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  苦い秋  


「傘ぐらい自分で差せる」
「そうか」
 短く答えて一護は傘を差してやった。できた日陰の下、夜一がむくれていたがそれを無視して一護は歩くよう促した。
「風は冷たいけど陽射しはきつい。なんとも嫌な時期だな」
 そう言って一護は少し咳き込んだ。喉の調子がどうも悪い。
「夜は冷えるからの。ちゃんと暖かくして寝なくては駄目だぞ」
「それはこっちが言う台詞なんだけど」
 お仕えする主人に心配されては侍女としての立つ瀬が無い。一護は苦く笑うと再び前を向き、毅然とした表情で歩を進めた。
「一護、着物が重い。一枚脱いでいいか」
「駄目」
「どうしてこんなにちんたら歩かなくてはならぬのか。瞬歩で行けばあっという間じゃぞ」
「そうだけど、駄目」
「貴族の会合なんぞ面倒くさい。あんなのはただの自慢大会ではないか」
「はいはい、その通りだ」
 夜一の愚痴を適当に聞き流し、一護は辺りへと気を配っていた。本人が護る必要も無いほどの強さだが、一応当主だ。いないとは思うが不埒を働く輩が飛び出してくるやも知れない。一護の他に数人、四楓院家に仕える隠密機動の者達が正装に着替えて夜一の周りを護衛しながらもゆったりと歩いていた。
「喜助が今度隊長に昇格すると聞いた。真か」
「あぁ。十二番隊だ」
 四楓院家の紋が入った羽織を纏っていても、一護は護廷十三番隊所属の死神だった。いつもは無造作にしたままのオレンジ色の髪も、今は真面目そうにきっちりと整えられていた。短い髪を無理矢理ひっつめられて髪留めで留められたらしく、時折痛そうに眉を顰めていた。
「あやつが隊長! フン、世も末じゃな」
「まったく」
 一護もそう思う。自分と自分に近しい者達以外は塵芥に等しいと思っているようなあの男が数百人の死神を纏める長とは、部下になる者らが哀れでならない。
「イカサマして一護を十三隊に入れて、今度は隊長じゃと? 気を付けろよ、おぬしを副官にしたいと言い出すに決まっておる」
「俺はもう他の隊の副官だからな。移動は無いって聞いたけど」
 現在補佐している隊長が実力はあるがなんとも頼りない人物だった。侍女としての生活が長い為か、あれこれ世話してやりたくなる。これは当分離れられないと一護は自覚していた。
 そう思っていても一護は口には出さなかった。夜一は護廷での話をされるのが嫌いであり、そして一護の口から親しげに名を呼ばれる者も、それだけで無条件に嫌いになれてしまうのだ。
「なあ、一護。こちらに移る気は無いのか?」
「またその話。無いってもうずっと前から言ってんのに」
「おぬしならこちらでも十分にやっていけるぞ、のう、皆の衆?」
 周りにいる護衛の者達に夜一が同意を求めれば、皆が皆大きく首を縦に振った。中には子供の頃からの一護を知っている者もいる。重量のある豪奢な傘を片手で長時間支えている一護を見て、その成長ぶりに目を細めていた。
「よしてくれ。後で駄々をこねないと誓ってくじ引きしたんだろ。隠密機動に入ってみろ、あいつが煩い」
「儂が黙らせる。なに、こちらは味方が多いがあちらは味方してくれるような部下は一人もおらん。人徳が無いからの」
 けけけ、と意地悪く笑う夜一の目は本気だった。一護は渋面を作り、上空を旋回している鳥の影に興味を持ったふりをして視線を足下へと落とした。
「ん?」
 誰かがこちらを見上げていた。今まで気付かなかったのは、それがとても慣れた視線だったからだ。
 憧憬の目。
 天高くそびえ立つ橋を歩む自分達を、正確には夜一を一心に見つめているのは遠目にも分かる幼い子供だった。隣に立つのは父親か、隠密機動の装束を着ているということはあの子供もまた同じ道を行くのだろう。
 一護はその子供に向かって死ぬなと小さく呟いた。
「どうした、一護」
「いや、別に。可愛い子がいただけ」
「何!? どんな奴だっ、儂が直々に成敗して」
