第一話

戻る 次へ

  帰還  

 統学院では同期。そして共に隊長という地位に就いている。
 浮竹と京楽は自他共に認める親友同士だ。

「そのお二人が昔一人の女取り合ったってほんまですのん?」

 隊首会も終了。さあ帰るかと隊長達が踵を返したとき、この市丸の発言によって皆足が止まってしまった。
 浮竹と京楽も然り。同じように足を止めると互いの顔を無言で見やった。浮竹はどこか気まずそうに眉をしかめ、京楽は笑っているが微妙に顔が引きつっている。
 どうする?と京楽が視線で浮竹に問いかけた。浮竹は首を振る。どうやら言うなという意味らしい。
「本当じゃ」
「山じいっ!」
 だが二人の代わりに元柳斎が答えてしまった。焦ったように京楽が叫ぶが、ひょひょ、と元柳斎は愉快そうに笑って少しも意に介さない。そんな元柳斎に市丸は真っ先に食いついた。
「で、どうなったんです?」
 いつも笑顔の市丸の顔がさらに笑みへと歪められている。市丸だけではない、もう隊首会は終わっているというのに他の隊長達は帰ろうとせずにその場に留まっていた。興味の的になった浮竹と京楽は帰りたくなったが、自分たちがいないところで好き勝手に話されるのも癪なので帰るに帰れない。
「はて、どうだったかのう‥‥。なんせ大昔のことじゃからなあ」
「ああもう、焦らさんといてくださいよ」
「ちょっと山じい、やめてよね」
「先生、悪趣味です」
 教え子の頼みも聞こえていないのか、元柳斎はにやりと笑うと自慢の髭をひと撫でした。
「そうじゃなあ、なんせ二人とも、」


「告白する前に振られたんだとよ」
「「「「「「うわぁ‥‥‥」」」」」」
 一斉に同情の声が上がった。
 隊首会が行われている間、副官達は別室で待機している。そして同じ会話で大いに盛り上がっていた。
 市丸の部下である吉良が会話の口火を切ったのだが、もっぱら喋っているのは浮竹の部下である海燕だった。喋っているというよりは喋らされていると言ったほうが正しいが。京楽の部下の七緒はときどき合の手を入れるくらいだ。
 二人とも最初は渋っていたが、どうせ市丸が聞けば総隊長が答える。そうなれば隠す意味はないだろうと迫られて無精無精話すことになったのだ。
「告白する前に振られたってことは、その人には既に恋人がいたってことですよね」
「いや、それなら奪えばいいだけだろ」
 修兵の野性的な発言に女性陣から冷たい視線が送られる。
 中でも七緒はその潔癖な性格からひと際冷たい視線を送っていたのだが、首を振ると先ほどの言葉に訂正をいれた。
「恋人どころか、」


「旦那がおったからのう」
「「「「「「あぁ‥‥‥」」」」」」
「なに!?この空気っ!!」
 同情と明らかに面白がっている視線が浮竹と京楽に降り注ぐ。もうどうにでもしてくれと言わんばかりに浮竹は右手で顔を覆い、京楽はかぶっている笠を下ろして表情を隠してしまった。
「取り合う以前の問題だな」
「御愁傷様です」
「あ、でも人妻というのもなにやら燃えるものが」
「人妻だったらしょうがないよ」
 浦原の言葉を遮り、東仙から慰めの言葉が贈られる。それにああどうもと二人は適当に返事を返した。もう何を言われても嫌味にしか聞こえてこない。
「腕も立った。学院では十四郎、春水と並ぶほどの実力。‥‥まあ鬼道はさっぱりじゃったが」
 懐かしいと元柳斎が目を細める。
 浮竹と京楽も思い出しているのかわずかに目元を緩めていた。脳裏にはいつだって彼女の姿をはっきりと思い描くことが出来る。
「そして知る者はもう少なくなってしまったが、護廷の隊長も務めておった。更木、お主の隊が戦闘部隊といわれる由縁をつくったのはこの者なのじゃぞ」
「十一番隊の隊長か」
「左様。隊長が鬼道を使えんかったからの、隊員も自然と同じような者達が集まっていった」
「斬魄刀があるんだから鬼道なんか使えなくていいっていつも言ってたよ」
 ほとんど黙って会話に参加していなかった京楽がここで初めて元柳斎に相槌を打った。隣にいる浮竹も軽く頷いている。
「それにしてもお二人が取り合うやなんて、そんなにええ女やったんですか」
「ほっほっ、儂がもうちっと若かったら嫁に欲しかったくらいじゃ」
 無理だろ、と誰かが呟いた。
「卍解したときの姿は美しかったな」
 どこか遠い目をして話す浮竹の言葉にうんうんと京楽が激しく同意する。
 そんな二人に他の隊長達はついていけない。元柳斎だけは意味ありげに笑っているだけで何も言おうとはしなかった。
「その人は隊長を辞めて今はなにを?」
 だが藍染の質問に先ほどまで盛り上がっていた浮竹と京楽は再び黙ってしまう。どことなく落ち込んでいるようにも見えた。
「まさか、死ん」
「でるわけがないだろうっ!!」
「ひゃあ」
 滅多に怒らない浮竹の本気の怒りは珍しい。それも市丸の冗談のような言葉に真剣な顔で否定するのは京楽も同じだった。笠を押し上げて睨むように市丸を見ている。
 常とは違う二人の様子に、その場にいる同僚達は気付いてしまった。

