第二話

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  彼岸  

「あの黒崎一護が護廷に来てるんですかっ!!」
 一角が興奮したように身を乗り出す。同時に唾が飛び隣にいた弓親がそれを見て眉をしかめた。だがそんなことは意にも介さずに一角は隊長の更木にもっと話を聞こうと目を輝かせている。
「なんだ、知ってんのか」
「更木隊長こそ知らないんですか!? 十一番隊の伝説ですよっ!!」
「一角、落ち着きなよ。美しくない」
 弓親が嗜めるがそれでも興奮が収まらないのか一角は机をバンバンと叩いて甚だ煩い。
「名前だけなら知っていますよ。でも女性とは思いませんでしたけど」
 隊首会で盛り上がった会話から数日して、件の女性は瀞霊廷に現れた。浮竹と京楽が取り合ったというのだから今後の展開が大変注目される。だがこの事実は隊長格しか知らないことではあったのだが。
「ああ手合わせしてえなあ、十一番隊の初代喧嘩番長っ!!!」  



 ぶえーっくしょいっ!!
「あ〜風邪か、もしかして」
「がさつなところは変わっておらんの」
 元柳斎の呆れたような視線もにかりと笑って一護は返す。
 久しぶりの恩師との再会は至極さっぱりとしたものだった。元柳斎は昔よくしたように一護の頭を優しく撫でるとうむ、と頷いてしわくちゃの顔に更に皺を刻ませて一護の帰還を歓迎した。一護も照れくさそうにそれを受け入れると、懐かしさで緩みそうになる涙腺を誤摩化すように茶の用意をして元柳斎との昔話に花を咲かせた。
 一護の入れた茶を一口飲んで元柳斎はうんうんと頷き目元を和ませた。
「懐かしい味じゃ。適当に入れとるくせにおぬしの茶が一番美味い」
 お褒めの言葉に一護ははにかむように笑む。この恩師はいつも厳しく一護達を導いてくれていた。甘やかすようなことは一切せず、そのため褒められるということもあまりなかった。そんな元柳斎が唯一手放しに褒めてくれたのが一護の入れる茶だ。本人はいつも勘で入れているだけなのだが。
「じじいはあんま変わってねえな。死にかけだったらどうしようって俺一応覚悟はしてたんだけどよ」
「その減らず口には磨きがかかっておるような気がするのは儂の気のせいかの」
「あんま無理すんなよ。もう歳なんだから」
「ぺいっ!」
 言葉の応酬は相変わらず。二人ともどこか懐かしさを確かめるように会話を楽しんでいた。
「それで、あの話は考えてくれたのかの」
「‥‥‥ん」
 一護はいまいち煮え切らない返事をする。むうと眉をしかめて視線を泳がせていた。
「でもよ、俺はもう死神は引退したんだ。それを今さら、‥‥‥戻れねえよ」
「腕は落ちておらんじゃろう」
 一護の脇に置かれた斬魄刀を見やる。死神は引退したと言ってはいるが、肌身離さず斬魄刀を持ち歩いているということはそうなのだろうと、元柳斎は暗に聞いてくる。
 それにふうと息を吐き出し一護は庭へと顔を向ける。その拍子に流れた前髪が一護の瞳を隠してしまい、元柳斎からは一護の胸の内はいまいち推し量ることは出来なかった。
「それにもう、死神をやったってしょうがねえんだ」
「平和を守ることがしょうのないことか」
 元柳斎の言葉に一護の口元が歪む。
「平和か。じゃあ俺自身の平和は、幸せは? ‥‥‥護れなかった。そうだろ」
 一護はもう笑ってはいなかった。歯を食いしばり、最後の言葉はまるで唸る獣のようで。
 元柳斎の知る一護は屈託がなく竹を割ったような性格だった。それは変わってはいないのだろうが、やはりあの出来事が一護の胸に決定的な穴を開けてしまったのだと、元柳斎は苦くなる表情を抑えることが出来なかった。
「無理強いはせん。だがもうすこし考えておいてくれ」
「‥‥‥ああ」
 返事はするものの一護の意志はもう決まっている気がした。だがそれでも元柳斎はまだ希望を捨ててはいない。
 重い空気を払うように元柳斎が好々爺のように笑む。一護もそれを見てようやく力を抜いた。
「ちょっと出かけてくる」
 一護は元柳斎の屋敷に滞在していたので主である元柳斎に断りを入れて立ち上がる。
「そうか。‥‥‥夫殿によろしくと伝えてくれ」
 一護の手が止まる。ちょうど斬魄刀を握っていたため、肩にかける鎖がちゃり、と小さく鳴った。その音がやけに大きく響いたのは一護自身息を止めているからだろうか。
「分かった。‥‥‥伝えておく」
 一護はさっと部屋を辞す。
 ひとりになった元柳斎は髭をしごくと不機嫌そうに呟いた。
「まったく、あの甲斐性無しどもめ」




