「目立たないけどここにいるよ」
「くたばれっ、このどアホがっ」
容赦ない蹴りを浴びせかけ、最後は地面に押し付けてぐりぐりと踏みにじる。不良達は誰も彼もが叩きのめされたまま動かない。
最後の一人が白目を剥いた。その光景を前にしてみちるは失神寸前だった。
「おい、大丈夫か?」
振り向くその人。
その頬には、返り血が。
「もうすっ‥‥‥‥ごく怖かったの!!」
回想だけでも怖かったのかみちるの顔色は悪かった。
「でも助けてもらったんでしょ?」
「それはそうだけど‥‥‥‥でも不良五人を血ダルマにするなんてあり得ないよ!」
「でも助けてもらったんじゃない」
鈴の言葉にぐうの音も出ない。そうだ、不良に絡まれていたところを助けてもらったのは確かなのだ。
「いいなー。黒崎に助けられるなんて羨ましい」
「あんただったら黒崎は助けないと思うけどね」
「あぁン!? 今何つった!?」
ぎゃあぎゃあ喚く千鶴は放っておいて、みちるはちらりと後ろを向いた。一護の席は空だ。ホームルームまであと五分、遅いなと思った。
「それで? お礼は言ったの?」
「あ」
「やっぱり。ちゃんと言っときな」
忘れていた。衝撃的な出来事を前にお礼のことなど頭に無かった。一護ははなから期待していなかったのか不良五人を叩きのめすとさっさと帰っていったのだ。
「‥‥‥‥何かあげたほうがいいのかな」
「別にいらないでしょ。お礼の言葉で十分」
「いーや! そうはいかないでしょっ、ここは気の利いた贈り物で黒崎のハートをガッチリ掴むのよっ、そうね下着なんてどーかしら!!」
「オメーは黙ってろよ」
「あぁン!?」
またもや鈴に食ってかかる千鶴を放っておいてみちるは考えた。
気の利いた贈り物。何がいいだろうか。そもそも一護は何が好きなのかも知らない。
「あ、黒崎が来たよ」
扉へと視線をやれば一護が教室へと入ってきた。そして後から続く女子一人。
「朽木さん、」
何か揉めているのかじゃれるようにして二人は席に着く。それでもなお言い争うその姿は仲の良い親友同士にしか見えない。
「行かないの?」
みちるは首を横に振って体を前に戻す。じっと黒板を見つめて黙り込んだ。
「何拗ねてんのよ」
「あんたも入りたいんでしょ。分かる、分かるわ。あの二人、貧乳だけどそれでも間に挟まれたいっつーか両脇から乳を揉んでやりたいっつーか」
ぺらぺら妄想を語る千鶴を今度こそ鈴もみちるも放置した。後ろから聞こえる一護とルキアの戯れ合う会話に、みちるは背中を小さく縮めて俯いた。
「信じられん。朝っぱらから喧嘩をするか普通?」
「しつけえな。いつまで言ってんだよ」
放課後になっても言い合う二人にみちるは声を掛けられない。もじもじするだけで椅子からも立てないみちるを見て、鈴が背中を強引に押した。
「うおっ」
勢い余って一護の背中にぶつかった。みちるは真っ青なのか真っ赤なのか判断がつきかねる顔色で一護を見上げて混乱した。
「っご、ごめっ、」
「あ? えぇと‥‥」
「小川みちる。同じクラスよ黒崎君のスットコドッコイ」
「ルキアてめえ‥‥‥‥‥あぁ、そうだっけ」
名前どころか顔すら覚えられていない。クラスでも目立つほうではないがみちるはショックだった。
「で、なんか用?」
一護は普通に聞いたつもりだが、それはみちるにしてみると迫力がある。ひくっと喉が引き攣ってしまい、『ありがとう』の『あ』の字も出てこない。
遠くから鈴や千鶴が心配そうに見守る姿でさえ視界に入らず、みちるはやがて真っ赤な顔をして下を向いてしまった。
あぁきっと変な子だと思われてる。
一護にそう思われるのがたまらなく恥ずかしかった。
「大丈夫か?」
ぽん、と頭に置かれた手は女にしては大きかった。
みちるの小さな頭を撫でる手が昨日、不良五人を地獄へ送った同じ手だとは思えない。しばらく頭の中が真白になった。
「おーい、大丈夫かって」
「‥‥っう、あ、はいっ、大丈夫、です、」
「ならいいけど」
手が離れるのと同時にみちるは顔を上げた。一護がこちらを見下ろしていたが不思議と怖いなどとは思わなかった。今なら言える、今しかない。
「ありがとう黒崎君!」
勇気を振り絞ってみちるは言った。
一護は、もの凄く変な顔をした。
「‥‥‥‥‥‥何が?」
「っお、覚えてないの!?」
泣きたくなった。泣いてしまう。
みちるが涙を必死にこらえていれば端で黙って眺めていたルキアが口を開いた。
「昨日も無礼者共を成敗したと言っていたでしょう。そのとき絡まれていた女子とは小川さんのことではないかしら?」
ルキアの作った笑みを向けられて、みちるは反射的に頷いた。
「昨日の? お前、あそこにいたっけ」
「い、いたよ‥‥」
本格的に泣きそうだ。
「あー‥‥ごめんな。俺、人の顔覚えんの苦手なんだよ」
再び頭を撫でられた。遠くのほうから「いいなー」という千鶴の声が聞こえてくる。顔に熱が集中してみちるは呼吸が苦しくなった。
「‥‥‥あの、あの、だからね、ありがとうって、お礼、言い、たくてっ、」
「マメな奴だな」
「嬉し、かったからっ、あのとき、周りの人、誰も助けてくれなかったけど黒崎君は、黒崎君だけはっ」
息も絶え絶えに言葉を吐き出し続けていれば、みちるの頭を撫でる一護の手つきが柔らかくなった気がした。あれ、と思って見上げると、一護はとても優しい顔をしてみちるを見下ろしていた。
「こっちこそありがとな。そうやって礼言われんのは初めてだ」
意外な言葉にみちるがぱちりと目を瞬けば一護にしては珍しく、年相応ににかりと笑った。
「お前、可愛いなー」
そして親指で頬をぎゅっと擦られる。撫でるような仕草にみちるの頭の中は瞬間的に沸騰した。
「っく、くろ、」
「じゃ」
尋常でない状態のみちるなど少しも気にならないかのように一護は颯爽と教室を後にした。驚いたのはみちるだけではない。ルキアや離れていた場所にいた鈴と千鶴、ついでに何となく二人の様子を眺めていた他のクラスメイトもしばし硬直していた。
「タラシ‥‥」
呆れたような感心したようなルキアの声に何人かが頷いた。あれほどまで自然に女性を褒めて頬に触れることの出来る人間が果たしてどれほどいるだろうか。
初心も初心、いまだ中学生らしさが抜けきっていない子供らしいみちるには如何せん刺激が強過ぎた。しばらく紅潮した顔で突っ立っていたが。
「死、ぬ‥‥‥っ」
消え入りそうな少女の声が静かな教室に響き渡った。