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  101回目のプロポーズは勝利と確信していた  


 それは、100回目のプロポーズでの出来事だった。
「いい加減、疲れたっス」
 100回目にしてようやく疲労の色を見せた男、浦原喜助。両手には毎度のことながら花束が抱えられていた。季節は冬なのだが、夏に咲くような花まである。一体どうやって手に入れたのだろうか、一護は首を傾げた。
「疲れたんなら諦めれば? じゃあな」
「あぁっ! 待ってください待ってください! 貴方に対するボクの愛は底なし沼のように終わりが無くドロドロと滾ってるっス!!」
「‥‥‥‥どうしてそう気持ち悪いんだ、お前は」
 押し付けられた花束を律儀に受け取った一護は、そのまま回れ右した。自宅に帰るのだが、後ろからは当然のように浦原がついてくる。目が合うと嬉しそうにへらへら笑っていた。
「研究室で培養したんス。綺麗でしょう?」
「いい匂いがする」
 風に吹かれて花の香りが二人を包み込んだ。誘われるように鼻を埋めて匂いを堪能する。すぐ隣で「可愛い、食べちゃいたい」と聞こえたが、一体何を食う気だボケナス、と一護は相手にしなかった。
「ねえ、一護さん」
「なんだよ」
「100回記念に何かご褒美とか、ダメ?」
 図々しいにも程がある。一護は当然無視して家路を急いだ。100回も好意の押し売りを繰り返した挙げ句にご褒美だと?
 しかし、一護は途中で思い直すと立ち止まった。100回目。そろそろ引導を渡してやってもいいかもしれない。
「そうだな‥‥‥‥結婚してやってもいいぞ」
「本当に!?」
「ただし。お前が隊長になったら、だ」
 どうせできないだろうけど。
 聞けばこの男、護廷では席官にもなれぬ隊員であるらしい。それはそうだろう、見るからにひ弱そうな体つき。一護の拳にも反応しきれず殴られるような鈍くささだ。実際には、死覇装の下にある体は鍛え抜かれていたのだが、そのときの一護は気付きもしなかった。
 まさかの条件に、浦原はぽかんとしていた。一護は意地悪気に笑みを浮かべ、もらった花束を相手の鼻先に突きつける。
「一年以内だ。隊長になれたらお前のものになってやる」















 十二番隊の敷地内に新設された技術開発局。朝から何やら騒がしい。
「こンのハゲ! 書類は片しとけって言うたやろが!!」
「痛い、痛いっスよ、ひよ里さぁん」
「つーか、くっさ! お前どんだけ風呂入ってへんねん!?」
 ひよ里が鼻を摘んで後退した。浦原は試しにくんくんと袖口を嗅いでみたが、言うほど臭くはない気がした。
「ひよ里さんたら大げさなんだから」
「匂いの元やから気付かんだけやろ。さっさと風呂入ってこんかい」
 浦原をげしげしと蹴りやって追い出すと、ひよ里は部下達に部屋の換気を命令した。しかしここ技術開発局の局員達は、うざったそうな顔をして腰すら上げようとしない。焦れたひよ里が自ら動く羽目となった。局員達からは寒い寒いの大合唱だが、一つ残らず開け放つ。
「じゃかあしい。お前ら、よくこんなくっさい部屋で仕事してられんな」
 冷たい風が澱んだ空気を入れ替えてくれた。地下暮らしの長かった局員達はこの澱んだ空気こそを好んでいたのだが、まったく不健康だ。ひよ里は窓から身を乗り出し、新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込んだ。
 視線の先に、十二番隊にある大浴場を目指す浦原の姿を見つけることができた。すれ違う隊員達が強烈な匂いにぎょっとして体を仰け反らし、道を譲っている。あれが常人の反応というものだ。
「人に言われな風呂入れらへんって、子供かあいつは」
 呆れの中にはほんのわずかな親しみが。当初は険悪だった隊長と副隊長の仲も、一年ほどが経過して良好といえるまでに変化していた。ひよ里の暴力は相変わらずではあるものの、あれは愛情の裏返し。関西人がアホと言うようなもんや、とは五番隊隊長の言である。
「あいつの嫁さんになる女は大変やろなあ。まあ、そんな奇特な人間おらんか」
 けけけ、と笑った直後に、驚くべき言葉が耳に入った。
「知らないんですか、浦原隊長は既婚者ですよ」
「何やて!?」
 局員の一人どころか、全員が知っていたらしい。むしろあんた副隊長なのに知らなかったのか、という冷ややかな視線さえ突き刺さってきた。
「あいつの嫁て、えっ、ええええ!?」
「うるせえなあ」
「お前ら会うたことあんのんか!? どんなんや!? 菩薩か、変態か、そもそも人間ですらないんとちゃうか!?」
「会ったことねえけど、人間だろ、普通」
 馬鹿か、と蔑まれた目を向けられても今のひよ里は怒る気にもならなかった。
 嫁。あの浦原に、嫁‥‥!!
「どこのどいつや!! 浦原の嫁になるっちゅう頭のオカシな人間はっ!!」

