囚人日記

  01  


 およそ六畳ほどの広さがある石造りの室内に、小さな灯りが一つ。
 一人は黒尽くめ、もう一人は白尽くめの着物を着て、間に机を挟み、それぞれが互いに向かい合っていた。
「それで、君は一体何の目的で護廷に侵入したんですか」
 黒いほうが質問し、白いほうが質問に答える。そんな遣り取りが始まってから既に三日目。白いほう、つまり囚人は、とうに我慢の限界を迎えていた。
「だからぁっ、侵入とかじゃねえって! 何度も言わせんなっ、気付いたらあそこにいたんだよ!」
「はいはい、侵入者は皆そう言うんですよ。いい加減、正直に吐いたらどうですか。悪いようにはしないから」
「知らねえもんをどうやったら言えんだっつーのっ、」
「記憶喪失? 胡散臭いんですよねえ‥‥」
 そう、囚人は記憶を失っていた。
 目覚めたときには知らない場所に倒れているからさあ大変。さらには自分が誰か、どこから来たのか、なぜこんなところに倒れていたのか、すべてを忘れ去ってしまっていたのだ。不審者扱いを受けた現囚人は、二番隊管轄の牢獄に一時収監されることとなった。
「発見時の服装は死覇装、ただし隊章は無し。斬魄刀は所持していたものの、その形状と一致するものは目録のどこにも記録無し。過去の行方不明者一覧と照合するも、該当者無し。誰かオレンジ頭の隊員知りませんか、と各隊に回覧板を回すも心当たりは誰も無し。‥‥‥‥君ねえ、一体どこから来たの?」
「それを思い出せりゃ、今こうして苦労はしてねえんだよ!」
 取調べは朝から始まり昼に休憩、そして夜まで続けられている。疲労困憊、それも精神的に。囚人はがしがしと頭を掻きむしると、ついにはぱたりと机に突っ伏した。
「疲れてるのはこっちも同じですよ。囚人番号『へ』の三番さん」
 黒いほう、つまりは取調官。看守もこなすその男も、うんざりしたように息を吐いた。やる気が無いのは表情からも見てとれるその男は、つまらなさそうに同じ質問を繰り返した。
「なにか一つでもいいから思い出せませんか」
「一つって言ってもなあ‥‥」
「なんで死覇装を着ていたんです? コスプレ趣味でもあったとか?」
「あったら嫌だな‥‥」
「斬魄刀のほうは? 君に何も教えてくれないんですか」
「うんともすんとも言わない」
 おそらく名前を忘れてしまったからだと考えられる。可哀想なことをしたな、と呟く囚人の言葉に、男は形の良い眉をぴくりと跳ねさせた。
「君は、死神?」
「斬魄刀持ってんだからそうなんじゃねえの?」
 当たり前のように答えた囚人に、男は不可解だと言わんばかりの顔をした。そして指を顎に当て、観察するように囚人を見据えた。
「色々と忘れているけど、君は死神の定義を知っている。斬魄刀に意志があることも。でも君を知る人間が、ここには誰一人としていない。おかしいとは思いませんか」
「俺ってすっげえ目立たない奴だったとか?」
「派手な頭髪をしておいて何を言いますか」
 だよなあ、と囚人は自分の髪を撫でて乾いた笑いを浮かべた。
「仮に、君が本当に死神だったとしましょう。過去数百年を遡れば、記録が曖昧なところもある。もしかしたら、君は相当な年寄りかもしれない」
 囚人は思わず自分の顔を両手で撫でた。皺一つ無い若々しい肌。しかし、自分が年寄り? 
 驚いたその様子を、男はつぶさに観察していた。
「どうやら自覚は無いみたいですね」
 男はまだ何も書かれていない記録用紙を指でなぞりながら、分からないと言うように首を捻った。その指先をなんとなく覗き込んだ囚人は、あっ、と声を上げた。
「てめえっ、なんで俺の名前が『護廷太郎』になってんだよ!」
「仕方ないでしょ。分からないんだから。それとも『護廷花子』のほうがいいですか。一応、女の子ですし」
「どっちも却下だ! 俺には『いちご』って名前があんだよ!」
 直後、室内に沈黙が落ちた。囚人は呆然とした顔で、正面の男を見た。二人は見つめ合い、しばし声を失う。
 信じられない。勢いとはいえ、こんなにもあっさりと。
「今、俺、言ったよな‥‥‥?」
「言いましたね」
 囚人は大きく息を吐き出した。指先が震えている。心臓がどくどくと激しい鼓動を打っている。
 感動なのか何なのか、囚人は今、立つことができないほどの大きなショックに見舞われていた。
「俺の名前、いちごっていうのか‥‥‥」
「野菜の『いちご』ですか、果物の『いちご』ですか」
「知らねえよ‥‥‥」
 脱力する『いちご』の向かいで、男はふむと頷くと、記録用紙へと優雅に筆を滑らせた。

 ○月×日。
 囚人番号『へ』の三番。護廷太郎、改め『いちご』であることをここに記す。
 取調べ担当 浦原喜助

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