戻る

  誰も知らない<前編>  


 その子供は血溜まりの中、ぼんやりと座り込んでいた。返り血で全身を染め、ぴくりとも動かずに。
「おい」
 破落戸共から獲れるだけのものを獲った後、剣八は声をかけた。焦点を結ばない目が、一瞬揺れ動く。
 ゆっくりとこちらを見上げ、視線が交錯した。虚ろだった茶色の目に、徐々に光が戻る。突然、子供は後ろに飛び退いた。ぱしゃぱしゃと音を立てて血溜まりの中を後ろ手に這って後退していく。ただでさえ全身を返り血で染めているというのに、その動作でますますその子供の体は朱に染まっていった。途中、血で滑った子供は血溜まりの中に倒れ込んだ。荒い呼吸を繰り返しながら、それでも逃げ道を探している。こっちは助けてやったというのに、随分な怯えようだ。
 剣八は足下にあった死体を踏み越え、錯乱する子供に近寄った。奪った刀を束にしてひとつにくくり、肩にかつぐとがちゃがちゃと音が鳴った。子供が逃げる。ぱしゃぱしゃ、がちゃがちゃ。追いつめ、音が止んだ。
「来い」
 手を伸ばした瞬間、指先に痛みが走った。気にせず胸ぐらを掴み上げる。既にはだけられたそこからは、子供の柔らかそうな乳房が覗いていた。乱暴されそうになった記憶が甦ったのか、子供が猛烈に暴れた。それを物のように片腕で易々持ち上げ、肩に担ぐ。背中を散々殴られたが、恐怖で力の入らない拳は痛くもなかった。
 今日の収穫は、刀が五本と、粗末な食料が三日、いや耐えれば一週間分はある。それと、子供だ。
 ねぐらに戻る途中、川に投げ込んで血を落とした。濡れてますます貧相になったが、それでも剣八は悪くはないと思った。男共の欲望の対象になるくらいには子供は育っていたし、また顔立ちもそう悪くはなかった。ねぐらに連れ帰ると、その日のうちに抱いて自分のものにした。
 それが一護だった。











 護廷の敷地を出て半刻ほど歩くと、長屋の連なる通りに出る。住人の多くは死神とその家族で、通りには死覇装を着た人間が多く行き交っていた。その中を、剣八は悠々歩いていた。自然、目の前の道が開かれる。立派な体躯もそうだが、斬りつけるような危うい雰囲気の漂う男を、周囲は恐れていた。遠巻きに見ては、ひそひそと囁き合う。視線を向けると、蜘蛛の子を散らすように逃げていった。それでよく虚退治ができるものだ。剣八は内心で嘲笑い、すぐに興味を失った。
 通りを過ぎると、人通りは一気に途絶える。住んでいる人間も少ないうらぶれた路地に、剣八の住処はあった。管理が行き届いていないせいで瓦は崩れ落ち、木戸も外れたままになった部屋が多い。人の気配がしない裏通りだったが、歩いていると味噌汁の匂いが漂ってきた。その匂いの発信源こそが、剣八の住む長屋の一室だった。
「一護」
 戸口をくぐると、そこに同居人はいなかった。だが炊事場では、味噌汁の入った鍋が火にかけて置いてある。炊事場と段差だけで区切られている二間のどこにも姿は見えず、ならば表に探しに行こうと剣八が踵を返したときだった。ちゃぷん、と水の跳ねる音がした。戸口に立っていたのは同居人の一護だった。手には桶を抱えている。
「井戸に行ってたのか」
 こくりと頷き、一護は炊事場の瓶に水を注ぎ始めた。細い腕で随分重い物を持ち上げる様子を眺めながら、剣八は草履を脱いで板敷の上に上がった。斬魄刀を無造作に床に落とし、死覇装を脱ぎ捨てる。水を注ぎ終わり、火を落とした一護が、剣八の脱ぎ散らかした着物を後から拾って畳んでいく。放置された斬魄刀も拾い上げ、刀掛けにそっと置いた。ふと、一護の動きが止まった。見慣れない着物を拾い上げ、首を傾げている。白い羽織だった。
「あぁ、それか」
 解れ、血のこびり付いた羽織は、剣八が今日になって手に入れたものだった。これを纏い通りを歩けば、まるで化け物でも見るかのように人が逃げていったことを思い出す。
「隊長の証だ。十一って書いてあるだろ」
 よれてくしゃくしゃになった羽織には、たしかに十一。護廷十三隊がひとつ、十一番隊の隊長になった証がそこにはあった。先代剣八を殺して手に入れた最強の証。一護はまじまじとその十一に見入っていたかと思うと、ぱっと顔を上げ、そして首を傾げた。
 それってすごいのか。
 声には出さなかったが、そう訊かれた気がした。一隊を預かる隊長職というものを一護が理解していないのは無理のないことだった。裏通りの寂れた長屋の一室で暮らしているせいもある、そして剣八と同居していることが最大の原因だろう。誰も教えなかった、教えられなかった。ゆえに、一護はこの世の仕組みをまだ十分に把握していないのだ。
 羽織を手にぽかーんとしている一護があまりにも面白くて、剣八はついに吹き出した。くっくっと肩を揺らして笑っていると、一護が怒った顔で肩を殴ってくる。それでも笑っていると、顔を真っ赤にして羽織を押し付けてきた。血と汗の匂いがむんと匂い、剣八は顔を顰めた。先代剣八の残り香。不快なそれに、羽織を乱暴に奪い取ると土間に投げ捨てた。
「後で洗っとけ」
 それより、と一護の腕をとる。引っ張って奥の座敷へと連れ込むと、畳の上に転がし、その上に覆い被さった。足で膝を割ると、腹まで裾を捲り上げる。ぺちっ。頬が鳴った。
「一回するだけだ」
 また頬が鳴ったが、可愛い抵抗だった。本気なら拳だが、そうでないのなら一護も心底嫌というわけではない。
 裾の中に入れた手で下着をずらし、まるい尻を撫でる。頬を紅潮させた一護が恥ずかしがって、泣きそうなほど顔を歪めた。これは早めに繋がってやらねば。指を舐め、まだ濡れていないそこに少々強引に押し入った。
「‥‥‥‥っ!」
 跳ねた体を押さえ込み、中で指を往復させた。一護の唇が、ひいひいと息を漏らす。涙の膜が張った目で剣八を見上げ、縋るように抱きついてきた。
 感じやすい体は生来のものか、それとも剣八の仕込みがよかったのか。ほどなく一護の体の内は十分に濡れそぼり、あとは剣八を待つばかりとなった。手早く前を寛げると、一護がごくりと喉を鳴らす。期待してではない。怖いのだ。一護はいつだってこの行為を恐れていた。
 声を失うほどに。
「一護」
 汗の匂いとそこに混じる甘い香りに酔いしれる。竦んだ肩を背中ごと抱きかかえ、剣八は耳元に唇を寄せた。
 俺を、恨んでるか。
 しかし、言葉にはできなかった。言葉にすれば、すべてが終わる気がしていたから。
「‥‥‥‥隊長になったんだ。一護、俺はもう、あのときの俺じゃねえ」
 常にない、優しい声。それが合図だった。
 あっ、と声にならない叫びを、剣八は聞いた気がした。
戻る

-Powered by HTML DWARF-