼鏡、ですか?」
この答えは予想していなかったらしい。ぽかんとした藍染の隙を突いて、一護はその眼鏡を奪い取った。
「やっぱりっ、思ってた通りだっ」
「あの、」
「一護?」
「一護ちゃん?」
藍染の眼鏡を親の仇のように睨み据えて、一護は今度は藍染に指を突きつけた。
「これ伊達じゃねえかっ、信じらんねえ!」
一護が言うには伊達眼鏡は邪道だそうだ。浮竹と京楽は飲みに行った先で、酔った一護が常々伊達眼鏡は許し難いと批判していたことを思い出した。
「眼鏡は体の一部だぞ!? それなのに伊達だぁ!?」
「おわーっ、落ち着いて一護ちゃん!」
「逃げろ藍染っ、一護は本気だ!」
斬魄刀を抜こうとする一護を両脇から押し止めて、隊長として副隊長に逃げろと忠告した。しかし藍染はそれを聞かず、憮然とした表情で一護の目の前まで歩み寄ると。
「副官になることは諦めます。でも」
一護の手から己の眼鏡を取ると藍染はそれを掛け、挑発するように笑んでみせた。
「僕が隊長になったら、貴方を跪かせてみせますからね」
「っな、」
「っ君、」
「上等だコラぁっ、こっちはその眼鏡割った上でもう二度と伊達眼鏡は使用しませんって一筆書かせてやるからな!」
とにかく伊達眼鏡が許せないらしい一護はぎらぎらとした目で藍染を射殺しそうなほどに睨みつけた。藍染はそれを心地良さげに受けとめて唇の端を吊り上げた。最初の好印象が吹き飛ぶほどの嫌味な笑みだった。
「合同訓練。楽しみです」
「外野から何か飛んでくるかもな。気を付けろよ」
双方しばしの睨み合いの末、同時にふっと笑う。
「覚悟しておいてください」
「てめえがな」
次にはもう笑みは消え、二人は踵を返して歩き去った。