20題の日常恋愛活劇

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  08  

「さささ、寒い」
 ルキアがぷるぷる震えながら部屋へと入ってきた。先に出勤していた一護はルキアにいつものように挨拶する。
 だがルキアの姿を見て笑い出した。
「何を笑っているのだ」
「だって、」
 ツボに入ったのか一護の笑いは収まらない。突然笑われたルキアは不機嫌そうに一護を睨む。
「お前、マフラーしてると、白哉にそっくりでっ、」
 だがそれだけではない。
「かと思えば、そのマフラー、ウサギだしっ!」
 ついに一護は大口を開けて爆笑した。
 マフラー。尸魂界ふうに言えば襟巻きだが、ルキアの巻いているそれは先にウサギの顔が縫い込まれていた。それを見た一護は白哉がそれをつけているのを想像してしまい笑ったのだが、笑われたルキアは憤慨した。
「笑うなっ! これはただのウサギではない、チャッピーだぞ!!」
「チャッピー!」
 箸が転がっても面白い、一護もそんな年頃なのか、ルキアが何を言ってもおかしくて仕方が無かった。
「限定五十個で手に入れるのに苦労した。それを笑うとは、無礼者め」
「わりいわりい。でも似合ってる」
 ようやく笑いが収まると一護はルキアを褒めた。だがルキアは依然しかめっ面で一護を下から睨み上げている。
「今さら言っても遅いわ。‥‥‥ん? それはお前のものか」
 一護が座っている脇には綺麗に折り畳まれたマフラーが。だが初めて見るそれにルキアは訝しむ。
「昨日のものとは違うな」
 ギクリと揺れる一護の肩をルキアは見逃さなかった。
「ほう。そうか、そういうことか」
 不機嫌な顔から一転ルキアはにやりと口元を歪める。それを見て一護はしまったと思うがもう遅い。
 ルキアはすばやくそのマフラーを手に取ると一護の制止も聞かずに広げてみせた。
「この色からすると、やはり男物か」
 色は渋い緑。たしか一護がいつも身に着けていたのは橙色のマフラーだ。一護がそれを首に巻いてていると髪の色と相まって暖かそうだと思ったのをルキアは覚えていた。
 一護はそんなルキアを苦々しそうな表情で眺めている。
「お互いの襟巻きを交換、か」
「ばっ、違う! これは借りたんだっ!!」
「そうか。借りたのか」
 またもやしまったと一護は思うが言ってしまったものはしょうがない。ルキアからマフラーを奪い返すと元通り丁寧に折り畳んだ。ルキアはにやにやとそんな一護の様子を伺っている。だが極力そちらを見ないようにして一護は平静を装った。
「今日はそれを返しに行くのか。だがお前はどうする。寒そうなお前の首筋を見て男はその襟巻きを貰ってくれと言うのだな。私だと思ってくれ、などと言いながらお前の首に巻いてやる‥‥」
「勝手に妄想すんなっ!!」
 一護の一喝に、だがルキアの妄想は収まらない。
「そして襟巻きを巻いてやった手はそのままお前の頬を包んで」
「いい加減にしろっ!!」
 ついにルキアの口は塞がれた。ルキアの巻いていたマフラーの先っぽ、チャッピーを口に突っ込まれて。
「むぐ、‥‥何をする。チャッピーを食べてしまったではないか」
「頼むからもう黙っててくれ‥‥‥」




