男なんてシャボン玉
「男なんてダイッキライだ!!」
世界の半分を占める存在を否定する絶叫が、その日護廷に響き渡った。
一護の顔は真っ赤だ。だがそれは羞恥ではない。
男に対する怒りだった。
男なんて男なんて男なんて!
「男なんて、滅びるといいっ‥‥‥!」
ぼそっと呟いた言葉に、偶然通りがかった男性死神はびくりと肩を震わせた。
そして隊舎への道を一護は男への呪詛を吐き続けながら歩いていった。
発端は些細な夢から始まった。
「ボク、めっちゃええ夢見ましてん」
ちら、とよこされた数多くの視線。だが市丸か、と思うと皆すぐに逸らしてしまった。
「‥‥無視せんといてえな。えらい傷つくんやけど」
くだらないことを言うのだろうとはなから決めてかかられている。己の今までの所業を思い返してみれば当然と言っていい処置だったが、反省、という言葉の意味を知らないギンは理不尽だと腹を立てた。
「めっちゃええ夢やったんに」
それでも無視だ。
ぱらぱらと散っていく同僚達の冷たい態度に、これはイジメではないかとギンは思った。
「夢の中の一護ちゃん、可愛らしかったわあ」
ぴた。
何人かの隊長が立ち止まった。
その光景にギンは釣りをしていて一つのエサでたくさんの魚が釣れたときのことを思い出していた。そのときは美味しく魚を頂いたが、こいつらは食えへんな、と失礼な感想を持った。
「一体どんな夢で一護さんを穢したんですか」
「なんです?聞きたないんとちゃいますん?」
無視されたことを根に持っていたギンはもったいぶって中々言わなかった。
それに苛々とするも、一護の夢など見たことのない男達は興味を引かれて仕方がなかった。
「副官時代の悪行を一護君にばらされたくなかったら、速やかにその口を割るがいいよ」
「‥‥‥喋らさしてもらいます」
内心で元上司に舌打ちして、ギンは夢の内容を語った。
「羨ましいっ‥‥‥!!」
話が終わった途端、浦原は頭を抱えて唸った。
「おや、日番谷はん。顔が赤うなっとりますえ」
「うるせえ! 帰る!!」
子供には刺激が強すぎたか、瞬歩で消えた冬獅郎をギンは意地悪く笑ってやった。
「いいなあ‥‥。僕、手を繋ぐまでは見たんだけど」
「俺なんて夢すら見たことがない」
京楽と浮竹は互いに顔を見合わせて苦笑いした。
「つーかよ、あり得ねえ夢だな、それ」
剣八の台詞に、その場にいた男達は当の一護を思い浮かべた。
「確かに、かなり無理があるね」
「所詮は夢の内容だな」
藍染と白哉が結局は夢に過ぎないと斬って捨てた。
だがギンはそれに反論する。
「一護ちゃん、まだ若いんやし、男と付き合うたこともないんやで?ボクは期待大やけどなあ」
「でも触った感じ、ほんとにありませんでしたよ」
「ああ!? 何でてめーがそんなこと知ってんだ!!」
浦原の発言に一斉に殺気が集まった。
「偶然手が当たっただけですって! まあついでに揉んじゃいましたけど」
そのとき「きゃっ」と叫んで顔を真っ赤にさせた一護が可愛くて忘れられない。
女の子らしい叫び声を上げた自分が許せなかったがそれ以上に触った浦原が許せなかったらしく、その後斬魄刀を抜いた一護に追いかけられた。
「死ね!」
「変質者!」
「エロ助!」
四方からの攻撃を浦原はさっと避けるとにやりと笑った。
それに怒りを煽られて更なる攻撃を与えようとしたとき、ギンが負けじと言い放った。
「ボクかて触ったもんね!」
「夢の中ででしょ」
「ボクが触ったほうは大きかったし、やあらかかった!」
たしかに夢だったが触った感触はとてもリアルだったとギンは言い募った。
だが浦原はやっぱり現実のほうがいいと言い返し、やがて議論は平行線へ。
「とりあえず、このことは内緒の方向で」
一護に知られれば嫌われる。いや、嫌われるどころか殺されかねない。
今日のことは内密に、そう約束して男達は解散した。
だが人の口に戸は立てられずとはよく言ったもので、この会話はやがて一護の知るところとなった。
「男なんて嫌いだ! もう絶対に口も利かない!!」
「一護、日番谷隊長が半端なく落ち込んでるから」
これ以上男への呪詛を聞かせると落ち込むどころでは済まない。乱菊は一護を外へと連れ出すと思う存分話を聞いてやることにした。
「俺の胸の話して! ほんと許せねえ!!」
怒りに任せて壁を殴ればぴしりと亀裂が入り、やがてがらがらと崩れていった。
だがそれでも一護の気は済まないのか、霊圧は上がりっ放しだった。そんな一護を止めることはせず、乱菊は離れたところから見守ることにした。
一護の霊圧がこんなにも乱れていれば、いつもは誰かが駆けつけてくるのだがそういう気配は一向にしない。おそらく後ろめたくて出るに出られないのだろう。
冬獅郎は早々に会話から抜けたお陰で一護の怒りの対象からは外されていた。だが乱菊が推測するに、ギンの話を聞いて想像してしまったのだろう、一護を見た途端に顔を赤くしていたのがその証拠だ。
「落ち着いたー?」
「落ち着かない!」
一護といい冬獅郎といい、若いってことなのかと乱菊は思った。が、思った瞬間にまるでおばさんみたいな感想を漏らした自分が嫌になった。
「男ってだいたいそんなもんよー?」
「でも! 浮竹隊長まで!! ほんと信じらんねえ!」
