繋がっているようで繋がっていない100のお題

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  031 火炎に焼かれ  


 愛していたのか分からない。
 最初はただの好奇心だったのだろう。
 死神、破面、人間。そのどれもを持ち合わせていた。そんな稀有な存在に、興味を引かれないわけがない。
 どんな実験を試そうか、どんな薬物を投与しようか、どんな結果が出るだろうか。わくわくした。久し振りに胸が高鳴りを覚え、ザエルアポロを浮き立たせた。虚圏において実験材料の確保は容易ではあったけれど、そのどれもが独自性に欠け、ザエルアポロの知的好奇心を満たすには至らなかった。
 目の前で力なく横たわる実験材料を見下ろし、ザエルアポロは喉を鳴らした。血に濡れたオレンジ色の髪から、草履が抜け落ちた足の爪先まで、余すところ無く視線で舐める。
 従属官をすべて下がらせると、ザエルアポロはゆっくりとそれに近寄った。ぴくりとも動かないそれに眉根を寄せ、ここまで痛めつけたセスタを恨んだ。せっかくの希少な個体を著しく損壊されたことに腹が立ったが、どうにか横からかすめ取ることができた現状に良しとしようと、神経質な己を落ち着かせた。
「‥‥‥さて」
 見下ろせば、そこにある。
 モニター越しに見つめただけの希少種。戦った三桁から採取した残滓を分析し、自分でも色々と想像を膨らませていた死神もどきが、ようやく手の内へと収まった。
 緊張と興奮で震える手を伸ばし、まずは頬に触れた。
「柔らかい」
 押せば返す。弾力のある子供のそれに、特別な感慨を抱くことも無く、次は首元に。
「脈が弱いな」
 グリムジョーめ。舌打ちして、ザエルアポロは渋々それを抱き上げると検査台に乗せてやった。邪魔な死覇装を取払い、いくつかの細いチューブとそれとを繋げると治療に取りかかる。せっかく手に入ったのに、実験をする前に死なれては困る。
 必要な処置を終え、改めて見下ろすと、ザエルアポロはある間違いに気がついた。
「なんだ、雌か」
 荒々しい霊圧にてっきり雄だと思っていたが、その体は確かに雌、女のものだった。よくぞこんな細腕で虚圏に乗り込んできたものだと、呆れるよりも感心した。
 だが生きの良いほうがこちらにとっては好都合だ。試してみたい実験は一つではないのだから、耐えてくれないとつまらない。
 気を失っているそれを見下ろし、これからのことを考えると、ザエルアポロは笑いが止まらなかった。



 雄と雌。男と女。
 だから、それは自然の流れだったのだ。
 そう言うと、一護は烈火の如く怒りをあらわにしてザエルアポロに掴み掛かった。涙を散らしながら、ひどい奴だと罵って。
 一護の誇りをへし折るには十分なできごとだった。ザエルアポロは心地よい倦怠感に身を浸らせながら、胸を叩いてくる一護を抱き寄せた。死神の力を封じ込め、抗う虚の力を眠らせた一護は、力だけで言うのならただの人間に成り下がっていた。
 当初考えていた実験はやり尽くした。結果も満足できうるものを手に入れた。用無しになったものは従属官に払い下げるだけでいい。けれどそうしなかったのは、そうできなかったのは。
「最後の実験だ」
 泣き伏す一護に実験の主旨を告げた。そのときの絶望した顔といったらない。
 平らな一護の腹に頬を当て、ザエルアポロは楽しみだと呟いた。
 おそらくそのときは、ただただ己の知的好奇心を満たしたいが為の行いとしか感じていなかった。思いついた実験は、存分に遊び心が含まれていた。成功するなんてはなから思っていない。失敗しても別にこちらにとっては痛手ではなかったのだから。むしろ日々蓄積されるストレスや欲求といったものをうまく発散できて、ザエルアポロにとってはこれほど楽な実験はなかった。
 一護は泣いてばかりだった。勝ち気な性格もなりを潜め、常に怯えた態度を身に纏っていた。いつその日がやってきてしまうのか、毎日恐怖に震えて暮らしていた。
 気が狂いそうだと零す一護を宥め、死んだ方がマシだと吐き捨てる一護を抱いて、ザエルアポロはその日が来るのを待ち望んだ。



