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  素敵なこと言いたくて  

「ぶさいく」
 初対面でそれは失礼だ。
 だが反論しようにも言った相手は非の打ち所の無いほどに整った顔をしていたので、一護はうぐぐと口ごもった。それに自分が美人だなんて思っちゃいない。本当のことを言われただけだ。
「‥‥‥すいません」
 なんで謝ってるんだ俺、と思ったが言ってしまったものは仕方ない。認めたも同然のそれに相手はさぞや嘲った顔をしているだろうと予想していたのだが、意外や意外、美しい顔をぽかんとさせていた。だがそれでも綺麗だった。
「いいね」
「は?」
 微笑を浮かべるとその人はこれまた綺麗な指を伸ばして一護の前髪をはらった。
「気に入った。ぶさいくだけどね」
「‥‥はあ、」
「きびきび喋りなよ。ぶさいくに拍車がかかる」
 そうは言われてもいまいち理解しきれていない一護は曖昧な表情を浮かべて、何を喋ればいいのか分からないというふうに黙ってしまった。
「おいで。仕事を教えてあげる」
「あ、はあ」
 繋がれた手に狼狽えた。
「僕の言うこと聞いてた?」
「え、あっ‥‥はい!」
「よろしい」
 ぶさいくなのにどうして触れるんだ。
 ぶさいくなのにどうして微笑むんだ。
「一護」
「はい」
 ぶさいくなのに、優しい力で手を握らないで。




 十一番隊の隊員は誰も彼もが不真面目だ。書類なんてものはとにかく書けばいいと言わんばかりで、その内容は支離滅裂でいい加減、ついでに字も汚かった。
 そもそも隊長が真面目に書類を捌こうとしない。副隊長もそれに輪をかけて仕事をしなかった。
 第三席は喧嘩上等で、第五席はそこそこ仕事はするものの、やはり十一番隊の気質なのか書類作業はそれほど真面目には取り組まなかった。
 そして最近入隊し、あっという間に第四席に昇格した一護は根が真面目なのが災いして、苦手ながらも一人黙々と書類を処理することが日常茶飯事となってしまった。
「書類作業なんて十一番隊のする仕事じゃねえよ」
「うるさい。他の隊に迷惑かけてなんとも思わねえのかよ」
 十一番隊だけでなく他の隊にも回さなければならない書類を優先的に処理して、一護はだらだらと寝転がって仕事をしない一角を睨んでやった。だがすぐさま視線は書類へと戻り、さらさらと筆を走らせる。
「なあ、一護ーメシ食いに行こうぜー」
「終わったらな」  
 書類が十一番隊で止まってしまい迷惑していると五番隊の隊長に嫌味を言われたことを一護はずっと根に持っていた。
「書類なんか適当にそれらしいこと書いときゃいいんだよ」
「一角、お前が書いたやつ、これやり直しな」
 朱墨で訂正の入った書類を投げてよこすと一護は再び仕事に戻ろうとした。だがキシ、と床を踏みしめる音が聞こえて入り口に視線をやると、そこにいたのは女よりもきれいな男だった。
「一護、食事に行くよ。ついておいで」
「はい」
「えええ!!」
 真逆の態度に一角が納得いかないとばかりに二人を交互に見たが、一護は気まずそうに顔を背け、弓親はにっこりと笑い返してきた。
「一角もいい加減慣れなよ。毎回毎回よくそんなに驚けるね」
「だっておかしいだろ! お前ら本当に付き合ってねえんだよな!?」
 弓親にだけは従順な一護がいまだ信じられないらしい。  その一角の言葉に一護は顔を真っ赤にさせたが弓親は相変わらず婉然と微笑んでいた。
「付き合ってないよ。この子ぶさいくだし」
 ぶさいくと言われて一護はわずかに俯いた。それを見てはらはらさせられるのは一角のほうで、慌てて慰めるように一護の頭を引き寄せてやると、その手はすぐさま弓親にはらい落とされてしまった。
「行くよ。ぐずぐずしないで」
「‥‥はい」
 よろよろと足を踏み出す一護は首輪を引っ張られる犬を連想させた。そして素直に自分の元へと来た一護の頭をよしよしと撫でる弓親は飼い主のようで、なぜ一護はこんな男の言うことを聞いているのか一角には理解できない。
「あー俺も一緒に」
