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  攻める男、守る男  


「修兵さんが変なんだ」
 話があると言われて呼び出された恋次は、ぎくりと体を強張らせた。隣に座った一護が困ったように溜息をつき、縁側から投げ出した足をぶらぶらと揺らした。こういう子供っぽい仕草が一護には似合わない。けれど自然と恋次は唇を緩めた。
「でさ、修兵さん。最近なんかあった?」
 そうだ、先輩の話だった。どうしても顔が引き攣ってしまう恋次は、一護の言う変な先輩とやらに心当たりがあったのだ。しかしそれを面には出さず、恋次はさしたる興味も無さそうに言った。
「‥‥‥‥別に、いつもどおりなんじゃねえのか」
「そうかなあ」
「何かされたのか?」
「されてねえけど、変なこと言われた」
「なんて?」
「膝に乗れ、って」
「乗ったのか!?」
 自分でも驚くほど大きな声が出た。一護もびっくりして目を見開いている。やがて無言で首を横に振った。よかった、乗っていないのか。
「言うこと聞いてやる必要はねえからな。適当に流しとけ」
「うん‥‥」
「欲求不満なんだろ。今の彼女とうまくいってねえんじゃねえか」
「なるほど」
「お前からかって気を紛らわせてんだよ。可哀想にと思っときゃいい」
 修兵が恋人とうまくいっていないのは事実だった。付き合って丁度一年になる女性とはそろそろ潮時なのだろう。そのうち次の恋人を作って楽しくやっているに違いない、恋次はそう思った。
 そろそろ昼休みが終わる。呼び出されたときには既に食事をとった後だったから、このまま時間が来れば六番隊に戻ればいい。一護はこれから現世で任務があるのだと言っていた。すぐに出立できるよう、斬魄刀といくつかの荷物を小脇に抱えていた。
 そういえばと恋次は思い出す。一護に移動の話が持ち上がっているのだ。一人で現世に派遣されるということは、一人前と認めてもらった証拠である。育成期間を経て、他隊から引き抜きの声が掛かるのだ。現在、一護には複数の隊から誘いが来ているという。特に熱心なのが十一番隊で、一角や弓親に勧誘とは名ばかりの脅しを受けているらしい。恋次の上司である白哉も同様に一護を引き抜こうとしている。ルキアと同じくらい可愛がっていると聞くし、身内が無理ならせめて一護だけでも自分の手元に置きたいのだろう。
「お前さ、どこの隊に行くのか決めたのか?」
 時間を確認していた一護がぱっと顔を上げて恋次を見た。その表情は実に渋い。
「どうなんだよ」
「絶対移動しなきゃならないってことはないんだよな?」
「まあ、そうだけど。でも普通はいろんな隊を経験して、腰の落ち着けるところを決めるもんだぞ」
「俺は十三番隊に腰を落ち着けてるんだけどなあ」
「志波さんがいるから?」
 一護は口籠り、頬をわずかに紅潮させた。分かりやすい奴。内心ムッとして、恋次は思わず一護の頭を叩いていた。
「この際、修行と思って他の隊に行ってみたらどうだ?」
「修行、」
「敢えて自分にとって厳しい場所に身を置くんだよ。十一番隊とかな」
 一護の表情は増々渋くなった。死覇装を指で弄りながらぶうたれている。席官入りを目指すならば当然隊を移動して経験を積むものだ。しかし一護には出世欲というものが無いようで、十三番隊に固執している。甘ったれるなと一喝してやりたくなったが、一護にしてみればどうして怒られるのかも理解できないだろう。
 一度、海燕に相談してみるのもいいかもしれないと恋次は考えた。海燕のことだ、一護の為を思って移動を勧めるかもしれない。恋次はこの思いつきを今日にでも実行してみることにした。



 書類を届け終え、恋次が六番隊に戻ろうとしているときだった。突然背後から首に腕を回され、脇道に引っ張り込まれる。知った霊圧を感じた直後のことで、抵抗する間も無かった。
「ちょっと来い!!」
「檜佐木、先輩っ?」
 相当怒っている。疑問に思いながらも引きずられていった先は人気の無い路地裏。恋次と向き合った修兵は不機嫌そうな顔で両腕を組んでいた。
「どういうつもりだ」
「どうって、何がっスか?」
「志波さんに余計なこと言ったろ!」
「あぁ、話はしました」
「てめえ、俺のこと悪く言ったらしいな。九番隊だって一護のこと勧誘してんだぞ、副官の印象悪くなったら不利だろうが」
「どこに行くかは一護の意志でしょ? そういう先輩こそ、最近一護にちょっかい出してるそうじゃないっスか。一護、なんか気味悪がってましたよ」