 結果は陽性だった。
 喜び勇んで一護のいる寝室の扉を開け放った。大きな寝台に横たわる一護がそこにいる筈だった。
「ーーーーールミーナ! ベローナ!!」
 おろおろした従属官が顔を見せる。しかし何も知らないと悟ると、ザエルアポロは廊下へと飛び出した。死神と虚の力を封じられた一護からは微弱な霊圧さえも感じることができない。
 嫌な予感が拭えなかった。まさか虚夜宮の外に。いや、その前に他の破面に捕まりなどしていたら。
 台無しだ。すべて。あれが失われる。新たに宿った命さえ!
「一護!!」
 金切り声のその向こう、禍々しい青色が見えた。
 その足下に、深紅。
「っあ! あぁあああああ!!」
 ヒステリックに叫び、転ぶように駆け寄った。
 一護、一護がっ、僕の宝が!
「こんなっ、こんなことがっ!!」
 ひどい有様だった。血の気の引いた一護の頬。首からはおびただしい量の血が流れ出て、床に血溜まりを作り出していた。
 手には刀が握られていた。斬月ではない。刃の零れたそれは、セスタの。
「自らしたことだと!? 答えろっ、グリムジョー!!」
 そいつはただ突っ立っていた。呆然とした顔で、馬鹿みたいに。
 乱れた一護の装束から、何があったかなど伺い知れる。なんて、なんてひどい。よくもこんな。
「あぁあ‥‥一護‥‥っ」
 唇の端から零れた血を拭いとり、白い頬に己のそれを擦り寄せた。やめろと抵抗する言葉も手も視線も無く、大人しくザエルアポロに抱かれていた。
 駆けつけたときにはまだ温かかった体も、次第に温もりを失っていく。ザエルアポロの腕の中で、一護がただの亡骸になっていく。
 悲しかった。罰を受けているのだと思った。
 自ら行った非道を、悔やむ日が来るなど思いもしなかった。











 愛していたのか分からない。
 そのときはただ触れられることに我慢ならなかった。あの男とは違う、繊細とはかけ離れた手が自分に触れて暴こうとするのに、どうしようもない嫌悪感を感じたから。
 相手の斬魄刀が目について、気付けば喉元を掻っ切っていた。我ながら馬鹿なことをしたと思う。痛みは一瞬だったけれど、急激に力が抜けていくのを感じた。
 本当は、もっと早くにこうするつもりだった。けれどできなかった。今日は駄目だ、明日。明日になると、その日は駄目でまた明日。そうして結局はずるずると引き延ばされて、なんとも無様な最後を迎える羽目になってしまった。
 諸悪の根源。このメガネ野郎に何か言ってやらないと気が済まない。
 なんて言ってやろう。なんて。

 ごめんね、あんなに楽しみにしてくれていたのに。

 謝る言葉が真っ先に浮かんだことには驚いた。違う、罵ってやりたい筈だ。
 馬鹿野郎とか、変態眼鏡とか、もっともっと汚い言葉を。
 けれど代わりにごぽりと音が鳴って、口の中に鉄臭い味が広がった。




























 薄暗い研究室。そこの主の周りだけ、照明が光っていた。
 ぼんやりとした男のシルエットに足音を消して近づく影が一つ。悪戯をするように、そっと背後に回る。
 ーーーわ!
 後ろから、ばっと抱きつかれる。それでも作業するこちらの動きに微塵の動揺も無いことを見てとると、その影は乱暴に肩を揺さぶってきた。
「こら」
 邪魔をするなと振り向けば、つまらない、と顔に書かれた一護がいた。その眉間の皺は、構ってくれという表れだろうか。しかし実験を中断するのも憚られ、仕方なく膝の上に乗せてやると、そのまま作業を続行させた。
 ーーー暇だ。
 ザエルアポロの肩に顔を埋め、一護はもごもごと口を動かした。その部分だけが熱くなり、次第に集中力が切れてくる。
 溜息とともに試験管を置くと、待ってましたと言わんばかりの一護と目が合った。思い通りになったのが癪で、剣呑な眼差しで睨みつける。少しも悪びれていない一護の顔がすぐそこに。そしてその下、首までかっちり着るタイプの装束に、ザエルアポロは無言で手を掛けた。
 一つ、二つと釦を外す。一護はそれを黙って受ける。抗議のしようも無いのだけれど。
 やがて白い喉元が晒されて、ザエルアポロはそこにきつく吸いついた。
 ーーー‥‥っは、はぁ‥‥。
 溺れたようにぱくぱくと唇を開閉させて、一護が無音で喘ぐ。そこを攻められるのが好きになったとは、皮肉なものだと思う。
 横へと一直線に走る傷痕を、ぺろりぺろりと舐め擦る。一護の指がザエルアポロの髪に潜り込み、震えながらも絡めとる。
 一護の唇がひくひくと戦慄いた。酸素を求めるのとは明らかに違う、唇の動き。目の端には涙が溜まり、陶然と潤みを帯びている。
「‥‥もう一度、呼んでくれないか」
 顔を上げ、懇願する。一護の唇を注視して、そのときを待った。

 ーーーザ、エ、ル、ア、ポ、ロ。

「あぁ‥‥」
 自分の名前が紡がれる唇の動き、その一つ一つが愛おしい。
 ザエルアポロの唇からは感じ入った声が零れ、次にはもう一護の体に縋り付いていた。
 ーーー実験は?
 無言で首を振り、一護の胸に顔を埋めて息を吸っては吐き出した。何の実験をしていたのか思い出せないでいたから、きっと大したものではないのだろう。
 柔らかな肉の上へと布越しに唇を押し付けて、ザエルアポロは無音で呟いた。

 ーーー愛している。

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