繋がっているようで繋がっていない100のお題

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  021 幼く甘い色香を放ち  


 花冷えと言えば風流だが、虚弱な浮竹にとってはまさに天敵である。
 油断をして薄着になった途端、風邪をひいた。
「寒い‥‥」
 ぶるりと体を震わせ、布団を手繰り寄せる。芋虫みたいに身体を丸め、足下の湯たんぽで暖をとった。しかし昨夜用意したそれは既に大した熱を持っておらず、浮竹はさらに身を縮めて寒さに震えた。
 枕元にある鈴に手を伸ばす。猫の首に括り付けるには少々ごつ過ぎる造りのそれを振ると、ちりりんというよりもガランゴロンと無骨な音がした。
 数秒後、やってきたのは海燕だった。
「はいはい、なんスか。氷嚢ですか、薬ですか、尿瓶ですか、どれがいいですか」
「ゆたんぽ‥‥」
「交換してきます」
 ついでに寝間着の替えも持ってきますと言って、海燕はさっさと部屋を去っていった。寂しい。もうちょっと話をしたかったのに、と浮竹はいじけて顔の上まで布団を被った。体が弱ると人恋しくなる。この時期、護廷はどこも忙しい。暇を見つけては見舞いに来てくれる親友も最近とんと音沙汰ない。来るのは書類、書類、そして書類。
 浮竹が眠る布団をぐるりと囲むように書類の塔がいくつか出来上がっていた。右を向けども左を向けども書類しか見えない。ここはまったくもって病人には相応しくない環境だと浮竹は思った。
「一護‥‥」
 今頃、仕事に追われているであろう恋人の名前を唇に乗せた。
 一護、会いたい、触りたい、口付けたい。
 最後に会ったのはいつだっただろう。最後に交わした言葉は何だっただろう。最後に触った体の場所はどこだっただろう、という考えに至ったところで猛烈な寂しさと欲求が浮竹を襲った。
 切ないというか、むらむらするというか、一護を思うともうどうしようもない。口付け止まりだった二人の関係も最近になって進展し始めているし、本来ならばこんなところで寝込んでいる場合ではないのだ。しかしどんなに一護を思えども、体は別物、まったく言うことを聞いてくれない。
 健康体であれば、と悔しさに枕を濡らす日々。さすがの一護も、愛想を尽かす日が来るかもしれない。
 最悪の未来を想像しているうちに、浮竹は眠りに落ちていった。これを現実逃避と言う。












 どれほど眠っていただろう。浮竹は不意に目を覚ました。
 室内は静まり返り、時計の秒針の音だけが聞こえている。瞼は閉じたまま、眼球をぐるぐると動かした。まだ眠っていたい。
 足下が温かい。新しい湯たんぽが置かれている、きっと海燕だ。
 気の利く部下に感謝し、浮竹は身じろいだ。そのとき、すぐ近くで気配が動く。誰かいる、海燕かと思ったが、柔らかい気配がそれを否定していた。
 一護だ。
「浮竹隊長?」
 起きているのか確かめようと、一護が身を乗り出しているのが分かる。光が遮られ、瞼の裏がわずかに暗くなった。真上には一護の顔があるのだろう、微かな吐息を感じた。
 浮竹は寝たフリを続けた。狸寝入りは得意だ、一護は気がつかず離れていった。
 しかし気配はそのまま隣にある。一護はすぐに部屋を出ていこうとはせず、ただ静かにそこにいた。カチカチと鳴る置き時計の秒針が一周した辺りで、浮竹の瞼の裏がまた暗く翳った。
「十四郎、さん、」
 ぼそぼそと名前を呼ばれ、ふっと吐息が顔にかかる。思わず目を開けようとした浮竹の唇に、知った感触が。
「十四郎さん、十四郎‥‥」
