第三話
予感
十一番隊初代喧嘩番長の一番隊副官就任。
そしてその初めの仕事はなぜかこれだった。
「しつけえ」
ため息とともに一護の拳が唸る。
殴られた十一番隊の隊員は綺麗な放物線を描いて地に伏した。だが一体どこから湧いてくるのか新たな挑戦者が一護に向かって突進してくる。それを見た一護が呆れた表情をしながら己の手を前方にかざす。
「ぁだっ!!」
でこぴんだ。といっても一護のそれは十一番隊の猛者を軽々と失神させてしまった。
一護の周りにはまさに死屍累々といったようにごろごろと物言わぬ十一番隊の隊員達が転がっていた。
「今日はこれで終わりか」
再び静寂が戻ると一護は無礼者どもを容赦なく踏みつけて一番隊の隊舎へと歩いていった。
自分がいない間、護廷は随分と変わってしまったらしい。
毎日毎日一護が一番隊へと出勤するたびに十一番隊の隊員と思われる輩が一護に手合わせを申し込んでくるのだ。最初は驚いたものだがこう何日も続けられると一護もいい加減に飽いてくる。
一護が十一番隊の隊長に就いていたときは手合いを申し込んでくるなどという命知らずは存在しなかった。だが現在一護に無謀にも突撃してくる十一番隊の者達は席官は関係なく、どうやら下っ端も含まれるらしい。
「そのうち死人が出るね」
などと無責任に言ってくれたのは一護の親友その一。
「どれだけ人間の体は積み重ねることができるのかって三人で試したよなあ。ん?今はやっていないのか」
それは昔の話だ。隊長職に就く以前はよく喧嘩もやった。
やんちゃだった頃を思い出してしみじみとしているのは一護の親友その二。
「おい、お前らここで何やってんだ。仕事はどうした」
「そんな無粋なこと聞かないでよ」
「今日はなにやら体調が悪い気がする。なので仕事は休みだ」
「一番隊まで来る体力はあるのにか」
一番隊の副官室に戻ってみるとそこには親友達が我が物顔で寛いでいた。この光景も初めてではない。一護が一番隊の副官に就いてから、浮竹と京楽の二人は特に用もないのに一護のいる副官室に入り浸るようになってしまっていた。
「昔もこうやって十一番隊の隊長室でだらだらと過ごしたよね」
「だらだらしてたのはお前ら二人だろ。俺が真面目に仕事している横で不真面目にも仕事ほっぽり出して来やがって」
「お前が怒りだす前に席官達がキレてたなあ。斬魄刀での私闘は禁止だっていうのに刀抜かれてよく追いかけ回された」
「ああ懐かしいねえ」
「もう二度と来んな!って言われてな。そのせいで隊同士の仲まで悪くなって」
「そうそう!」
浮竹と京楽はその頃を思い出しておかしそうに笑い出した。一護だけは疲れたようにため息をつくと、机の上に積まれた書類を読みはじめた。こうなったら無視だ。
「あ、外は寒かったでしょ。お茶にしない?一護ちゃんの入れたお茶が飲みたいな」
「俺もだ。菓子は持ってきてあるからおかまいなく」
ぐしゃりと書類が鳴った。
なにがおかまいなくだ。本気でかまわないでいてやろうかと一護は考えたが、そんなことをすれば余計に疲れるだけだと分かっていたので大人しく茶の湯の支度に入った。
「じじいの苦労がやっと分かった。お前らみたいなのを纏めてきたんだと思うと土下座して感謝したくなる」
「ボクらはまだマシなほうだよ」
「そうだぞ。問題児は他にいる」
自分たちのことは棚上げして二人は一護に抗議した。その姿を見てこの親友達は昔と中身は変わらないと一護はつくづくそう思った。
浮竹と京楽、正反対の性質を持っている二人だがときどき結託しては一護を困らせてくれる。喧嘩やいざこざ、もっぱら騒ぎを起こすのは一護と京楽で、そしてそれを納めたり後処理をしたりと世話係的な存在が浮竹だった。
だがこの浮竹と京楽が手を組むと、標的はいつも一護のみにしぼられた。
一護は乱暴な仕草で二人の前に入れた茶を置く。
「おら、茶ぁ飲んだらとっとと帰れよ」
「浮竹、時間をかけて飲もうね」
「俺は猫舌だからな。冷ますのに時間がかかりそうだ」
猫舌なんて初耳だ。だったら冷水で入れてやると言いたかったが、どうせ二人にやり込まれるのがオチだろう。昔からそうだった。この二人の強力タッグに一護は勝てたためしがない。