「失礼する」

 絶妙のタイミングで声がかかった。見ると入り口に見慣れない人間が立っている。部外者の登場に、興奮したひよ里では使い物にならないと思った別の局員が対応した。
「浦原がここにいると聞いてやってきたんだが?」
 ぞんざいな口を利く訪問者は、ぐるりと部屋を見回して、そこに目当ての人物がいないとみるや眉間に皺を寄せた。
 十二番隊隊長を呼び捨てにしていい人間は限られている。同等の地位を持つ隊長達か、ひよ里くらいなものだ。しかしこの訪問者、誰にも見覚えがなかった。目立つオレンジ色の髪をしているのだから、忘れようもない。
「あんた、誰だ?」
 局員の一人、阿近が失礼ともいえる口をきいた。オレンジ頭の訪問者は阿近を見下ろし、そしてひよ里を見て言った。
「浦原の嫁になった頭のオカシな人間だ」
 部屋中が凍り付いた。奇声を上げていたひよ里がぴたりと動きを止め、ぎぎぎっとぎこちない動きで入り口を振り返る。
「菩薩でも変態でもねえよ。至って普通の人間だ。よろしく」
「ほ、ほんまに、浦原の嫁さんなんか‥‥‥‥‥?」
「黒崎一護だ。一護でいい。お前が副隊長の猿柿ひよ里だな?」
 つい先ほどまで浦原の伴侶をこき下ろしていたひよ里は途端に及び腰になった。珍しくおどおどとして、視線を彷徨わせている。
「浦原をいつもどつき回してくれてるそうだな」
「そ、そうやけど、何やねん、謝らへんぞ‥‥っ、」
 一護は持っていた風呂敷包みを突っ立っていた阿近に押し付けた。そしてひよ里に近づくと。