 自分をいい男だとは思わないが、すくなくともあの男よりはましだと思っていた。
「そうだねえ。二人で彼をねちねちと苛めたねえ」
 霊力も何も無いただの男だった。なぜこんな男がと、浮竹と京楽は会うたびに一護の夫に嫌味を吐いた。それに言い返すことも出来ず、いつも一護の後ろに隠れる男にさらに苛立たされた。それでも一護は男を見限ることはせずに、しょうがねえなあと言いつつも顔を和ませるばかり。
「何度別れろと言いたかったことか」
 だがその言葉を浮竹と京楽が言ったことはない。男といるときの一護がこれほどはないというくらいに幸せそうだったからだ。
 そして実際に別れろと言うような者達を一護は好ましく思っていなかった。しつこい輩は一護が拳で黙らせていたが、決して傷ついていない筈がなかった。
「ショックだったねえ。結婚するんだって聞いたときは」
 学院を卒業すると同時に一護は男と一緒になった。流魂街にいたときから共にいたというその男を、結婚するからと紹介されたときは二人揃って絶句した。学院にいる間は鍛錬に励もうと浮竹と京楽は一護に対して協定を結んでいたのだが、口説く前にあえなく玉砕してしまったのだ。
「そりゃないよって感じでさ、一護ちゃん全然そういう素振り見せてなかったもの。ボク達だけじゃなくて学院中の男が泣いた日になったんだよね」
「ああ、あの日は本気で泣いたな」
 あれほど男泣きに泣いた日は後にも先にもない。
「ボクさあ‥‥‥」
 京楽が大きな手で己の顔を隠す。唯一見える口元だけが自嘲気味に歪められていた。
「あの報せを聞いたとき、こう思っちゃったんだ。‥‥‥ざまあみろって。最低だろ」
 親友の懺悔のような告白を聞いて、浮竹は苦しげに目を細める。
「‥‥‥‥俺もだ」
 責めることなどできようか。




 隊首会の行われる部屋の扉を開けた瞬間、浮竹はすぐさま閉めてしまった。
 そして踵を返す。今日は体調が悪い、そうに違いないと言い聞かせて。
「ぐ、」
 だがそれは己の襟首を掴む手によって阻まれてしまった。振り返るとどこかやつれたように見える京楽が浮竹を行かせてなるかとばかりに不敵に笑っていた。
「君だけ逃げようなんてそうはいかないからね」
「は、離せっ!」
「どうどう」
 馬にするように諌められてしまい、浮竹はあえなく扉の中に引きずり込まれる。
 そこには待ってましたといわんばかりの視線を向けてくる同僚達が勢揃いしていた。市丸や浦原、更木などいつもは平気で隊首会に遅刻してくる者達も、まだ定時ではないというのに既に集まっている。総隊長の元柳斎だけはまだ来てはいなかった。
「いやあ、おもろいことになってきましたなあ」
「噂をすればなんとやら、だね」
「何か進展はありました?」
 矢継ぎ早に繰り出される質問に浮竹は京楽を睨む。ボク一人で大変だったんだよと京楽は疲れた表情を見せていた。
「日番谷はん、お会いしたんやろ。どんな人やったん」
 突然ふられた冬獅郎は困ったように浮竹と京楽に視線を向ける。瀞霊廷で迷っていた一護を十三番隊まで連れてきたのが冬獅郎だ。他の隊長達は一護本人と会ったことはない。だからこそ興味がかき立てられるのだろう。
「いい加減にしろ。興味本位で聞いてくるんじゃない」
 ついに浮竹が我慢できずに嗜めようとするが市丸は堂々と返した。
「興味本位の何があかんのです」
 何か問題でも?と本気で聞いてきそうな市丸に浮竹はぐうの音も出ない。隣にいる京楽は反論するだけ無駄だと 首を振っていた。
「なんじゃ、十四郎、春水。ここで何をしておる」
 ようやく現れた元柳斎に皆の目が一斉に向けられる。浮竹と京楽は言われた言葉の意味が分からずに首を傾げていた。そんな二人の様子を見て元柳斎は仕方無さそうに息をつく。
「あやつめ、知らせておらなんだか」
「えーと、どういうこと?」
「また一人でいなくなるつもりじゃ」
 元柳斎の言葉に浮竹と京楽がはっとしたように表情を強ばらせる。  次の瞬間、バン、という音とともに扉は開け放たれていた。
「いいのう。若いというやつは」
 消えた教え子達を思い、元柳斎は呵々と笑った。  




