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  ただいま、ストン  


「お前ぇええっ、何で乳とケツが二つあるか知ってんのかぁアア!?」
 そんな叫びとともに男と酒瓶と灰皿が吹っ飛んだ。
「ちょっとちょっとパー子ちゃん!? お客様に何してんのー!?」
 慌てて間に入った店長。しかしその胸ぐらを掴んで銀時はまくしたてた。
「見ました今の! この客っぽい男がアタシの乳を触ったんです!」
「客っぽくないからねこの人紛うこと無くお客様だからっ」
 しかし銀時は聞いていない。ツインテールを振り乱し、店長をそこらに放り投げると殴った客の元へと歩み寄った。
「お前に触られた俺の右乳が泣いてるっ、なんか泣いてるっ! 左乳は守ってやれなかったって無念で泣いてる!!」
 銀時は気絶した客の足を握ると逆さに振った。ゴトリと重い音を立てて落ちたのは分厚い財布。
「乳の持ち主の俺と触られた右乳と己の無力を責めてる左乳の慰謝料として諭吉三枚な! 頂くから!」
「パー子ちゃん!?」
「ついでに座ってて触られなかった俺のケツもなんか泣いてる気がする。だからもう二枚頂く!」
「二つあるのはより多くのお札を奪えるからと言いたいのかもしかして」
「店長、アタシの心はズタズタです。だからオイ、右心房と左心房の慰謝料分、もう二枚頂くからなこのセクハラヤローが」
 計七万円を懐に納めると銀時は満足そうに笑った。
「銀さん‥‥‥‥‥」
「お妙ちゃんっ、なんか君の友達のパー子ちゃん、色々とメチャクチャなんだけど!」
 お妙もメチャクチャだがこの銀時も負けず劣らずメチャクチャだ。このままではこの店がメチャクチャになる。
「駄目よ、銀さん」
「そうだよ駄目だよ!」
 さすがのお妙も良心を痛めたのか銀時を諌めた。
 かのように思ったのもつかの間。
「銀さんの触られた右乳に私も心を痛めています。だから私も一枚頂かなくちゃならないわ」
「そりゃすまねえな。ほれ、二枚な。なんたって心には右心房と左心房が」
「ねーよ! 心と心臓は違います別物!」
「泣くなよ店長。ほら、店長のその右目と左目に二枚。それとも右涙と左涙に二枚?」
 ヤンキー座りで万札を差し出してくる銀時は長年キャバクラを経営してきた店長の目から見ても中々の器量良しだ。お妙とはまた違った魅力がある。たとえばけだるさ。一歩間違えば死んだ魚の目だが、銀時の伏目がちな表情はここキャバクラという舞台では良い方向に向かっている。化粧を落とせば兄ちゃんみたいな姐ちゃんになるがしかしここはキャバクラ。すべては良い方向へ向かうのだ。
「店長?」
 良い方向へ。
 色々どうでもいいことを考えた店長が撰んだ道は。
「‥‥‥‥気絶しちゃったよ」
「左右の涙とそれから大事な何かの分、合わせて三枚頂きましょうね」
「そうだな。しかし店長は色々と失ってるから俺らが代わりに頂こうかねお妙さん」
「うふふ。前後がなんだか繋がってないわよ銀さん」
 二人は笑いあい、そして店長の慰謝料は今夜の夕飯の食材となった。










「キャバ嬢いいねえ。俺、なんかもう万屋よりもこっちに重心置くべきかね?」
「”キャバ嬢銀ちゃん”? 語呂もいいアルな」
「僕らはどうなるんですか」
 なんだかおかしな方向へと話が進んでいる。上司がキャバ嬢、だったら助手は何になるんだ。
「お前はボーイだな、ボーイ」
「銀ちゃん私は?」
「ガール?」
「なんだそれ。無いですよそんな職業」
 こいつらはノリで会話するから困る。歯止め役の新八は冷めた態度で断ち切った。
「ボーイミーツガールって言うだろ。ボーイがいたらガールがいなきゃ、ミーツしねえだろ」
「すごいアルな銀ちゃん。なんかよく分かんないけど今胸にストンてきた」
「だろ?」
 駄目だ。本当に駄目だ。
 馬鹿二人の会話についていけなくなった新八は先ほどから食事に夢中な姉に助けを求めた。
「姉上、なんとか言ってやってくださいよ。このままじゃ本当に”キャバ嬢銀ちゃん”ですよ」
「ーーーーー銀さん」
 箸を置いてお妙は言った。
「今のは私もストンときました」
 本格的に駄目だ。
 新八は項垂れて、もう完全に諦めることにした。



