ひとり
「一護様、一護様ー?」
呼べど探せど目的の人物は見つからない。砕蜂は途方に暮れて立ち止まった。かれこれ三時間は歩きづめだが、あの鮮やかなオレンジの色彩は視界の隅にも掠めなかった。
あの方をお探しするのは骨が折れる。
現在、砕蜂の他にも手の空いた部下達が総出となって一人の人物を捜していた。見つかった際には狼煙を上げて合図を送る手配となっているが、屋根の上からぐるりと見渡した護廷のどこにもそれらしき煙を見ることは適わなかった。
探し人は、夜一のようにサボり癖があるわけでもなく、また気分屋であるわけでもない。今も仕事を放り出して姿を消しているわけではないのだが、一度行方を眩ませると探し出すのは至難の業だった。変化の妙技を扱えるのかもしれないと、部下の間では噂されている。夜一様は知っているのだろうか。砕蜂は気疲れからそっと溜息をついた。そのときである。
「この浮気者!」
男の声だった。その直後に、頬を打つような音が聞こえた。
痴情の縺れか。よそでやれ。
砕蜂は不快感も露に音のほうへと視線を向けた。半ば八つ当たり気味に睨みつけた先で、砕蜂はようやく探し人を見つけることができた。
「‥‥‥‥気は済んだか?」
「このっ」
男が手を振り上げた。あっ、と砕蜂の喉から声が漏れる。間に割り込む前に、その人は再び頬を打たれていた。
「‥‥‥‥で、気は済んだのか?」
「もう一回叩きますよ」
「何度でもそうすればいい」
「やめろ!!」
砕蜂は二人の間に、男を押しのけるようにして身を滑らせた。
「砕蜂? どうしてここに、」
「一護様をお探ししていたのです。早くお戻りください。ここは私が」
狼煙を上げたいところだがそんな余裕もあるまい。背後に一護を庇い、砕蜂は腰の愛刀に指を乗せた。引き抜くつもりはないが威嚇のため、それらしく霊圧も上げた。
「一護様への無礼な振る舞い、たとえ浦原隊長といえども看過できません。一体どういうおつもりか?」
二度も頬を打つことを許してしまった己の不甲斐なさを砕蜂は恥じた。夜一が何よりも大切にされているお方だ、後で甘んじて罰を受けよう。だが今は己のことよりも、目の前の男に意識を注いだ。
睨みつけられた男、浦原は馬鹿にしきったように鼻を鳴らして砕蜂を見た。美麗な面差しをしているが、どこか筋の通っていないような不安定さを見せるこの男のことが砕蜂は好きではなかった。頻繁に二番隊に顔を出しては夜一に気安く声をかけ、また一護に絡むこの男を嫌う隊員がどれほどいることか。加えて技術開発局なる怪し気な機関を立ち上げその局長に収まった男を、二番隊では監視対象としていた。
「どういうつもりだって? そんなの決まってるじゃないっスか、恋人同士の痴話喧嘩ってやつっスよ。何をそんなにカッカしちゃってんだか」
「こいっ、恋人!?」
声をひっくり返し、砕蜂は思わず後ろを振り返った。一護はどこか呆れた顔で首の後ろを掻いていた。
「アホ、誰が恋人だ」
なんだ、違うのか。笑えぬ嘘に、砕蜂は再び浦原を睨みつけようとしたが、
「体だけの関係を恋人とは言わねえよ」
ひぃっ、と悲鳴を上げた。今、今、とんでもないことを仰った!