「資料呼んでて思ったんだけどよ、この日番谷ってやつすげえな。こんな短期間で隊長になるなんてよ」
浮竹と京楽は顔を見合わせる。突然話題を変えたことにではなく、一護の口から出てきた男の名前に二人は反応したのだ。
瀞霊廷で迷っていたところを親切にも送り届けてくれた冬獅郎を一護はよくできた若者だと好感を持っていた。だが面白くないのが大人げない親友二人だった。
「ああ日番谷君ね。でも彼はまだまだだよ。こう大人の渋みが足りないっていうかさあ」
「大人ぶってはいるがまだ幼さが勝っているな。副隊長と並んでいると母と子にしか見えない」
「いや、俺が言いたいのは死神としての実力なんだけども」
こいつらは何が言いたいんだろう。二人はときどき一護には分からない会話をすることがあった。
「昔と比べて女が増えたな。隊長格にこんなにいるなんて、昔とはもう違うんだな」
一護が顔を和ませて独り言のように言った。昔、数百年前は死神は圧倒的に男が多かった。女は弱きものとして扱われていたがそこに当てはまらなかったのが一護だ。怒濤の勢いで出世していった一護に周りからの反発は大きかった。
「今は逆に女性が強いのかもね。ボクなんて毎日七緒ちゃんに叱られちゃっててさあ」
「それはお前が悪いからだろう。まあ京楽の言う通り女性は強いな。女傑と言ったほうがしっくりくるが」
親友だった浮竹と京楽こそが一護の味わってきた苦労を誰よりも苦々しく思っていた。そのため一護を悪く言う輩はことごとく締め上げてきたのだが、当の本人の一護はそれを知らない。
「そうか。ところでよ、お前らまだ結婚してなかったんだな」
京楽は耐えた。だが耐えきれなかった浮竹が茶を吹き出した。
「あ、馬鹿、何やってんだよ」
突然茶を吹き出した浮竹に一護は慌てて手拭を差し出す。ごほごほと咽せる浮竹の背中を一護が労るようにさすってやった。それを見て京楽がずるいと小さく呟いた。
「いきなり、なにを、言いだすんだ、」
苦しそうにそれでもなんとか言葉を紡ぐ浮竹に一護は平然と答えた。
「だって護廷にこんなに女がいるんだからよ。俺がいない間に結婚しててもおかしくないだろ」
結婚したい女性はひとりだけだ。
だがその言葉を言うことはできない。今はまだ。
「いやあ、そのう仕事が? 忙しくてさあ」
「じゃあさっさと帰れよ」
白々しい嘘は一護によってばっさりと斬り捨てられてしまった。
「そう言うお前は、もう一度結婚する気は無いのか」
ようやく回復した浮竹の言葉によってその場の空気がシンとした。
京楽は信じられないといった目を浮竹に送る。だがその答えを知りたくてすぐさま一護のほうに視線を向けた。
一護は意外にも穏やかに微笑んでいた。
「正直言って分かんねえな」
結婚はしない。そう言うと思っていた。
「あいつと出会う前も自分が結婚するなんて考えてもみなかったんだから」
そう言って笑む一護の顔には見覚えがあった。浮竹と京楽を前にするといつも萎縮していた男に、だらしないと言いながらも愛しい夫を見る一護の顔。
いつも羨ましくてたまらなかった。その嫉妬から男同士の付き合いだと称して何度も居酒屋で飲ませて潰して放置するという嫌がらせをしていたのだが、男はそれでも一護と別れる気は無かったらしい。浮竹と京楽も男のその根性だけは認めていた。
「でもよ、統学院の寮に入ると寂しくてたまんなくなってさ。最初の休暇でそいつのところに戻ると『おい、結婚するぞ』って言ってたんだよなあ」
「えええっ!! 一護ちゃんから結婚申し込んだのっ!?」
「おう」
数百年経って初めて明かされる事実に京楽は驚愕した。
「まったく、あの男は何をしているんだ」
そして女のほうから言わせてどうすると浮竹は憤慨した。
二人の反応に一護はおかしそうに笑う。そう言えばこんな話をしたことは無かった。
「そのとき返事は聞かなかった。俺が卒業するまでに考えといてくれって言って俺は寮に戻ったんだけどな。だから卒業式の日にあいつが迎えに来てくれたのを見たときは柄にもなく泣いちまった」
そのときのことは浮竹と京楽も覚えている。忘れられる筈が無い。