 惚れているのだ。
 今、この時も。




 隊首会での会話から数日たった頃、海燕はいつものように仕事に励んでいた。ただいつもと違うのは今日、客人が来るらしい。
 よほど大事な客人なのか、隊長である浮竹がどこかそわそわとした様子を隠しきれていなかった。それを見て珍しいことだと海燕は内心驚いてた。
「海燕。まだ来ないのか」
 どうやら客人は遅れているらしい。浮竹は心配したように尋ねてくるがそれに海燕は首を振った。
「まだみたいですね。それと浮竹隊長、その質問はほんの数分前にもしてましたよ」
「なにかあったんだろうか。時間にはきっちりしたやつなんだがな」
 聞いちゃいない。海燕は呆れた視線を送るがそれにもまったく気付いていなかった。
「ちょっとは落ち着きなよ」
 同じ部屋にいる京楽はぷかぷかと煙管を吹かしているが余裕な態度のわりには刻み煙草の減りが速い。
 客人というのは浮竹と京楽の共通の友人らしい。この二人の様子から見るにどうやら縁浅からぬ仲のようだと海燕は推測した。
「時間合ってる?明日とかじゃないよね」
「手紙には今日だとちゃんと書いてある」
 京楽の目の前に突き出された手紙には確かに今日の日付と時間が書かれている。その手紙を覗き込んだ海燕は書かれている文字を見て軽く目を見開いた。
 達筆ではないが下手でもない、どこか味のある文字。永い時を生きる浮竹や一見いい加減そうな京楽でさえ書く文字は流麗でまさに手本のようである。そんな二人の友人にしてはどこか子供っぽいというか、豪快というか。歳の近い友人だと聞いてはいるが、海燕はいまいちその人物像が掴めていなかった。
「相変わらず必要なこと以外は書いてないねえ」

『元気か、俺元気。それで‥‥』

 それでの後に書かれているのは日付と会いたいということぐらいだった。会うのは久しぶりらしい。といっても浮竹達からすれば久しぶりというのは百年単位でいわれることだが。
「それにしても何でボクじゃなくて浮竹のところに手紙がくるんだい」
「お前に手紙を出しても読まないと判断したんじゃないのか。何百年経ってもお前のだらしなさは変わっていないと思われている証拠だ」  
 恨めしそうな京楽の言葉に浮竹は意地の悪い答え方をした。普段よりもずっとくだけた二人の様子にその友人が関係しているのだと海燕は思った。
「瀞霊廷の中で迷ってるのかな。昔と随分変わったから」
「以前ならどこにいるのかすぐに分かった。抑えきれない霊圧がいつも瀞霊廷にあったからな」
「でも、ときどきふっと消えちゃうんだよね」
「‥‥‥そうだったな。あのときも、」
 そこで会話が途切れる。この部屋に向かってくる者の霊圧を感じたからだ。だがそれは浮竹と京楽が望む者の霊圧ではない。
 控えめに障子が開かれた。
「朽木、どうした」
「日番谷隊長がいらっしゃっています」
「日番谷君が?」
 何の用だろうと三人が顔を見合わせる。だが今は大事な友人を待っている最中だ、長くなるような用向きなら後日にしてもらおうと浮竹が口を開きかけたとき。
「どうやら迷っていた客人を連れてきたと、」
 びゅん、と何かがルキアの両脇を駆け抜けていった。遅れて風がルキアの髪を撫で上げる。  
 口を開いた不自然な表情のままルキアは固まっていた。見れば部屋には海燕しかいない。
 沈黙の中、海燕のため息だけが大きく響いた。