 そもそも食事に行こうと先に誘ったのは一角だ。二人について行こうとしたが、弓親に不機嫌そうな視線を向けられてしまった。
「一角は書類をやり直さないといけないんでしょ。頑張ってね」
 一護の手を握ると弓親は悠然と歩き去って行ってしまった。手を繋いで、それで付き合っていないなんて一角には信じられない。
 弓親とは十一番隊に入隊してからの付き合いは長いが、いまだ何を考えているのか分からないときがある。一護が入隊してからは甲斐甲斐しく面倒を見ていたし、恋人同士かと誤解されるような接触や言動をしていた。だが二人は付き合っているのかといえばそうではないと言う。
 一護はそんな弓親に振り回されていて、弓親のほうはただからかっているのかそれとも本気なのか曖昧な態度を崩さない。
 好きな子は苛めるタイプだと思った一角が弓親を揶揄したことがあったが、そういうのじゃないハゲ、と一蹴されてしまった。照れてそう言ったのかと思っていたのだが、一護に対して時折冷たすぎる態度を見ているとそこには恋情があるのかないのかいまだにはっきりしないのだ。
「弓っちも素直になればいいのにねー」
 いつの間に入ってきていたのかやちるがお菓子を頬張りながら、一護達が消えていった方向を見つめていた。
「素直にって、弓親のやつ本当に一護のことが好きなんすかね。しょっちゅう『ぶさいく』って言って、好きな女に言うような言葉じゃねえっすよ」
「分かってないなー」
「ああ?」
 幼児に恋愛のあれこれが分かるのか。
「好きだからそう言ってるんだよ」
「はあ?」
 訳が分からない。それをそのまま声に出してやるとやちるに仕方が無さそうにため息をつかれてしまった。
「ツルりんてばネンネなんだから」
「そんな言葉どこで覚えてきやがった!」




 握られた手を一護はぼんやりと眺めていた。自分なんかよりも綺麗な指、形の良い爪、そんな手が自分の手を繋いでいる。冷たそうな印象に反して、温かい体温が伝わってきていた。
「ちゃんと前見て歩きなよ。転んだら僕まで巻き込まれるじゃない」
「はい」
 きびきび喋れ、愚鈍な子は嫌いだと言われた。一護は返事だけなら瀞霊廷一かもしれないと密かに思っていた。
「君は第四席なんだから、書類なんて下の席官に任せておけばいいんだよ」
 上席官だからこそ手本とならなければいけないのではないか、以前そう言ったらここは十一番隊だからそんな考えは無用だと言い返されてしまった。手本となるのは戦いだけでいい、戦闘部隊として常に戦いの前線に立つことが上席官の務めなのだと説教をされた。
「でも、」
「僕に意見するの?」
「‥‥ごめんなさい」
 席官は一護のほうが弓親より上だが、それは単に四という感じが美しくないという弓親の美学からあえて五席にいるだけで、実際には実力は弓親のほうがわずかに上だった。
 だが実力や地位うんぬんよりも一護はどうしても弓親に逆らえないのだ。『ぶさいく』と言われても呼ばれれば素直に応じてしまう。
「俯くなって言っただろう?余計ぶさいくに見えるよ」
「はい」
 顔を上げると顔だけ振り返っていた弓親と目が合った。そして薄らと微笑まれて、ああ綺麗だな、と同じことを何回も思ってしまう。
 だがその綺麗な顔がふいに不快げに顰められた。一護は自分が何かしてしまっただろうかと不安になったがどうやら別のことらしい。
「え、‥‥‥あ、九番隊の」
 弓親の視線の方向には九番隊の副官がいた。十一番隊と九番隊は特に仲が悪い。隊長同士がとにかく馬が合わないのだ。そしてその仲の悪さは隊員にまで飛び火していた。
 一護は戦闘向きだが荒くれ者ではない。戦闘以外では大人しいとまではいかないまでも、自分から喧嘩を仕掛けることはなかった。部下同士の諍いを止めるのも十一番隊では一護だけだ。
「行くよ、一護」
「はい」
「一護っ」
 瞬間、弓親の目が細められた。機嫌が悪くなったのだと分かって一護はびくびくと弓親の様子を伺う。今自分の名を呼んだ人間にむかって振り返ろうものなら更に機嫌が悪くなるだろう。