敬愛する上司までもがそんな会話に加わっていたのが一護には信じられなかったし、許せなかった。事実を知ってからは浮竹と一度も会話を交わしていない。
「そんなに目くじら立てない」
「だって!」
乱菊は怒りの収まらない一護をちょいちょいと手招きした。
怒りながらも素直にそれに従って、一護は乱菊のすぐ傍までやってきた。そして次の瞬間、抱きしめられた。
「ら、乱菊さ、うぐ」
豊満な胸に顔を押さえつけられて一護は満足に喋ることもできない。
じたばたともがくこと数秒、ようやく大人しくなった一護を乱菊は解放してやった。案の定一護は酸欠半分、恥ずかしさ半分で真っ赤な顔をして息を整えていた。
「おっきい胸って大変なのよ、知ってた?」
「し、知らないです、」
なんせ貧乳だ。
「落ち着いたようね。ま、座んなさいな」
一護を座らせると乱菊もその隣に座った。
数日前、冬獅郎が真っ赤な顔をして隊首会から帰ってきて、そして乱菊を見て更に赤くなった真相を知っても、納得したものの乱菊はそれほど腹は立たなかった。
むしろあの隊長達が若い学生のように顔を付き合わせてそんな会話をしていたのかと思うと、微笑ましいとすら思ってしまった。
「男ってほんとしょうがない奴らなのよ。だからいちいち怒ってちゃ身が持たないわよ」
「でも、恥ずかしい! 恋次とか修兵さんとか、会うたびに俺の胸見てくるしっ」
最初はそんなところを見ているとは思ってもみなかった。だがギンの夢の話を聞いた一護はその意味を知り、現在怒り狂っているのだ。
「あいつら若いからねー。女体には興味津々なのよ」
「にょたい‥‥‥」
言い方がイヤラシかったのか一護はわずかに頬を染めた。
乱菊の知る恋次や修兵は女好きとまではいかないが、経験は結構あるほうではないかと思っていた。それなのに思春期の少年のように一護という少女を追いかけ回すのを見ていると、なんだか無性にむず痒くなってくる。
もっとウマくやれ!と叫びたくなるのだが、おそらく一護がそこらの女からは規格外なのだろう。
「あんたってさ、小さい頃よく男の子にちょっかいかけられなかった?」
「あー‥‥‥、そういえば、『変な頭!』とか悪口言われたり、小突かれたり」
スカートをはいていたときなど必ずめくられた。
「そのくせ俺が泣いたら、すぐに謝ってきて」
空手を習うようになってからは返り討ちにしていたが、今思うとあの頃も男なんてダイッキライだと言っていた気がする。
「あんたの気を惹きたかったのよ。いじらしい男心じゃない」
「気を惹きたいのに意地悪したら意味無くないですか?」
その矛盾した行動が一護にはいまいち理解できない。
「分かっていても思ってることと反対の行動に走るのが若い男の特徴ね。理性ではどうしようもできないのよ。胸ばっか見てたらあんたに怒られるって分かってるのに、止められないの」
特に好きな女の子ならなおさらだ。
永い時を生きる隊長達も、結局はその若さを捨てられないでいるのだ。
「それに男はある意味悲しい生き物なの。夢見たり想像したり、そうしないと死んじゃうのよ」
「ええ! し、死ぬんですか、」
大げさかと思ったが乱菊は頷いておいた。あながち外れではないし、と心の中で言い訳して。
「それに言うでしょ、男はいつまでも子供だって。だから女はどっしり構えておいて、そういう揶揄は軽く躱せるようになりなさい。それが大人の女ってやつよ」
「すごい、かっこいい‥‥」
尊敬の眼差しで見つめられて乱菊は大人の笑みを返してやった。
「だからギン達のこと、許してやんなさい。可愛いもんじゃない、子供っぽくて」
一護は少し不満そうに眉を寄せたが、やがて渋々頷いた。
そんな一護の頭を撫でて「大人の女に一歩近づいたわね」と言ってやると途端に嬉しそうな顔をした。
「でも子供だって思って油断してたら駄目よ」
気を引き締めるように言ってやるとつられて一護も真面目な顔をした。
「子供みたいにはしゃいでても、男は男。隙見せたらすぐに襲いかかってくるわよ」
大人の女はその隙を見せたり見せなかったりと巧く振る舞うのだが、今の一護に言っても混乱するだけなので乱菊は黙っておいた。
恋愛未経験の一護だ。ここは守備を重点的に固めたほうがよい、そう思った乱菊なりの助言だった。
「ま、当分は怒ったフリしときなさい。男を掌で転がしてやるのも大人の女ってやつよ」
「堪忍したって一護ちゃん!」
一護は無視した。
「ボクは貧乳でも構へんから! むしろ貧乳がええから!!」
怒、という文字が頭に浮かんだが、一護は平常心にすり替えた。子供だ、今失礼なことを喚いているのは子供だと言い聞かせて引き攣る唇をなんとか引き結んだ。
「そんなに貧乳が好きなら、自分の胸でも揉んどけば?」
「一護ちゃぁん!」
冷たい一睨みをくれてやると一護はすたすたと歩き去った。
視線を感じて顔を上げると、隣の建物の廊下にいた乱菊と目が合った。親指を立てられる。一護はそれにニヤリと笑い返すと同じく親指を立てた。
乱菊に言われた通りもう許してはいたが、もう少し怒ったフリをして男共を振り回してやることにしていた。
『貢がせるのも立派な女のスキルよ』
それもいい。
今度何か奢らせてやろうと一護はほくそ笑んだ。