繋がっているようで繋がっていない100のお題
032 冷淡な大地へと
人気の無い廊下を、ノイトラはひとり歩く。いつも付き従っている従属官の姿は無い。
先ほどまでは煩いほど付きまとってくる輩がいたが、力の差を見せつけてやれば渋々引き下がった。しかしまた顔を会わせれば同じことを繰り返すだろう。あの男は執念深い。
自分の宮に着き、ねぐらとしている部屋の扉に触れる。中から知った霊圧を二つ感じ、それを不思議とも思わずにノイトラは扉を押し開けた。
「ノイトラ様」
寝台横に腰をかけていたテスラがすばやく立ち上がり、ノイトラを出迎える。それを一瞥して、ノイトラは寝台に近寄った。
「今日は遅かったのですね」
「あぁ‥‥馬鹿がしつこくてな」
手を伸ばし、寝台上の膨らみに触れた。冗談みたいにでかいぬいぐるみを抱きかかえて寝息を立てている子供の、一護のオレンジ色の髪を何度も梳かす。
「一度、起きられたんですよ」
「そうか」
十刃が招集され、ノイトラが部屋を出る前から眠っていたから、現世で言うと半日以上は眠っていることになる。ここ虚圏では時間の概念が無いせいか、ついつい寝過ぎてしまうのだと言っていた。
それにしても気持ち良さそうに眠っている。抱きしめているぬいぐるみはテスラが贈ったものだ。ノイトラにしてみたら奇妙な面のそれを、一護はどうやら気に入っているようだ。
その奇妙で馬鹿でかい図体を、一護から引き剥がし適当に床に放り投げた。テスラが非難じみたことを言っていたが、軽く無視してやった。
「‥‥‥‥ん、」
抱きしめるものを見失った一護の手が宙を彷徨う。それを握ってやり、隣に身を滑り込ませた。
ぬいぐるみの代わりにノイトラを抱きしめて、一護はなおも眠り続ける。無防備なその姿を眺めていると、先ほど絡んできた男を思い出す。
返せ、返せ、返せ!
馬鹿みたいに同じ言葉を繰り返す男。このあどけない表情で眠る子供が欲しくてたまらない憐れな男。
「苦し‥‥っ」
腕の中から呻き声が上がる。気付けば結構な力で抱きしめていたらしく、ノイトラは力を緩めてやった。
「俺を、殺す気だったなっ、」
胸を押し返して睨み上げてくる、その生意気な顔が気に入って、ノイトラはもう一度ぎゅうと締め上げてやった。ぎゃあぎゃあ騒いで暴れる一護を抱きしめて仰向けになる。力を抜けば、くしゃくしゃになった一護が恨みがましい目で睨んできた。
「せっかく良い夢見てたのに、お前のせいで台無しだ」
「どんなだ」
「‥‥‥‥言わねえ」
唇をひん曲げて、一護はそっぽを向いた。言えないような夢を見ていたらしい。興味をそそられるが、一護は口を割らないだろう。だったら聞くだけ無駄だ。
一護を上に乗せた体勢のまま、もう一度髪を梳いてやった。
「テスラは?」
忘れていた。視線をずらせば、テスラが座っていた椅子には代わりにぬいぐるみが鎮座していた。間抜けな光景にノイトラは一瞬言葉を失うが、どうやら気を利かせて退出したようだ。気付かなかった自分はよっぽど一護に夢中だったらしい。
「テスラって、面白いよな」
「そうか?」
ノイトラ様、という言葉以外には、記憶に残るような言葉は聞いた覚えは無い。テスラが聞けばひどいと嘆くようなことを考えていれば、一護が色々と話してくれた。
「あのぬいぐるみだってそうだろ。あいつ、美的感覚おかしいんじゃねえかな。ノイトラ様は美しいって言ってたぜ」
ノイトラは思い切り嫌な顔をした。男に言われても気持ち悪いだけだ。
一護は面白かったのか頬を緩め、ノイトラの胸板に頬図絵をついた。尖った肘がめり込んでくる。いや、大して痛くないからいいのだが、こいつは人の体をテーブルか何かと勘違いしているんじゃないだろうか。
「他の従属官の話もしてくれた。会いたいって言ったら、ノイトラ様がお許しになられたら、って‥‥」
頬図絵から一転、一護は胸板にぺたりと頬を寄せてきた。下から伺うような視線が計算なのか天然なのか分からない。