ようやく学院を卒業し、一護に対して臆面も無く口説けると二人は喜び合った。だが一護の傍には見知らぬ男。振り返った一護が親友二人に満面の笑みで結婚するんだと言った瞬間、浮竹と京楽の失恋は決定した。
一護にとって幸福な日だとしたら、浮竹と京楽にとっては死刑宣告にも等しい日だった。
「まあ俺の二度目の結婚よりもお前らがすることを考えろよ」
「はは‥‥‥」
浮竹と京楽は笑って誤摩化すしかない。
分かったことは一護は頑として結婚しないと意固地にはなってはいないことだった。それに安心しつつも二人はこれは前途多難だなと長期戦を覚悟した。意固地にはなっていないものの一護の夫に対する思いはすこしも色あせてはいないのだ。
「茶も無くなったことだし、今度こそ帰れよ」
「はい‥‥‥」
「分かった」
喜んでいいのか落ち込んでいいのかいまいち微妙だった。
浮竹と京楽の二人は今度こそ大人しく己の隊舎へと帰ることにした。
一護は目の前の光景に呆れ返った。
なんだこれは。本当に隊首会なのか。
「すいませんねえ、遅れてしまって」
まず浦原のまったく悪びれない遅刻から始まり、
「はよう終わらんの?」
やる気の無い市丸の私語は目立つは、
「ああ? てめえ斬られてえのか」
剣八が他の隊長に喧嘩を売り、
「その刀で斬れるものなら」
白哉が挑発して返す。
そして周りも止めようとしない。中にははやし立てる者までいる始末だ。
元柳斎に言われて副官である一護も隊首会に出席した。だがあまりにも身勝手な隊長達の振る舞いに一護は呆れて物も言えない。
隣に座る恩師になんだこれはと一護が視線を送るが元柳斎は首を振るだけだ。それを見てこれが通常の光景なのだと一護は理解する。一護の知る隊首会とはあまりにもかけ離れすぎている為に驚いたが浮竹と京楽は馴れているのか我関せずの態度をつらぬいていた。
だが一護の機嫌が傾いていることに気付くと浮竹と京楽は慌てて諌めようと剣八と白哉の間に割って入った。
「そこまでにしろ」
「そうだよ、隊首会なんだよ?」
だがそんな二人の行動は周りにエサを与えているようなものだった。
「なんやお二人さん、黒崎副隊長の前やからってええかっこして」
「そうですよ、下心みえみえの行動はどうかと思いますよ」
「だっせえな。歳考えろ」
「見苦しい」
市丸、浦原、睨み合っていた剣八と白哉にまで好き勝手言われてしまった。
普段は温厚な浮竹のこめかみがぴくりと浮き上がる。京楽も顔は笑ってはいるものの目は全然笑ってはいなかった。
もう我慢ならない、それも一護の目の前で言われるとは。一護の反応が気になって振り返ることができなかったが、それを誤摩化すように二人が怒鳴ろうと息を吸い込んだ瞬間。
「いい加減にしやがれっ! この洟垂れ小僧どもっ!!!」
ビリリ、と大気が揺れた気がした。
あれほど賑やかだった部屋が一瞬にして静かになる。
一護は無言でつかつかと騒いでいた集団の傍まで寄ると、これまた無言で剣八と白哉の鳩尾に拳を叩き込んだ。
「ぐっ!」
「っ!」
隊長としてのプライドがかろうじてその場にうずくまることを許さなかった。剣八と白哉は突然殴られたことに抗議しようと顔を上げたがそれは一護の睨みによって断念する。
「喋るなとは言わねえ。けど喧嘩は隊首会でやるもんじゃねえだろ」
あ?コラ、とドスの利いた声で一護が聞いてくる。
「てめえらもだ、囃し立ててどうする」
「すんません‥‥‥」
「申し訳ないです‥‥‥」
剣八と白哉の二の舞は御免だとばかりに市丸と浦原は素直に謝った。
それを見ていた元柳斎はやはり一護を呼び寄せて正解だったと深く頷いていた。
「反省したところで今日は終了じゃ」
元柳斎とともに一護は無言で退出していった。
一番隊の二人がいなくなった部屋はしばらく不気味なほどに静まり返っていた。
「鳩尾だけで済んでよかったよ」
「そうだぞ。一度壁を突き破って殴り飛ばされた奴だっていたんだからな」
慰めなのか忠告なのか、浮竹と京楽の台詞に部屋は再び静まり返ってしまった。
「今度からはもうちょっと静かにしていようね」
「死にたくなかったらな」
いつもは人の言うことなんて右から左の隊長達だったが、今日ばかりはちゃんと聞いて肝に銘じておいた。
じゃないと次は殺される、そんな予感とともに。