 来たときと同様に門をくぐり、瀞霊廷を出る。だがそのまま歩き出しはせず、振り返ってその目に焼き付けるように瀞霊廷を見つめた。
 冬の凍えるような風が一護の髪をなぶる。前髪が瀞霊廷を隠したところで一護は踵を返して歩きはじめた。
「!」
 しかし歩きはじめてすぐに一護は歩みを止めた。こちらに向かってくる大きな霊圧を感じたからだ。二つ、それらがまるで待ってくれと言わんばかりに一護のもとへと急速に近づいてきていた。
 よく知っている霊圧だ。一護は待った。
「一護っ!!」
「なんで行っちゃうのっ!!」
 息を乱す二人に一護は悪いことをしてしまったなと困ったように俯いた。
 浮竹と京楽は息を整えることもせずに一護に迫る。
「また、そうやって一人でいなくなって、お前は勝手だ。残された者のことなど考えもしない」
「そうだよ。‥‥‥あのときも、一人で悲しみを抱えて、いなくなった。ボク達がどれほど心配したか分かってる?」
 言ったあとで、果たして心配する資格など自分たちにあったかと胸が痛くなった。
 それでも失いたくない一心で二人は必死になって一護を説得する。
「どうすればいい。どうすればお前は行かない」
「ねえ、何か言ってよ」
 浮竹と京楽の必死な様子に一護は思い出す。学院時代や死神になってからも二人はこうしていつも一護を気にしてくれていた。信頼できる、たった二人の親友だった。
「行くな、頼む」
「お願いだよ」
 二人の真摯な眼差しに一護は泣きそうなほどに顔を歪めて、だがたしかに微笑んだ。
 その美しさに息を呑む。
「ありがとう」
 そう言って一護は浮竹と京楽をそれぞれ抱きしめた。一人でもやはり手が回らなかった、それに苦笑する。
「でも俺行かなきゃ。‥‥‥本当にありがとう」
 次の瞬間一護は斬魄刀を抜くと地に突き立てた。すさまじい爆風が生じて砂煙が舞い上がる。それが一護の姿をあっという間にかき消してしまった。
 浮竹と京楽の二人は手を伸ばし一護の姿を捉えようとするが、それは虚しく空を切る。
「またな。十四郎、春水」
 最後に聞こえたのは、愛しい女の声だった。  






「京楽隊長、隊首会の時間ですが」
「‥‥‥‥‥」
 副官の七緒の言葉に京楽は笠を深くかぶって答えようとしない。それに仕方ないとため息をつくと七緒は諦めて今日の隊首会は欠席すると部下に言付けた。
 常なら分厚い本の角でどついてでも無理矢理出席させているところだが、七緒は京楽の事情を察してしばらくはそっとしておこうと決めていた。
 いつもだらしなくしているが、覇気が無いということとは訳が違う。覇気というよりももしかしたら生気が無いのかもしれなかったが。それほど今の京楽は見ていて痛ましいものだった。
 きっと今頃十三番隊でも海燕が同じように苦労しているのだろうと七緒は頭を抱えた。

「浮竹隊長。今日の隊首会は欠席ですか、欠席ですね」
 浮竹の答えも待たずに海燕は決めつける。だがそれに対してまったく反応も見せずに浮竹はただ無言を保っていた。
 そんな浮竹の姿に海燕は不機嫌そうに顔をしかめる。一護が去ってからの浮竹は体調を崩すことが多くなった。今も床に就いていて顔色もあまり良くはない。
 失恋で死ぬなんてありえるのかと海燕は最近とても不安だ。浮竹を目の前にするとそれが現実味を帯びそうで恐くなる。
 一護の姿を思い出す。あまり会話は交わさなかったが、海燕自身は好感の持てる人物だったと感じている。
 その一護に浮竹の想いに応えろとは言わないが、なぜ行ってしまったんだと海燕は怒鳴りつけてやりたい気分だった。






