猫ふたり
「夜一様はまだ見つからないのかっ」
隠密機動・刑軍が常駐する建物で少女の怒鳴り声が響いた。
「はっ。それがどこを探しても見つからず、護廷のほうまで捜索の手を伸ばしてはみたのですが」
部下と思われる男の報告に少女がますます苛立ったように表情を歪めた。もうすぐ会議が始まるというのに、あの方はどこへ行ったのかと、少女は大きな溜息をはきだした。
「仕方ない。会議には私が代理で出席する。夜一様を見つけたら途中からでもよいので出席するようにとお伝えしろ」
そう言って少女は身を翻して部屋を出て行く。だが少女は決してあの方が見つけられることは無いだろうと分かっていた。
どこぞの隊舎の屋根の上を黒猫がほてほてと歩いていた。その軽い足取りは人間で言うところのご機嫌だった。
「よい天気じゃのう。このような日に会議など、無粋というものじゃ」
猫が喋った。だが驚く者はいない。屋根の上にいる猫に気を配る人間などいないからだ。
眼下に働く死神達を見やり、黒猫はくあ〜とひとつ欠伸をした。見上げると空は青く、雲も優雅に流れていた。だから自分は会議には出ない。そう訳の分からない理由を付けて、黒猫はしっぽをふりふり屋根から屋根へと歩いていった。
そのときふと視界にオレンジ色がよぎった。この季節にオレンジ色はあまり見ない。黒猫はもう一度それを探した。
見つけた。箒を持って庭掃除をしている。
すると誰かに呼ばれたのかオレンジ色が振り返った。そして黒髪の死神が駆け寄ってきた。黒猫はなんとはなしにそれを眺めていた。
「恋次がたいやきをくれたのだ」
そう言って黒髪がオレンジ色にたいやきを差し出した。
「ありがとな。恋次にも後で礼を言っとく」
黒髪の死神は仕事があるのかオレンジ色に何か言うと離れていった。するとオレンジ色が黒猫のほうを向いた。ぱちりと目が合う。
見つめ合うこと数秒、オレンジ色が黒猫に手招きをした。そのあまりにも自然な動作に、黒猫はオレンジ色に近寄った。
手招き通り、そばまで行くとオレンジ色が膝をついた。
「触ってもいいか?」
黒猫は驚いた。この姿でいるとき人間はそんなことは聞きもせずいつも当たり前のように触ってくるのだ。いくら猫の格好をしていてもそれは嫌だったので、触らせたことなど一度も無かった。
けれどこのオレンジ色にならいいかもしれない。
「よいぞ」
そういう意味で黒猫はニャーと答えた。すると通じたのか、オレンジ色は嬉しそうに顔を綻ばして黒猫をやさしく撫でた。
気持ちがいい。強すぎず弱すぎず、絶妙の力加減に黒猫はゴロゴロと喉を鳴らした。
「これ、食べるか?」
オレンジ色は先ほど貰ったたいやきを黒猫に差し出した。
「食べる」
ニャーと声を上げるとオレンジ色はまたも言っていることが分かるのか嬉しそうに笑った。
オレンジ色は掃除は終わったのか箒を置くと、木の根元に腰を下ろした。黒猫がそばに寄ると、オレンジ色は懐紙の上にたいやきを半分置いてくれた。
気が利くな、そうしてまたニャーと鳴いた。
たいやきを二人並んで食べる。木漏れ日がオレンジ色に当たってちらちらと光っている。綺麗だ、黒猫はそう思ってじっと見つめた。
するとオレンジ色が視線に気付いて黒猫を見やる。
「美味いか?」
「美味い」
「そうか」
黒猫はニャーと鳴いているだけなのだがオレンジ色には何を言っているの分かっているみたいだった。ためしに黒猫は猫語で言ってみる。
「儂は夜一だ」
「俺は一護っていうんだ」
すごい。夜一は興奮して一護の膝に乗った。一護が優しく抱きとめてくれる。胸のあたりに前足をかけると夜一は違和感に気付いた。
柔らかい。その感触を確かめるように前足でふにふにと押した。
「驚いたか?俺これでも女なんだ」
夜一の行動に一護がおかしそうに答える。
