それは天使か悪魔か

  02  


 我が弟ながら、碌なことをしない。
「姉さん、許してよ」
 椅子に座り、偉そうにふんぞり返る一護の組んだ足に、ザエルアポロが哀れっぽい表情でしがみついてきた。一護は不快げに眉を寄せ、足を組み替えると同時に弟を蹴り上げた。
「触るな」
「姉さん‥‥っ、」
「薄汚い卑怯者め」
 既に痛めつけた弟を睥睨し、一護は苛立った様子で立ち上がった。
「どこに行くのっ、」
 再び縋ってくる弟を鋭い視線で制す。言わずとも分かっているだろう。
 弟に吐かせた情報では、ネリエルの頭を割った後に、虚夜宮の外の砂漠に捨てたという。一緒に捨てられた従属官二人はそのとき意識があったと聞くから、あの二人ならばネリエルの傍を離れまい。
 虚圏の砂漠は広い。しかしこちらが分かりやすいように霊圧を放てば、あの聡い従属官達ならば気付く筈。
 気がかりなのはネリエルの傷だ。そう簡単に死ぬような友人ではないと知ってはいるが、心配だった。
「無駄だよ、姉さん! ネリエルは今頃っ、」
 言いかけて、ザエルアポロは口を閉ざした。一護は足を止め、視線を逸らす弟を振り返った。
「ネルは、今頃なんだって?」
 まさか死んだとは言わないだろうな。
 無二の親友を陥れた男の手助けをしただけでも許し難いというのに、これでネリエルの死亡を伝えてみろ、同じ目に合わせてやる。
 明らかに様子の変わった一護に驚き、ザエルアポロが息を呑んだ。
「言え。ネルがどうした」
「‥‥‥‥些細な、ことなんだよ、」
「些細かどうかは俺が決める。言え」
 殺気の籠った一護の声に観念したのか、ザエルアポロは真相を告げた。



 飛び出していった姉の後ろ姿が見えなくなったところで、ザエルアポロに声をかける男がいた。
「情けねえ。姉貴に凄まれて、簡単に吐いちまうなんてな」
 ノイトラ。
 すべての元凶。この男が、ネリエルを倒したのは自分だと触れ回るから。
「出ていけ。姉さんの自宮だぞ」
「許してよ、かぁ? ハハハ!」
「黙れ、ノイトラ。よくここに顔が出せたな、姉さんに殺されてもおかしくはないというのに」
 痛めつけられはしたが、殺されなかったのは身内の贔屓だと思いたい。弟に対して関心の無いフリをしているが、一護が自分を見るときの目は、ときどき困ったように揺れ動くことを知っている。
 ほんの少しだけ見せてくれる一護の感情が、ザエルアポロにとっての救いだった。
「気に食わねえ」
「なんだと?」
「ネリエルだけかと思っていたがな。もう一人、いやがったか」
 嫌な予感、いや確信だ。
 ノイトラの目が、新たな獲物を見つけたと言わんばかりに細められる。
「やめたほうがいい。姉さんは、ネリエルとは違う」
「同じメスだ」
「僕の姉さんを愚弄するのかっ!?」
 普段の冷静さをかなぐり捨てて、ザエルアポロは掴み掛かった。呪いの言葉を吐き散らそうと唇を開き、しかしやめた。何かを思いついたように両目を見開くと、ノイトラを突き放し、ふらふらと後退した。
「そうか、それも、いい‥‥」
 良案だ。
 発作的に笑いがこみ上げる。面白い、思いつきにしては。
「利害の一致だ、ノイトラ。姉さんをやるぞ」
 冷たさの中に喜びを滲ませ、ザエルアポロは計画を話した。今回もネリエルのときと同じ、幻影を見せ、油断を誘ったところで後ろから襲う。
「ただし殺すな」
 殺してしまっては計画が台無しになる。大事なのは、無力になった一護なのだ。
「そうする必要は?」
「十刃を引きずり下ろされ、万一子供になった姉さんが唯一縋れるのは誰だ?」
 もう一人の弟か? 違う。あんなカス、なんの役に立つ。
「‥‥‥気持ちの悪い奴だな」
 心の底から言っているに違いないノイトラに、ザエルアポロは礼を述べた。もちろん皮肉だ。
 そう、何も一護に跪く必要はない。傍にいられればそれでよかった。ただ物心ついたときには、ザエルアポロにとって一護は絶対的な君臨者だった。従うべきは藍染ではなく、一護だった。一護に、愛されたかった。
 しかし。
「いつまでも同じ位置に立ち続けるのは愚者の行いだ。高みを目指してこそ、とは思わないか?」
「確かにその通りだがな、てめえのそれは変態的だ」
「ありがとうと言っておくよ」
 ザエルアポロは目の前の椅子に目を向けると、変質的に笑った。
 姉さんの座っていた椅子。
 歩み寄り、触れた。まだ温もりが残っている。
「ここに座り、姉さんを見下ろすのはこの僕だ」
 考えるだけでぞくぞくする。
 ザエルアポロは、異常な興奮を覚えていた。

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