 子供二人は眠った深夜。
 今日は道場に帰ることは無く、お妙は銀時と一緒に酒を飲んでいた。
「それで本当に”キャバ嬢銀ちゃん”になるの?」
 二人して既に数本の酒瓶を空にした。お妙は頬が赤く染まっていたが、銀時は少しも変化が無い。相変わらず肌は白くて、まるで血が通っていないようだった。
「そうなったらお前の弟はボーイだけどいいのかよ」
「お給料は確実に増えるわね」
 今日巻き上げたお金で結構な贅沢が出来た。子供二人は喜んでいたし、銀時は甘いものを買い込んでいた。
「でも私は”万屋銀ちゃん”のほうが好きよ」
「貧乏でも?」
「えぇ。一番辛いことは貧乏じゃないもの」
 その言葉に銀時は目を見張った。年中道場復興だと息巻いているお妙が実は銀時よりも金に汚い。給料払わない銀時に、キャバ嬢という仕事を紹介したのは誰でもないお妙だった。
「だからずっと”万屋銀ちゃん”でいてね」
「はぁーい」
 銀時の白い肌がほんのり赤く染まったのを見て、お妙はそっと笑った。
「じゃあ明日は7時出勤ね」
「ーーーーーは?」
 言われた言葉の意味が分からず銀時は首を傾げた。
「実は明日、大口のお客様がいらっしゃるのよ。店は銀さんの手も借りたいほど忙しいの」
「あれあれお妙さん? 『ずっと”万屋銀ちゃん”でいてね』って言ったばっかだよ?」
「”万屋銀ちゃん”に依頼です。明日は”キャバ嬢銀ちゃん”になって7時に店に来てくださいな」
「あれ? なんか胸にストンとこないけどアレ?」










 そしてキャバクラ。
「松平のおじ様。大口のお客様よ」
 の隣にいるのは。
「マヨラー‥‥‥‥」
「銀さん、帰っちゃ駄目よ」
 くるりと返そうとした踵はお妙によって阻まれた。掴まれたのはツインテール。しかし銀時は強引に鬘を脱ぎ捨てて脱走を諮った。
「どこ行くの!? 歌舞伎町在住万屋坂田銀時さん!!」
「やめろお妙テメーこの」