 思えば隊首会では碌なことが起きない。
 浮竹と京楽は偶然扉の前で鉢合うと同時にため息をこぼした。
 欠席続きの二人に元柳斎は特に何も言ってこなかったが、今日だけは出席しろときつく言われていたので、仕方なく思い腰を上げてきたのだが正直気が進まない。
「やっぱりサボっちゃおっか」
「俺は体調が悪いんだ。吐きそう」
「たわけっ!!」
 聞こえていたらしい。扉の中から元柳斎の怒鳴り声が響いてきた。
 げえっと京楽は嫌そうに顔を歪め、浮竹はチッと舌打ちした。二人とも相当やさぐれてきている。
 ようやく扉を開けて中に入ると、以前とは違って皆微妙に視線を合わせようとしない。約二名はにやにやとからかうような視線を送ってきていたが、浮竹と京楽はあえて無視をする。
「やっと全員揃ったか」
 とっとと話してとっとと帰りたい。やる気の無さに浮竹と京楽の二人は元柳斎の話をまったく聞いていなかった。そのため突然元柳斎の後ろから現れた人物に反応が遅れてしまう。

「黒崎一護だ。よろしく頼む」

 別れたときの涼やかな声。
 それが今、なぜここで聞こえるのだろうか。
 呆然と立ち尽くす浮竹と京楽に、一護は笑みを隠しきれない。
「なん、で、」
「これは、一体、」
 言葉が言葉にならない。息の仕方を忘れたように二人はただぱくぱくと口を動かしていた。
「聞いてなかったのか。俺、一番隊の副隊長に就いたんだ」
 そしてにっと笑うと元柳斎に視線をやった。
「前の副隊長が引退したいとぼやいとってのう。だからといって後任に推すような人物はおらん。そんなとき一護のことを思い出しての、探させて用向きを伝えるとその返事を聞くため瀞霊廷に来てもらったのじゃ」 
「え、じゃあボク達に会いたいっていうのは、」
「まあ悪く言えば、ついで、だな」
 ガンと傷ついたように二人が胸を押さえる。
「じゃあ、元柳斎先生は知ってたんですね。最初から、何もかも」
 まるで一護が二度と帰ってこないように言うものだから、浮竹と京楽はすっかり騙されてしまった。元柳斎は悪びれた様子も無く恨めしそうに睨んでくる二人の教え子の視線を余裕で受けとめた。
「俺、本当は断るつもりで戻ってきたんだ。死神をやってももう甲斐が無いって、そう思ってたから」
「一護‥‥‥」
「一護ちゃん‥‥‥」
 事情を知らない隊長達は黙って聞いていた。元柳斎も目を瞑り、三人に任せていた。
「でもよ、あいつのところに行って、気が変わった」
 目を細める一護に、泣いてしまわないか浮竹と京楽は心配になった。だが一護の目は薄く水の膜を張るだけで、決して流れはしなかった。
「もう随分行ってなかったから、どんなに荒れてるんだろうって思ってたのに。あいつの墓は綺麗なもんだった」
 思い出すだけで胸がいっぱいになる。
「聞けば毎年手入れしてくれている二人組がいるっていうじゃねえか」
 浮竹と京楽の二人が照れなのかなんなのか、気まずそうに視線を泳がせる。
「綺麗な墓を見てるとさ、お前はいつまでいじけてんだって言われた気がしたよ」
 墓に縋り付いて一護は泣いて謝った。
 ごめんと何度も謝って、涙も流せるだけ流してやった。そして墓石に口づけると、最後にありがとうと言った。
「お前らに謝らなくちゃいけない。‥‥‥ごめん。あの日、黙っていなくなって悪かった」
「‥‥‥謝るのは俺達のほうだ」
「そうだよ。本当は、ボク達は、」
「十四郎、春水」
 過去の過ちを告白しようとした二人を遮ったのは元柳斎だった。二人が何を言うのか分かっているのか、言うなと目で伝えてきた。
 今はまだ、言うべき時ではないのだと。
 一護は黙ってしまった浮竹と京楽に微笑むと決意した目で二人を見据えた。
「もう一度死神になって、甲斐を見つけることにしたんだ。‥‥こんな俺でも、まだ親友でいてくれるか」
「当たり前だ」
「もちろん」
 本当は親友以上になりたかったのだが、元柳斎の言う通り今はまだ時機ではない。
 二人の答えに一護は花のように笑う。
 それを見て元柳斎は春に間に合ってよかったと独り言ち、やっと揃った教え子達を見守った。
 


 
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