繋がっているようで繋がっていない100のお題

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  028 愛はいらない食べるだけ  


 その日は凍えるような寒さだった。
 指先や髪、心臓までもが凍ってしまいそうな、そんな夕暮れ時。
「‥‥‥‥結局は、儂の問題なのだ」
 二人の間に距離など無かった。着物を通して互いの体温が伝わってくる。
「優しくするほうに罪は無い。優しくされて、それを毒だと思う儂に罪があるのだ」
 冷気が肌を刺す。ぴりぴりとした痛みに、そのまま体が引き裂かれそうな感覚を一護は覚えた。いつの間にか、目が痛いほどに熱くなっていた。
「優しさはときに誰かを傷つける。残酷な言葉や暴力よりも、そういったものが人を打ちのめすことがあるのだ。稀なことではあるがな」
 狛村の低い声は一護の体へと染み込むように響いてくる。この声が好きだと言えば、それも優しさだと言われるのだろうか。
「折角優しくされているのだ、何を卑屈なと思うかもしれんが‥‥‥‥こればかりはどうしようもないのだ」
 凍った髪をそっと撫でられた。薄い氷を恐る恐る撫でるような、そんな手つきで。
「だから一護、」
 するりと手が離れる。暖かそうな毛並みに覆われた引き締まった腕、それを追うように一護は手を伸ばしたが毛先を掠めるだけで触れ合うことはなかった。
「こうして会うのはこれが、最後だ」
 ついに二人の間に距離ができる。
 空いた空間に、冷たい風が吹き抜けていった。










 季節が一巡りして。
「君は馬鹿だよ」
 冷たい空気の中、縁側に座って語らっていた友からの突然の台詞。
 狛村は茶を飲もうと上げた腕を下ろし、東仙を見た。
「唐突だな」
「そうだね、口に出すの初めてだ。でも、ずっとそう思っていたよ」
 白濁した東仙の目は、しかし何よりも澄んでいる。濁ったものもその澄んだ眼で映しとり、ずばりと本質を言い当ててしまうのだ。狛村は不自然にならないように顔を背け、冷たい空気だけを感じるよう努めた。
「修兵が失恋したんだ」
「檜佐木が?」
「でも諦めない、諦めてたまるかって息巻いてたよ」
 話の筋が見えない。先ほど言われた言葉と無関係ということは無い筈だ。
「雀」
「‥‥‥‥?」
「可愛いね」
 馬鹿、檜佐木が失恋、そして今度は雀ときた。狛村はいよいよ訳が分からなくなった。東仙は意味の無いことをただつらつらと話すような人間ではない。話の中には一本筋が通っている、そんな会話の仕方をする人間だ。
「煎餅、やってもいいかい?」
「‥‥‥‥あぁ」
 茶請けに用意していた煎餅を一枚とるとぱきりと割って、東仙は粉々にしたそれを庭にまいた。遠目にこちらを伺っていた雀達が一斉に寄ってくる。東仙はその光景を見えはしないものの口元を綻ばせて眺めていた。
「この子達は餌が貰えるなら誰だっていいんだよ。私じゃなくても、相手が稀代の悪人でもね。腹一杯になればそれでいい」
 口を開いて出てきた言葉は意外にも辛辣で狛村は驚いた。
 あっという間に無くなってしまった煎餅に、雀達はもっとよこせと言わんばかりにチュンチュンと鳴いた。それを見て東仙はもう一枚まいてやった。
「人は優しくされたことに意義を見いだすけれど、この子達はそうじゃない。誰かが優しくまいた餌にこそ意味があるんだ」
「何が言いたい」
「つまりは人は雀と違い、優しさで以て生きていけると私は言いたいんだ」
 雀に注ぐ東仙の視線は優しい。相手は東仙ではなくてもいい薄情者だが、東仙はそれでもいいと思っている。それが東仙の優しさだと狛村は頭の隅でぼんやりと考えた。
 優しくしても報われないというのに。同じなのだ、この雀達と自分は。
「狛村、幸せかい?」
 二転三転する話にはもう慣れた。狛村は視線を地面へ落とし、頭を振った。
「考えたこともない」
「そう」
 風が吹いた。狛村にとってはこれくらいの冷風、どうということはない。しかし東仙はどうだろうか、死覇装に羽織一枚だけでは今の季節は凍えるような寒さだと同じ隊長格はぼやいている。
 そうして思い出したのは一年前の冬の日。
 あの子供は鼻先を赤くして、寒そうに身を縮こまらせていた。
「じゃあこの人だけに優しくしたい、優しくされたいと思ったことはあるかい?」
「‥‥‥‥ない」
「私はあるよ」
 そう言うと東仙は珍しく気取った笑い方をした。
「あの人だけだった。他には誰もいらないとそう思えるほどに、あの人が私のすべてだった」
 東仙の指が床に置かれた斬魄刀を撫でる。労るような指の動きはまるで『その人』に触れるかのようだった。
「私にとってはそう、それが幸せだったんだよ」
 少し俯いた東仙は今、過去に想いを馳せているのかもしれない。狛村は邪魔しないよう息を潜めて沈黙した。きっと東仙は知っているのだ、自分とあの子供のかつての関係を。
「幸せはそこにあるのに、どうして手を伸ばさない?」
「‥‥‥‥言っている意味が分からん」
「本当に?」
 しつこい。
 狛村の獣の口から唸り声が上がった。それを合図に雀達が一斉に飛び立った。
 しかし当然は相変わらず凛とそこに座っていた。
「黒崎君がね」
「もうよいっ」

