繋がっているようで繋がっていない100のお題
012 庇護されることは恥辱でしかなく
「珍しい」
昼時だった。ギンの手元がふっと陰ったかと思うと先ほどの言葉。弁当を抱えたまま、ギンは首を上に巡らせた。
「隊長さん」
「お前が弁当やなんて珍しいやないけ。それも手弁当。なんや、ガキのくせに、もうコレができよったか?」
コレ、と言って小指を立てる平子に向かって、おっさんクサ、とは懸命にも言わないでおいた。
生前においては近しい地域の生まれなのか、同じ関西弁の上司とは何かとよく話す。寄り添う副官がいないのを見てとると、ギンは砕けた調子で会話を始めた。
「作ってくれはるゆう女の人らはようさんおるけど、これはそんなんとちゃうの」
「さりげに自慢すな。せやったら、一体どこの誰が、お前に手弁当作るっちゅうんじゃ」
「んー‥‥‥女には違いないやろけど‥‥‥‥」
「煮え切らんなあ」
どっこいしょ、とギンにしてはおっさんクサい掛け声付きで腰を下ろすと、平子は丁寧に詰められた手弁当を覗き込んだ。香り良し、彩り良し、見るからに美味そうなそれに、視線が釘付けになる。
「あげんよ」
「くれとは言うとらん」
「あ!」
「部下のモンは俺のモンや」
無断で横からかすめ取られたおかずの一つは、平子の口の中に吸い込まれていった。ギンは眉を吊り上げ、大人げない上司を睨みつけた。平子はむぐむぐと口を動かし、悪びれた様子も無くにやりと笑った。
「まあまあやな」
「勝手に食うといて『まあまあ』!? 返してボクのおかず!!」
「春本でえぇか?」
「そっちのオカズはいらんっ」
幼気な少年に向かって何てことを言うのだ。まあまったく興味無いわけではなかったが、そんなものが無くてもこちとら女には困っていない。色々教えてくれるお姉様方のお誘いは引きも切らないのだから、ともはや幼気じゃない事実がギンにはあった。
「このお弁当はそういう色っぽいもんとちゃうの」
取られまいと弁当を大事に抱え、敵意を剥き出しにしたギンを見て、平子はそれ以上手を伸ばしたりはしなかった。真相を話したい、というギンの心情を感じとったのかもしれない。腕を組んで黙り込んだ。そういうところは大人なんだと感心して、ギンはここ最近起こったことを語り始めた。
その猫との出会いは土砂降りの雨が続く梅雨の時期だった。隊舎から自宅に帰る道中、近道しようと入った路地裏で、身体を丸めてぐったりしている毛玉を発見した。
特に珍しくもない野良猫である。ギンは一応は立ち止まりはしたものの、すぐに興味を失って通り過ぎようとした。しかし雨に混じる血臭に気がつき、今一度猫を振り返った。
「怪我しとんの?」
顔を覗き込むと、猫と目が合った。じっと見つめてくる小さな茶色の瞳が、妙に賢そうで、ギンは思わず魅入ってしまった。蛇の目傘を肩に掛け、ギンはゆっくり手を伸ばす。
途端、尻尾で弾かれた。触るなとでも言うかのように、茶色の瞳がきらりと光った。
随分と気位の高い猫だ。泥にまみれて薄汚れているくせに、自分が人間よりも上だとでも思っているのだろうか。面白くないものを感じ、ギンは強引に猫を抱き上げた。
「いたっ、いたたっ、」
引っ掻くは噛み付くは、猛烈に暴れ出す。猫が疲れて大人しくなる頃には、傘は吹き飛び、ギンまでもがずぶ濡れになっていた。
家まで持って帰ると一緒に風呂に入り、傷の手当をしてやった。洗ってみると、中々どうして美しいオレンジ色の毛並みの猫だった。
なぜ、という視線が猫から始終注がれた。ギンはふんと鼻を鳴らし、威張りくさって言い放った。
「えぇか、今日からボクがお前のご主人様や」
猫の耳がぴんと尖った。なんだと、と言っているのかもしれない。見えない眉間の皺を寄せて、猫が不機嫌も露にうなぁと唸る。ようやくこの偉そうな猫に一泡食わせてやったと、ギンは大いに満足した。
「その猫がこの弁当と何の関わりがあるんや」
「もう、話は最後まで聞いてくれます?」
茶々が入るも、それを期に水筒の茶を飲み下し、手早く残りの弁当をかき込んだ。昼休みはとうに過ぎているが、五番隊の最高権力者が隣にいるのを盾にして、満腹になった腹を擦りながらギンは話を続けた。
嫌がる猫の首に、首輪ならぬ着物の帯を無理矢理にくくりつけたこと。餌に猫まんま(ご飯に味噌汁をぶっかけたもの)を出したらひっくり返されたこと。一緒に寝たら知らぬうちに下敷きにして潰しかけたこと。そして名前は『みーこ』にしたことなど、気付けばにこにこ笑って話していた。
平子は片手で目元を覆うと、芝居じみた所作で肩を震わせた。
「俺は今、感動しとる‥‥‥」
「はぁ?」
「惣右介が見いだしたガキや、こら碌な奴やないと思っとったけど、‥‥‥すまんな、お前はえぇ子や」
大きな手がギンの頭を大雑把に撫でる。気持ちの良いものではなかったので、ギンは振り払った。