 どうしようと思っている間も、後ろから気配が近づいてくるし、弓親の一護の手を握る力も強くなるばかりだった。
「よう、一護」
 追いつかれてしまった。肩に置かれた手を気まずそうに見ると、それはすぐさま別の手で払い落とされた。
「気安く触れないでくれるかな」
「なんだ、いたのか。気付かなかった」
「ちゃちな挑発は言うだけ品位を下げるってものだよ」
 ぴりりとした緊張感が辺りを支配して、一護は居心地が悪そうに唇を噛んだ。過去に何かあったのか、この二人は隊長同士と同じくらい仲が悪かった。
「唇を噛むなって何度言ったら分かるんだい」
「っ!」
 力の入った唇を解すように触れられて一護は途端に顔に熱が集中するのを感じた。先ほど綺麗だと思った指が唇に直接触れている、それだけで恥ずかしくてたまらなかった。
「お前ら、付き合ってないんだよな」
「だったら?」
「恋人でもないのにそうやって気安く一護に触れるな」
 修兵の言葉にびくりと一護の肩が震えた。
 そうだ、どうして弓親は自分に触れるんだ。『ぶさいく』なのに。
「恋人とか付き合ってないとかどうでもいいよ。そんなものにこだわるつもりはない」
「一護の感情無視して振り回すなって言ってんだよ!」
 怒鳴られた本人は少しも堪えてはいないのに、なぜか修兵の言葉にびくつくのは一護だ。考えないようにしていたことを次々に指摘されてぐらぐらと不安定な心地に陥ってしまった。
「感情なんて関係ない」
「おいっ、」
 その瞬間、とん、とまるで胸の中心を突かれたような感じだった。凄まじい力ではないが確かに核心に触れられたようなそんな衝撃が静かに一護を襲った。あんなに高ぶっていた熱もすっと引いていってしまい、むしろ冷たい何かが一護を支配していた。
「どう思っていようとそんなこと関係ない。この子は僕のものだ」
「‥‥‥俺って、」
 自分の震えた声につられて情けなくも心臓までもが震えたように苦しくなった。泣きそうだ、そう認識した途端、ああ自分は傷ついたんだと理解した。
 じゃあどうして傷ついたのかと考えたら答えなんて簡単で、つまりは、自分は。
「俺って、なに」
「一護?」
「無視してもいい、そんな、存在なのかよ、」
 苦しい。喉の奥が痛くて言葉を吐き出すのも辛くなってきた。
 今ここで泣いたら弓親はきっと醜いと言って顔を不快げに歪めてしまうのだろう。そんな顔は見たくはないし、ましてや自分に向けられると考えるだけで一護は悲しくて仕方がなかった。散々ないがしろにされて、そんなことを今さら気にしてどうすると思ったが、そんな思いはあっという間に消えていった。いつもそうだ、どんなにひどくされても、それでも。
「‥‥‥ちくしょう、」
 汚い言葉は使うなと注意されていたが、今だけは言いたかった。それは弓親にではなく、自分に向かって吐いた言葉なのだから。
「俺、ひとりだけ、‥‥そんなの、」
 馬鹿みたいだと罵った。
 でも人を好きになるのは個人の自由で、自分が想ったことと同等のものを返してもらおうなんて思ってはいけない。理性ではそう思うのに、どうしようもない悲しみとやるせなさが胸をぐちゃぐちゃに掻き回していった。
「一護、どうしたの」
 いまだ繋がれた手が視界に映った。
 繋がれるたび心が温かくなったが、結局手を繋ぐなんてことはただの行動に過ぎなくて、少しも心や想いを反映している訳ではなかったのだ。
 そう理解した瞬間、一護は初めて自分のほうからその手を振り払った。
「‥‥そうだよ、どうせ、俺は、ぶさいくだよ!」
 心はいまやどろどろだ。  一人で勘違いしていた自分が醜く感じてしょうがない。
「ほんと、嫌になるっ、」
 これ以上ぶさいくなところを見られたくない。一護は逃げるように駆け出した。
 去り際に弓親の顔が悲しげに見えたのは、きっと涙で歪む視界のせいだと信じて疑いはしなかった。




 ついには耐えきれなくなってぽろぽろと涙が零れ落ちてしまった。
 泣いた顔を誰にも見られたくなくて、一護は人気のないほうへと無意識に足を進める。誰もいないところに来たら盛大に泣いてやろうと心にきめて。