 終業時間を迎え、にやにやと意地悪い笑みを向けてくるルキアを無視して一護は帰路につく。
 と、見せかけて一護が向かったのはマフラーの持ち主がいる隊舎だ。一応ルキアがつけてきていないか一護は辺りを見回した。いない。
「っ!」
 びゅうと風が吹く。その勢いと冷たさに一護は思わず目を瞑った。
 朝出たときはそれほど寒くなかったので自分のマフラーは巻いてきてはいなかった。首をすくめて寒さを凌ぐ。
「ぎゃっ!!」
 今度は風ではない。誰かが一護の首に冷たい手を押し当てたのだ。
 誰だと一護は鋭い視線を背後に向ける。
「すまない。そんなに驚くとは思わなかったんだ」
 謝罪の言葉を言いつつもその人物は笑い声を我慢できないらしい。くっくっと笑われて一護は叫んだことが恥ずかしくなってきた。それでも赤い顔でなんとか睨み返す。
「笑うな」
「ごめん、でも、‥‥ハッ、」
 それでも笑い続けるその人に一護は不機嫌そうにじとりと睨む。ここまで笑われるとは、今朝ルキアを見て笑った天罰だろうか。
 だがいい加減笑いやんでくれないと一護がいたたまれない。それにこんなに笑うことないじゃないかと一護は段々腹が立ってきた。マフラーとぎゅっと握りしめるといまだ笑い続ける憎い男に一護はそれを押し付けた。
「貸してくれてありがとーよっ!じゃあな、藍染隊長っ!!」
 捨て台詞とともに一護はぷいっと踵を返す。
 だが先ほどと同じ冷たい手が一護の手首を掴んだ。
「待って」
 冷たい手とは対照的な暖かい声。それも耳元で言われて一護は思わず首をすくめる。寒さではない、逆に熱が顔に集中した。
 絶対にわざとだ。恨めしそうな視線で振り返る。すぐそこにあった藍染の顔が嬉しそうに綻んだ。
「手、冷たい。離せよ」
「冷たいな」
 一護の態度を、まるで言葉遊びのようにして藍染は返した。手首は当然離してはくれない。一護のそれに藍染の大きな手はぐるりと一周してなおも余っていた。力を込めてしまえば簡単に折れてしまうその手首を、だが藍染は優しい力で握り込む。
 一護も振り払わない。以前なら、嫌悪とともにその手に抗っていた。
 掴まれた部分が次第に熱を持ち始める。
「一護君」
「なんだよ」
 その不機嫌さにくすりと笑ってしまう。照れると殊更ぶっきらぼうになる一護を藍染は知っていた。そしてもうどんなにその手を握っても振り払われたりしないことも。
 握った手はそのままに藍染は片手で一護に返されたマフラーを巻いてやった。
「貰ってくれ」
「!」
 ルキアの言葉を思い出して一護が狼狽える。ルキアの妄想通りならこの後に私と思ってくれとか言っちゃったりするんだろうか。
 だが藍染は無言で一護を見つめるばかり。それにほっとするようなしないような、なんだこの気持ちはと一護はそわそわと視線を泳がせた。自分を真っすぐに見てくれない一護に不満を持ったのか、藍染が一護の頬に手を添えた。
「!!」
 またもやルキアの妄想が当たる。脳裏にそれ見たことかと偉そうにしているルキアが浮かび上がったが、もちろんそんなことを考えている状況ではない。
「一護」
 親指で目元をなぞられる。藍染の細めた目に映る自分の顔を一護は見つめた。
 おいルキア、この後どうなるんだと考えたところで唇に冷たい感触が重ねられた。握られた手首を引き寄せられてより一層深く重ねられる。
 手も冷たければ唇も冷たいんだな、と一護は意外にも冷静だった。握られた手首が今は暖かいことからこの唇も暖かくなるのだろうかと取留めもないことを考えてしまう。最初が最初だったからか、藍染に対して今はどこか落ち着いていられるのかもしれない。
 だが息苦しくなってきた。こういうときの対処法など一護は知らない。
「はっ、」
 唇が離された瞬間大きく息を吸い込むがすぐさま塞がれてしまう。冷たさに固くなった一護の唇をほぐすように藍染は柔く噛む。いつのまにか一護の体は抱き上げられて足は空を切る。最初に握られた手首はそのまま。それが無性に胸を切なくさせて一護は藍染の手に己の手を重ねた。
 