「い、い、一護、様、一護様!?」
「あー‥‥‥すまん、今のは忘れろ」
お前にはまだ早かったな、と一護が言う。そういう問題ではない。
「夜一様は御存知なのですか!? このような、このっ、この唐変木と一護様がっ」
「唐変木はひどいっスねえ」
「黙れ唐変木!! 一護様っ、あぁどういうおつもりなのですか!?」
夜一と同じくらい尊敬する人は恐ろしく男の趣味が悪いのだろうか。一護の選択はあんまりにもあんまりだ。何もこんな碌でもない男でなくともいいではないか。
思いとどまるよう懇願するも、一護はきょとんと見下ろすばかりである。
「だから、恋人じゃないって言ってるだろ」
「しかしっ、体だけの関係など‥‥‥‥ふっ、不健全です!!」
「だよなぁ‥‥‥‥やっぱり」
「分かっておられるのならどうして!!」
「さあ、どうしてだろうな」
困ったように笑う一護を見て、砕蜂はそれ以上何も言うことができなかった。一護のこういう表情に砕蜂は弱い。どうしてか、弱い。同じように思う者らが二番隊にも多く存在した。どんなに腹が立っていても、一護のこの表情を見てしまったら腑抜けてしまう、と。夜一のように堂々とした振る舞いで他者を屈服させるのではなく、あくまでも柔らかくだ。そうやって二番隊には一護の信望者が増えていった。だからといって、一護は決して前には出ず、派手な振る舞いもしない。夜一を立てる姿は長く侍女でいたせいだろうか。不思議な人だと、砕蜂は常々思っていた。
「こら、浮気者。言ったそばから他人に色目を使うんじゃない」
ぼんやりと一護を見上げていたら、脇から男が割り込んだ。ちらりと砕蜂を睨めつけた浦原の目には明確な嫉妬が見える。こんな小娘相手にと、砕蜂は面食らった。
「貴族の男の次は、部下の女の子っスか。まったく節操がないんだから」
「あれは任務の一貫だと言っただろうが」
「聞き飽きたっス。そもそもどうして一護サンがやんなきゃならないんスか? その貧相な体で男を誑し込む必要がどこに?」
「中にはこういう貧相なのが好きな野郎もいるんだよ。てめえみてえな変態がな。殴って言うこときかせるよりも、ちょっと体触らしてやるだけで有益な情報くれるんだ、安いだろうが」
「貴方は安くないっ!! ‥‥‥ねえ、いい加減やめましょうよ。ボク、もう耐えられない」
「だったら俺に見切りをつけたらどうだ」
「一護さん!!」
痴話喧嘩。そんな言葉が今の二人にぴたりと当てはまる。砕蜂の目には、一護の口調は辛辣だが、どこか無理をしているように見受けられた。わざと冷たく接している。
「こんな俺にどうして執着する? お前が俺に何を求めてるのかは知らねえがな、昔とはもう違うんだ。歳をとればそれ相応に汚れるもんなんだよ。夜一はその辺理解して割り切ってる分、お前よりも大人だ」
「だから何だと言うんです!? 夜一さんが割り切ってるんなら、ボクだけは割り切っちゃいけない、どうして分かってくれないんだ」
浦原という男は、こんな男だっただろうか。
身も世も無く一護に縋り付く姿は隊長格とは思えない。哀れを誘った。
「ボクは別に、昔のままを求めてるんじゃない。あなたを求めているだけなんだ。どんなに汚れても変わっても、一護さんは一護さんなんだ。ねえ、ボクは何か間違ったことを言ってる?」
浦原の目はまるで曇りが無かった。むしろ綺羅と輝いてさえいた。穢れなき眼というものをまさかこの男に見るとは思わなかったと、砕蜂は唖然とした。一護がまたあの表情を浮かべながら、ぽつりと言った。
「貴方はどうして変わらないな。喜助様」