「迷った」
 久しぶりに来てみれば瀞霊廷は外観はそれほど変わらないものの、居並ぶ建物の数や規模は住んでいた頃よりもずっと大きくなっていた。そのため記憶の中の道を進んでみても先ほどから行き止まりにあたってしまう。
「迷子か、俺。この歳になって」
 ちょっと恥ずかしい。だが本当に久しぶりなのだ、仕方がないと思うことにした。
 約束の時間は過ぎている。なんとかして辿り着きたいのだがどうしようと困っているところに、見慣れたものが目の前を横切った。
「地獄蝶‥‥」
 記憶にあるものよりもずっと美しい。この蝶はこんなにも美しかったかと感動してしまった。
 だがすぐに我に返ると地獄蝶を追いかける。どうやら逃げ出したらしいが後をついていけばどこかの隊の隊舎に着くだろうと淡い願いをこめて。
 その考えは当たった。隊舎ではないがどこかの隊の死神が地獄蝶を捕まえていた。
「あ、おい、」
「!」
 瞬歩で突然目の前に現れた人間に驚いたようにその死神は目を見開く。だがすぐに警戒して見定めるような視線を向けてきた。無理もない、死覇装も着ていない人間が瀞霊廷をうろついていれば不審者だと思われても文句は言えないだろう。
「何者だ。ここで何をしている」
 思わず苦笑する。だがその死神は不審者の腰にある斬魄刀を見てますます顔をしかめている。
「迷ったんだ。怪しいもんじゃねえよ」
「怪しい奴はそう言うんだ」
 それもそうかと納得してしまう。どうするか、何と言えば信じてもらえるだろう。
「ちゃんと門をくぐってきたんだ。騒ぎになってねえだろ」
 その言葉通り瀞霊廷は静寂を保っている。だがまだその死神は警戒を解いていない。
「ここの住人じゃないな。なにしに来た」
「友人達に会いに来たんだ。久しぶりすぎて道に迷った」
「友人?」
「そ。たぶんまだ隊長やってると思うんだけど」
 お前知らね?と軽く聞いてくる不審者にその死神は呆れたように答えた。
「俺も隊長なんだけど」
「なにっ!?」
 よく見れば隊長の証である羽織を着ていた。今気付いたとばかりに驚いている不審者に、死神、冬獅郎は最初ほど警戒するのをやめた。なぜかは分からない。どこか人を安心させる雰囲気のせいなのかもしれなかった。
「すげえな。俺のいたときはお前みたいに小さいやつが隊長なんて聞いたことがなかったぞ」
「小さいは余計だ。その斬魄刀、お前死神か」
「‥‥‥まあな。ずっと昔のことだけど」
 見た目は十五、六の少女、というには男らしすぎるが、にしか見えない。だが言葉の端々から自分よりもずっと年を重ねているのだろうと冬獅郎は推察した。明るいオレンジ色の髪、瞳も同じように煌めいていたが若い外見に反してときおり老成した深い輝きを発していた。
 ときどき目を細めて冬獅郎を見る仕草は年かさの隊長達を思い出させる。
「お前の名は?」
 信じてもらえたのだろうか。オレンジ色の少女はにかっと笑うとその名を紡いだ。




「一護っ!!」
「一護ちゃんっ!!」
 名を呼ばれ顔を上げる。懐かしい顔がふたつ、そこにはあった。
「おう。久しぶりだな」
 手を挙げて答える。その軽い仕草と返事は数百年と会っていない友人達に向けるには気安すぎるものだった。だがそれを向けられた浮竹と京楽は気に介すどころか走ってきた勢いのまま一護に抱きついた。
「うおっ、」
 予想以上の熱烈な歓迎っぷりに一護はたまらずたたらを踏む。浮竹と京楽の大きな手や体は昔のままだ、ただこんなにも力強かったかと記憶との相違に一護はすこし戸惑ってしまう。
 平均よりも大きい二人の体にぎゅうぎゅうと抱きしめられて一護の姿は他からは見えない。だがそんなことよりも一護は苦しさと戦っていた。
「おいっ、いい加減に離れろっ!!」
 だが聞こえていないのか聞いていないのか、二人は一向に離れようとしない。
 仕方なく一護は拳に訴えることにした。
 ごいんっ、と二発。頭部に見舞ってやる。
「い、痛いっ、」
「相変わらず、だな、」
「久しぶりだろ、じじい仕込みの拳骨」
 拳をかざし、にっと笑う一護。
 記憶と寸分違わぬ、いや昔よりもさらに綺麗になったと二人は感じた。もしかしたら永い年月の隔たりがそう思わせているだけなのかもしれなかったが、やっと会えた今そんなことはどうでもよかった。
 そう、会えたのだ。今こうして本人を目の前にしてもそれがどこか信じられなくて、浮竹と京楽はそれぞれ一護の手をとって、消えてしまわないように両手で包み込んだ。
「ははっ、お前ら、なんか老けたなあ」
「そういうお前は変わった」
「うん。あの頃よりも、綺麗になったね」
「お前ら中身は変わんねえよな」
 からかうように返して、それから一護は微笑んだ。
 その笑みに浮竹と京楽はわずかに目を見張る。そして、ああ、やはりお前は変わってしまったのだと悲しく思った。一護自身は自覚は無いのだろうが、浮竹と京楽の記憶の中にはそんなふうに儚く笑む一護はいない。  
 記憶は重なり、だがそこには確かなずれが生じていた。
 そんな思いからか一護の手を包む二人の手に力がこもる。
「一護」
「一護ちゃん」
「なんだ、どうしたんだよ」
 己の名に込められたどこか悲しい響きに一護は動揺する。
「十四郎?春水?」
 背の高い二人を一護は下から覗き込む。
 再会して初めて名を呼んでもらえたことに浮竹と京楽は笑った。だがそれはすこし失敗してしまう。
 泣き笑いのような二人の笑みに、一護も何を思ったのか困ったように笑った。そして二人の手を解くと両手を広げて抱きしめてやった。  
 さすがに二人一緒だと手が少しも回らない。だがそれでもなんとか一護は背中に手を伸ばし、浮竹と京楽の羽織を力一杯握った。そしてまだ言っていなかった言葉を紡いだ。

「ただいま」




 
戻る 次へ

-Powered by HTML DWARF-