 藍染さん藍染さん藍染さん。

 心の中でその名を呼ぶ。普段はこんなふうに素直に呼んだりはしないが、ようやく一護も冷静でいられなくなったのか藍染のその手に必死に縋った。
「んぅ、」
 何か暖かいものが一護の口腔に忍び込む。それが舌だとは気が付かない一護は咄嗟に逃げをうった。そんな一護を宥めるように藍染が何度か啄むように口づけを贈る。
 薄らと瞼を開けるとまるで懇願するかのような藍染の視線とぶつかった。
 はぁ、とため息が溢れる。
「覚えているかい」
 何を、と首を傾げる一護に藍染は穏やかに微笑む。その笑みがどこか悲しげで一護は自然と顔を覗き込んだ。子供のように抱き上げられているのがこのときばかりはありがたい。
「初めて君に口づけたとき、君は噛み切ろうとした」
「‥‥‥うん」
 嫌いだった。憎んでさえいた。
 負の感情しか抱いていなかった男に唇を重ねられて、一護はそのとき死にたいと思うほどの嫌悪しか感じなかった。
「それが今はこの腕の中にいて、僕を受け入れてくれている」
 一護の手首を持ち上げるとその甲に唇を押し当てた。視線は逸らさない。一護の表情に嫌悪など微塵も浮かばないことを見てとると、藍染は自分でも驚くほどに安堵した。
「拒まないでくれ」
「藍染さん、」
「君に拒まれると、どうしていいのか分からなくなる」
 語尾は一護の胸に顔を埋めることによって小さくくぐもっていった。だがたしかに一護の耳に届いたそれは、胸をひどく苛んだ。
 ゆるく波打つ藍染の髪を一護は優しく梳いてやった。藍染の腕が一層強く抱きしめる。どくどくと打つ心臓の音を聞かれてしまうのが恥ずかしかったが、心臓の音は人を安心させるという話を思い出して一護はそのままにさせておいた。
 不思議なのは一護のほうだった。嫌いでたまらなかった男の腕に抱かれて口づけさえも許している。
 変わったと思う。この男も、自分も。
 視線を下げるとそこには普段は見ることのできない藍染の旋毛が。それが嬉しくて一護はそこに唇を寄せる。冬の冷気に晒されていた髪はひやりとした感触を一護に与えてきたが、それに構わず頭ごと抱きしめた。冷たい耳も、首筋も、一護は暖めるように抱きしめ頬を寄せる。
「藍染さん」
 耳元で囁いてやる。それにぴくりと反応した藍染に対し、一護は仕返しとばかりに意地悪い感情が芽生えてしまう。
「藍染さん。藍染さん」
 この胸の内をすべて聞かせたい。恋なのかなんなのか、そんなものは分かりはしないが抱きしめ慰めたいと思うこの気持ちをすべて知ってほしかった。
 冷たいのなら暖めてやればいいだけのこと。拒絶なんてしたりしない。今はもう、ただただ傍にいてやりたかった。
「藍染さん」
「一護」
 ようやく顔を上げる。顔を押し当てていたからか、微妙に眼鏡がずれていた。それを直してやろうと手を掛けると焦がすような視線に真正面から射抜かれた。
 名を呼ぼうとしたが音にはならない。二、三度喘ぐように口が開閉するばかり。
「君だけが、この胸に開いてしまった穴を埋められるんだ」
 虚のように、穴があいてしまうのは人間も同じだった。藍染だけではない、開いてしまった穴を一護もまた埋められないでいる。
 あの日開いてしまった穴。
 自分が藍染の穴を埋められるのなら、自分の穴も埋めてほしかった。
 眼鏡に掛けた手が頬を包むように移動する。視界がぼやけていた。泣いているのだと気が付いて、それを誤摩化すように一護のほうから唇を重ねた。
 ぱたぱたと雫が藍染の頬を打つ。冷たい頬にそれはひどく暖かく感じられて、穴の開いた胸も一緒に暖められていくようだった。拙い唇も藍染のそれを暖めるように必死になって重ねられていた。
 拒んだりしない。
 そう言われているようで藍染もされるがままだった。
 寒さなんてとうに忘れてしまう、それほどに。

 胸を暖かくする、それが愛だと気が付くのは近い未来。    




「その襟巻き」
 ぴくりと一護の筆が止まるが何もないというように再び筆を走らせる。その傍らには昨日と同じ緑色のマフラーが置いてあった。
 ルキアはにたにたと笑みを貼付けたまま一護の顔を覗き込んでくる。それにちらりと視線をやるが一護は極力無視するように努めた。
「借りたのではなかったのか」  
 ああ借りたさ、借りたとも。だけど貰ったんだよ、と一護は心の中で言う。
「そうか、貰ったのか。どんなふうに」
 だが一護の心を読んだのかルキアが聞いてくる。
 お前の妄想通りだ。大当たりだ。昨日のことを思い出し赤くなる顔を一護は必死に抑えた。
 黙秘権を行使する一護にルキアはぷうと頬を膨らませる。きっと何かがあった筈なのに。
「教えてくれてもいいではないか、なあ、チャッピー?」
 チャッピーが答えてくれる筈もなく、沈黙が続いた。
「相手は誰だ。どこまでいったのだ。もしや今日も会うのか」
 みし、と筆が軋む。
「だああああっうるせー!! 死ねっチャッピー!!!」
「チャ、チャッピー!!」
 チャッピーはこれでもかというほど引き延ばされた。
 



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