 何が膝に乗れ、だ。スケベオヤジか。
 恋次は軽蔑した表情を浮かべ、ショックを受けている修兵を睨みつけた。
「自分のところの隊に入れりゃあいつでも口説けますもんね。動機が不純過ぎて泣けてくる」
「うっ、うっせえ! 俺に惚れるかどうかは一護の意志だろ!」
 それはありえない、と恋次は思った。一護は海燕にぞっこんだ。ぞっこんは古いか、じゃあめろめろだ。
 ルキアが言うには、海燕は女心をくすぐるのが上手いらしい。がさつそうに見えるが、気配りができて細かいことにもよく気がつく。実質隊を動かしている彼は、恋次の目から見ても非常に頼もしい男だった。
 仕事ができて心も癒される。そういう男に一護は弱い。なんだか普通だ、と恋次はがっかりした。一護はもっと突拍子の無い男を好きになるんじゃないか、そんな変な期待を抱いていた。
「おいっ、聞いてんのか!?」
「んあ? あぁ、聞いてます聞いてます」
「六番隊に引き抜きたいからって卑怯な真似するんじゃねえよ! これでお前のところに一護が行ったら恨んでやるからな!」
「別に俺はうちの隊を推したりするようなこと言ってませんけど。欲しがってんのは俺じゃなくて朽木隊長だし」
「六番隊に行ったら会いずらくなるだろうが。俺、朽木隊長苦手なんだよ」
 俺だって苦手だ。そうじゃないのは一護ぐらいなものだろう。ルキアでさえ白哉を前にすれば萎縮してしまうというのに、一護はまるで恐れ知らずだ。以前、二人が口論になって一護が蹴りを繰り出していたのには驚いたし、反撃に頬を抓り返している白哉にも驚いた。海燕に対しては間違っても足など出さない一護だ。そう思うと、一護の態度は実に分かりやすいものだった。
「あーあ、なんか他の隊にやるくらいなら十三番隊のままでいいような気がしてきた。十一番隊に入られるのも嫌だし。綾瀬川いるだろ、あいつ嫌いなんだよなあ」
「あの人も、一護のこと可愛がってますよね」
「まさか狙ってる!?」
「先輩じゃあるまいし、ガキに手は出さんでしょ」
「一護はガキじゃねえよ。あれでもう二十はとっくに越えてるだろ。外見にとらわれ過ぎだ」
「先輩いくつでしたっけ? 少なくとも一護とは百近く離れてるでしょ。最近の若い奴とは価値観合わねえんじゃないんですか」
「そうでもねえよ。一護はなんつーか、基本真面目だろ。考え方とか、年かさの連中と似てんじゃねえかな」
 おや、と恋次は片眉を上げた。他人の考察する一護というものに興味が湧いた。
「あいつって自分の殻に閉じこもってるとこあるだろ。絶対本心見せたりしねえんだよ。誰だってそうだけど、あいつは特に必死になって隠してる。よっぽど知られたくねえんだなあって相手に気付かせちまうほどにな。そういうの見てると痛々しくて、放っとけなくなるんだよ。なんかあったのかなあって気になるだろ?」
「‥‥‥‥他の女にそう思ったことあります?」
「ない。ま、一護と違って、俺がお願いすりゃあなんでも見せてくれたしな」
 にやりと笑った顔は好色だった。恋次はうんざりして視線を地面に落とした。
「なのによ、一護の奴。志波さんの前じゃあっさり心開きやがる。なんだありゃ? 観音開きか? 開け過ぎだろ。俺は駄目で、志波さんならいいって理由は何なんだよ」
「さあ? 健全か不健全かの違いでしょうか」
「いいや、違う! 独身か既婚者かだ。だったら俺のほうが絶対いい筈なのに。一護めっ、訳の分からねえことしやがって!」
「『一護は全身で甘えられる男が好きなのかもしれん』‥‥」
「あ?」
「ルキアが言ってたんです。つまりは俺が思うに、あいつは家族が欲しいんじゃねえかな、と」
 修兵が目を丸くした。まさか家族という言葉に結びつくとは思わなかったという顔だ。
 あくまで俺の考えです、と恋次は前置きした。
「あいつが望んでるのは恋人じゃなくて、もっと身近な親とか兄妹だと思うんです」
「分かんねえな。恋人だって、いつかは家族になるかもしれねえだろ」
「はぁ? 先輩、一護とそこまで深い仲になるつもりあるんですか?」
 修兵は口籠った。どこか後ろめたそうに視線を揺らしたのは、一護に対して抱く情が本物だということだろうか。
「‥‥‥‥いや、まだそこまでは考えてねえけど、普通そうだろ?」
「ですね。だから一護は、先輩や他の男に靡かねえんじゃないですか。家族になってくれるかどうかも分かんねえ男に興味無いんだと思います。たぶん」