「一護?」
 ふいに後ろから声を掛けられたが一護はわざと無視をした。
「聞こえておらぬのか。いち、ごぉーーーーー!!!」
 まるで緊張感のないほどに大声で名前を叫ばれてしまい、さすがに無視できなくなった一護は涙を拭い、渋々振り返った。
「お前は、第三席の二人に似てきたな。ルキア」
「どこがだ」
 自分でまったく分かっていないルキアはちょこちょこと一護の傍までやってきた。
 友人のルキアを見下ろして、一度は拭った目がまた潤むのを感じて一護は慌てて顔をそらした。
「どうした、何を泣いている」
「なんでも、ね、」
 ぐすぐすと鼻をすすって早く涙よ止まれと願ったが、少しも言うことを聞かない目はぽたぽたと雫を落としていく。どうして、と思ったが途端に弓親の顔がちらついて、ああそうかと納得してそして涙が一層あふれた。
 どうしようかと狼狽えていたルキアだったが、少しは慰めになるかと一護の背をさすってやった。
 そうされて一護のささくれだった心が少しずつ落ち着いていった。
「ごめん、」
「かまわぬ」
 労るように微笑まれて一護はそんなルキアを綺麗だ、と思った。
 ルキアは小さくて綺麗で、可愛らしい。昔は欲しいとも思わなかったその要素が、最近になって一護は欲しくてたまらなかった。
 女にしては高い背丈、鋭いだけの目、素直じゃない性格。弓親に『ぶさいく』と言われて反論できる筈もなかった。
「いいな、ルキアは」
「? ‥‥‥何がだ?」
 そうやって首を傾げる仕草も可愛い。自分がやればふざけんなと殴られそうだ。
「俺も、‥‥女の子らしくなりたい」
 言った瞬間、何恥ずかしいことを言っているんだと思って一護は顔を真っ赤にさせた。ルキアはどこかぽかんと見上げていて、一護は言わなきゃ良かったと後悔した。
「わりい、今の、忘れてくれ」
 熱くなった頬を冷ますようにぱたぱたと掌で仰いで、一護は踵を返して歩き去ろうとした。だが死覇装の袖を掴まれて引っぱり戻されてしまった。
「一護は十分に女の子らしいと私は思う」
「そんなこと、」
「ある。私はしょっちゅうお前にモエモエするぞ」
「‥‥あ、そう」
 ルキアとつるんでいる内に一護は覚えなくていい単語を覚えてしまった。出会った頃は理解できなかった言葉が今では理解できてしまう自分がなんだか悲しい。
「恋次もお前の笑顔にドキッとすると言っていたし、浮竹隊長は照れた顔を見ると抱きしめたくなると言っていた。兄様は泣きそうな顔が一番そそられると言っておられたぞ」
「もういい、もういいから!」
 特に最後のやつは聞きたくなかった。
「自分では意外と分からぬものだ。お前が気付いておらぬだけで、可愛いところはたくさんある」
 ずっと低いところにある目に真っすぐに見据えられて、一護は恥じたように俯いた。だが弓親の教えを思い出してすぐさま上げてしまったが。
「でも、『ぶさいく』って言うんだ」
「弓親殿か」
 一護と弓親の不思議な関係は護廷で有名だった。恋人同士だと思っている者も少なくはない。実際は違うのだと知っているのは隊長格と上席官くらいだ。
「ほんとのことだし、それに『ぶさいく』って言われても嫌じゃなかった。あの人いつも優しい声で言うからさ」
 ぶさいくは自分にとって悪口ではなかった。むしろ優しい言葉でさえあった。
「でも最近そう言われるのが辛い。どんなに優しい声で言われても、おかしいんだ、俺、なんか悲しいって思っちまって。あの人は綺麗だから、余計そう思うのかも」
 あんなに綺麗な人は見たことがなかった。そんな弓親からしてみれば自分は醜いものに感じてしまうのだろうけど、それでも心のどこかでは何かを期待していた。繋がれる手がその証拠だと信じていたのだ。
「女の子として見てほしい。こんな俺が、馬鹿みたいだけど、でもそう思うんだ。‥‥‥俺、俺は、気が付いちまった。あの人が、弓親のことが」
 それ以上は言えなくて一護は今度こそ俯いた。顔を上げろと言われてももうできない。こんなに醜い自分。俯かずにはいられなかった。
「一護、おそらく弓親殿は」
「僕は君を男と思ったことは一度もないよ」