「みーこはまだ家におるんか?」
「怪我が治ったら出ていきよりましたわ」
猫とはそういうものだと平子が言い添えた。たった数日とはいえ、寝食を共にした仲だというのに、みーこは最初から最後まで薄情だった。
「でもなぁ、隊長さん。ボク、見たんです」
「何を?」
みーこがいなくなった日のことだ。早朝だった。外が白み始めた頃、ギンは隣に誰かの気配を感じた。みーこだろうと思って手を伸ばす。しかし手触りがまったく違った。眠気を抑えて薄ら目を開けると、知らない人間が横になっていた。
「みーこ?」
現世で言うと、十五に相当する年頃だろうか。気の強そうな茶色の目と、鮮やかなオレンジ色の頭髪。ほっそりとした首には、ギンが結んだ着物の帯が。
みーこだ。なぜかすんなりそう信じて、ギンはへにゃりと笑った。
みーこは眉間に皺を寄せ、怒ったような顔でギンの頬を数度撫でた。みーこは素っ裸だった。柔らかそうな胸のふくらみを布団に押し付けた状態で、しばらくギンを眺めていた。かと思うと、するりと布団を抜け出し、やがて部屋を出ていった。
「お前っ、それは間違いなくみーこや!! ぉおおっ、男のロマン!!」
「ちょっと隊長さん、興奮しんといてくれる? ボクのみーこやで」
不思議はそれに留まらなかった。拾った猫が人間の娘に変身して添い寝、というくだりをギンはそのとき夢だと信じていた。しかし寝ぼけ眼で居間に行ってみると、出来上がった朝食が卓に並べられているではないか。台所には味噌汁。見つけたときにはまだ湯気を立てていた。
「美味しかったなぁ」
自分で作るよりもずっと。
そしてみーこはギンの家から姿を消した。代わりとばかりに用意されていた朝食を、ギンは疑いもせずにみーこが作ったものだと解釈して、その日はありがたく頂いた。
「それからなんです。ボクがおらん間に、ご飯が作ってあったり、部屋が綺麗に掃除されとったり、溜めとった着物やらが洗濯されとるんです。このお弁当だって、朝ご飯と一緒に用意されとるんです」
「猫の恩返しか‥‥‥下のほうの世話もしてほしいところやのぅ、少年」
「顔はえぇのに口は汚いからモテへんのやって、藍染副隊長が言うてましたで」
その意見には大いに賛同するところだ。癖のある美貌が評判の平子だが、同時に癖のある性格のせいで、隊長という高物件であるというのに女性隊員からは敬遠されがちだ。わざとそうしている処もあるのだろうが、損な人だとギンは思った。
それはさておき、話は猫の恩返しに戻る。色々と生活の世話をしてくれるのは大変嬉しいのだが、みーこはその姿を一切見せないのだ。
「なんでボクの前に現れてくれへんのやろ?」
「出てこれん理由があるんやろう」
「理由って?」
「知らん」
なんて役立たず。内心で上司を罵り、空になった弁当箱をぎゅうっと握った。
もう一度だけ会いたい。部下の些細な願いすら叶えられないで、何が護廷の隊長か。ギンが散々に無言の詰りをしていると、不意に平子が「あぁ!」と声を上げた。
「オレンジ色、一人知っとる」
「ほんまに!?」
きゃあと歓声を上げて飛びつくギンを華麗に躱し、平子は思い出そうとするかのように視線を上に向けた。次に喋りだすまでの短い時間が、ギンにとってはひどく長く焦らされたものになる。
「‥‥‥‥二番隊、やろなぁ。たしかそんときは夜一が‥‥‥‥あぁ、間違いあらへん。顔はよう覚えとらんけど、あの髪や。たしかにオレンジ頭の死神が、夜一の部下におったで」
曖昧な証言だが、既にギンの中では確信めいたものになっていた。途端に胸が熱くなる。久しく覚えの無かった興奮が、腹の底から湧き上がってくるのを感じた。
「よかったなぁ」
頭を撫でられても、今度はギンも振り払ったりはしなかった。おそらく最初で最後の尊敬と感謝を平子に感じ、素直に礼の言葉を言った。
「‥‥‥‥平子隊長、‥‥‥市丸?」
そのとき、恐る恐るといったふうに背後から声がした。二人同時に振り返ると、未知との遭遇を果たしたような顔の藍染を見つけた。
「仲良く何を話していたんですか?」
長い休憩を咎めるよりも、そちらに興味を惹かれたらしい。ギンと平子は顔を見合わせ、同じような笑みを浮かべると同じ言葉を言った。
「ナーイショ」
「意地悪ですね」
「男のロマンや。惣右介、お前には分からんやろなぁ」
「おや、僕も歴とした男ですよ?」
だが拾った猫が人間の娘に変身して恩返しと聞いたら、この男のことだ、一笑に付すに決まっている。夢があるね、なんて言いながら内心では恐ろしくどギツイ言葉でギン達を馬鹿にするのだろう。誰が教えてやるか。
ギンは弁当箱を風呂敷で包むと、平子とは意味深な笑みを交わしあい、藍染には適当な誤摩化し笑いを浮かべ、さっさとその場を後にした。
行く先はもう決まっている。いざ、二番隊。