繋がっているようで繋がっていない100のお題
024 飼い馴らせるのではないかと幻想を抱き
一見、優しそうな男だった。地味だが見る者が見れば一級品だと分かる着流しに、穏やかな物腰。ゆったりと歩く所作や、視線一つをとっても貴族と通じるものがある。
カモ発見。
一護は狭い路地に身を潜めながら、通りを歩く男の品定めをしていた。貴族の子息が流魂街に物見遊山か。近くに遊戯場もあることだし、日が沈むまでの暇つぶしだろうと一護は思った。
ここは、流魂街の中でも治安の良い区画だった。だから従者も付けずに貴族が一人でふらふらしていても、それほど珍しいことではない。しかし、それでも破落戸は存在するし、一護のような子供もいる。気を抜き過ぎて、痛い目を見ることもあるのだ。
「なあ、おじさん」
親しげに声を掛けつつ、一護は路地から身を乗り出した。通行人はたくさんいたが、その男は正確に一護の声に反応して振り返った。
「‥‥‥‥なんだい?」
一護はにやりと笑いそうになるのを押しとどめ、にこりと笑って男に近寄った。その際、男から香の薫りが漂ってきて、これはいよいよ良いカモだ、と一護は内心ほくそ笑む。
「一人?」
「あぁ、この通り」
分かりきったことでも、男は丁寧に答えてくれる。一護みたいに汚い格好をした子供が話しかけてきても、接する態度はそれは立派だった。
嫌だな、良い奴じゃないか。
一護は少し罪悪感を覚えるも、それを振り切り、男の二の腕に触れた。
「ちょっと遊んで行かないか」
これだけで、大抵の男は理解する。一護の体を上から下まで舐めるように見渡して、少し考え込み、そして頷く。一連の動作をした後に、一護の腕を引っ張って暗い路地に入っていくのだ。
この男はどうだろうか。一応相手を見定めて、のってきそうな男にだけ声を掛けているのだが。この男の場合、真面目そうに見えるが、遊びには長けているように見受けられる。
誘いに乗るか、乗らないか。この瞬間が、一護にとっての一番の緊張のときだ。
「君は、男の子?」
「そうだけど、女のほうがいい?」
「‥‥‥‥‥いや。そうだね、たまには君みたいな子と遊ぶのもいいかもしれない」
意外だ。
と思ったのは、男の視線が他とは違うと感じたからだ。一護のことを面白そうに見つめてはいるものの、下品な感じとは程遠い。なにか企んでいるような‥‥まさかな。
「じゃ、行こう。こっちにいい場所があるんだ」
再度、男の腕をとり、一護は路地裏に案内した。素直についてくる男に何か違和感を感じつつも、いつもの場所に引っ張っていく。
「君はいつもこんなことを?」
「悪いか。体しか持ってねえんだ、仕方ねえだろ」
「いいや、悪いだなんて。むしろ立派だよ」
その言葉に驚いて一護が顔だけで振り返ると、男が静かに笑っているのが見えた。日が沈み、暗くなってきた空の下、暗く沈んだ路地裏において、その笑みはなぜか一護に不安を抱かせた。
不安? いや違う、これは危険だ。
ぞわっとした感覚が体を駆け巡り、一護は思わず男の腕を離していた。
「どうしたの?」
男が優しく聞いてくる。眼鏡の奥の人の良さそうな目が、一護を穏やかに見下ろしている。
今、気がついた。この男、ただの貴族ではない。
触れた二の腕の筋肉はどうだった。鍛え抜かれたそれではなかったか。
「やっぱりっ、やめだ、」
しまった、この男はいいカモどころか、最悪の外れクジだ。自分としたことが、よりにもよってこんな男に声を掛けるなんて。
「待って。これから遊ぶんだろう?」
男は何が面白いのか、顔色を無くした一護を楽しそうに眺めてくる。逃げようとする一護を、その鍛えられた腕が捕まえた。
「金はっ、まだもらってない!」
「では今払おう」
「いらねえよっ! おい、離せ!」
振り回した手を掴まれ、背中で捩じ上げられる。少しでも動かすと激痛が走り、一護は悪態をついた。
「この野郎っ、離せって言ってんだろうがっ、死神!」
男が背後でくすりと笑った。一護の腕をとったまま、壁に押し付ける。
首筋に男の吐息を感じ、一護は不快感に思い切り後方を睨みつけた。
「最近、貴族がこの辺りの路地で襲われる事件が多発していてね。なんでも犯人は少年で、そう、陰間? ほいほいついていったが最後、昏倒させられた挙げ句に身包み剥がされていると言うんだ。なんとも情けない話だろう?」
「おっ、俺じゃねえ!」
