闇を振り切るスピードで

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  参、墜落  


 目立つオレンジ色を隠すように、一護はキャップを被り外へと出た。
「‥‥‥‥あっちぃ」
 陽射しが強い。アスファルトで舗装された道路は陽光を跳ね返し、上からも下からも一護の肌をじりじりと焼いた。
 特に用なんて無かったけれど、一護は当てもなく歩き続けた。途中、手を繋いだ子供達が一護の横を元気な声を上げて走り抜けていく。それを見て可愛いと口元を綻ばせ、そして一護も走り出した。
 義骸はまだ慣れないからか、走ると違和感が付きまとう。それでも胸が弾んで仕方ない。
 汗が散り、心が躍る。
 思い切り走りたい、走れ、走れ一護。

 自由だ。
 ここは、天国。






 一護が姿を消してひと月。
 恋次は知り合いに声をかけそれとなく一護についての情報を聞いてみたが、あてにできるようなものは何一つなかった。
 現世へと赴けば虚よりもオレンジ色の色彩を探して視線が彷徨うばかりだった。
 どこにいる、一護。
 逢いたい。
「随分長くかかったのだな」
 無感動に響く声音に恋次の指が震えた。
「‥‥‥‥‥いけませんか」
 暗に一護を探して何が悪いと、その目で、態度で示してやった。
 白哉はわずかなりとも表情を変えず、恋次を感情の籠らない目で見返した。それを無礼を承知で恋次は睨み据えるように厳しく目を細めた。
「あれを探していると言うのなら、それは貴様の仕事ではない」
「心配じゃ、ないんですか」
 怒りを押し殺した声は奇妙に震えていた。けれど目の前の白哉の隣に、暗い表情をして立つ一護が一瞬見えた気がして、恋次の怒りは瞬時にして消えてしまった。
「‥‥‥‥‥あいつはっ、」
 何かやるせない気持ちがこみ上げ、地面を踏みしめた。
「あいつは、いつも仏頂面だった。いつも、眉間に皺寄せて、」
 二人並べば似ていると言われた。兄妹みたいにじゃれあって、
「怒ったら唇突き出して、すぐに蹴ってくるし、」
「そのような話を」
「知らないでしょうっ、‥‥‥あいつは、本当に嬉しいとき、少しだけしか笑わないんです」
 白哉を遮って、彼の知らない一護を話す。
「よく花を摘んで、でも不器用だから、自分で花冠なんて作れなくて、」
 だから自分が作ってやった。野原をひとしきり駆けた後は座り込み、一護の為に花を輪にしてオレンジ色の頭に乗せてやった。
 そうすれば一護は照れたように視線を逸らし、ほんの少しだけ唇を持ち上げるのだ。その笑みが好きだった、愛しかった。守ると決めた、筈なのに。
「手を離した俺が馬鹿だった」
 空っぽの手。
 いつも、離れないように二人で手を繋ぎ合っていた。それを離したのは自分のほうだ。
「あんたにはもう、あいつの欠片一つ渡さねえよ」






「細っせえ雲」
 飛行機雲だよ、と隣に座る女の子の霊が教えてくれた。
 上空を飛ぶ飛行物体の尾からは白く細い雲が吐き出され、青空に真っすぐ線を引いていった。それをじっと目で追いかける一護の口はぽかんと開かれていたので、それを見た女の子がくすくすと笑った。
 公園には誰もいない。そこにあるベンチに腰をかけ、一護は魂魄を話し相手に時間を潰していた。
 本当ならば死神として魂葬してやるべきなのだが、霊圧を探り当てられる心配があってそれはできないでいた。おそらくこの地区の死神がやってくれるだろうと期待して、今はすべてを忘れたくてそれ以上考えるのをやめた。
 女の子の霊は急に黙り込んだ一護を心配したように見上げていたが、頭を撫でてやれば満面の笑みを浮かべて抱きついてきた。