「万屋?」

 お妙の大声にマヨラーこと土方がこちらを振り返った。視線の先にはお妙と、そしてツインテールのキャバ嬢が。
「いい子ね、パー子ちゃん」
 俊足を活かしてお妙の手にあったツインテールに頭を突っ込んだ銀時はぎりぎり間に合ったことに安堵した。しかし逃げたい逃げられない。
「逃げたら土方さんの隣に座らせるわよ」
「それだけはやめてくれ!」
「そんなに嫌がらなくても」
「嫌がる! 俺は嫌がりますよ!」
 今ではツインテールが命綱だ。女の変化の機微には疎い土方は鬘と化粧と服装で銀時だと気付いていない。
「バレたら馬鹿にされるっ、女の股間に関わる問題だぞこれは」
「それはまた随分とデリケートな部分の問題なのね‥‥‥‥‥」
 なんて分かってくれたような顔をしていたのだが。
「ーーーーーそーかパー子っていうのかハッハッハ!」
 五分とかからずに土方の隣に座らされた銀時は先ほどから誰とも視線を合わせようとはしない。
 松平、近藤、沖田、そして土方がいる席で、銀時は一切口を開かなかった。
「ごめんなさいね、パー子ちゃんてばシャイなコンチクショウで」
「いいさいいさ。初心なところがまたいいなオイ」
 よりによって逆隣は松平。銀時は馴れ馴れしく肩に手を置いてくる親父の手を捻り上げてやりたかったが、バレてはいけないと我慢を貫き通していた。
「よぅパー子、おじさんが後でいい店連れてってやる」
「‥‥‥‥‥くたばれ」
「え?」
「やだパー子ちゃんてばブラックジョーク? やっだ〜!」
「イデェ!!」
 お妙の拳が硬い帯越しに鋭く決まった。思わず仰け反ると、当然隣に座る土方に接触する。ハッと気付いて振り返れば、至近距離で目が合った。
「‥‥‥‥お前、」
「松平のおじさまお酒どーぞ!」
「お、パー子やっと緊張が解けてきたか」
 普段よりも2オクターブほど声を高くして銀時は松平に体を擦り寄せた。これはもう銀時を知る者から見れば別人だ。そうだ別人になれガラスの仮面を被るんだ俺、と銀時は自分に言い聞かせた。
「パー子も飲め、な!」
「いただきます〜‥‥‥‥くたばれ」
「えぇ?」
「なぁにさっきから松平のおじ様ったらもう酔ってらっしゃるの? まだ宵の口ですよんもうやっぱりくたばれ」
「今絶対くたばれって」
 言いかけた松平の口に酒瓶を突っ込んで銀時は無理矢理黙らせた。こいつを酔い潰せばこの飲み会はお開きだ。さっさと潰して土方達には帰ってもらおうという魂胆だった。
 しかし酔った松平はタチが悪かった。
「パー子脱げ!」
「はぁああ?」
 絡み酒。これほど鬱陶しい酔い方は無い。
「オジさんは脱いだぞ」
 勝手にな。
 そう言いたいのを堪えて、銀時はパー子というきゃぴきゃぴした設定で困ったように首を傾げてみせた。
「脱げってホラ!」
「んもうスケベ、って触んな離せってコラ‥‥‥‥だぞ!」
 なんとか繕ってみたがそろそろ我慢の限界かもしれない。しかし隣には土方が。
 お妙にヘルプの視線を送ってみたが生憎近藤で手一杯らしい、こちらには目もくれない。沖田は早々に潰れてアイマスクなんて装着してるから視線はどうしたって合わない。
「パー子っ、ほら脱げって早く」
 限界だ。
「‥‥‥‥‥あぁもうやってられっかこのクソジジ」
「帰る」
 松平に掴み掛かろうとした銀時の隣で突然土方が立ち上がった。
 銀時の手を握って。
「はぁ? つか何でパー子の手を」
「こいつは持って帰る」
「お持ち帰りぃい!? オイ、オジさんはそういう技術を伝授した覚えはまだ無いぞ」
 褌一丁でふんぞり返る松平を一瞥し、土方はそのままスタスタ歩いて店を出た。
 片手に銀時を引きずって。



「何だその恰好、醜すぎる」
 店を出て無言で歩くこと十分。
 人通りの絶えた大路で土方は立ち止まった。
「醜いもんかよ。あのグラサンはヘラヘラ鼻の下伸ばしてただろうが。つか気付いてたんならさっさと言えよ」
 握られた手を振りほどくと銀時は傍にあったベンチに腰を下ろした。女物の下駄で歩いたせいで、先ほどから痛くてしょうがなかった。
「あまりの化粧の厚さに最初は分からなかったぞ」
「白粉はそんなに塗ってねーよ」
 肌だけは白くて羨まれるのだ。銀時は懐に入っていた懐紙を取り出すと唇を拭った。べたべたしていて実は気持ちが悪かった。
「女はすげーな。毎日こんだけ支度しねーと外には出ねーっていうんだから」
 ついでに鬘もとった。バレたらもうとことん素に戻ってやることにした。
「女装みてえだな」
「言ってろ。銀さんはもう何を言われても傷つかないからな」
 下駄を脱ぐと両手に持った。そして素足で立ち上がる。
「けぇるわ。連れ出してくれて一応ありがとよ」
 そのまま万屋に向かおうとすれば、翻った袖を誰かに掴まれた。
 誰かなんて、今は一人しかいないけれど。
「‥‥‥‥‥なんだよ」
「お前、立派な不審者だぞ」
「そうだな。不良警察官と同じくらい社会にとっては問題だな」
「‥‥‥‥‥乗れよ」
 袖を引っ張られて引き戻される。そして目の前には屈んだ土方が、背中を差し出していた。
「じゃ、遠慮なく」
「ーーーーーオイっ、誰が足蹴にしろって言った!?」
「違うの?」
 土方の背中にぐりぐりと足を押し付けてやったがどうやら言葉の相違があったらしい。
「おぶってやるって言ってんだ!」
 闇夜に照れた男の上擦った声が響いた。
 しばらくして。
「はいよ」
 銀時は黒い背中に身を寄せた。ふわりと体が浮いて、自然と笑みが浮かんだ。
「なんだか今日は優しいね〜」
「今日だけだぞ」
「俺に惚れた?」
「ありえん」
「ハハっ」
 銀時の吐息が土方の首筋にかかる。瞬間びくりと体が動いたが、銀時は気付かないフリをした。
 大路には点々と電飾の光が灯っていた。昔はどれも蝋燭の火だったというのに、今では人工の火が街を灯していた。
「おんぶされんのなんて何年ぶりだろ」
 昔、こうしておんぶされて提灯の灯された路地を進んだことがある。
 人口の火に灯された世界には及ばない、薄暗かった幼少の頃。