「死んだよ」

 目の前が真っ暗になった。
 自分が立っているのか座っているのか分からない。東仙に名を呼ばれ、気付けば立ち上がっていたのだと知った。しかし思考は定まらない。自分がどうしてここにいるのか、その意味さえも狛村には分からなかった。
「‥‥‥‥‥‥‥一護が、」
「あぁ」
「死んだ‥‥‥‥?」
「だから言ったんだ。君は馬鹿だと」
 非難の色は無い。ただ憐れみだけが込められていた。










『あぁ、すっげー幸せ』
 一護はよく自分の毛並みに顔を埋めてはそんなことを言っていた。
 特に寒さが増すにつれて。
 あの日もそうだった。寒いと言って抱きついてきて、そんな一護を自分は引き離した。あれから一度も、言葉どころか視線すら交わしていない。
 それなのに。
 死んだ。
 もう二度と、
「‥‥‥‥‥左陣さん?」
「一、護、」
 幻だと思った。
 丁度太陽が雲の隙間から顔を出し、その姿を煌めかせていたものだから。
「あの、東仙隊長は? 呼ばれたんだけど、どこにもいなくて、」
 きょろきょろと首を巡らせればオレンジ色の髪が一層光を反射してきらきらと輝く。それが綺麗だと、一年前のあの日もそう思った。
「‥‥‥‥‥一護」
「あ、と、俺、出直してくる‥‥」
 視線が絡む前に一護は逸らしてしまった。そして少しずつ、狛村から距離をとる。
 久しぶりに聞く声は、控えめでよそよそしかった。
「失礼します、狛村隊長」
 最初に名前を呼んだことを恥じるように一護は頭を下げてその場を去ろうとした。
 向けられた背に、狛村は初めて思い知った。誰かに置いていかれることの、寂しさを。
「行くな」
 一護は振り返りはしなかった。ただ足だけを止めて。
「行くなっ、」
 去りゆく人を引き止めたことなど一度も無い。ただ受け入れるだけで、それが当然だと思っていた。
「儂を置いて、行かないでくれ」
 一護の頭が徐々に下がる。獣の鋭敏な聴覚に、泣いているのだと知った。
「一護」
「‥‥‥‥‥‥ぅ、ぐすっ、」
 ぽたぽたと雫が地面に落ちて染みを作る。一護の細い肩が震えそのまま崩れ落ちる寸前で狛村は抱きとめた。実に一年ぶりに感じる一護の体温だった。
「優しく、するなよ、」
「あぁ」
「ずるいっ、」
「そうだな。儂は、本当に」
 冷たい空気の中、一護の嗚咽が響く。声を耐えようと歯を食いしばるその姿がいじらしく、向かい合わせに抱き寄せた。
「‥‥‥‥‥固い」
 今は死覇装を纏っている、つまりは毛並みが見えないように着込んでいるわけで。
「全然、気持ち良くないっ」
 一護は泣きながら、それでも顔を狛村の腹辺りにぐいぐいと押し付けてきた。
「今だけ? 離れたらまた、最後だって言うのかっ、」
「言わぬ」
「一年、一年もっ、」
「もう離さぬ。目の前に、こうしているのに」
 冷たくなった一護の体、暖めようと更に深く抱き込んだ。固い痛いと不満な呟きが聞こえてきたが、一護は泣き腫らした顔で狛村の羽織を必死に掴んできた。
 離れたらお終いだ。そんな気持ちが伝わってくるようで。
 自分の都合で突き放したことを激しく後悔した。
「雀は」
「‥‥‥‥なにっ、?」
 捨てないでくれ、そんな目で一護は見上げてくる。あふれる涙を狛村はぺろりと舐めてやった。
「雀は誰でもいいそうだ。食べるだけ食べて、あとは飛び立つ」
「え、え?」
 顔を真っ赤にさせた一護の顔をもう一舐め。目を白黒させる一護の髪を何度も撫でた。
「だが儂は違う。儂はお前にだけ、優しくしてもらいたい」
 口付けの仕方など知らない。だから一護の唇に、鼻先をちょんと押し当てた。
「ぅあ、」
「お前だけだ」
「左陣さん、」
 狛村は跪き、一護と目線を合わせた。口を押さえて真っ赤になる一護に、懇願するようにその手を取った。
「儂は醜い、身も心も。それでもまた、お前は儂に優しくしてくれるだろうか」
 少し力を込めれば簡単に砕けてしまえる一護の手。しかしそれを至上のものであるかのように優しく握り、一護の返事をじっと待った。
 数えてみれば短い、けれど二人にとっては長い沈黙の後。
「‥‥‥‥‥寒い」
「一護?」
「抱きしめて」
 ぶっきらぼうにそう言って、一護はすんと鼻をすすった。
「抱きしめてくれよ」
 一年前も寒くて、寒くて。
「あぁ、一護」
 だから今日とその日の分、優しく優しく抱きしめた。

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