繋がっているようで繋がっていない100のお題

戻る

  008 でも今だけは愛してる  


「よぉ、穴ナシ」
 きた。
 虚圏の片隅で、現世で拾った雑誌を読んでいれば気配も無しに声を掛けられた。相手が誰かなんて分かっていたが、一護は無視して雑誌にだけ意識を傾ける。
「何見てんだ?」
 今度はすぐ耳元で声がした。息がかかって驚いた拍子に雑誌が落ちる。耳を押さえて振り向けば、にやりと笑う男がいた。
「なんだコレ」
 落ちた雑誌を拾ってぱらぱらと捲る、きっと男にとっては少しも面白くないに違いない。
「つっまんねえ」
 案の定だ。しかも真っ二つに引き裂かれてしまった。
 男の無作法に一護はうんざりしながら立ち上がる。そして口を閉ざしたままその場を去った。
 しかし、歩きはじめれば後ろから足音が追いかけてくる。ちら、と視線をやればまたにやりと笑われた。その笑い方、一護は嫌いだ。
 しばらくざりざりという音だけが辺りに響く。砂漠に似たそこはひどく静かだった。時折散歩に出かけては現世で調達した雑誌や菓子を、ディ・ロイと一緒に分け合っていた。
 でも、今は一人だ。
「最近ディ・ロイの奴見ねえな」
 誰のせいだと思ってる。
 諸悪の根源がこの言い草だ。一護は怒鳴りたいのを我慢して、ただひたすら歩いた。
「お前いっつも何してんだ?」
 答える義務は無い。隙を突いてダッシュで撒いてやる。自信は無いけれど。
「襲われたりしねえのかよ」
 ある意味今この男に襲われている。ディ・ロイの言うことには”お願い優しくシテ”だそうだが一体何をどう優しくシテもらうのか、考えたくもない。
「一護」
 その瞬間一護は盛大に顔を顰めた。男からはこちらは見えない、だから”げえ”なんて吐く真似もしてやった。
 これならいっそ、”穴ナシ”のほうがマシだった。
「あんま一人でうろうろすんな」
 その言葉に。
「ーーーーーー何様だよテメエ」
 ついにキレた。
 立ち止まって振り返り、思い切り威嚇の視線を向けてやった。
「俺がどうしようがどこ歩こうがっ、テメエに指図される覚えは無えんだよっ」
 よくディ・ロイに命知らずと言われるが今は知ったこっちゃない。そうやって諌めてくれるディ・ロイが傍にいないせいかもしれない。歯止めが利かなかった。
「消えろ! 俺の前に二度と」
 言い終わらぬうちに一護の体は吹き飛ばされていた。腰に帯びた斬魄刀を抜く暇がないほどに、あっという間の出来事だった。
「‥‥‥‥‥う、っゲホ、」
 砂漠だからか、叩き付けられた体はそれほど痛まなかった。だが一瞬詰まった息に咳き込んでいると、すぐ近くで砂の軋む音がした。恐る恐る顔を上げれば、自分を無表情に見下ろす男がいた。
「手加減してやった」
「‥‥‥‥‥‥‥‥」
「それでこのザマだ」
 頭に血が上って斬魄刀に手を掛けた。適う筈なんて無い、その事実を忘れるほどに一護の中で怒りが渦巻いていた。
「やめとけ」
 しかし目に追えない速さで首を押さえられた。く、と力を入れられて、斬魄刀を掴む一護の手が落ちる。
「鋼皮も何もあったもんじゃねえな。お前は、脆すぎる」
「あ、っあ」
 息が出来ない。
「‥‥‥う、ぐ、ロ、イっ」
 だから言っただろ。
 そんな友人の声が聞こえてきそうだった。大人しくしとけ、何度もそう言われた。弱い自分が抵抗すれば、こうしてねじ伏せられるだけなのだから。
「ロイ、ろ」
「黙れよ」
 そのときだ。
 ひくひく震える唇に、他人のそれが重なった。
 一護は呆然として、本当に息が止まった。
「ーーーーーやめろっ、」
 いつの間にか首は解放されていた。一気に入り込んでくる酸素に頭がくらくらしたが、それでも相手を押しやって、一護は数歩後じさった。途中砂に足を取られて転がった。
「一護」
「嫌だっ、」
 手をついて逃げる。怖かった。
「一護」
「何だよこれっ、気持ち悪いっ、」
 涙が出た。
 唇を必死になって擦れば砂が付いて更に気持ちが悪くなった。
 そうして逃げ続けても無駄なことは分かっていた。自分の体に男の影がかかったとき、心の中でディ・ロイを呼んだ。
「泣くなよ」
 涙と砂でぐちゃぐちゃになった一護の顔を、男の両手が捕まえる。引き寄せられて息を呑んだ。
 しかし、重なる寸前で動きが止まった。
「俺の名前」
 すぐそこにある青にまた涙腺が緩んだ。一護は何を言われたかも分からず、涙でにじむ視界にただ嗚咽を呑み込むだけだった。
「知ってるよな?」
 男の指が一護の仮面をゆっくりとなぞった。優しい仕草だが今の一護にとっては恐怖だ。ただ無言で一度、首を縦に振るのが精一杯だった。
「言ってみろ」
 男の目がなぜか不穏に光っていた。それを間近で見て、言ってはいけない、そう頭の中で警告された。
「言えよ」
「っろ、ロイ、」
 今はいない、ただ一人の友人に助けを求めた。
 すると途端に砂の上に押さえつけられた。仮面が軋む、その音を聴いて殺されると思った。
「俺の名前、呼べよ。そしたら許してやる」
 一転、優しく髪を梳かれた。そこから頬を滑って喉元に、腹の辺りまで一直線に撫でられた。
「ほんとに穴が無えんだな」
 下腹部を撫でるその手が恐ろしい。
「なぁ、一護。俺の名前、呼んでくれ」
 命令から懇願に。
 けれど一護を押しつぶすような声の響きは変わらない。だから呼べば、きっと一護にとって恐ろしいことが待っている気がした。
「‥‥‥‥いや、」
「あぁ?」
「嫌だっ、誰が、呼ぶかよ‥‥‥っ」
 自分は弱い。
 生まれてすぐに失敗作と渾名されたほどに。
 けれどそれでも屈しようなんて思ったことは一度も無かった。
「殺すなら、殺せよ! でもなぁっ、」
 震えが止まらない。
 そして言葉も止まらず一護の喉を震わせた。
「お前の言うことなんか、ひとっつも、聞いてなんかやらねえからなっ」
 ロイ、さよならだ。
 後悔する気持ちとこれでいいという思いがいっしょくたになって一護の胸をいっぱいにさせていた。本当は今すぐ許しを乞いて生き延びたいと思う。けれどそれは単なる理性で、一護の本当の心はふざけんなと目の前の男に唾を吐いていた。
「ざまーみろっ、馬鹿男!」
 死んだ。絶対死んだ。
 そう思って一護は目を閉じた。脳裏でディ・ロイが『バーカ』と笑っていて、それに少しだけ安心した。

