『銀時、怖くはないか?』

 提灯が途切れるたびにそう聞いてくるのは、自分をおぶってくれていた幼馴染だった。
「おい、足ぶらぶらさせんじゃねえよ」
「すいまっせ〜ん」

『銀時、もう少し大人しく出来んのか』

 よく注意された。
 だったらおんぶしてやるなんて言わなければいいのに、律儀な幼なじみは銀時が怪我するたびにおぶって家まで連れ帰ってくれた。膝を少し擦りむいただけでもだ。

『銀、自分で歩けよ』

 時折もう一人の幼馴染も隣を歩いていた。
 ちらりちらりとよこされる視線に、代わってやろうかと何度も言ったがその度にいらねーよブスと言い返されていた。

『女子は守ってやれと先生が言っていた。だが銀時、お前はどうしてそう素直に守られてくれんのだ』

「女だって戦うときは戦うんですぅー」
「はぁ?」
 訳の分からないことを言い出した銀時に、土方は怪訝な表情で振り返った。銀時はただじっと、人工の火を眺めるだけだ。

『刀よりも手鏡を持て』
『可愛くねー女』

「万屋?」
 ぼぅっとしたまま遠くを眺める銀時に、不審に思って土方は何度も呼びかける。しかし銀時は一度も答えない。瞬きすらしていなかった。

『銀時、ほらしっかり掴まれ』

「ぐぉおおっ」
「ん? 何やってんの多串君」
「てめっ、首っ」
 思い切り締めていた。
「あぁゴメン。なんか無意識に」
 さっと緩めると今度は肩に置く。恨みがましい視線が向けられたが、へらへら笑って受け流した。
 もうすぐ万屋だ。あと二回、角を曲がれば着いてしまう。
 昔はそれが嫌だった。家には誰もいなかった。
 幼馴染の頭に頬を寄せ、帰りたくないと無言で示したものだった。

『銀時、寂しいのか?』

「っおい、万屋っ、」
「はい?」
「ーーーーー別に、」
 土方の髪に頬を擦り寄せ、肩に額を押し付けた。その間、銀時はまったくの無意識でやっていた。
 土方はもう何も言わない。言えない。
 一回、二回と角を曲がり。
「‥‥‥‥‥着いたぞ」
 銀時が顔を上げれば。
「まだ、電気付いてんな」
 二階の窓が明るかった。時折カーテン越しには影が動いていて、それを見上げて銀時はぽかんと間抜けにも口を開いて停止した。
「なに馬鹿面してんだ?」
 しばらく銀時は呆然としたまま動かなかった。しかしその表情が、みるみると緩んでいく。
「‥‥‥‥‥我が家だ」
「は?」
「ありがと」
「へ」
 土方の頬にちゅっと唇を落とすと、銀時はすばやく地面に降り立った。そして軽い足取りで二階へと駆け上る。
 カンカンカン、と薄い鉄でできた階段が軽快な音を立てていた。
「ただいまー」
 銀ちゃんお帰り。
 お帰りなさい銀さん。
 そんな声が聞こえてきて。
 そして一階、つまりは地上では。
 顔を真っ赤にした土方が、暗い夜道でしゃがみ込んでいた。

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