繋がっているようで繋がっていない100のお題
004 開いた空間で君を背負いたい
「まったくけしからん」
説教が始まって早二刻。
そろそろ正座も限界で、浮竹と京楽はもぞりと体を動かした。
「ぺいっ! まだ話は終わっておらんぞ」
崩そうとした足を慌てて収め、若い二人は互いに苦い顔を見合わせた。お前のせいで‥‥と互いにアイコンタクト。元柳斎にしてみれば、どっちもどっちだ。
「学生の時分ならまだ大目に見よう。しかし、おぬしら、卒業して何年経った?」
話がまた最初に戻った、と教え子二人は同時に思った。
「もう半世紀じゃ。今は責任ある隊長という職にも就いておる。常に見られているということを自覚せんか」
「とは言ってもさあ、私生活まで気を張ってなきゃいけないなんておかしいよ」
京楽のもっともな意見に浮竹は頷いた。しかし目の前で元柳斎の眉がぴくりと動くのを見てしまうと、わざとらしく俯いて従順の意を示した。
「儂はもう、清く正しくとまでは言わん。だが少しでいい、控えてくれんか」
「ボクもそうしたいところだけど、相手が放っておかないというかぁ」
「招き入れるおぬしらも悪いっ、どうして普通の交際ができんのだ!」
元柳斎の杖が床を叩き、固い音を響かせる。浮竹と京楽は同時に肩を竦めた。もう痛みを感じないほどに足の感覚は麻痺していて、もうどうにでもしてくれと言わんばかりに内心では溜息を零す。
浮竹にしてみれば、元柳斎の言い分は理解できる。言っては悪いが昔の人だから、男女の交際については敏感に反応し、こうして口を挟んでくるのだろう。それもすべては自分たちを思ってのこと。心配してくれているんだと考えれば、特に反論する理由もない。
しかし京楽は不満そうだった。先ほどから元柳斎の小言をへらへらと笑って躱してはいるが、己の生活態度を改善する気はおそらくないだろう。
「つまりはボクらにさっさと身を固めろと言うわけだ」
「本音を言えば、そうしてほしいところじゃの」
「なにそれ、つまんない。せっかく窮屈な学生の身から解放されて、一人前の男になったんだよ? 気に入った女の子を抱きたいだけ抱いて、何が悪いって言うのさ」
浮竹は恐ろしくて元柳斎の顔が見れなかった。怒ってる、絶対怒ってる。
京楽のあまりに奔放な発言は、しかし元柳斎を絶句させていた。教え子二人の目に余る交際遍歴に苦言を呈する為に呼び出したというのに、まさか言い返されるとは思っていなかったのだろう。
「それにさ、山じいは勘違いしてるよ。ボクはともかく、浮竹は女の子泣かせたことは一度もないよ? ボクはなんていうか、有り余る愛のせいでときどき誤解が生じるけども、いつだって付き合っている女の子達を愛しているんだよ。一人に絞れって山じいは言うけどさ、ボクに言わせてみれば一人も二人もまったく同じことなの。同じくらい愛してるんだもの。これって凄くない?」
「おい、京楽っ、」
「ボク達はがっついてるわけじゃないよ。弄んでるわけでもない。ただお互いに楽しくなろうとしてるだけ。山じいには理解できないかもしれないけどね」
「そこまでにしておけ。先生が放心してる」
怒濤の口勢に、元柳斎は目を剥いて固まっていた。老体には酷な話だったのかもしれない。
二人は一応反論を待ったのだが、いつまで経っても元柳斎が復活しないため、これ幸いとばかりに今日は引き上げることにした。
一番隊を出ると、差し込む陽射しの強さに、浮竹は思わず目を細めてみせた。隣では、京楽が深呼吸して解放の気分を味わっている。
「あれでしばらくは煩く言ってこないね」
「やり過ぎだ」
「山じいは古いんだよ。きっとあれだね、若い頃はろくに女の子と付き合ってなかったんじゃない?」
「昔は美男子と聞いたが?」
「嘘だぁ」
けらけら笑う京楽には、さっそく行き交う女性隊員の視線が注がれていた。浮竹にも同様の視線が注がれていたが、二人にしてみれば既に慣れたもの、空気のように受け流した。
「聞いた? 同期のほら、卒業してすぐに結婚した奴」
「あぁ」
「離婚したんだってー。貴族の恋愛結婚を自慢してたっていうのにねぇ」
皮肉混じりの声音に、声を潜めろと目で訴える。
丁度人の流れが途切れ、静かな廊下に差し掛かった。
「誰か一人を決めてさ、一生共にしていくなんて土台無理な話なのさ。ボクら長生きだもの。心変わりは当然あるよ。長くなればなるほど、別れたときの痛みは大きくなる。今回、半世紀程度で別れられてよかったのかもしれないね」
「死ぬまで添い遂げる夫婦もいるだろう」