浦原は言葉を失い、途方に暮れたかのように体の力を抜いていった。けれど一転、一護の肩を掴む手に力を入れた。引き寄せ、深く抱き込み嗚咽を漏らす。浦原の肩越しに、一護と目が合った。
「狼煙は上げるな」
夜一は眠っていた。猫のように体を丸めて幼子みたいにすうすうと。二番隊に戻ってきた一護は壁にかかった打掛を下ろし、夜一の体に掛けてやった。
「帰ったか」
「うわっ、いきなり起きるなよ」
「お前が二番隊の門をくぐったときから起きておった」
体を起こした夜一は、打掛を開き、一護を隣に座らせた。同じ打掛の中へと招き入れ、恋人にするかの如く肩を抱き寄せる。
「喜助めが何やら五月蝿くしたようじゃな」
「耳が早いな」
あの場にいたのは砕蜂だけではなかったらしい。夜一の過保護ぶりに苦笑した。
「あやつの匂いがするな。抱かれてやったか?」
「昼間からするわけないだろ」
「では今宵か。喜助のところに行くのじゃろう? 不埒なことじゃ」
そんな不埒な一護をさらに抱き寄せ、夜一は肩に頭を乗せた。幼い頃から慣れ親しんだ甘い香の匂いが一護の鼻孔をくすぐる。昔、好きだと言ったからか。大人となった今でも、夜一は好んで同じ香を使い続けている。一途なところが可愛らしい。
「儂が、何も感じておらぬと思うか」
「え?」
「喜助が羨ましい」
「んん?」
「儂だって、儂だってなあっ」
「うわわっ、おい、夜一!?」
ぐいぐいと押され、一護は後ろに転がった。覆い被さってくる体は浦原と違って軽く柔らかい。むぎゅと押しつぶされても苦しくはなかった。
「女の味は知らぬが、おぬしのものなら知ってみたい」
「おい、」
「よいだろう? おぬしにとって体など、ただの器に過ぎぬのではないのか? 儂がいくら貪ろうとも本質は穢れぬ。だからこそ喜助や他の男に平気で差し出してきた、違うか?」
一護は何も言わなかった。夜一の指が頬に触れる。
「そうさせてしまったのは儂じゃ。おぬしを四楓院家に招き入れた儂の責任じゃ。恨んでおるか?」
「夜一、」
「儂がなんとも思わぬだと? 喜助の奴めっ」
顔のすぐ横を夜一の拳が突き刺さった。飛んだ破片に思わず目を瞑る。次に目を開けたときには、つい先ほど見たような光景が視界に広がっていた。
「‥‥‥‥お前といい、喜助といい、最後は泣くんだな」
「ううううるさいっ、あやつと一緒にするな!」
いや、一緒だ。変わらないところも。
「恨んじゃいないさ。辛いとも思ってない。なのにどうしてお前達は泣くんだろうな」
「そっ、そういうところがっ、」
顔に涙が降り掛かる。俺の顔は涙の受け皿じゃないんだがな。
そう思いながらも一護は柔らかい幼馴染の体を抱きしめ、背中を撫でてやった。次第にひっくひっくとしゃくり上げて、夜一は眠ってしまった。
「おやすみなさい、お嬢様」
泣き疲れて眠りについた夜一をそっと床に下ろすと、一護は扉の外へと声をかける。一拍置いて、砕蜂が心配そうな顔を覗かせた。
「奥の間に布団を敷いてやってくれ。それと、溜まってる仕事はあるか?」
「はい、ええと、はいっ」
「代わりに俺がやっとく。こいつ、疲れてんじゃねえかな」
夜一を軽々と抱き上げ、一護は奥の間を目指した。たしかな重みが腕にかかるが、どこか儚い。隊長という役職を抜きにすれば、夜一は年頃の娘なのである。偉大な四楓院家当主と崇められてはいるが、疲れもするし泣きもする。周りは少し彼女に期待し過ぎではないだろうか。幼い頃から強くあれと育てられてきたせいで、夜一自身が己を取り繕っている部分もあるのだろうが。
「俺が二人いればと考えることがある。傲慢だと思うか?」
