闇を振り切るスピードで

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  六、恋人達  


 恋次の唇は薄くて乾いていた。
 感じるのは血の匂いと血の味。初めての口付けは甘いと聞いたことがあるけれど、血の味だなんて少しも雰囲気がない。
 それでも幸せだった、満たされた。
 自分たちは兄妹のようなものだけど、こうすることに何の抵抗も不思議もない。むしろもっと早くこうやって触れ合っていれば、何があっても離れることはなかったんじゃないかと今は思う。
 何度か重ねれば恋次の乾いた唇も湿ってきて、もっと重ねれば柔らかくなるのだろう。それはきっと気持ちいいに違いない。このまま溶けるまで重ね合って二人が一つになれたらそれは死ぬほど気持ちいいんだと、誰かに教えられないまでも何故か分かっていた。
 本能だ、始めから備わっているやつだ。本当の気持ちよさなんてまだ知らないけれど、恋次とならそうなってもいいと考えた。二人で気持ちのいいことができれば、なんて今考えるようなことでは無いのに頭の中はそればっかりだった。
 でももう終わりが来てしまった。目の前には自分たちを睨み据える美しい人が、刀を抜いて立っている。
 死ぬのかな。
 でも最後の最後で恋次は自分を攫いにきてくれた。無くなったと思っていた絆が再び生まれ、更に強くなった気がする。
 死んだらこの魂はどうなるのだろう。今までたくさんの魂魄を尸魂界へと送ってきたけれど、自分達がどこへ行くかなんて聞いたこともなければ考えたこともない。ただ無くなってしまうのだけは嫌だったから、どこか、どこでもいい、二人で行ければ幸せだと思う。
 神様。いるのか、いないかもしれない。霊王とか学校で習ったけどよく分からなかった。とにかく何でもいい、すべての魂に行き先があるのなら、このまま二人、同じところに送ってくれよ神様。
「‥‥‥‥‥れんじ」
 言いたいこととかたくさんある。でもそれはまた今度。
 死んでも一緒だから、そのとき話すよ。










 どこからか飛んできた花びらが白哉の視界を横切り消えていった。
 それと同時に、忌々しい男の笑い声が聞こえる。
「ごきげんよう」
 ちらとも見ずに去ろうとすれば、あれから何かと絡んでくる男は案の定隣に並び、白哉の嫌いな笑みを浮かべて勝手に話しかけてきた。
「いい天気ですなあ。こういう日はどこか野っ原にでも行って、微睡みたいもんやと思いません?」
「ならばそうしていろ」
 暗に去れと言われてもギンは笑みを貼付けたまま歩調を合わせて着いてくる。取留めの無い話題を振り、白哉が無視して取り合わなくても、構わず腹の底の見えない会話を仕掛けてくる。
 やがて核心に触れる言葉を吐いた。

「何で殺さんかったんです?」

 ギンの声を聞き流していた白哉はそれだけには反応を表した。わずかに上がった視線がその証拠だ。
「さすがの朽木はんも、好いた女は殺せんかったゆうことですか」
 相変わらず嫌味なほどに整ったその顔は今は微動だにしない。何も無い空間を見つめ、自分の存在すらも忘れているのではないかと疑ったほどだ。
 沈黙のまま、廊下を歩く。誰一人としてすれ違わない。人通りの少ないそこを隊長格二人が歩いているのを見れば誰もが避けて通るだろうが、今はそれがありがたい。
 そして、はぁ、とギンは大げさに溜息をついた。
「お互い損しましたなあ。ボクとしては朽木はんと阿散井君が相討ってくれたら一番良かったんやけど」
「悪趣味な男だ」
「っへ!」
 笑ってそうだと言えば、白哉は気分を害した様子も見せずにギンを一瞥した。
「貴様の思い通りにはいかぬ」
「朽木はんに言われたないわな」
 結局負けたのだ、自分達二人は。
 一護と恋次、それに相対する白哉の光景をギンは遠くから眺めていた。
 恋次と白哉のその攻防の間に一護をかっ攫おうと、漁夫の利を狙っていたのだ。結局はそんなこと、できなかったけれど。
「‥‥‥‥‥もうずぅっと、決まっとったんやもしれん」
 あの光景がすべての答えになっていた。
 一護が最後に見せたあの笑みが。
 白哉は無表情のまま、ギンが何を指しているのか分かっていて無言でいた。燻る炎は見えないけれど、あれはそう簡単には分からない。
「これからは嫌われんように気をつけます。まあ、ちょっとでも綻び見せたら付け狙わせていただきますけど」
 あんたさんもそうでしょ、と視線に乗せれば、白哉の視線が動き、そうだと言われた気がした。
 やはり炎は燻ったままだ。随分と大人しくはなったようだが燃えていることには変わりない。
 珍しく意見が合ったことをおかしく思ってギンは声を上げて笑い出し、二人以外はいない廊下にそれが朗々と響き渡った。