 隣に、一人の男がいる。
 名はグリムジョー。
「それの何が面白いんだよ」
 一護は無視して頁を繰った。現世のファッション雑誌。なんとなく懐かしいと思って見ているだけで、別に面白い訳ではない。
「一護、戻ろうぜ」
 髪に触られた。鬱陶しくて振り払った。
「おい」
 雑誌を奪われる。しかしもう一つあったのでそちらに手を伸ばした。
「先に戻るからなっ」
 立ち上がったグリムジョーに一護は初めて視線をやった。
 そして。
「バイバイ、グリムジョー」
「ーーーーーっ、」
 どさりと座り込む音がした。
 それまでもを無視して一護は雑誌に目を通す。しかし雑誌の中身にはもう興味は無かった。
 あの日、自分は殺されなかった。
「一護」
 そして隣に座り込むグリムジョーは、自分に二度と暴力を振るわなくなった。
 ただ傍にいて、名前を呼んでばかりいる。
「なあ、一護」
 変な男だ。自分みたいな格下相手に、伺うような声を出す。
 優越感は感じない。ただ不思議だった。
 ディ・ロイの言葉を思い出す。

『グリムジョーはきっと、一護に優しくしてくれる』

 思い出して、目の奥が熱くなった。雑誌に載ったモデル達が、不自然に歪んでいった。
「一護?」
 今ではそう、この男しか自分の名前を呼ばなくなった。
 ディ・ロイとはあれから、一度も言葉を交わすことは無く。
「一護、泣くなよ」
「‥‥‥‥っう、っう、ぅう、」
 慰める手はディ・ロイの血色の悪い細い手から、グリムジョーの節の目立った大きな手に変わった。その手が涙に濡れる頬を包む。
「泣くな」
 ロイ。
「グリム、ジョー‥‥‥っ」
 いつかきっと忘れてしまう。
 この男が忘れさせてしまう。
 ディ・ロイ。
 自分が失敗作じゃなかったら、ずっと傍にいれたのに。

戻る

-Powered by HTML DWARF-