夜一がすっかり寝入った頃、一護は溜息のように呟いた。砕蜂は驚いたというよりも、この方は何を言っているのだろうと呆気にとられた顔で何度も瞬きを繰り返している。その幼い仕草に一護は忍び笑いを浮かべ、寝息を立てる夜一を見下ろして再び言った。
「喜助にも夜一にも俺が必要だ。偉そうに聞こえるかもしれねえがな、そうなんだ」
「‥‥‥偉そうも何も、実際にそうだと思います」
「気付いたときにはもう遅かった。もっと突き放しておけばよかったと思う。今さらだけどな」
「そんなっ! 夜一様のお側におられぬ一護様など、想像もつきません」
夜一を挟んで向かいに座る砕蜂が勢い込んで言う。その直後、夜一が眉根を寄せて寝返りを打った。二人して息を潜め、様子を伺う。夜一はもぐもぐと唇を動かして何事かを呟くとまた深い眠りに落ちていった。
「‥‥‥‥人は、ひとりです。一護様」
「うん?」
「良くも悪くもひとりなのだと、昔、我が父が申しておりました」
人はひとり、孤独である。人はひとり、代わりがおらぬ。どちらかがどちらかを抜きん出ることはない。ただ人は、ひとりである。
「含蓄のある言葉だな。うちの親父なんて到底言えそうにねえ」
顔を合わせれば「真咲に似てきてな! ちゅっちゅしてくれ!」だ。正直ウザイ。そういえば最近家に帰っていない。催促の手紙はひっきりなしにやって来るが、久し振りであればあるほど父親のスキンシップは激しくなる。嫌だなー帰りたくないなーでも妹達には会いたいなー、と一護が考えていると、向かいに座る砕蜂が笑みを噛み殺して言った。
「一人のときでさえ中々見つけられぬというのに、二人に増えてしまったら我々はお手上げです」
「‥‥‥‥あー‥‥いつもワリぃな」
「よいのです。今では隊員の訓練の一貫になりつつありますから」
いつのまにか隊員育成に組み込まれていたと知り、一護は驚きつつも強かな部下達を頼もしく思った。
「なーんで夜一さんがいるんスか?」
「どうしておぬしがいるのだ」
「邪魔だから帰ってくれます?」
「邪魔は貴様じゃ。邪魔という成分でできておるのではないか?」
「高飛車」
「ネクラ」
「十歳のときおねしょしたくせに!」
「十二のとき厠に落ちたのはどこのどいつじゃ!」
「いいから帰れ!」
「そっちこそ!!」
ついには互いに互いの得物を抜き去ろうとしたときだった。前触れも無く襖が開いた途端、二人は何事も無かったかのように座布団の上に正座していた。
「大したもんじゃねえけど、どうぞ」
湯気の立ち上る茶をそれぞれに差し出し、一護は愛用していた座布団に座った。自分の実家に、初めて幼馴染の二人を招いた今日。どこか空気は寒々しいが、それはきっと冬のせいだろう。
「なんで夜一さんも呼ぶんスか、いらないでしょ。今日はボクをご家族に紹介してくれるんスよね!」
「阿呆。おぬしはオマケじゃ。今日は儂の為にと呼んでくれたに決まっておる。これからは家族ぐるみで交流していこうという計らいじゃろう?」
そうだそうに違いないと主張する幼馴染二人には悪いが、一護にしては単に手間を省いたに過ぎなかった。どちらも家族に紹介する為に招いたのだ。
なのに相容れぬ二人。同じ部屋に入れたのは間違いだっただろうか。面接じゃあるまいし、別々の部屋に案内してもな、と一護は半ばうんざりとしていた。
そろそろ妹二人が学び舎から戻ってくる時刻である。さすがに幼子二人の前で今みたいな馬鹿げた争いはすまい‥‥‥しないよな? なんだか不安になってきた。そのときである。一護は徐に立ち上がり、襖を開け放った。
どどどっ!