 切な気な声とともに、唇も積極的に動く。浮竹の薄いそれに重なっては離れを繰り返し、合間に名前を呼ぶ。上唇を食まれ、少しだけ引っ張られたり、おどおどとした舌が何度か掠めていく。
 布団の上に投げ出した浮竹の手に、一護の指が絡む。強く握りしめてしまえば起きてしまうと思ったのか、握る力は弱かった。けれど一本ずつ絡む一護の指先からは狂おしいほどの熱が伝わってくる。
「好きです。好き‥‥」
 はぁ、と震える吐息が悩まし気で。
 どうしようもなく体が疼く。目を開けて、頬を染める一護の顔が見たい。しかしそうしたが最後、一護は離れてしまうに違いない。だからもう少し、もう少しだけ。
「‥‥‥早く元気になってよ、‥‥元気になって俺に、」
 何をしてほしいと言うのだろうか。熱い吐息がそれを雄弁に語ってはいたが、言葉にしてほしいと願ってしまう。一護の唇から、強請る言葉が聞きたい、言わせたい。
 目を、開けてしまおうか。逃げるだろう一護を捕まえて、体の下に引き込んでしまおうか。甘く囁き体を撫でて、服を脱がして素肌に触れて‥‥‥駄目だ、不埒な想像が止まらない。
 浮竹が己の妄想にもやもやとしていると、ふと口付けが止んだ。絡めた指も離れていく。
 行かないでくれ。寂しさから思わず瞼を開きかけたとき、右半身辺りにぴたりとくっついてくる温もりを感じた。そして胸板をゆっくり撫でる手。肩に当たるは浅い呼吸。特に胸を撫でる手の動きが愛撫のようで、誘っているのかと勘違いしてしまいそうだった。大胆な子だったんだな、と妙な関心さえ抱くも、浮竹はやはり大人しく寝たフリを続けた。
 やがて隣から、すうすうと小さな寝息が聞こえてくる。浮竹は薄く瞼を開き、隣を眇め見た。思った通り、そこには浮竹に寄り添い眠る一護がいた。意志の強い目を瞼の裏に隠し、完全に寝入っている。
 浮竹はようやく、ほっと息を吐くことができた。が、心臓の音は相変わらず煩いほどだ。すぐそこに無防備な恋人が添い寝しているという絶交のチャンス‥‥いやいや寝込みを襲うつもりはまったくない‥‥困った状況に、どうしたものかと悩んでしまう。
「‥‥‥熱いな、」
 足下の湯たんぽを蹴り出したいが、少しでも動けば一護が目覚めてしまいそうでできなかった。隣で寝ている一護だけで充分な温かさに、浮竹の頬は健康的に色づき始める。
 今は慣れないが、いつかこんなふうに二人一緒に眠ることが当たり前になる日が来るのだろうか。子供、も産んでくれるようだし。つまりは夫婦になれる日が。
「‥‥‥‥ぐっ、‥‥‥いかんいかん、」
 思わずぐへへと品のない笑い声が出そうになって、浮竹は慌てて唇を引き結んだ。しかしすぐに口元は緩み、浮竹の胸はほくほくと温まる。
 遅すぎる春の到来。父上、母上、十四郎はやりました。いつまで経っても結婚しないでふらふらしている親不孝者でしたが、今隣に未来の妻が眠っています。
 天井の木目が次第に両親の顔に見えてきた浮竹は、そんな報告をした。
「う、ん‥‥」
 不意に声を漏らし、一護が身じろぎする。見ると、寝返りを打って反対方向にころりと転がっていくではないか。浮竹は咄嗟に起き上がり、遠ざかる一護を捕まえていた。
 ふぅ、危ない危ない。
 何が危ないのか自分でもよく分からないが、元の位置に戻そうとしたときだった。
 ぱちりと開いた茶色の目が、浮竹を見上げている。この状況、そして体勢、理解した一護の頬が、ぱっと赤く染まった。
「あのっ、‥‥いや、えっと、これはっ、」
 哀れなほどに狼狽える一護の姿を、浮竹は何も言わずに見つめていた。その真剣な眼差しに射抜かれて、一護の言い訳は次第に尻窄みになって消えてしまう。しきりに瞬きを繰り返し、その目が不安そうに揺れていた。