 涼やかな美声が響いてルキアは振り返ると、そこにいたのは今一護を悩ます人物だった。
「顔を上げるんだ」
 だが一護は顔を上げない。従おうとしない一護に焦れた弓親は優雅な足取りで近づいた。その際ルキアと視線を交わして二人にしてくれという意を込めた。
 二人きりになってしまい一護は居心地が悪そうに背を向けた。
「僕を見るんだ」
 いつもと変わらない、一護に命令する傲慢な声。けれどどこか違和感を感じて一護はちら、と振り返り驚愕に目を見開いた。
「なに?僕が息を切らしているのがそんなにおかしい?」
「だって、」
 走ってきたのか。
 自分なんかを追いかけてくるために。
「僕の手を振り払うなんていい度胸だね」
「‥‥‥俺、悪くねえもん」
 悪いのは弓親だ。
 女の純情を踏みにじったのだ。
 きっと自分勝手なことを思っている。それでも一護はだんだんと腹が立ってきた。
「俺はぶさいくなんだろ!追いかけて来んな!あっち行け!!」
 まるでヒステリー発作みたいに叫んでやった。神経質な女、弓親が嫌いだと分かっていた。
「誰も、ぶさいくが嫌いだなんて言ってない。一度もね」
 そういえばそうだが、言われたほうとしては傷つくのだ。想いを自覚してからはなおさらだった。
 一護はいつの間にか顔を上げて弓親を睨みつけていた。
「いつにも増してぶさいくな顔だね」
「っるさい、」
「泣くほど、僕のことが好きなの?」
 言い返そうとして、それは言葉にならなかった。吸い込んだ空気はただ漏れていった。
 どきどきと鼓動を打つ心臓は決してときめきなんかじゃなくて、不安と恐怖で早くなっていった。
「なんて顔してるの。言っておくけど、いまさらだよ」
「‥‥いまさら、」
 何を言っているのか分からなくて一護の声は掠れ、目の奥がまた熱くなってきた。
 泣き出す寸前の一護に更に近づいて弓親は手を握った。もう振り払われないようにしっかりと。
「『ぶさいく』って言って、君の傷つく顔がずっと見たかった」
「ど、して」
「僕のことが好きだから傷つくんだろう?『ぶさいく』は、そういう意味だよ」
 まだだ、まだ分からない。
 ちゃんと言ってほしかった。
「僕だけ片思いなんて冗談じゃない。そんなのちっとも美しくないよ」
「それって」
「僕は君が好きだよ。ずっと前からね。君も、僕のことが好きだろう?」
 あっさりと告白されて一護はどう反応すればいいのか分からず、とりあえず頷いた。
 こんなときも弓親の余裕の笑みは変わらない。その綺麗な顔が恋に苦しむことがあったのだろうかと一護は考えた。この美しい人が、自分を想って悩んだことが。
「よかった」
「へ」
 なんなんだ、その泣きそうな笑みは。
 というか、手が震えている。
「ああ、緊張した。好きじゃないって言われたらどうしようかと思ったよ」
 それでは遠慮なく、と言われて一護は抱きしめられた。
 細身な弓親は意外と男らしくがっしりとしていて、一護は今度こそときめきで心臓が高鳴った。身長は弓親が少し高いくらいなので、顔同士が非常に近くて一護は動くに動けなかった。
 今まで手しか繋いでいなかったのだ。清い交際、実際には付き合っていなかったが、それからいきなり接近されてはあたふたするしか術がなかった。
「君は可愛いよ」
「ぶさいくじゃなくて?」
「根に持っているね」
 体を離されて二人は向かい合った。そして弓親の指が一護の前髪をはらったとき、同時にちゅ、っと額に唇を押しあてられて一護は固まった。顔の赤みが首まで広がり、もうこれ以上は、と思ったところで涙がぽとりと零れ落ちた。
「あれ、嫌だった? それとも嬉しかった?」
 分かっているくせに意地悪なことを聞いてくる弓親が憎い。
「でも、すきだ」
 ごしごしと目を擦ろうと思ったがやめた。ここは女の子らしく、男の胸で健気に泣こう。
 一護は弓親に抱きつくと、今までの想いを込めて盛大に泣いてやった。




 
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