「‥‥‥‥‥‥何やってんだ、親父」
部屋へとなだれ込んできたのはゴリラに似た男、一護の父一心である。ずっと聞き耳を立てていたのか、古風にも硝子のコップを手に持っている。
「いやあ〜、四楓院の姫様が来てるっていうからな、娘が世話になってるんだ、父さんちゃんと挨拶しとかなきゃな〜って」
「普通に来りゃいいだろ。このコップはなんだ? あ?」
「いやっ、これはっ、年頃の女の子同士の会話が気になったとかそんなんじゃないぞ! ないからな!」
「出てけ!」
蹴りだそうとしたところ、制したのは夜一だった。幼馴染の実家に来るだけだというのに今日はやけにおめかししている彼女は、あろうことか正座から深く深く頭を下げてみせたのだ。
「お会いするのは十年ぶりでございましょうか。一護殿を我が四楓院家一門に加えることをお許しいただいたというのに、碌な挨拶もせず今日に至ってしまいました。四楓院家当主として、深くお詫び申し上げまする」
四大貴族の当主が、しがない下級貴族の一心に頭を垂れる。前代未聞の出来事である。しかしまったくもって事態の恐ろしさを感じていないのが、一心が一心たる所以であった。
「いやいやご丁寧にどうも〜。あ、これね、うちの亡き奥さんが好きだった和菓子なんだよ。一護が友達連れてくるって言うからさっき走って買いに行っちゃったよ! さあ食べて食べて!」
「親父、明らかにテンション間違ってるぞ」
相手が四大貴族の一角を担う当主であろうが、一心はどこまでも父一心だった。一護は頭痛を覚えるも、夜一が少しも気分を害したところがないのを見てとると安堵した。
そして一護にさえ忘れ去られていたが、先ほどからそわそわしている幼馴染その二がいた。
「ほほう、夜一さんはこの菓子を知っておいでで!」
「はい。幼い頃より一護殿がよく食べさせてくれました。今日はこうして父上殿と一緒に食しているからか、特に美味ですのう」
「いやー、照れますなあ!」
何度か話しかけようとして悉く無視されている男、浦原喜助。一心も夜一も気付いているのに無視である。
泣きそうな視線をよこされ、一護はようやく浦原の存在に気がついた。
「親父親父、こいつもいるんだった。浦原喜助だ」
「適当な紹介どうもありがとうございます。‥‥‥‥あのっ、一心さんでいらっしゃいますね。お義父上と、お呼びしても?」
「ところで、夜一さんのようなお美しいお嬢さんと一緒にいて、うちの娘もちーっとは女らしくなってくれてますかな?」
「何をおっしゃいますやら。今の一護殿だからよいのです。父上殿もお分かりのくせに」
「はっはっは! 見透かされてますなあ。そう、うちの一護はこの男勝りなところが可愛いんですよ。強がってるところを見ると泣かせたくなるでしょ」
「然り。じゃが時に見せる女の一面も中々のもの。そうじゃ父上殿、今度の四楓院家にて春節の行事を行います。是非お招きしとう存じますが」
「げっ、夜一、やめろよ」
「一護殿の艶やかな姿を見たくはございませんか」
「見たいですとも!! おい一護っ、そんな行事があるなら教えないかっ」
「教えたらうるせえだろうが。絶対来んなよ」
三人で賑やかに盛り上がっていると、一護はふと疑問に感じた。ん? 三人?
見ると、部屋の隅っこで浦原がいじけていた。
「話が逸れたじゃねえか。親父、こいつが喜助だ、浦原んとこの。知ってるだろ」
部屋の真ん中へと引っ張りだして紹介するも、父一心の反応はいまいちだった。ぶすっとした表情で、浦原の顔を見ようとしもしない。
「何ぶーたれてんだよ。ちゃんと挨拶しろよ。俺に恥掻かせんな」
「‥‥‥‥‥一護の父の一心だ。今日はよく来てくれたな。とっとと帰りやがれ」
「親父!!」
浦原も大事な幼馴染の一人である。たとえついさっきまで忘れていたとしても。
父の無礼な態度に怒った一護だが、先に行動を起こしたのは浦原だった。一護が振り上げた手を握って下ろさせると、
「お嬢さんを」
「その先は言わせん!!」
一心得意の回し蹴りが綺麗に決まったかに見えた。
