二等辺三角形
四楓院の屋敷の中で、もっとも美しいと言われている庭がある。その庭に面した部屋が夜一の私室だった。
豪華絢爛な設えに、慣れた一護ですら何度見ても感心してしまう。縁側ひとつとっても細部に抜かりがない。
「いーい天気‥‥」
そんな贅沢な縁側に胡座をかいて、一護は庭を眺めていた。その胡座の上には黒猫が一匹くつろいでいる。
「明日は刑軍でのお披露目だろー、そんで来週は本格的な任務に就いてー、」
指折り数えながら、一護は流れる雲を目で追った。西の空から黒雲が迫り始めている。明日は雨かもしれないと当たりをつけて、外での修行はやめにしようと考えた。
「夜一、明日は修練場使って稽古するか」
返事はない。先ほどから何度も話しかけているが、夜一は先ほどからずっと庭を眺めている。
「夜一?」
一護はそっと毛並みを撫でた。そうしていいのは一護だけだ。
しかし今日だけは、夜一は嫌がるように身を捩った。
「のう、一護」
その声音が尖っていた。一護は悪い予感を覚えて背筋をピンと張った。
「なにか儂に隠していることはないか」
ついにきたか。
一護は膝から夜一を下ろすと正座した。
「隠してることはない。けど、」
「けど?」
「言ってないことは、ある」
夜一の目がすっと細くなった。同時に、なにやら爪の具合を確かめている。
「ほう、それは是非とも聞いたいのう」
それは命令だった。主人に命令されては、一護は従うほかない。
一護は神妙な顔をつくると素直に告げた。
「喜助と寝た」
言葉にすれば本当に短い台詞だった。
あの忘れられない一夜。
痛かったなー‥‥。
「そうかそうか、喜助の奴めと寝おったか」
意外と冷静な声だった。ほっほっほ、と笑ってまでいる。一護はおや、と眉を上げた。
しかしそのすぐ後だった。
「よっ、夜一!!」
女の裸体を前に、一護は絶句した。いくら四楓院の屋敷とはいえ、現当主が素っ裸とかありえない。
「あンのスケコマシがぁああ!! 殲滅じゃあ!!」
「待て! せめて服を着てけ!!」
そういう問題ではないと自分でも思ったが、一護はすぐさま着物を投げつけた。
目と目が合った瞬間、猛烈な勢いで抱きしめられた。
場所は、あの茶屋だった。夜一はもちろんいない。
「っう、うぅううっ」
浦原は泣いていた。そのせっかくの綺麗な顔が、切り傷や打撲でぼろぼろだった。
「夜一さんったらヒドいんですようっ」
嗚咽混じりの説明によると、夜一は事情を知ったその日のうちに浦原邸へと襲撃をかけたらしい。実力で言えば拮抗している二人だが、今回は夜一が怨念の差で勝利をもぎ取ったようだ。
「アタシの顔、殴るし蹴るし引っ掻くしっ」
「男らしくなったじゃねえか」
「挙げ句の果てにはアソコ! 去勢の刑じゃっ、とか言ってアタシの大事なアソコを切り取ろうとしたんですよ!?」
よほどの恐怖だったのか、浦原はわんわん泣いて一護にしがみつく。これだけ元気ならアソコは健在だろうと一護は暢気に思った。
「どうして言っちゃうんですかっ、二人だけの秘密だと思ってたのに!」
「夜一だけ知らないなんて可哀想だろ」
「いつまで三人一緒だと思ってんですか!!」
その声の大きさと言葉の意味に一護は驚いた。
三人一緒が当たり前だと思っていたからだ。案の定、浦原がわなわなと震えて詰め寄ってきた。
「じゃあ一護さんは、アタシと寝たから、夜一さんとも寝るって言うんですか!?」
頭の中にもや〜んと浮かんだのは先日の夜一の裸体。あれは素晴らしかった。
「‥‥‥どうだろ」
「バカ! そこは否定するの!」
だってあれは眼福ものだった。喜助、お前も見たら絶対に落ちる。
そう力説すると、浦原は鼻で笑った。
「断言できます。アタシ、夜一さんじゃ勃ちませんよ」
「見たことないからだろ」
「ありますよ。小さい頃は一緒に風呂に入ってたじゃないですか」
「今のだよ。すっげえんだぞっ、ボン! キュ! ボーン! だ!!」
ジェスチャーしながら説明すると、浦原は呆れた顔をした。
「一護さんは、キュ、キュ、キュ、ですよね」
「うるせえっ、悪かったな!」
たしかに出るところが出てない体だ。背だけは伸びたが、体つきは女らしいとは決して言えない。
「でも興奮したなあ。一護さん、小っちゃいからって言って、必死に胸隠すんですもの」
ふふ、と思い出し笑いをされて、一護は頬を赤くした。
「ねえ、アタシの体はどうでした?」
「どうって‥‥別に、‥‥‥なんかゴツゴツしてて、つーか股ぐらにあんなもんが付いてるとは思わなかった」
「いやーんっ、一護さんったら可愛い!!」
再び抱きしめられて、頬をすりすりされた。無精髭が痛い。
綺麗な顔をしていても、浦原は男だ。自分を抱きしめる腕の逞しさに一護は少し動揺する。あの夜もこうして抱きしめられていたけれど、考察するほどの余裕は一切無かった。
「なあ、俺達、ほんとにヤっちまったんだよな‥‥‥?」
「ヤるだなんてお下品な。愛し合ったと言ってください」
愛、という言葉に一護は苦笑した。あの日は先生にせっつかれて、困っていたところに現れたのが浦原だった。誰でもよかった訳ではないが、もし浦原が現れなかったら、きっと別の男と寝ていただろう。
「一護さんはあの日一度も、好きだって言ってくれませんでしたね」
一護の心を見透かしたような言葉に鼓動が跳ねた。抱きしめられたままゆっくりと押し倒されて、一護は天井を見上げた。
「三人一緒だって、一護さんは言うんですもの。だからアタシ、分かってたのかもしれません。心は夜一さんにあげて、体はアタシにくれたんじゃないかって。一護さんは昔からそうだった。夜一さんにもアタシにも、同じくらいの好きをくれるんです。決してどちらかに偏らないように、そうやって平等に扱ってくれていた」
天井だけが映っていた一護の視界に、浦原の憂いた顔が入り込む。その透き通った浦原の瞳に、一護は吸い込まれるようにして釘付けになった。
「でもねえ、アタシ、どっちも欲しいんですよ。心も体も欲しい。夜一さんよりも好きになってほしい。アタシだけを甘やかしてほしい。貴女を独り占めしたい。嬉しいことも、悲しいことも、気持ち良いことも、それから酷いことも、全部全部、アタシは一護さんだけに与えてあげられるのに。‥‥‥‥どうしてでしょうね、どうしてアタシ、こんなにも一護さんが好きなんでしょうか」
泣いた顔に近い笑みを向けられ、一護は何も言い返すことが出来なかった。
浦原の整った顔が、ふいに歪む。
「ちくしょうっ、夜一っ、あの女!!」
吐き出された口汚い罵りに、一護は唖然とした。生来の丁寧な口調が見る影もない。
「本当に邪魔だ! あいつさえいなけりゃ‥‥っ、クソっ、クソっ、クソ!!」
この男は一体誰だ。
ふうふうと、興奮に呼吸を荒げる浦原を落ち着かせるため肩に触れると、その手を強く握られた。浦原の顔はぞっとするほど凍てついていた。
「一護」
熱の籠らない声だった。困惑する一護を捕らえ、浦原は言った。
「一番悪いのは、貴女じゃないか」