「今は男にしか見えないけどな。これでも昔はスカートとかはいてたんだぞ」
スカートとは何だろう。女子の着物のことだろうかと夜一はあたりをつけた。
「髪も、長かったなあ。母さんみたいになりたくて伸ばしてた」
一護は遠くを見つめてそう言った。その表情は美しかったが同時に哀しくもあった。
そんな表情は似合わない。夜一はそんな思いを込めて一護の頬を猫特有のざらついた舌で舐めた。だが一護は儚く笑うだけだ。木漏れ日が、一護の存在をより一層儚く見せた。
違う、そんな顔をしてほしいのではない。最初に笑いかけてくれたあの笑顔がいい。
「母さんは今どこにいるんだろう。なにを、思ってんのかな」
「母御が恋しいのか」
だがそれだけではない、どうしようもないほどの悲愴さが一護を覆っていた。
抱きしめてやりたい。だが今人間の姿に戻ると自分は真っ裸だ。それはよろしくない。
猫の姿のなんと歯がゆいことか。便利だったこの姿、けれど悲しむ一護を抱きしめてやることもできない。代わりに肩に前足を置き、頬をすり寄せた。
「笑ってくれ」
「ごめんな。お前にこんな話をしちまって」
「かまわぬ」
「お前は、優しいな」
「一護のほうが優しい」
夜一の思いが通じたのか、一護は少しだけ元気になったようだ。夜一に頬をすり寄せてくれた。
心地よい。今日の会議はさぼって正解だった。
夜一はますます一護にじゃれついた。すると死覇装の袂に何かが挟まっているのを見つける。それに気付いた一護が引っ張りだして見せてくれた。
猫だ。
「妹二人が作ってくれたんだ。着物の切れ端でな。俺が作ったやつは妹達にあげたんだけど」
一護と同じオレンジ色の猫だった。掌にすっぽりと収まるくらい小さなものだったが、一護はまるでそれを宝物でも見るかのように優しげな眼差しで見つめていた。
「儂も欲しい」
「なんだ、お前も欲しいのか?」
妹達もきっと一護が作った人形を大切に持っているのだろう。夜一にはこういうことをしてくれる兄弟はいない。
「じゃあお前の場合は黒猫だから、死覇装の切れ端で作れるな」
「絶対だぞ」
嬉しい。一護が自分の為に人形を作ってくれる。
夜一は今までに数えきれないほどの贈り物を貰ってきたがこれほどまでに心躍るものは無かった。どんなに高価なものよりも一護が自分の為に作ってくれる人形のほうがずっと価値がある。
それに一護と兄弟になれたような気分がした。
四大貴族である四楓院家。その当主である自分はあまりにも孤独で、ずっと得られない何かを思ってこれからも過ごしていくのだと思っていたのだ。その事実に悲しくはなかった。ただ時折虚しいだけで。
けれど、今は得られる。与えてくれる者が現れた。
「‥‥‥その若さで、その包容力はすごいのう」
「うん?」
さすがにこれは分からなかったらしい。
最近の夜一は機嫌が良い。姿をくらますのは相変わらずだが、帰ってくると特に機嫌が良いのが砕蜂には不思議だった。
そして今日の夜一は特に特に機嫌が良かった。
「なにか良いことでもございましたか?」
「おお砕蜂。なんじゃ、聞きたいか?聞きたいのかっ!」
「言いたいんですね」
それでも砕蜂はこっくりと頷いた。
「んっふっふっ。これを見よっ!」
夜一様は不気味な笑いをしたかと思うと何かを握った手を前に突き出した。開いた手の上にはなにやら小さくて黒いものが乗っている。
「‥‥‥猫、ですか?」
「そうじゃ。可愛いであろう?」
夜一は嬉しくてたまらないといったようにその猫の人形を撫でた。
「この可愛い猫は、儂の可愛い子が儂の為に作ってくれたものなのじゃ」
そう言って夜一はその猫に頬ずりすると踊りだしそうなほど軽やかな足取りで去っていった。その後ろ姿を砕蜂は呆然と見送る。
夜一様、可愛い子ってどういう意味ですか。