「稀有な話だよ。君は何組知ってる? うちはさ、親父が愛人囲ってたからなぁ。お袋も外に男がいたみたいだし。でも子供は絶対作らなかったし作らせなかった。そこだけは凄いって思ってるよ。誇り高い貴族ってやつさ」
言い添える言葉が見つからず、浮竹は口を噤む。彼の話を聞いていると、自分が随分恵まれた家族関係に身を置いていたように感じ、居たたまれなくなるのだ。安い同情をするつもりはないが、同じ貴族というにはあまりにかけ離れていると思うときがある。
黙りこくった浮竹に気付き、京楽はへらりと笑った。気にするなという笑みだった。
「山じいの気持ち、嬉しいんだよ。お前もそうだろう?」
「あぁ、そうだな」
「正面切って言ってくれるのって山じいだけじゃない。本当の親父よりも親父らしいからさ、期待に応えたいって思うよ。でも結婚は別さ。自ら傷つきに行こうなんてボクには考えられない。‥‥‥‥歪んだ結婚観だと思うかい?」
「いや。俺も同じようなものだ」
京楽が笑みを深め、視線を遠くに投げかけた。おそらく、自分と京楽は似ているのだろう。
多くの女性と付き合ってきたが、結婚したいとは一度も思わなかった。愛らしいとは感じても、愛しいとは感じない。一緒にいると楽しくて、ときどき肌を合わせれば気持ち良い、それだけだ。誠実ではあったけれど、真の意味ではそうではなかった。
己の両親は仲睦まじく、それを間近で見てきたというのに。どうしてだろう、家族というものに然したる魅力を感じなかった。
だからだろうか。結婚など一生できそうにないと、早くに諦めていた。
今年も数人の隊員が十三番隊に入隊した。
その中に一人、やけに目立つ新入がいた。
目が合うと、わずかに驚いたように瞠目し、やがては黙礼して去っていく。まるで人に馴れない野生動物みたいだったと海燕に漏らせば、
「流魂街出身の人間は大抵そうですよ」
と、苦笑で返された。
しかし数いる流魂街出身者の部下を脳裏に描いてみたものの、あれほど人を信じていない目も珍しく、だからこそやけに印象に残ってしまった。
黒崎一護というその隊員は、ほどなくして同隊の朽木ルキアと親しくなった。それとなく様子を伺っていたところ、随分と隊にも馴染んでいるようだった。世話焼きの海燕が率先して話しかけたのが功を奏したのか、気の抜けた表情を浮かべて隊員達と接する光景を頻繁に見ることができた。
けれど浮竹と目が合うと、あの人に馴れない獣の目で見つめ返される。あまり向けられることのない類いの目に、心がひどく落ち着かなくなった。
あれはそう、俺を責めている目だ。
気付いてからは、すれ違う女性隊員には親し気に声を掛けても、一護にだけは控えるようになった。褒められた態度ではないと自覚していたが、どうにもあの目が苦手だった。
「おはよう」
「おはようございます」
短く挨拶を交わし、一護の脇をすり抜ける。これでいい。
立ち止まり、振り返ったときには、何事もなく歩き出している一護がいた。
その背中を未練がましく見つめている自分に気がつくのは、まだずっと先のことだった。
一護が入隊してきてから、半年ほどが経った頃だろうか。
寒さの増した、冬のことだった。その日は今年初めての霜が降り、雨乾堂の屋根やその周囲を薄らと白く染めた。
体調を崩して朝から寝込んでいた浮竹は、布団の中で憂鬱な気分に浸っていた。
冬は嫌いだ。動くことすら億劫になる。海燕にせっつかれて嫌々仕事をする自分の光景を思い浮かべ、大きな溜息をついた。その吐息の白さに、またもうんざりとした。
「失礼します」
突然かかった声に、浮竹はどきりと鼓動を跳ねさせた。思わず飛び起き、襖の向こうを凝視した。
「浮竹隊長。薬をお持ちしました。起きておられるでしょうか」
黒崎一護。
浮竹の冷えた体から急に汗が噴き出し、体温がぐんと上昇した。室内を見渡し、隠れるところはないかと探したりもして、その無意味さと滑稽さに増々混乱した。
「隊長?」
就寝中であるならば、隊員は薬を部屋の外に置いて退出する。しかしこのとき、浮竹は咳き込んでしまい、自分の起床を知らせてしまう羽目になった。
「大丈夫ですか? 入っても?」
「駄目だ!」
自分でも驚くほど鋭い声が飛び出した。襖の向こうで、息を呑む気配がした。
咳は止まるどころか、増々ひどくなるばかりだった。
「‥‥‥せめて薬だけでも、」
「そこに、置いておけっ、入って、くるな‥‥っ」
「けどっ、」
ひゅうひゅうと鳴る喉に痛みを覚えながらも、決して入室することは許さないと訴えた。
ただでさえ弱っている自分が、あの目で見つめられるかと思うとぞっとする。
そんな目で見るな。俺を責めないでくれ。
「行けっ、二度と来るな! お前の顔など見たくもない!」