「くれなくていい。ほら、前向いて歩けよ。すっ転ぶぞ」
 嫉妬深い幼馴染をせっついて歩かせようとするが、夜一はしつこく首を捻って橋の下を覗き込もうとしていた。
 一言余計だったか、一護はうんざりして仕方なく伝家の宝刀を使うことにした。
「お嬢様」
「っう」
「まっすぐ前を向いて歩きあそばれませ。それと歩幅はもっと狭く、そして静かに。貴族の姫君は常に見られていることを意識なさいませ」
「一護、その、それはやめてくれと、」
「聞き分けならないなら一生このままです。一生ですよ、一生。つまりは残りの人生すべて」
 夜一は首をぐるんと前に戻すと口を噤んでしゃなりしゃなりと歩き出した。完璧な姫君としての振る舞いに一護も満足したのか小さく頷いた。それを咎める者は誰もいない。慣れた遣り取りに、護衛の者達も澄ました顔で動揺など微塵も見せたりはしなかった。
「‥‥‥‥帰ったら梨を食べよう。美味しいのが入ったそうなんだ」
 もう許していいだろうと気安く言葉をかければ、夜一が嬉しそうに振り返り、
「うさぎさんに剥いてくれ」
 満面の笑みでお願いをした。
 その子供らしい要求に、一護を含めた護衛達は一斉に笑いを耐えて、結果全員が変な顔になった。








 会合が終わり、屋敷へと戻った夜一達を迎えたのはもう一人の幼馴染だった。
「げ」
 夜一が遠慮無しに顔を歪めてついでに霊圧も上げた。追い出す気満々だ。
「お帰りなさい、一護サン。そういう真面目な格好もお似合いです」
「何しに来た」
「見て見て、葡萄ですよ。二人で食べようと持ってきたんです」
「去ね。一人で一粒一粒みみっちく食っておるがよい」
「桃のほうがお好きでしたか?」
 浦原は一護を見て、夜一は浦原を見て、そして一護は二人を見ながら呆れた表情を隠しもしなかった。
「一護はこれから儂と一緒に梨を食べるのじゃ! もちろん一護が剥いてくれた梨をな!」
 ぎゅうと一護にしがみついて夜一はあてつけがましく擦り寄った。夜一を徹底的に無視していた浦原もさすがに口元が引き攣り、完璧な笑顔を保っていられなくなった。
「おぬし、一護が手ずから剥いてくれた果物など食ったことがないじゃろう? ハハン、羨ましいか隊長殿?」
「あっ、ありますよーだ! 去年の冬に、蜜柑剥いてくれましたもんね!」
 ね、ね? と同意を求めてくる浦原に、気に入らないのは夜一だ。本当にそうなのかと一護を見た。
「俺が食べようとして剥いたやつ、お前が横から掠め取っただけだろ」
「それ見たことか!」
「一護サンっ、ここは援護射撃でしょー!?」
 一護はどちらの味方かと言えばどちらの味方でもない。だが強いて言えば四楓院の羽織を纏っている今は夜一の味方だった。
「お引き取り下さいませ、喜助様」
「一護サン!?」
「お嬢様は会合からお戻りになられたばかり。また日を改めておいで下さりませ」
 ようするにとっとと帰ってまた出直してこい、と素の口調ならこう言っていた。しかし言うことを聞かせる為には伝家の宝刀、他人行儀だ。
「門までお送りいたしましょう。さあ」
「必要ないぞ。放り出せ」
 軍配は夜一に上がったと見たのか浦原は促されるままに部屋の出口へと足を向けた。だが表情はまったくもって納得しきれていない、嫉妬の目はまっすぐ夜一に向けられていた。
「また、来ます」
「来なくてよい」
「一護サンに言ったんです!」
 噛み付くように浦原は言い返して、二人は睨み合った。このままいけば殴り合いの喧嘩になる。
 それはいけない。今の夜一はとっっっても高価な正装を纏っているのだ。庶民の感覚を持つ一護は即座に二人の間に割って入った。
「おやめなさい。お嬢様もです」
「なんで儂までっ」
「お嬢様?」
「むぅ」
 言うことを聞かなければ梨は取りやめになるかもしれない。夜一は黙って引き下がる。
 黙り込んだ夜一に大人しくしているよう目で言って、一護は浦原を見送る為に部屋の外へと押し出した。