「うん、そうだね」
「あ‥‥‥?」
「だって君は女の子だ」
知らず、肩が跳ねた。一護は目を見開き、男を見る。
男は、やはり面白そうに一護を見つめていた。しかし掛かる力は相変わらず容赦がない。
「不思議に思っていたのだけれど、どうして男のふりを? 女のほうが相手は油断しやすいし、僕も引っ掛かったかもしれないのに」
一護は黙秘権を行使した。言いたくない、絶対に。
「もしかして、誘ったら相手が勝手に男だと勘違いした、とか?」
やはり一護の肩が跳ねた。
畜生、バレた。
「‥‥‥‥‥っく」
「っわ、笑うな! それになぁっ、男のふりしてたほうがいっぱい引っ掛かるんだよっ!」
「貴族には稚児趣味が多いと聞くからね。しかし、ねえ‥‥‥はは!」
「笑うなって言ってんだろうが! あぁもう離せよ! もうしませんー! ごめんなさいー! おらっ、これでどうだ死神!」
「まったく反省の色が見られないな。‥‥‥このまま役所に突き出してもいいのだけれど?」
一護はざっと青ざめた。今まで襲って身包み剥いだ男達は貴族ばかり。最悪、死刑だ。
暴れて逃げるか。いや、無理だ。この男は下っ端の死神なんかじゃない。こんなのが下っ端であるなら、護廷は化け物だらけになる。
奥歯を噛み締め、一護はゆっくりと息を吐いた。覚悟を決め、男を見る。
「‥‥‥なんでもする。見逃してくれ」
「もう二度としないと誓えるかい?」
「誓う。何に、って言われたら何も無いから困るけど」
家族なんていない。いたら、こんなことはしていない。自分一人だから無茶ができた。
淡々と述べる一護に、男がようやく腕を解放してくれた。
「なんでもすると言ったね?」
「言ったけど‥‥あんまり変な要求するなよ、死神」
痛めた腕を擦っていると、男がぽん、と一護の頭に手を置いた。そして慈愛に満ちた笑みで、言った。
「では今日から君は、僕の奴隷だ」
「‥‥‥‥へえ、それがプロポーズの言葉ですか」
「今にして思うと、ね。彼女は感動のあまり、声を失っていたな」
上司の馴れ初め話に、ギンは乾いた笑みを張り付かせて聞いていた。
ちょうど今の自分と同じ役職に就いていたとき、藍染は今の妻と出会ったらしい。
「その後、屋敷に連れ帰ってね。最初はまったく役に立たなくて、何度か捨てようと思ったのだけど、どうしてもできなかった。なぜかな、文句も言わずに麦飯を食べる姿に心打たれたのだろうか」
「ひどっ! 白米食べさしたりいな!」
「当時は奴隷だったんだよ? 白米なんて、もったいない」
鬼畜だ。この男に拾われた妻とやらに、ギンは心の底から同情した。
「それでよく結婚っていう運びになりましたな‥‥」
「成り行き、というのもあったのかな。朝、目が覚めたら隣に寝てたから。そうそう、手首に縛った痕があったなあ」
「ひぃい‥‥っ」
「そのときは、なんでここにいるんだと追い出したな。それから何度か同じようなことがあって、」
「聞きたない! むごいっ、むごすぎる!」
まだ見ぬ藍染の妻に同情心が湧き起こる。おそらく尸魂界一の不幸を背負っているに違いない。
「それでね、ある日とうとう逃げ出したんだ」
「もうえぇですっ、やめて藍染隊長!」
首に縄でも付けて屋敷まで引きずったのか。それとも逆立ちして帰ってこいと命令したとか。この男ならやりかねない。
「もう腹が立ってね。見つけたらどんなひどいことをしてやろうかと考えていたんだが、」
ギンは両耳を塞いだ。恐ろし過ぎて聞けやしない。
「実際に見つけると、なぜか私は跪いていて‥‥‥‥あの子に、許しを乞うていた」
だから何も聞こえなかった。あの藍染が、他人に対して膝を折っただなんて。
「余計なことを喋り過ぎたな。ギン、今のは忘れてくれ」
「‥‥なんです、っていうか、怖い話は終わりました?」
ぎゅーっと耳を押さえていたギンが、きょとんと見返した。藍染はしばし瞬きを繰り返すと、緩く首を振った。
「いや、なんでもない。私はもう失礼するよ」
「あっ、奥さんによろしゅう伝えといてください。それと、挫けんといてとも」
「‥‥‥‥君は誤解している」
それだけ言うと、藍染はさっさと帰っていった。いつも定時に帰る上司に、愛妻家だと周りは言う。しかし実態は、藍染の奴隷だ。今も麦飯だったらどうしよう、不憫すぎる。
ギンの中で、藍染の奥様像だけが勝手に膨らんでいった。