繋がっているようで繋がっていない100のお題

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  026 節ばった手で捕らえられ  


 狡猾で、俊敏で、狙った獲物は逃さない。
 それが蛇だと誰かが言った。

「起きろ」

 揺り動かされ、一護はううんと唸った。
 誰だろう。自分はたしか、一人暮らしの筈だったが。
 ‥‥‥‥いや、違う。
「わぁあっ!!」
 かっと目を見開くと一護は飛び起きた。自分の部屋ではない。室内には積み重ねられた専門書や、吸い殻の溜まった灰皿、それらを見渡して、一護は冷や汗が浮かぶのを感じた。
「早速で悪いが、メシ作ってくれ」
 一護はぎくしゃくと隣を見やった。何やら難しそうな本を片手に、男が同じ布団に腰を下ろしている。
「どうした? まだ寝てんのか」
 男の手が一護の頬に伸びる。するりと撫でられて、後頭部を引き寄せられた。唇にひやりとした感触が重なって、男は離れていった。
「おはよう」
 そうされて、ようやく一護は今の状況を理解した。
「‥‥‥‥‥おはよう、ございます、‥‥阿近さん」
 一護は昨日から、彼と同棲している。












 阿近とは修兵を介して知り合った。技術開発局の主任、というのが彼の肩書きだった。
 初めて見たときは爬虫類に似ていると思った。仲良くなった頃、蛇を連想したと言ったら軽く小突かれた。
「黒崎」
 一護のことを下の名前で呼ぶ者が多い中で、阿近だけは名字で呼んだ。それがこの人との距離なのだと一護は思っていた。
「黒崎。お前、浮いた話は無いのか」
 仲間内で飲みに行ったときだった。普段は研究で忙しい阿近が参加しているのは珍しいことだった。
 一護は即座に首を横に振って否定した。
「まさか。俺こんなだし、あり得ない」
 目の前では一角が褌一丁になって踊っていた。それを囃し立てる乱菊と恋次、酔い潰れる吉良と、飲み比べをしている修兵と弓親がいた。
 一護は焼酎の水割りをちょびちょびと飲みながら、もはや周りの馬鹿騒ぎについていけないと思っていた。そんな中、阿近だけは酒なんて一滴も飲んでいないというような真白な肌をして、一護の隣で酒を煽っていた。
「一度もか?」
「俺、生きてたときもそうだけど、男とは付き合ったことなんか一度も無い。殴り合いの喧嘩ならしょっちゅうだったけど、甘酸っぱい思い出は‥‥‥‥やっぱ無いな」
 むしろ血腥い思い出ばかりだ。だから男と付き合うなんて考えに及ばないのだろう。しかし仮に、男と世間一般で言う恋人同士になった自分を想像してみると、一護は途端にげっと顔を歪めた。激しく己に似合わない。
「ふぅん‥‥」
「阿近さんは? 修兵さんから聞いたけど、かなりモテるって」
 もちろん俺には適わないけどな、という注釈付きで。
「俺は普通だ」
「普通って何だよ。阿近さん、科学者なんだろ。もっとさあ、詳しく言ってくれよ」
「こういうことは自分からべらべら喋るものじゃない。男の品格を下げる」
 そう言って、阿近は酒に口を付ける。その堂々とした態度がきっと女にモテる要因なのだろうと一護は思った。
 それからどうにかして一杯飲みきった頃には、一護は意識をつなぎ止めることさえ苦労するほどに酔っていた。アルコールと男は自分には縁が無い、朦朧とする意識でそう思っていると、ふいに手首が熱くなった。
「黒崎」
 見ると阿近が真剣な顔で一護の手首を掴んでいた。
「出るぞ」
「え、あ‥‥」
 足下のおぼつかない一護はそのまま連れ去られるようにして店を後にした。それからの記憶は一切無い。
 目が覚めたときにはもう朝で、裸の一護の隣には同じく裸の阿近が眠っていた。

「責任」

 一番に言われた言葉に一護は目を丸くした。そして酒の残る思考で、責任の意味を考えた。
「は? せき、にん、?」
「そうだ。責任、取ってくれるだろう?」
「‥‥‥‥あれ? おれ、俺が?」
 混乱する頭を急いで整理してみて思ったことだが、こういう状況で非があるのは男である場合が多いのではないのだろうか。
 しかしそうであった場合、阿近が自分を襲ったことになる。やはり何かの間違いだと考えざるを得ない。
「酔った勢いで俺を手篭めにしたんだ。責任取るよな?」
「‥‥‥は、っえぇ!? 俺!? 俺が阿近さんを!?」
 雷に打たれたようなショックとはこれほどのものか。一護は上から下まで突き抜けた衝撃に、思わず布団の上から立ち上がる。そのせいではらりと落ちた襦袢に、今度は悲鳴を上げて座り込んだ。下着は一切つけていなかった。
「っう、うそっ、うそだっ、そんなんぜったいっ、嘘に決まってる!!」
 落ちた襦袢を胸の前で掻き合わせて、一護は半狂乱になって否定した。自分がまさか阿近を襲うなんてあり得ない。
 阿近は涼し気な顔で胡座をかいて、取り乱す一護を眺めていた。着崩れた襦袢よりも白い肌には綺麗な筋肉が乗っている。酔った一護を制することなんて男の阿近には容易い筈だ。
「黒崎、お前は現役の死神。対する俺は日がな一日研究室に籠っている科学者だ。酔って制御の利かなくなったお前に勝てるわけないだろうが」
「でもっでもっ!」
「凄い力だった。あっという間だったな」
「‥‥‥‥‥‥‥」
 何がどうあっという間だったのだろう。考えたくもなくて、一護はついに項垂れた。阿近の言うことが本当だったら、自分はなんて最低なことを。
「責任、取ってくれるよな?」
「‥‥‥‥‥はい。‥‥‥ごめんなさい‥‥」












 技局と十三番隊への分かれ道。
 そこに至るまで、二人はまるで恋人同士のように並んで出勤した。実際には恋人同士なのだが、一護のほうには自覚は無い。途中、阿近がふざけて手を繋いできたのには、一護は心臓が止まる思いをしたものだ。
「今日は早く帰られる」
「え、」
「待っててくれ」
「っあ、‥‥‥‥はい」
 どこかもじもじしている一護に、阿近はふっと笑うと顔を近づけてきた。思わず後ろに引く一護の腰に手を回し、阿近は難なく口付けた。
 朝したときよりもずっと長くて濃厚な口付けだった。頬が、全身が熱い。一護はふらふらと後退すると、真っ赤な顔を隠すように俯きながら、持っていた包みを差し出した。
「‥‥‥あの、これ、弁当、」
「あぁ、悪いな」
 渡す瞬間、阿近の指が一護の手の甲を撫でていった。その動きがどこかいやらしいと感じたのは被害妄想だろうか。
「じゃあな、一護」
 名前で呼ばれ、一護はぱっと顔を上げた。笑みを浮かべる阿近が踵を返すところだった。
 その流し目は、やはり蛇を思わせた。

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