「ひどいっ、一護サンのバカ!」
「バカで結構」
「一護サンなんてっ、もうっ、もうっ」
「嫌い?」
「好きです! 小振りのお尻とか、貧しい胸とか、秋の味覚に優る人だアナタは!」
「マジでもう来んな」
 夜一の言った通り一護は門の外へと放り出そうとした。
「待って! これ、これ一護サンにあげます!」
 持ってきた葡萄を一護へと差し出して浦原は謝り倒した。一護を怒らせたまま別れると、次に会ったとき中々口を利いてくれない。
「ほんとは二人で食べたかったんですけど、」
「ふぅん、美味そうだな」
 高級料紙を開けばそこから輝く宝石のような葡萄が顔を出した。一粒取ると一護は口へと運んだ。
「ん。美味い」
 甘い果汁に表情を緩めれば浦原は安心したようにへら、と笑った。子供の頃から何一つ変わらない気の抜けた笑みに、一護は庇護欲を刺激されて仕方無さそうに眉を寄せた。
「お前も食べるか」
 元は浦原が持ってきた物だが、当人は嬉しそうに頷いた。そして果実を取ろうと指を伸ばすが、それを一護は制すると手ずから取って浦原の口元へと持っていってやった。
「口開けろ」
「‥‥‥‥‥いいんですか」
「早く」
「なんちゃってーとか言って自分で食べるんじゃ」
「そうしてもいいけど」
 浦原はすぐさま口を開けた。顔が心無しか赤くなっているのを見てとって、一護は笑い出しそうになった。しかしそれをぐっと我慢して、葡萄の実を押し出した。
「な、美味いだろ」
「はい、美味しかったです。アタシの唇に触れた一護サンの指の感触が特に」
「ごきげんよう、喜助様」
 一護は容赦なく浦原を放り出すと、すばやく門番に閉めろと合図した。
「一護サーンっ、冗談ですよー!」
 分厚い門の向こうから浦原の声が木霊する。散々、謝罪の言葉を口にしていたが一護は一言も返さずに黙って門の前で立っていた。
「一護サン、そこにいるんでしょう? いますよね?」
 気配も霊圧も綺麗に消してはいたが浦原には分かるらしい。長年の付き合い、一護が本気で怒っていないことなど見通していた。
「今度来たら、もっとアタシに構ってくださいね。優しくしてください、夜一サンよりもずっと、ずっとですよ」
 それはできないな、と一護は胸中で呟いた。
「ねえ、アタシ隊長になったでしょう? 副官に、アナタを指名したんです」
 夜一の言った通りだった。しかし一護もそうするだろうと分かっていた。
「でも駄目だって言われました」
 そうだろう。十二番隊の副官は前任の隊長のときからついているベテランだ。変える必要も無い。
「イラっときちゃいましてね。アタシが怒ったらどうなるか、一護サンは知ってますよね」
 なんだか雲行きが怪しくなってきた。一護はぴくりと肩眉を跳ね上げると続く言葉を待った。
「アタシが作った新型の伝令神機、ぜーんぶ制御不能にしてやりました。うふふ、今頃大混乱ですよ」
「っこの、‥‥‥‥おバカ!!」
 聞いた瞬間、叫んでいた。
 バカだ。本物の大バカ者が門一枚隔てた向こう側にいる。
「すぐ元に戻してこい!!」
「一護サンに転属命令が出たら戻しますよ。あぁ、ほらほら、なんか来た」
 外を伺う小さな小窓から一護が目を覗かせれば、どアップで浦原が映り込んできた。
「どけっ、邪魔だ!」
「ひどい」
 しっしっと追いやって今度こそ外の様子を伺えば、裏廷隊の装束を纏った隠密機動ができうる限りの速度でこちらへと向かってきていた。
 嫌な予感がする。
 このまま見なかったことにして立ち去りたい。しかし今聞かなくても後々聞くことになると腹を決めた一護は数分後、やっぱり立ち去っていれば良かったと思うような内容を聞かされるはめになった。
「これからも一緒ですね」
「ああどうもヨロシク!」
 嬉しそうな浦原の声に一護は苛々とさせられて、葡萄を皮ごと噛みしめた。
 秋の味覚は少々苦く、口内を満たしていった。

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