「よくやってくれた!!」

 ガシっと両手でひよ里を抱きしめて賞賛の嵐。ひよ里も、局員達も唖然とした。
「へ‥‥‥?」
「感謝する! 俺はお前を応援してるぞ!」
「はい‥‥‥?」
「お前、何か欲しいもんはねえか!? 俺がなんでも買ってやる!!」
「はぁあ‥‥‥?」
 黒崎一護。もちろん黒崎とは旧姓である。しかし敢えて黒崎と名乗ったところに、嫁であるという一護のささやかな抵抗が垣間見えた。
 現れた当初は凛とした感じの貞淑な妻に見えたのだが、喋りだしたらそこらのチンピラのような口調に一同は驚きを通り越してもはや黙り込んでいる。浦原が浦原なら、嫁も嫁。そんな判断が下されていようとは一護は知らない。
「俺は騙されたんだっ」
 一護は拳を握り、心底恨みの籠った声を絞り出して言った。
「なぁにが『ボクって平隊員なんですぅ』だ! お陰で騙されて嫁にまでされちまったよ、ちくしょうめが!!」
 聞くとこの嫁、浦原の度を越えた求愛にキレた結果、隊長になったら結婚してやると言ってしまったらしい。それが一年前。つまりは浦原が丁度隊長になった頃である。墓穴としか言いようがない。
 浦原が在籍していた二番隊といえば暗殺、諜報、人には言えないあんなことこんなことを一手に負う部隊であるとは子供ですら知っている。だから浦原は黙っていたのだろうが、知っていれば一護は条件など出さずにすっぱりふっていたと言うのだ。
「それが条件出してすぐに隊長に昇進しやがってあの野郎ぉおおおお」
 ひよ里の肩をがっくんがっくん揺さぶって、一護の恨み節は止まらなかった。やれ「初夜は最悪だった」とか、「寝るときは布団が一つで毎日悪夢だ」とか、「屋敷にまで変な機材を持ち込んで」などなど。浦原の知られざる夫婦生活に、局員達は思った。局長らしいな、と。
「護廷で浮気してくんねえかなーと思ってたら、お前の噂が届いたんだ。猿柿ひよ里、浦原に殴る蹴るの暴行の数々‥‥‥‥俺はお前みたいな奴を待っていた」
 きらきらとした表情で言い切られ、ひよ里は間抜けにも「どういたしまして‥‥」と答えてしまった。上司に対しての無礼な行動をまさか褒められる日が来るとは思いもしなかった。
「何か困ったことがあったら俺に言え‥‥‥ってあいつの部下やってると毎日困ってるか。そうだ、お前甘いもの好きか? 好きな顔してるな。よし、俺が奢ってやる。行こうぜ!」
「え、いや、ちょ、待ってや、」
「隠れて一人で食っててもつまんねえんだよ」
「浦原誘ったらええやん‥‥」
「あいつと二人で食うくらいなら一人で酢昆布しゃぶってるほうがマシだ」
 これは相当嫌われている。少しだけ、浦原を不憫に思った。たしかにあの男は始終へらへらしていて自分勝手で仕事に関しては研究以外にまったく興味がない。腕っ節が強いのは認めるが、一年副隊長をしていたひよ里には分かる。浦原は人を苛つかせる天才である、と。
 しかしだ、たまにはっとさせられることがある。この男の思惑、振る舞い。息を呑むような覇気。悪いところばかりではない。
「あんまり毛嫌いしたんなよ、な?」
「だったらお前が嫁になるか? 俺は喜んで身を引くけど」
「嫌や!!」
「だよな。っけ!」
 ひよ里を引きずって部屋の出口に差し掛かったとき、遠くのほうからバタバタとうるさい足音が聞こえてきた。一護が足を止め、一気に不機嫌な顔つきとなった。
「‥‥‥浦原?」
 送り出してから五分と経っていない。それもその筈。浦原の足下には水たまりができていた。風呂の途中で抜け出してきたのである。
「い、いちごさ、いちごさんがきてる、なんで?」
 はひはひと呼吸を荒げてやってきた浦原は襦袢一枚だけを引っ掛けていた。髪はしとどに濡れ、襦袢も体にはりついて透けている。刺激的な姿だった。
「風呂に行っとったんと違うんか?」
「お風呂で髪を洗ってたら一護さんの匂いがしたんス! 本当に来てたんだ!」
「興奮すんな、水を飛ばすな。というか俺の匂いがしたとか化け物かお前は」
「ひよ里さんと手を繋いでどうしたの? も、もしかしてボクの背中を流そうとひよ里さんに案内を頼んで!?」
「お前との関係を洗い流したい‥‥」
 繋いだ手から、一護のうんざりとした気持ちが伝わってくるかのようだ。対する浦原は、普段から締まりのない顔が今はいっそう締まらず緩みきっている。心底惚れているのだ。離れていても匂いが分かるほどに。
「一護さん、触ってもいい? 触りたい。三日ぶりだもの」
「びっちゃびちゃの手で俺に触るな! つーか聞いたぞ、お前三日も風呂に入ってなかったそうだな! フケツ! もう家に帰ってくんな!」
「相変わらずボクに対して容赦がないっ。素敵! 大好き!」
「ひよ里、殴れ、こいつを殴れっ」
「あ、そうだ。ボクの研究成果見せてあげる。隊首室に行きましょ、ね、ね」
 繋いだ手をぶっちんし、嫌がる一護の肩を抱き込んで浦原は部屋から消えた。隊主室へと続く道がまるでカタツムリでも這ったかのように濡れている。
「なんだかんだ言って仲良いんじゃねえか」
「あれを見て何でそんな感想が出てくんねん‥‥」
「だってこれ、局長の着替えだろ?」
 阿近は押し付けられた荷物を勝手に開いていた。ほら、と中身を取り出し周りに見せる。それは紛れもなく着物と褌だった。



