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  その人は優しさでできている  

「東仙隊長! 聞いてください!」
「馬鹿野郎! 俺が先だどけよ!」
 最初に入ってきた修兵を背後から蹴り飛ばすと、一護はスライディングの要領で、東仙の目前へと正座した。
「どうしたんだい」
 おっとりまったりと聞き返されて、一護はぱっと頬を染めた。この穏やかな死神の前で汚い言葉を使い、しかも直属の部下を蹴り飛ばしたのだ。急激に自分のしたことが恥ずかしくなってしまった。
「気にしないで。修兵は男の子だからね、ちょっとやそっとじゃ死なないよ」
「あ、そうなんですか。良かった」
 良くない。修兵は抗議したかったが、東仙の言ったことだ。否定するのは憚れる。
「それで、何かあったんだろう?」
「そうなんです! この野郎、じゃない、こいつ?がっ」
 三人称をどうすればいいのか分からない一護を微笑ましい視線で東仙は見守っていた。目は見えないが、今一護は必死になって自分に説明しようとしているのだろう。
「俺が寝てる隙に、唇くっつけようとしたんですよ!」
「おやおや」
「最低ですよね!? 寸前で目が覚めてぶん殴ってやったけど!」
「それは勇ましいねえ」
 にこりと微笑まれて一護は有り余った怒りをどうすればいいのか分からず、とりあえずもう一度修兵を殴ってやろうと振り返った。
「東仙隊長、俺の話も聞いてください!」
「言い訳しようってのか、黙って俺に殴られろ!」
 どたんばたんと暴れる音が東仙の高度な聴覚を刺激する。とりあえず収まるまで茶でも用意しておこうと、東仙は腰を上げて湯を沸かしに行った。





 東仙の知る修兵は見た目のワルさ(見えないが、よく同僚達からパンチの効いた外見だと言われる)で荒っぽい性格だと思われがちだが、実際には冷静で硬派(どうやら卑猥な刺青をしているらしいが)な青年だと評している。
 その修兵が恋をした。相手は浮竹の隊にいる黒崎一護という若い死神だ。
 ちなみに一度告白して修兵は振られている。

『修兵さんってそういう対象じゃない』

 ばっさり一言で斬られてしまった。
 一部始終を話で聞かされて、東仙はまあそうだろうな、と一護の予想された答えに驚くことは無かった。
 東仙が思うに一護は恋というものをよく分かっていない。それに今は死神になりたてで、周囲の環境に慣れるので精一杯だ。そんなところに好きだという男が現れても、素直に受け入れられるものではないだろう。無意識のうちに避けている感も否めない。
 そう修兵に言ってやると、「それを早く言ってください」と脱力されてしまった。
 だが一度ふられたからといって諦める修兵ではなかった。想いは告げたのだ、あとは押すのみ、とばかりに一護に対して攻めの一手にでた。
 当然被害を被るのは一護だ。
「東仙隊長!」
 知った霊圧が近づいてきて、そして背中に衝撃を感じた。
「すっ、すいません、」
 どうやら石に躓いたらしい。一護は勢いよく東仙の背中にぶつかってしまった。
「大丈夫?」
「はい!」
 はきはきと返事をする一護が微笑ましくて、東仙は頭を撫でてやった。
 撫でられた一護は照れたように頬を染め、はにかんだ。東仙といるとなんだか安心する。居心地がいいとでも言うのだろうか、微笑まずにはいられないのだ。
「何か用があるんじゃないのかい」
「あ、そうだ! 聞いてください、修兵さんがっ」
 東仙はよく修兵から相談を受けていたが、最近は一護からも相談のような愚痴を聞かされていた。話の内容のほとんどが、修兵に対する怒りの言葉だった。
「素手の戦い方、教えてやるとか言ってっ」
 既に言葉に怒りが籠っている。また何かしでかしたな、と東仙は内心溜息をついた。
「しょっちゅう寝技に持ち込むんです! 何とか言ってやってください!」
「それは、すまなかったね‥‥‥」
「ええっ、いや、東仙隊長は謝んなくていいです、悪いのはあの野郎で、」
 もちろん修兵には謝らせて殴って罵倒してやった。当分は口も利いてやらないと固く誓っていた。
「修兵には注意しておくよ。でも、君に迫るな、とは言えないけどね」
「どうしてですか」
 不満だ、という声に東仙は薄く微笑んだ。そして隊舎が近いこともあり、最近の一護には馴染みの部屋となりつつある九番隊の隊長室へと誘った。