「攻撃の筋が一護さんにそっくりっスね。お義父上」
さすが隊長格。浦原は、一護でさえ捉えきれなかった一心の蹴りをしっかりと受けとめていた。不敵な笑みさえ浮かべ、嫌味たらしく口端を曲げてみせる。一心の頭にカーっと血が上った。
「誰が義父上かっ!! 貴様ぁっ、うちの一護の処女奪っといてよくものこのこやってこれたな!!」
「御存知でしたか。でもボクだって童貞を差し上げましたもの。おあいこっス。ちなみに昨日もお嬢さんとは仲良くさせて頂きました」
「夜一さんっ、こいつ殺していいかね!?」
「儂も加勢しよう、父上殿」
拳をバキバキ鳴らして共闘の意を固めた二人。今日は親父に話したいことがあったのに、と頭を抱える一護だったが、戦場となる前に我が家から早々に退散した。
「ーーーお袋、聞いてくれ。俺はあの二人に、生涯寄り添って生きていくことにした。夜一を守り、喜助の面倒を見ることが、俺の人生だと悟ったんだ」
見晴らしのいい丘の上に、黒崎家代々の墓地がある。中でも花に囲まれ、妙にメルヘンチックに仕上がっているのが一護の母の墓だった。訳の分からん動物の置物が飾ってあるのは父親の仕業だろう。そのせいで周りの墓から浮きまくっているが、母のことだ、「まあ素敵」と草葉の陰で喜んでいる気がする。
「一護さーん、ここにいたんっスね」
丘を登ってきたのは浦原だった。この墓の場所を教えたのは誰でもない、一護だ。護廷にいないときはたいていここにいると知ってからは、頻繁にやってくるようになった。
「何か喋ってませんでしたか?」
「親父に言ったのと同じことを言っただけだ」
「あぁ。ボクに一生を捧げるってやつっスね!」
「夜一を綺麗に無視してるが、ま、そんなとこだ」
「お義母上はなんて仰ってましたか?」
「‥‥‥‥とりあえず頑張ってみなさい、かな?」
「さすがお義母上! どこかのお義父上と違って理解がありますねえ」
どこかのお義父上とやらは、一護の決意を聞いた直後それはもう取り乱した。『やだよ! 認めんよ! 夜一さんはともかく面倒見るってこの男を!? どこから!? どこまで!? どんなふうに!?』と嘆くは暴れるは、事態の収拾に半日を費やしたほどだ。
「いい加減子離れすればいいのに」
「簡単っスよ。ようは一護さんから関心を逸らせばいいことでしょ? それには、‥‥‥ね?」
「『ね』じゃ分からん」
「孫の顔っスよう。親バカから爺バカにすりゃーいいんです。ボクも幸せ、お義父上も幸せ、夜一さんは悔しがる。これしかないっスよ!」
ときどきこいつは頭がいいのか悪いのか一護には判断がつきかねた。ね、ね、としつこく畳み掛けてくる幼馴染の顔といったらまるで少年そのものだ。ただ純粋に自分との子供が欲しいのだろう。求められて嫌な気はしないが、照れてしまった一護は素っ気なく視線を逸らした。
「‥‥‥‥‥いつか、な」
「ボクは今すぐでもいいくらいっスよ」
「夢が広がってろところ悪いが、夜一にお伺いを立てなきゃ駄目だぞ」
なんでっ! 丘で響いた叫び声が、麓の町まで響いたのではないだろうか。
分かってはいたが、進歩の無い奴だ。夜一の名前一つでこんなにも取り乱している。
「俺はもう四楓院家の人間なんだぞ。別の一族の男とほいほい子づくりできるわけねえだろが」
「そんっ、そんなっ、じゃあ今まで本当に体だけの関係だったんスね‥‥!?」
それだけでも破格の待遇だったと分からんのか、こいつは。一護の冷ややかな視線をものともせず、浦原は人ん家の墓の前で打ちひしがれている。
ふと気配を感じ、一護は母の墓を見下ろした。墓石の陰から、黒猫がひょこりと顔を見せる。小さな口には立派な花が一輪銜えられていた。この季節、四楓院家の庭に咲き誇る花だと一護は知っていた。
「ありがとう、夜一」
母の墓前に供えると、一護は黒猫を抱き上げ頬擦りした。
さて、帰るか。夜一を大事に抱え直すと一護は丘を下っていった。背後では未だにさめざめと泣く男の嗚咽が聞こえていた。