ライバル
「やめんかっ、五郎!」
「ワンワン!」
狛村が声を上げたときには時既に遅し。
がぶりと噛み付く犬を片手にぶら下げ、一護は呆然とした。
「一護、大丈夫かっ。五郎っ、これ、離さんか!」
「ガルルルル‥‥」
こ、の、クソ犬ー!
と思ったが、一護は我慢した。
七番隊で可愛がられているという犬の五郎に会いに来たのは、秋の陽射しが柔らかい昼どきだった。一護と付き添いという名目で無理矢理ついてきたルキアと一緒になって、話に聞く五郎と面会を果たしたのはつい先ほどのこと。
狛村の巨体の横で、五郎は大人しくおすわりしていた。賢い子だな、と一護は感心したものだ。しかし五郎と目が合った瞬間、五郎がもの凄い勢いで一護に飛びかかり噛み付いていたのが三十秒前。
「は、ははは‥‥、大丈夫です、‥‥‥ご、五郎は可愛いなー!」
「一護、もの凄い汗だぞ」
端で見ていたルキアが呆れ顔で指摘する。
しかしここでこの五郎を締め上げるわけにはいかない。五郎は一護の想い人、狛村左陣の愛犬なのだ。
そんな一護の気遣いも知らず、犬の五郎は威嚇の唸り声をあげて、一護の腕に噛み付いていた。いまだ成犬にはなっていないが、その鋭い牙は一護の腕に血が出るほど食い込んでいる。
それでも一護は我慢した。口元を引き攣らせながらも、五郎の頭を撫でてやった。もちろん噛み付かれたままで。
「いやっ、ほんと可愛いなぁっ、っこ、こいつぅ〜!」
「一護、目がちっとも笑っておらんぞ」
見かねたルキアが後ろから五郎を引っ張って離してくれた。五郎はルキアの腕に大人しく抱かれている。
なんだ、この差はなんなんだ。いまだショックが抜けきらない顔で、一護はくっきりと歯形のついた腕を見下ろした。
「すまぬ、一護」
眉間に深い皺を寄せ、狛村が怪我をした一護の腕をそっと取った。懐から取り出した手拭を巻かれ、詫びるように撫でられる。恥ずかしくて嬉しくて、一護の顔に血が上った。
「ワンワン!」
寄り添う二人を見た五郎が激しく吼え立てた。一護は少しの優越感を感じてしまった。
狛村が巻いてくれた手拭。あとで綺麗に洗って返しにいこう。会う口実ができたことに、一護は口元の笑みを抑えきれずにいた。
「っあ、五郎っ!」
しかし幸福な時間は続かない。ルキアの腕から抜け出した五郎が、狛村の足下までやってくると、尻尾をぱたぱた、甘えた声をしきりにあげた。
「どうしたのだ。いきなり人に噛み付くなど」
嗜める言葉を言うものの、狛村は五郎を抱き上げると耳の後ろを掻いてやった。気持ち良さげに目を細める五郎がこちらを見て、フンと鼻を鳴らした。
「この野郎‥‥っ」
「一護?」
「いえ! あ、あのっ、俺も五郎を抱っこしたいなー!」
思ってもいないことを告げ、一護は両手を差し出した。すぐに五郎が唸ってくるが、愛犬をそこまで気に入ってくれたことに狛村も感銘を受けたのか、あっさりと一護に五郎を渡してくれた。
五郎は一護の腕の中でそれはもう暴れる暴れる。ときには噛み付こうとまでしてくるが、一護はそれを力づくで押さえ込み、不格好だがなんとか抱っこすることに成功した。
「もこもこで、なんかこうっ、抱きつぶしてやりてえなあ!」
「ぐるるるる‥‥」
「一護、目がマジだぞ」
暴れる五郎とほぼ格闘に近いスキンシップをしていると、一護はある事実に気がついた。
ある筈のものがない。
「おやまあ」
ルキアが驚いた声を上げ、五郎を覗き込んだ。
そう、五郎は雌だった。