眼鏡祭

  振り回す者、振り回される者  


 復讐。
 なんて良い言葉だろう。声に出して言いたい日本語だ。
「復讐‥‥‥‥」
 言ってみた。
 しかし特に何も起こらなかった。当たり前だけれど。
 一護の感心ごとは目下これだった。ある人物に、復讐したい。
「ぎゃふんと‥‥‥!」
 言わせたい。
 拳を握って意気込んでみたが今のところ復讐は成功した試しが無かった。眼鏡のレンズに目を描いたり寝てる隙に手足を縛ろうとしたり、いずれも直前でばれて失敗に終わった。しかも縛られたのは自分のほうだった。
 そう、いつも自分は藍染に振り回されてばかりいる。だからこそ参ったとか、やられたもうしませんとか、藍染に完全な敗北感を味わわせてやりたいと思うのだが。
「さっきから一体何を言ってるんだい?」
「‥‥‥‥別に」
 あんたに捧げる復讐について‥‥とは言える筈が無い。復讐の準備はあくまで隠密に。
 一護は自分の膝を枕にして本を読む藍染を見下ろした。一護の素っ気ない返事に気を害することもなく再び読書に戻っている。膝を抜けば床に頭をぶつけるのではないだろうか。
 一護はふと考えついたささやかな復讐にごくりと唾を飲んだ。そして落ち着けと自分に言い聞かせる。勘の鋭い男だ、事前に変な動きを見せたらすぐに起き上がるだろう。
 いいか、素早い動きだ。大丈夫、俺はやればできる子。
 今、だ。
「ところで」
「っひ!!」
 一護は妙な体勢で停止した。ぎこちなく視線を下げればこちらを見上げる藍染と目が合った。
「先日貸した本はもう読んだのかい?」
「‥‥‥‥‥あ、あー、まだ、だけど」
「そう。早く返せとは言わないけれど、落書きなどしないように」
「‥‥‥‥‥‥‥‥」
 一護は疾しさから視線を逸らそうとしたがそれを寸でのところで堪えた。落書きはまだしていない。しようと思っただけだ。
 頭の中で自分に対する言い訳を考えていると膝の上から重さが消えた。
「疲れただろう? どうもありがとう」
「‥‥‥‥‥どういたしまして」
 偶然か、いやそんな筈は無い。
 相変わらず嫌味なほど相手の思惑を読み取るのがうまい男だ。
「じゃあ今度は僕の番だ」
「何が」
「膝枕。さ、どうぞ」
 藍染が自分の膝を提供すると言う。
「‥‥‥‥いい。男の膝なんて固いだけだ」
「男の膝を知ってるのかい?」
 その声が少し、ほんの少し低くなっていた。一護はそれを敏感に感じとると即座に否定した。
「それはよかった。君の初めてをいただけるというわけだ」
「遠慮するっ、何だ初めてって!」
 しかし結局は藍染の望み通りになった。
 一護は案の定固かった膝の上で髪を撫でられながらも不機嫌そうに眉を顰めていた。こんな体勢では復讐が行えないではないか。
「そういえば昨日、ギンと何を話していたんだい?」
「‥‥‥‥‥内緒」
「君は説明するのが面倒な場合は”秘密”と言って、言うに憚れる内容の場合は”内緒”と言うね」
「‥‥‥‥‥んなことねぇよ」
「僕が一番知っているんだ。観念しなさい」
 髪を撫でる藍染の指が一護の首筋へと滑った。そのまま衿の合わせ目から入ってこようとするそれを一護は慌てて掴んだ。
「ちょっとした世間話してただけだっ」
「どんな?」
「どこそこの甘味屋が美味いなーとか、」
「他には?」
「何番隊のあの子が可愛いなーとか、」
「へえ?」
 言えない。
 まさかどうやったら藍染に効果的な復讐ができるかと元部下に相談していたなんて。
 一護は誤摩化すような愛想笑いを浮かべて藍染の膝に擦り寄った。頬に当たる固い筋肉の感触にようやく慣れてきたところだった。興味本位で腿の筋肉の形をなぞるように指を滑らせてみれば、上から溜息が落ちてきた。
「‥‥‥‥まったく。君は甘えるのが上手だ」
 そうだろうか。
 一護は不思議に思う。
「どこでそんな手練手管を?」
「てれんてくだ‥‥て何だそれ」
「あぁ、君はそのままでいいよ」
 馬鹿にされた気がする。
 一護がむっと唇を尖らせるとそこに藍染の薄い唇が逆さまに重なった。
「‥‥ん」
 顎に舌が這う。一護はくすぐったさに笑い、藍染も笑って二人してくすくすと笑い声を漏らしながら口付け合った。
「ん、っん‥‥‥起きる、腰曲げたままだと辛いだろ」
「気遣いに感謝するけど僕はそれほど年寄りじゃない」
 そうやって言い返すところが年寄りなんだ。
 言ってやりたいが仕返しされそうで怖い。身を起こされながらも口付けが再び始まって、今度は笑っていられないほどに激しいものだった。
「‥‥はぁ、」
「口付けも上手になった」
「ほんとに?」
「あぁ。拙い感じがそそられる」
 それはつまりは上達していないということではないか。
「悪かったな」
「褒めているんだ。口付けの巧い女性にはもうそそられないよ」
 その言葉にほんの少しショックを受ける自分がいる。迫る藍染から一護が逃げれば床の上に体を押さえつけられた。
「‥‥っう、うぅう、」
「泣いてるのかい?」
「だってっ、」
 目元を手で覆い一護はすすり泣いた。他の女性の話をするからだと無言で示せば藍染が困ったような表情で見下ろしてくる。目を覆う指の隙間から垣間見えた藍染はそれから嬉しそうに笑った。
「泣くほど僕が愛しい?」
 一護が無言で頷けば唇が重なってきた。それから首筋へと滑っていく、寸前で。
 今だ。
「!!」
「やった! 成功!」
 ぱっと手を外して見えた一護の目は涙に濡れてなどいなかった。むしろ嬉しさにきらきらと輝いてた。
「ダッセーっ、曇ってやんの!」
 藍染の眼鏡に息を吹きかけてやったのだ。当然曇る。
 その姿に一護は指を差して笑ってやった。カメラが無いのが残念だ。こんな姿二度と見られない。
 復讐、ここにやり遂げたり。
「‥‥‥っハ、」
 藍染も笑い出した。自分でもそんなに面白かったのだろうか。
 徐々に正常に戻っていくレンズの様に一護が笑い転げていると、そのときはやってきた。
「ちっとも、面白くない‥‥‥」
「‥‥‥‥‥‥」
 一護は早くも後悔した。すぐさま後ろ手に這って逃げようとしたが腰紐を掴まれてそれは適わなかった。
「君も随分と幼稚なことをする」
「‥‥子供ですから」
「そう。ところで僕が子供相手でも容赦しないということは知っていたかな」
 それは知りませんでした、たぶんそうだろうなとは思っていましたが。
 言いたくても言えない言葉を一護は呑み込んで、っう、と泣きそうな顔をした。
「泣き真似はもういい。来なさい」
「今のは本当なんだけどっ!」
 復讐はもうしない。
 ごめんなさいと何度も謝る一護を屋敷の奥へと引きずりながらも藍染は言った。
「‥‥‥‥あまり僕を、振り回さないでくれ」

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