 目が見えないのに淀みない動きで茶を入れられるのが一護には不思議だった。きっと随分と苦労してきたのだろうな、と思うと隊長まで登り詰めた彼が一護には増々尊敬の対象になる。修兵が誇らしく東仙について語るのも頷けるというものだ。
 ただ東仙はすごいが部下の修兵はまったくもってなってないと一護は最後に思った。
「修兵は君のことが本当に好きなんだ」
 茶を出され、開口一番にそう言われた。一護は飲もうとしていた口を止め、東仙に視線を向けた。
「‥‥‥‥‥でも、」
「君にはそういう対象じゃない」
「‥‥‥‥‥‥はい」
 なんだか東仙を前にすると一護のなかで罪悪感が生まれてくる。それを感じとった東仙が、小さく首を横に振った。
「それでいいんだよ。必ずしも想いに応えなければならないことはないのだから」
 安心させるような言葉に一護はほっとして、茶を一口飲んだ。本人と同じで繊細な味がして美味しかった。思わず笑みを浮かべると、東仙は話を続けた。
「昔、私にはかけがいのない人がいた。彼女に対する想いが恋なのかそうでないのか、分からなかったけどね」
「東仙隊長にも分からないことってあるんですか」
 その言葉に東仙は少し困ったように笑んだ。部下といい一護といい、自分をどこか誇張して捉えている気がする。
「もしかしたら、恋となっていたかもしれない。けれど彼女はその前に、亡くなってしまった」
「‥‥‥すいません」
 バツの悪そうな声。それに首を振り、東仙は穏やかな心地のまま話を続けた。
「けれど彼女のことは今でも愛しいよ。ただ、そこにはいないだけでね。想う心はそのままだけど、時折それが辛いと思う。あのとき無理にでも引き止めていれば、‥‥‥そう思わずにはいられないんだ」
 きっと引き止めたとき、それが恋だと気付いただろう。けれど現実にはそうはしなかった。恋ではなかったのだ、そのときは、まだ。
「修兵が君を諦めないと言ったとき、私は安心した。目の前にいる人を追いかけ続けられることは、誰にでもできることじゃない。大変だけど、やめてしまえば後には後悔した自分くらいしか残らないからね」
 冷たくなった手を握ったときに、己の臆病さを呪った。せめて近くで見守っていればと、遅すぎる選択が頭をよぎり、胸を冷たく凍らせた。
 だからこそ修兵が諦めずにぶつかっていく姿は見えない眼にまぶしく感じられた。少しの寂寥感は感じるものの、温かい気持ちになれたことは確かだった。
「修兵のことは嫌いかい?」
 首を振る気配を感じ、東仙は安心した。
「嫌いじゃない限り、傍にいることを許してやってほしい。愚痴ならいくらでも聞くよ。だから彼の傍から離れていかないで」
 上司としてではなく、昔後悔した男の言葉として東仙は一護に頼んだ。そして軽く頭を下げると、慌てたよう気配がした。
「頭、上げてください!俺は別に、修兵さんの傍から離れようなんて思ってませんから」
「そう、ありがとう」
 ようやく頭を上げてもらって一護はほっと息をはいた。言っちゃ悪いが修兵にはもったいないほどの上司だ。この誠実さ、少し分けてやってほしい。
「修兵さんのこと、嫌いとかじゃないです。ただちょっと、ときめかないだけで」
「男っぷりが足りないのかな。よく言っておくよ」
 話を聞いていると力技が多い気がする。これまではそれが効いていたのだろうが、一護にはいまいち効果を発揮していないようだった。
 自分は彼女と話をしているだけでも楽しかったのだが、はて世の風潮は変わってしまったのだろうかと東仙はのほほんと考えていた。
「乱菊さんが言ってました。俺にはずっと年上の男のほうがいいかもねーって。どう思いますか」
「‥‥‥そうだね、とりあえず修兵には言わないほうがいいだろうね」
 聞けばきっと落ち込むだろう。そして自分に相談してくるのだ。分かりやすすぎるほどに分かりやすい部下を思い、東仙は自然と笑みをつくった。
「彼を、よろしく頼むよ」
 その言葉に、はっきりと頷く気配がした。






「東仙隊長聞いてください修兵さんが!」
「わー馬鹿っ、言うな!」
 どたどたと足音がしたかと思うと一護が隊長室へと飛び込んできて、そのすぐ後に修兵がやってきて必死に一護の口を塞ごうとしていた。
「いってえ!」
 修兵の声に、おそらく一護が手に噛み付いたのだろうと東仙は推察した。
 近くまで寄ってきた一護の霊圧がいつもよりも乱れている。声も涙まじりで、一体今度は何をやらかしたのかと首を捻った。
「どうしたんだい、落ち着いて」
 よしよしと一護の頭を撫でてやると、すん、と鼻をすする音が聞こえた。
「‥‥‥‥修兵、何をしたんだい?」
「それは、」
「俺の胸を揉んだんです!」
 一護の訴えに、東仙は眉根を寄せて修兵を見た。咎めるような雰囲気を感じて、修兵は慌てて弁明をした。
「違います、誤解なんです! 俺はゴミを取ろうとしただけでっ」
「ゴミを取るのになんで俺の胸を鷲掴みにする必要があるんだよ! どれだけでかいゴミが付いてたんだ!?」
「う、うっせー! つーか鷲掴みにできるほどお前、胸無えだろ!」
 その言葉に分かっていてもカチンときた一護は東仙の前だろうが構わずに修兵の胸ぐらを掴み上げた。掴み上げられた修兵は涙目かつ上目遣いにどきりとしたが、一護はそんなこと知ったこっちゃなかった。
「貧乳で悪かったな! 聞いたぞ、てめーでっかい胸の女が好きなんだろっ、どうせ俺は小せえから他のでかい胸した女でも口説いてろ!!」
「な、誰に聞いたそんなことっ、嘘に決まってんだろ、」
 だが明らかに狼狽えた態度をとった修兵に、それは肯定しているのも同じだと東仙は呆れた視線を送った。
 一護にしてみれば恋次から聞いた確かな情報だ。男ってやつは、と同じく呆れた感想を持った。
 二人から同時に呆れた顔で見つめられて、修兵は焦ったように言い募った。
「胸なんて関係ねえよ! 小さくても俺がでかくすればいいだけだし!」
「どうやって」
「揉みしだく」
 一護は無言で修兵の鳩尾に膝を入れた。
「失礼します!」
 そして痛みに悶える修兵を転がすと、足音荒く出ていった。
 気まずい空気が部屋を満たす。
「‥‥‥修兵」
「は、はい、」
 恐る恐る見上げるとある意味悲しそうな雰囲気を醸し出す東仙がこちらを見つめていた。
「‥‥‥‥‥‥ハァ」
「‥‥‥‥‥‥!!」
 溜息。
 何か言われたほうがずっとマシだった。
 居たたまれなくなり、修兵は思わず己の顔を覆った。




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