「これがね、試作品の義骸。見て、すごいでしょ?」
「あーすごいすごい」
「で、これが新しい伝令神機。特許取得でお金がいっぱい入ってきますよ」
「なに!? すごいなお前!」
「チューして?」
「ん」
 貧乏で苦労してきた奥さんは金に弱い。でも贅沢しないところが偉い。それから気が強くて素直でときどきぬけてて、二人きりのときは甘えてくれる。そんな一護が大好きだった。
 意外と世話焼きで、今も浦原の濡れた髪をがしがしと拭いてくれていた。少々手荒だが気持ち良い。浦原は目を閉じ、うっとりとした。
「一護さぁん」
 ごそごそと手を動かし、大好きな一護の大好きな体に触った。結婚してから一年。細くて肉が薄くて背は高めだけれど出るとこは出ていなくて引っ込んでばかりの体は、初めて触ったときからあまり変化がない。女性ホルモンが足りないんじゃないかと、夕飯に色々混ぜようとして見つかって散々叱られて口もきいてくれなくなったことがあったので今は諦めている。別に一護の体が目的で結婚したんじゃない。が、もうちょっと豊満になってもいい気がする。こんなに小さな尻をしていて、子供を産むとき大丈夫だろうか。
 色々考えて体を触ってると、何かを察した一護が距離をあけた。
「帰る」
「ええ!?」
「なんでか女性ホルモン事件を思い出した。不愉快だ、帰る」
 鋭い。野性並の直感力に浦原は呻いた。
「も、もっとイチャイチャしましょうよぅ! 三日ぶりっスよ? 三日ぶり! 愛を深め合いましょう!」
「お前の愛は底なし沼なんだろ。深める必要無いだろが」
「なっ、泣きますよっ」
「男の涙に騙されるか。泣くなら一人で泣いてろ」
「っう、‥‥うぁ、‥‥‥‥うぁああああん」
「ほんとに泣く奴があるか!!」
 頭を叩かれ、けれどぎゅっと抱きしめられた。しめしめと思いながら一護を抱き返し、そのままソファへと押し倒す。一護の剣呑な視線を笑って受け流し、唇を深く重ねた。
「んん、一護さんの味だあ」
 しつこいほど唇を吸ってやれば、まるで誘っているかのように赤く熟れた。上気した一護の頬に唇を押し当てながら着物の帯に手をかける。面倒なので切ってやろうかとも思ったが、一護が怒るので仕方なく手間をかけて解いていった。
「こういうことになるんじゃねえかと思ってたんだ、バカ」
 溜息をつきながらも脱がしやすいように腰を浮かした一護が、乾いたばかりの浦原の髪に指を突っ込みぐしゃぐしゃと掻き混ぜた。浦原は上機嫌で一護の首筋に顔を埋め、柔く歯を立てた。背中に回った一護の手の感触にほくそ笑み、もう一度唇を重ねた。
「100回、フラれた甲斐があるってもんっス」
 嫌い、気持ち悪い、寄るな見るな触るな、などの罵詈雑言は一生分言われた気がする。けれどそれらすべて、結婚できた今では幸福の一端になってしまえるから愛とはつくづく偉大なものだと思う。
 結婚して一年。一護は嫌いとは言わなくなった。愛だ、すべて愛。101回目のプロポーズのときの一護の心底悔しそうな顔と、今目元を赤く染めて見上げてくる一顔を比較し、浦原はんふふと不気味に笑った。
「なんだ、気持ち悪いな」
「ボクね、気付いたんス。一護さんの『気持ち悪い』は『好き』ってことっスよね?」
「なんでそうなる! 気持ち悪いは気持ち悪いだ、バカ助!」
「あぁ、嬉しいなあ。ボクも好きっス」
「くそ、なんて言やあいいんだ? 気持ち悪くない‥‥‥違うな、お前気持ち悪いし‥‥」
「ちょっと、真剣に考え込まないでください。今がどういう状況か分かってる?」
「あっ、」
 よく分からせてやろうと膝裏に手を掛けてぐいと胸に押し付けた。絶景かな。まだ体に絡まった着物が一護の体を苦しめたようで、もぞもぞと体を捩る様が実にそそった。
「うひゃっ」
 すべらかな腹に舌を這わし、胸へと至る。三日ぶりに触れる一護の柔肌に頭の中がくらくらした。
「な、舐めるなよ、」
「だって一護さんの味がするんだもの」
「どんな味だ、あ、うっ、‥‥‥‥‥‥おい、今日は舐めて終わるのか?」
 まさか。浦原はぺろりと舌なめずりすると、今度こそ一護を食すべく身を乗り出した。

「局長はいるかネ?」

「うわぁああああ!!」
 一護の行動は素早かった。浦原を蹴り飛ばし、着物を掻き合わせてソファからころりと転がり出るとテーブルの下に隠れてしまった。
「ちょっとマユリさん! 今すっごくいいとこだったのに!!」
「気にしなくていいヨ。やりながら聞いてくれてもかまわない」
 テーブルの下から抗議の声がした。涙目なのが容易に想像できる。
 羞恥に震える一護の背中を見やり、浦原は残念と頭を掻いた。

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