「オマエ、美味そうだ」

 考えるよりも早く一護は女の子を抱えベンチを飛び退っていた。間髪入れずにベンチは砕け散り、女の子の悲鳴が響き渡った。
「大丈夫だ」
 突如現れた虚を睨みつけ、女の子を背後に庇うように一護は立つ。
 担当の死神が駆けつけてくる気配は無い。こんなときにと一護は舌を打ち、じりじりと後退さった。
 どうする、ここで死神化すれば感づかれるぞ。
 そんな声が頭の中で木霊する。しかしそれを煩いと一護は払いのけた。
「そいつを連れて下がってろっ」
 即座に義魂丸を義骸に入れて一護は死神となった。忠実な義魂は女の子の霊を抱え上げると戦線離脱する。それを視界の端に納め、一護は斬魄刀に手をやった。
 すぐだ。斬って、そして戻る。
 考えている時間も惜しい。一護は何かを喚く虚の背後を取り、そして刀を振り下ろした。






 夜、一護が泣いていたのを知っていた。
 部屋の前に立てば、押し殺した泣き声が聞こえてきた。幼馴染を呼ぶ声も。
 けれどあの日、突然駆け出し自分の前から姿を消そうとしたあの日から一護は泣かなくなった。反抗的な目が急に萎え、俯いてばかりだった。
 欲しかったのは、そんなものではなかった。
 父である先代当主はまぎれもなく己の娘、白哉と血を分けた兄妹だと言っていたが、それを鵜呑みにしている者はいない。昔、朽木家に使えていた侍女との間にできた庶子だと言うが、父親は別の男だと朽木家の誰もが知っていた。
 執着していたのだ。父は、一護の母親に。
 しかし手に入れられなかった、だから代わりに娘を手にしようとした。血眼で探し、その存在を目にする前に父は儚く散ってしまったが。
 遺言は効力を持って白哉に命令した。一護を探せ、と。
 自分の父を愚かだと、これが貴族の長たる男かと不快に思った。一緒の墓にでも入れるつもりか、死んだ今、探し出して朽木家に迎えてどうするというのだ。
 それでも一護を探す気になったのは、母以外の女の名を呼んで死んでいった父を哀れに思ったからだった。

 そして、囚われた。

 父がそうだったように自分もまた、一護に心を奪われたのだ。
 哀れな父。
 手に入れられずに死んでいった。だが自分は決してそうはならない。
 必ず手に入れてみせる。
 哀れに死んで、なるものか。






「おい、もう出てきていいぞ」
 虚を斬り伏せ、一護は近くに潜んでいる筈の義魂に声をかけた。しかし中々現れない。
 よほど遠くまで行ったというのだろうか。訝しみ、早く義骸に戻ろうと足を一歩踏み出せば、一護の体はそのまま凍りついた。

「見ぃつけた」

 喉の奥がヒュ、と引き攣った。
 悪寒が走る。鳥肌が立ち、汗が一気に吹き出した。
「あかんなぁ。完璧に隠れよ思たら、魂魄放って逃げなあかんで」
「‥‥‥‥市、丸、」
「真面目やなあ」
 ああ、魂魄はボクが魂葬しといたから。
 久しく忘れていたその笑みを、一護は目を見開いて凝視していた。
「そんな怖がらんと、こっちおいで」
 ひらりひらりと手招きすれば、一護は大げさに肩を揺らし、ギンから距離を取るかのように後ろへと下がった。
「どうしたん? ああ、現世に長期滞在したこと、怒られると思うとるん? そんなんせえへんよ、ボクがうまいこと言うといたる」
 だからこっちおいで。
 ギンは一護の義骸を地へと降ろすと、恐怖に顔を歪める一護に近づいた。
「来るなっ」
「なして?」
 ことん、と首を傾げるギンに、一護は斬魄刀を構え直した。
「俺は帰らない、あそこにはもう、帰らないっ。邪魔するって言うんなら、あんたでも、斬る、」
「我が儘言うたらあかんよ」
 その声が背後で聞こえ、一護は怖気とともに振り返る。しかしそれよりも早くギンが一護の首の後ろに手刀を入れた。
「っぁ、」
 びり、とした痛みが一瞬脳を刺激した。立っていられなくなり一護は崩れ落ちる。それを受け止め、ギンは笑みを深めて顔を覗き込んだ。
「これがほんまの一護ちゃんなんやね」
 乱暴な言葉遣いは初めて聞くものだった。けれど似合っている、そう言って、一護の額に唇を押しあてた。
「帰ろ」
 嫌だ。
 唇がそう動き、けれど言葉の代わりに涙が一筋、一護の頬を伝った。

 恋次、助けて、恋次。

 太陽が視界を焦がす。
 瞼を閉じれば、そこは真っ赤に染まっていた。


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