 怯えているのだろうか、胸の上では手がきつく握られている。それをとると、浮竹は己の唇へと持っていき、指先をぺろりと舐めた。一護は一瞬で耳の先まで赤くして、冷や汗まで浮かべ始める。震える指先に、浮竹はふと笑った。
「一護」
「は、はい、」
「今度、俺の両親の墓参りに行こう」
「はい? え、うわっ‥‥‥」
 噛み付くように唇を重ね、ねっとりと舌を這わせる。あっという間のことに、一護は目を見開いて硬直していた。けれど角度を変えて口付けていくうちに、一護の目は恥ずかし気に伏せられていった。
 握った手を首の後ろへと導くと、しっかりと縋ってくる従順さに、随分と心を許してくれるようになったと思う。最初がまず殴られる、というハードルの低さだったのだが、それはそれ。今は存分に楽しもうじゃないかと、恥じらう一護に容赦なく濃厚な口付けを与えた。
「はぁっ、はふ、‥‥‥ちょっ、はぁっ」
 何かを訴えるように一護が背中をばしばしと叩いてくるが、浮竹はそれを無視して増々燃え上がっていた。欲求不満の男の力を舐めてもらっては困る。胸に手を突っぱねてぐいぐい押し返してくる一護の抵抗を易々と封じ込めながら、浮竹の手がわずかに膨らむ胸に伸びた。
「‥‥‥‥!? んー! んー!!」
 ばたばた暴れる一護の足を、己の両足で挟み込む。こんなにも抵抗されるのは逆に新鮮で劣情を刺激されると知ったのは一護と出会ってから。溺れてるなあ、としみじみ感じ、触るだけだからと耳に囁きかけながらも、一護の胸をやわやわと揉みしだいた。
「ん‥‥っ、うっ、‥‥うしっ!」
 随分と変わった喘ぎ声だ。まあでも一護だからどんなのでも可愛い。モーって鳴いても可愛い。
 それにしてもこの感触。一護、サラシを付けていないのか危ないぞ。今は好都合だけど。
「いててっ」
 思い切り後ろに髪を引っ張られ、見ると一護が今にも泣きそうな顔で浮竹を睨みつけ、背後を指差している。
「‥‥うしっ、うしろ!!」
「へ?」
 振り返ると、海燕が呆れた顔で立っていた。一護と似通った海燕の眼差しが、何やってんだと言っている。
「浮竹隊長」
「お、おう、」
 浮竹は海燕に弱い。正確には海燕の顔に弱い。海燕に叱られたり呆れられたり嘆かれたりすると、一護にそうされているようで胸が痛むのだ。海燕がもし女だったらちょっとした間違いを起こしそうだと言って殴られたのは記憶に新しい。
「元気そうで安心しました。その性欲、こっちにぶつけてください」
 目の前に突き出されたのは書類の束。浮竹はつい先ほどまで火照らせていた頬をさっと青ざめさせた。
「いっ、嫌だっ、この部屋を見ろ! ちょっとした都市になってるじゃないか!」
 書類の塔がずらずらと。しかし海燕は冷静に口を挟む。あんたのせいでしょう、と。
「これ全部片付けるまで、一護断ちですからね。おい、一護。こっち来い」
「は、はい、」
 一護とて海燕には弱かった。浮竹みたいに甘やかしてはくれないし厳しいところはとことん厳しい。こくこくと首を縦に振り、素直に海燕の軍門に下った。
「湯たんぽ持ってくだけでなんで襲われてんだ。隙が多いんだよ、お前は」
「っす、すいません‥‥」
 まさか自分から仕掛けたとは言い出せない一護は、その身を小さくさせて俯いた。
 取り残されたのは浮竹一人。背後に書類の塔が控えていたが、いらないそんな味方。
「やることやってからヤってください。じゃ」
 襖の音が、一人の室内に無情に響いた。
「一護断ち‥‥」
 この高まった体の熱、どうしてくれよう。

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