「なあ、いいだろ、ちょっとだけだからさ」
「外に出るのは許さねえ」
あの男の顔が思い浮かぶ。
「だったらあんたもついてきたら?」
「面倒くせえ。会ってどうすんだよ、戦うわけでもねえんだろ。面白味も何もねえ」
そう切り捨てた途端、一護が起き上がり、ノイトラの頬を平手打ちした。二人しかいない部屋に乾いた音が木霊する。一護は息を荒げ、拳を握りしめて言った。
「あんたとばかり話してるっ、こっちのほうが面白くも何ともねえよ!!」
叫んだ後には苦し気な呼吸だけが響いた。それがあまりにも苦しそうで、ノイトラは細い体を引き寄せていた。一度、息すらできないほどに取り乱したことがあったから、そうはならないように背中を撫でて落ち着かせてやった。
荒い呼吸は徐々に収まり、一護は大人しくノイトラの胸に収まった。
「‥‥‥‥寂しい」
ときどきだ、本音がちらりと漏れる。
現世に未練があるのか、そうだろう。家族も友人もいる。別れも告げずにここに閉じ込められ、一護はいつだって帰りたいと思っている。
「俺だけじゃ、つまんねえか」
「‥‥‥‥テスラもいる」
不貞腐れた声に、それは別にいい、と返してやった。ひどいと言って笑った一護だったが、目に力が無い。ひどく疲れたようにノイトラの胸に体を預け、唇だけを動かした。
ーーーさびしい。
「グリムジョーが」
一護の体が僅かに震えた。何を思っているのは分からないが、あの男のことを覚えていた一護に少しの苛立ちを感じた。
「‥‥‥‥お前を欲しいと言ってる。あいつのところに、行きたいか?」
「え、」
「あいつなら少しは自由が利くだろうさ。ここにいるよりはな」
人のことは言えないが、あれも独占欲の強い男だ。考えなくても一護に自由は無いと分かる。しかし言われた本人はひどく取り乱した。
「なんだよそれっ、なに、なんでっ!?」
「ここが、俺が嫌なんだろ」
「‥‥‥っ、‥‥‥俺はっ」
その後が続かない。胸を掻きむしり、一護は顔を伏せた。下から覗き込もうとしても見れないように、手で覆ってしまう。その手が小刻みに震えているのが一護の気持ちを表しているようで、ノイトラの腹の底からぞろりと熱い感情が湧いてくる。
喉を鳴らし、唇を舐めて、ノイトラは言った。
「出してやる。なんなら、現世にでも」
解放してやる。
そう言った瞬間、見えた一護の顔は。
「テスラか」
「はい。入ってもよろしいですか」
扉の外の気配に気付き、入室を許した。水を持って入ってきた従属官は、ノイトラと目が合うと石のように固まった。
「なに突っ立ってんだ」
「‥‥‥‥はい」
初心な奴だ。耳まで赤い。
一護は、全身真っ赤だったけれど。今は元の白さに戻って眠りこけている。
ノイトラの隣でうつ伏せになって眠る一護をできるだけ見ないようにしているのが分かる。テスラはぎこちない動作で水差しとグラスを寝台脇のテーブルに置くと、すぐに踵を返して退出しようとした。
「許してやる」
「は?」
「他の破面に会いたがってるんだろうが。この宮から出ねえのを条件に、呼んできて、会わせてやったらいい」
泣いた後の一護の頬を撫でながら、ノイトラは許しを出した。
「そういうことだ。行け」
軽く手を振って追い出すと、再び二人きりになる。反対側に寝返りを打とうとする一護を抱き寄せれば、素肌同士が触れ合って、破面には無い温かさを感じることができた。
一護が薄らと目を開ける。先ほどの会話を聞いていたのかもしれない。しっかりとした眼差しで、しかし何も言わずに両手をノイトラの首に巻き付けてくる。そして小さくキスしてきたのには驚いた。
「‥‥‥‥舌」
指で唇を開かされ、舌を出せと言ってくる。訳も分からず望みを聞いてやると、舌に刻まれた番号に、一護は唇を寄せてきた。
そろりと舐められ、ちゅ、と吸われる。それは深く繋がりあうよりも、ずっといやらしい行為に思えた。
「ノイトラ‥‥」
一護は微笑んで、その日、ノイトラに屈した。