弱った体は正常な思考を奪い去る。激情に流され、思いつく限りの罵詈雑言を吐き出した。
逃げるような足音の後、浮竹は荒い呼吸を繰り返していた。
布団に突っ伏し、まるで後悔したように頭を掻き毟る。口内は鉄の味で満たされ、胸は焼けるように熱い。
ひどく惨めな気分だった。
間もなくして、四番隊の隊員を引き連れた海燕が飛び込んできた。喀血する浮竹をすばやく介抱させ、邪魔にならないところで心配そうな表情を浮かべている。
「‥‥‥‥黒崎が?」
「えぇ。隊長が大変だっつって戻ってくるから驚きましたよ。ま、大したことがなくて安心しました」
「他に、何か言っていなかったか」
「いいえ、特には。気になることでも?」
「いや、いい」
あの茶色の目が、再び脳裏に浮かんだ。
冬が去り、初春。
草木が芽吹くように、浮竹もまた雨乾堂から出ることが多くなった。
行き交う隊員達と挨拶を交わし、中でも女性の隊員には欠かさず褒め言葉を。するすると唇から滑り出すそれに、特に他意は無い。女性を褒める。雨の日には傘をさすのと同じくらいに、浮竹の中では常識だった。
自分の言葉に喜んでくれる女性がいるのだ、悪いことではあるまい。中には苦笑する隊員もいたが、気分を害してのことではないと浮竹は知っていた。
誰も困らない、傷つかない。数多の女性と付き合うのは、求められたから。責められる謂れはない。
「おはようございます」
行き交う部下の中、一際目立つオレンジ色。
浮竹は息を詰め、立ち止まった。
あの冬の出来事から、一度も会話を交わしていない。あからさまとまではいかないが、それとなく避けていた。いざ目の前にすると、挨拶の言葉すら出てこない。
硬直する浮竹の脇を、一護は通り過ぎようとした。そのとき腕を掴んで引き止めたのは、まったくの無意識だった。
「浮竹隊長?」
驚きに見開かれる茶色の目。微妙に逸らし、言った。
「‥‥‥‥‥すまない」
一護は大きく目を見開き、しきりに瞬きを繰り返していたが、ようやく言葉の意味を悟ったらしい。緩く首を振った。
「具合が悪いと、誰だって気が立つもんです。隊長が謝ることなんて何もありません」
「しかし、」
「今日は顔色がいい。浮竹隊長が元気になったって、皆喜んでます。俺も嬉しい」
あまり喜んでいないような表情に見えたが、微かに持ち上がった口元が一護にとっての精一杯の笑みであるらしい。
「‥‥‥本当に、すまなかった」
今までの己の行いが随分と子供じみていたことに気付き、浮竹は顔から火を噴く思いで再び謝罪した。一護は受け入れるように目元を和らげ、小さく頷いた。
優しい眼差しだった。春の陽射しのように暖かで、けれど憂いを含む。水面に降り注ぐ日溜まりを思わせた。
浮竹は、唐突に理解した。
責めてほしかったのだ。ずっと。
「‥‥‥‥っ、隊長?」
「このまま。このままで、いさせてくれ‥‥」
今の情けない顔を見られたくない一心だった。一護を抱きしめ、肩口に顔を埋めた。
「おはよう! うちの女子諸君は今日も美しいなあ!」
今日も今日とて挨拶だけは絶好調の浮竹隊長に、隊員達は笑顔で応じた。男達は、なぜか浮竹隊長だと許せてしまうんだよなあ、と不思議な魅力に首を傾げるばかり。
副官の海燕を従わせ、浮竹は隊主室を目指していた。その間、行き交う女性隊員を褒める褒める。セクハラだろ、と背後を歩く海燕が思っていると、不意に浮竹が立ち止まった。
「くっ、くろさきっ」
声を裏返し、挙動不審に狼狽えだす。果てには海燕の背中に隠れる始末だ。でかい図体で何してんだ、と纏わりついてくる浮竹を足蹴にしてやりたい気分になる。
「ん? 一護じゃねえか。おーい!」
向かいの廊下を歩く一護を見つけ、海燕は大きく手を振った。気付いたオレンジ頭が立ち止まり、こちらを振り向く。同時に背中に張り付いた浮竹がきゅうっと小さくなった気がした。
一護は頭を下げると姿勢よく去っていった。海燕は、面立ちもそうだがどこか己と気質の似ている一護が気に入っていた。依怙贔屓になるので必要以上に構ったことはないが、妻の都は一護を構い倒しているという。曰く、過ぎ去りし青春とか。
「‥‥‥‥か、可愛い」
「あ? なんか言ったか隊長?」
白髪の間から覗く耳が真っ赤っか。なんだこれは、気持ち悪いな。
副官が情け容赦ない感想を抱いているとも知らず、浮竹はそーっと海燕の肩越しに一護を見やった。一瞬だけ見えた横顔が、何とも言えず胸を焦がす。
俺はどうしてしまったのだろう。
海燕に顔をぐいぐい押しやられながら、この不可解な気持ちの正体を、今の浮竹は捉えきれずにいたのである。