年上の男  


 下校した一護を迎えたのは見知らぬ男だった。
「お帰りなさい」
 しかもうちのスリッパなんか履いている。それは親父の。
「誰だよオッサン」
 怪しい。泥棒だ。うちに金なんて無いぞ。
 睨み上げる一護の不穏な気配を察したのか、男は両手を振って弁明した。
「覚えてない? 僕だよ僕! 京楽のっ」
「知らねえ」
「一心さんの後輩っ、小さい頃一緒に遊んであげたんだけどなー!」
 必死に言い募る京楽という男の顔を一護は無遠慮に観察した。歳の頃は確かに父と同じくらいだろう。学生結婚だった父は、見た目よりもずっと若い。
 目の前の男も三十半ばにさしかかった辺りだろうか、上品に生やされた髭が男らしさと同時に怪しい色気も演出していた。スーツ姿が嫌味なほど似合っていて、この男が堅気ではないと一護に思わせた。
「出身大学は? 何年卒業?」
 取り調べる刑事のように、一護は小さなことさえ見逃さないと鋭い目をして男を見た。「まいったな〜」と苦笑いする男はよどみなく一護の質問に答えた。しかしそれに飽き足らず、聞いてもいないことをぺらぺらと喋りだした。
「君が自転車に乗れたのはこの僕が」
「覚えてねえよ」
 一護は靴を脱ぐと、男の脇をすり抜けて居間に行った。診療所は本日休診だから、いつもはソファでくつろぐ父親がそこにいる筈だった。
「一心さんなら出かけてるよ。石田病院に行ってる」
 病院の名前は知っていた。同じクラスの男子の父親が院長を務めている大病院だ。
「留守番頼むって行っちゃったんだよね」
 一護は家の電話に直行した。携帯はまだ持たせてもらえない。すばやくボタンを押して『親父の携帯』と出すと、一護は電話をかけた。
 中々出ない。いるのは病院だから出られないかもしれないとは思ったが、一護は辛抱強く待った。
『‥‥‥‥‥黒崎の携帯だが』
「石田のおじさん?」
『娘か』
「一護です。なんか家に知らない男がいるんだけど、親父に代わってもらえませんか」
『ここにかけてどうする。警察にかけなさい』
「親父の後輩だって」
『知り合いを名乗るのは犯罪者の常套手段だ。警察には私から』
「ちょっとちょっと石田先輩っ、僕なんですけど!!」
 いつの間にか一護の近くで聞き耳を立てていた京楽が受話器を奪うと捲し立てた。
『誰だ貴様は』
「京楽です。覚えていませんか」
 やばい、という顔をした京楽がちらりと一護を見る。スピーカーに切り替えていた一護には会話が筒抜けだった。
『京楽、京楽‥‥‥‥‥‥あぁ、女性教授と関係を持ち大学に乗り込んできた夫と刃傷沙汰に発展して退学させられそうになったあの京楽か』
「‥‥‥そうです、その京楽ですよ」
 参ったと片手で顔を覆う男を、一護は呆れたように見つめた。疑惑は晴れたが、この男が信用なら無いことには変わりはない。
『娘に手を出すなよ』
「出しませんて! 一心さんに早く帰ってこいって言っといてくださいね!」
 乱暴に電話を切ると、京楽は誤摩化すようにえへへと笑いかけてきた。一護は警戒感も露に睨み返すと、二階にある自分の部屋へと駆け上がった。



「おかえり〜」
「ただいま」
 下校した一護を迎えたのは見知らぬ男、ではなく既に顔見知りとなった男だった。
「親父は?」
「買い物に行ってるよ」
 どこかうきうきとした調子で答える京楽を横目で見て、一護は二階へ上がろうとした。しかし腕を引っ張られ、次にはもう唇を塞がれていた。
 一護は両手をぎくしゃくと動かし、やがては広い背中に回した。大きな体に覆い被さられて、一護が一歩後ろに下がると壁にぶつかった。そのまま押し付けられて、深く口付けられた。
 どれほどそうしていたか分からない。遠くのほうで、下手くそな歌が聞こえてきたと同時に二人は体を離した。
「おう、京楽、帰ったぞ!」
「お帰りなさい、先輩」
「一護、帰ってたのか」
「‥‥‥‥‥うん」
 不自然に顔を赤らめていた一護だったが、一心は気にしなかったようだ。買い物袋を下げて、台所へと消えていった。
 その後ろ姿を見送ったところで一護はまたもや唇を塞がれた。
「っちょ、親父が」
「スリルあるね」
 色っぽい声で囁かれて一護は押し黙った。年上のくせにこうやって子供みたいに仕掛けてくるから一護は困る。「京楽、お前も食ってけ!」
「はーい」
 陽気に返して京楽は片目をぱちりと瞑ってみせた。そういう気障な仕草がとても似合う。
「ねえ、今度泊まりでどこか行こうよ」
「無理っ」
「決まり」
 一護の抗議は受け入れられなかった。塞がれた唇で、一護は呻くだけだった。

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