 くすぐったい。
 何かに頬をくすぐられて、恋次はそれを払いのける。それでも何かはしつこく頬や唇、額をふわふわと掠めるように通過して、いい加減眠っていられなくなった恋次は目を開けた。
「やっと起きた」
 目と鼻の先にはオレンジ色の知らない花。どうやらこれでくすぐられていたらしい。
 犯人は笑って、花と同じようなオレンジ色の髪を風に揺らしていた。
「おい、やめろ」
 今度は鼻の穴に入れようとしてきたので、恋次はそれを奪い取り、悪さできないように体を抱き込んだ。そして唇を塞ごうとすれば、塞がれたのは自分のほうだった。
 周りには誰もいない、あるのは花だけだ。野原の真ん中で男女が睦合うはしたない音が草の擦れ合う音に混じって響いていた。
 一護の着ている高級な着物はすでに乱れていて既に何度かいたしてしまったことが伺えるが、そんなことを知っているのは自分達だけだ。もう一度、いや何度でもしたいと思って何が悪いとばかりに、恋次は着物に手を入れ一護の素肌を撫でた。
「っあ、‥‥‥だめ、」
「あぁ」
 駄目はやっていいってことだと勝手に解釈して一護を組敷いて下半身を押し付けた。一度は引いていた熱が気付けばもう高まっていてそれが顕著に現れている。それを無言で示して簡単に結ばれた腰帯を引っ張れば、一護のキツい平手が飛んできた。
「だからっ、駄目だっつってんだろ!」
「何でだよっ」
 胸の際どいところまで見せておいてそれはないだろと抗議すれば大事なところを蹴られて恋次は悶絶した。
「今日は兄貴が早く帰ってこいって言ってたんだよ」
「何だよそれ、俺と朽木隊長とどっちが大切だ」
「兄貴」
「嘘つくなよっ、おいっ」
 一護は恋次を無視して乱れた着物を直していた。濃い青のそれは少し汚れたくらいでは目立たない。自分に襲われると分かっていてその色を選んだのかと勘ぐってしまう。
 今日はもうお終いだ。体はまだ十分に熱を欲していたけれど、恋次は諦めて草の上に寝転んだ。
「拗ねるなよ」
「拗ねてねえ。不機嫌なだけだ」
 どちらも変わらない。子供っぽいそれに一護は苦笑し、寝転ぶ恋次のはだけた胸板に頬を寄せてきた。
「好きだよ」
「だったらヤらせろ」
「今度な。そんときは屋内を希望する」
 最近色気を増した一護はもう子供だなんて言えなかった。自分がそうさせたかと思うと愛しさがこみ上げて、先ほどまで感じていた不機嫌が嘘だったかのように恋次は嬉しげに頷いた。
「じゃあな、もう行くから」
 一護が胸板に唇を押し付けて、上目遣いに切なげな表情をした。自然と顔が近づいて優しく唇同士が触れ合えば、しばらく口付けの音だけが二人の耳を刺激した。
「‥‥‥‥れんじ、」
「一護」
 舌足らずに呼ぶ一護の声。
 甘えるそれになるときは、決まって恋次にとって嬉しいことを言ってくれるのだ。
「やっぱもっかい、しよ」
 野原に倒れ込み、甘い花の匂いが二人を包んだ。
 一本一本指を絡ませる。少しの隙間もないくらいに二人は体を寄せ合った。

 ただの一護とただの恋次。
 もう離れないと、きつくその手を握り合った。


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