繋がっているようで繋がっていない100のお題
010 僕と君の地獄へ
「あ」
「やあ」
曲がり角でばったり。
相手の満面の笑みに一護の表情は引き攣った。
「休憩?」
「‥‥‥‥えぇ、そうですが」
隊長に気安く話しかけられた部下はしきりに恐縮する、というふうに周りには見えた。
しかし実際は違う。
「いつになったら帰ってくるんだ」
肩に置かれた手に一護は身を竦めた。叩き落としたいが周囲の目が気になる。引き攣る唇をどうにか押さえ、一護は極力笑顔で対応した。
「藍染隊長、失礼させていただきたいのですが」
出来るだけ自然な形で藍染の右手を肩から落とす。そのとき感じた体温の低さに一護は嫌気がさした。
「意地を張らないで、帰ってきてくれないか」
「藍染隊長」
諌めるように名を呼んだ。きつい眼差しで睨み据えればどこか嬉しそうな笑みで返された。ひく、と唇の端が痙攣したが一護は平常心を脳内で唱え続ける。そして一礼して去ろうとした。
「待って、姉さ」
「ぅあー! 藍染隊長お話がっ、ちょっとこっち来い!」
藍染の腕を掴むと一護は人気の無い廊下へと連れ込んだ。念入りに辺りの気配を探ると藍染に向き直り、一護は怒りに満ちた表情で指を突きつけた。
「護廷内じゃ話しかけるなって言っただろっ」
「だって、」
「だってじゃねーよっ、お前はっ、俺の言うことがっ、聞けねーのかっ、ぁン?」
一言ごとに指で胸板をついて最後に一護は下から睨み上げてやった。こうして謝らなかった奴はいない。しかしチンピラのような一護の脅しの言葉にも藍染は心地良さげに受けとめ、あまつさえ可愛いとまで言ってのけた。
「可愛いな、姉さん」
「‥‥‥‥ありがとよ。じゃあ可愛い俺の言いつけを守って今後一切話しかけんな」
「それはできないよ」
両手を取られて一護は引き寄せられる。踏ん張ってみたが力の差であっけなく藍染に抱きしめられた。
「右手、冷たいね」
「‥‥‥‥お前も」
「双子だからね」
一護が姉で、藍染は弟。
ほんの数分の差で一護が先に生まれた訳だが、その後の二人の人生には決定的な差がついてしまっていた。
「他の誰が何を言おうと気にしないで。なんなら二人で暮らそう」
「‥‥‥‥そういうのが嫌で俺は家を出たんだよっ」
弟を突き放し、一護は情けない自分を見られたくない一心で顔を背けた。
何でも出来る弟、対する自分は突出した才能も無く平凡のレッテルを貼られてしまった。小さい頃から比べられて育った一護は何も告げずに家を出た。
「お前といると俺はいつも惨めだった。息苦しくて、たまんねえ。‥‥‥‥でも俺、霊術院で初めて褒められたんだ。剣術の才能があるって」
鬼道の才能は絶望的だったがお陰で剣だけに打ち込むことができた。卒業後すぐに十一番隊に配属されて順調に席次も上げていった。三席に抜擢された日は嬉しくて、初めて認められた喜びに一護は一人、部屋で泣いた。
けれどある日、噂で聞いた五番隊の期待の新人を興味本位で見に行ってみれば、一護の晴れ晴れしい未来は途端に暗く沈んでいった。
弟だった。目が合って、会いたかった、追いかけてきたんだと言う弟の顔を一護は殴りつけてやりたかった。また自分は比べられて居場所を無くしてしまう、そんな不安に足が震えるほどだった。
予想通り、弟は出世した。一護が十年掛けたことを弟は一年足らずでやり遂げる。あっという間に隊長に登り詰めた弟は有無を言わせず一護を十一番隊から五番隊に引き抜いた。
「姉さんは、僕が嫌い?」
「‥‥‥‥好きだよ、弟なんだから。でも」
それに反比例して自分が嫌いになっていく。だから家を出て一人で生活して自分の力でのし上がった。
屋敷ではいつもくっついてきた弟から解放されたような気さえしていた。
「一人になって、初めて自分が好きになれたんだ。‥‥‥‥だから惣右介、俺の邪魔、しないでくれ」
弟の顔を真正面から見ることが出来なかった。酷いことを言っていると分かっていた。
さあ早く去ってくれ、こんな姉に構う必要などない。
「‥‥‥‥だって、姉さんの右手は冷たいじゃないか」
「惣右介?」
「僕の右手もそうだ。左手は温かくて、右手だけが冷たい。僕達二人は特別だと、そう言ったのは姉さんじゃないかっ」
一護でさえ聞いたことの無い弟の荒げた声に耳を疑えば、睨みつけてくる弟の目に一護は今のが嘘ではないことを悟る。咄嗟に後じされば腕を掴まれ壁に追いめられた。
「っ惣、」
「姉さんの気持ちぐらい知ってたさ。僕と一緒にいれば誰からも相手にされなかった可哀想な姉さん。でも僕はそれが何より嬉しかった」
弟の大きな左手が一護の体を捕まえる。そして冷たい右手は一護の頬へと添えられた。
「だって僕だけが姉さんを見てる。僕だけが姉さんを分かってあげられる。だから昔みたいに姉さんは自分を嫌いでいればいい」
「おま、えっ」
弟の、藍染の表情が歪む。
笑みにも泣き顔にも見てとれるその顔に一護が見入る、その瞬間に。
「‥‥‥‥愛してる」
ほんの一瞬だった。けれど確かに繋がった。唇と唇が確かに触れ合った。
呆然とした顔で一護は藍染を見上げた。これは、誰だ。
「昔に戻ろう」
弟、ではない。
この男は一護の知らない人間だ。知らない男になってしまった。昔になんて戻れない。
「愛してるよ‥‥‥一護」
頬に添えられる、男の右手は熱かった。