「はあ? つまりはなんだ、あいつ結婚願望強いってことか?」
「ちょっと違うな。んー‥‥‥夫はいらねえけど子供は欲しい、みたいな?」
「過程をすっ飛ばしてえってこと?」
 普通の人間にしてみれば、その過程こそが大事なのである。修兵はげえっと呻いた。これで一護のことは諦めただろうか、恋次は期待した。
 移動のことで相談しようと十三番隊に訪ねたときだった。海燕を見つけ、さっそく話しかけようとした恋次の視界に別の人物が映った。海燕の妻である都の姿だった。
 楽しそうに会話をする二人を見て、恋次は出直そうと踵を返し、そして丁度視線の先に一護を見つけた。
 驚いたのは、一護の表情だ。どこか嬉しそうに笑っていた。憧れの男性が妻と一緒にいるところを見てショックを受けた様子も無い。唇が「いいなあ」と動くのが恋次には分かった。
「親が仲良いと、子供は嬉しいもんだ。一護の顔は、まさにそれだったんです。両親には特に思い入れが深いんだとしたら、あいつが志波さんを好きになるのもそうおかしなことじゃないでしょ」
 修兵は唇をへの字に曲げた。しばらくは難しい顔で唸っていたが、急に真顔に戻ると恋次に別れを告げてさっさと隊舎に戻っていった。これでもう馬鹿なこと言い出さないといいけど、と恋次はその背中を見送った。
















「修兵さんがおかしくなった」
 またも呼び出された恋次は、一護の言葉にぎょっとして持っていた弁当を思わず落としそうになった。
「変だったのが、増々おかしくなった。彼女といよいようまくいってねえんだな‥‥」
「また何か言われたのか?」
「言われてねえけど、変なことされた」
 恋次は聞くのが怖かった。
「たかいたかーい、された。気味が悪くてすぐ逃げたけど」
 何やってんだあの人は!!
 恋次は今度こそ自分の意志で弁当を放り出したくなった。
「あと、やたらともの買ってくれるようになったし、妙に優しくなった。前はこう、ギラギラというか、危険な匂いがするというか‥‥‥‥なんだろうな、あの人ちょっと丸くなった気がする」
「歳をとると皆そんなもんだ」
「そっか。修兵さんって俺よりずっと年上なんだっけ。ときどきどうしようもないときがあるから、忘れてた」
「そうだな、あの人はどうしようもねえから、長い目で見てやってくれ」
 先輩、方向性を変えたな。父性愛を装って一護に近づくことにしたんだな。なんてしつこい人だ。
 食べかけの弁当を一旦置き、恋次は眉間の皺を揉み解した。ややあって、恋次は言った。
「なあ、一護」
「ん?」
「六番隊に来いよ」
 きょとんと瞬きして一護は動きを止めた。
「俺のところに来い。守ってやるから」
 自分が今、どんな顔をしているのか分からない。一護は戸惑ったようにしきりに瞬きを繰り返していた。それでも視線を逸らさないでじっと見続けていたら、一護の頬が心無しか赤くなった。唇を噛んで少しだけ顎を引く仕草は、一護が照れている証拠だった。
「六番隊、に?」
「そう、六番隊だ。朽木隊長もいる。お前、隊長のこと好きだろ?」
「うん」
 躊躇いもなく頷いた一護に苦笑した。ここに白哉がいれば無表情に感動していたかもしれない。
 おそらく自分や修兵も、一護にとっては疑似家族の一員なのだろう。心を許してくれないと修兵は嘆くが、それは間違いだ。恋人という他人よりもずっと認められているというのに。
「恋次?」
「あ、あぁ。六番隊のこと、考えといてくれ」
 ぬけがけ、と後で修兵にどやされるだろうな。分かっていたが、もうどうでもよかった。六番隊に入れば、修兵は白哉を恐れておいそれと会いにはやってこないだろう。その間に気持ちも冷めるといいのだが。
「恋次」
 隣で声がした。視線を向けたときにはもう、一護が抱きついていた。
「‥‥‥‥‥‥。え」
 少し視線を下に向ければ、一護の旋毛が見える。そこを中心に広がっていく明るいオレンジ色の髪。一護の息づかいを胸板に感じ、恋次の鼓動がドキリと跳ねた。
「恋次、」
 一護の頭がもぞりと動き、次には真っすぐに見上げてきた。前髪の隙間から覗く目は意外と大きい。恋次の喉が、うぐ、と変な音を立てた。
 駄目だ駄目だ駄目だ。一度、蓋を閉じたのに。
「恋次のことも、好きだからな」
 あぁ、そんな無邪気な顔で言わないでくれ。

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