繋がっているようで繋がっていない100のお題
034 肩口に顔を埋め
廊下の先に、知ったオレンジ色を見つけた。
一護、と声をかける前に、相手の視線が逸らされる。そして足早に去っていった。
自業自得とはいえ、恋次は情けなさで落ち込んだ。きつく握った拳を見下ろしながら呆然と立ち尽くしていると、背後から唐突に衝撃を受けた。
「っルキア! てめえ‥‥っ」
「フン。でかい図体で廊下を塞いでおるからだ」
見れば、小柄な幼馴染が仁王立ちして恋次を見上げていた。
「それで?」
「あ? なにが」
「一護と喧嘩でもしたのか」
ずばりと聞いてくるルキアに、恋次は誤摩化そうと愛想笑いを浮かべたが、引き攣った口元は隠しようも無い。そもそも幼馴染に隠し事などできない恋次だ、ここは逃げようと咄嗟に踵を返した。
「こらっ、待たぬか!」
しかし小さな体がしがみついてくる。ぎゃあぎゃあ騒いで押し問答をしていると、突然目の前の扉が開け放たれた。
「っげ! 朽木隊長! ‥‥‥‥っわー! 違うっ、違いますっ! 誤解ですからね!!」
「に、兄様っ、いやあのこれは違うのですっ、恋次の奴めが一護と喧嘩しましてそれであのあのえ〜っと」
もみ合ううちに、いつの間にやら抱き合う格好になっていた二人は言い訳の言葉をずらずらと並べ立てた。
「取り敢えず二人とも、離れるがいい」
ばばっと離れた二人は、言われてもいないのに廊下に正座した。
「本当にっ、疾しいことはありませんから!」
「そうですそうです! それに私の好みの殿方は海燕殿‥‥‥あ、言っちゃった」
きゃ! と一人で頬を赤らめているルキアの隣で、恋次は顔を青くしていた。睨んでくる白哉の視線にではなく、ルキアの出した男の名前に、反射的に身が竦む。
「一護と仲違いをしたのか」
「っえ! あ、いや、」
まさかそちらの話に持っていかれるとは思わず、恋次は口ごもる。
「どちらなのだ。はっきりせぬ男だな」
「すいません‥‥」
なぜ説教されなければならないのかと、反論しようものなら切り刻まれるので恋次は懸命にも黙っておいた。しかし黙っていたせいで、この朽木義兄妹はあること無いことを言い始めた。
「どうせまた檜佐木殿と一緒になって、無神経なことを言ったのだろう」
「一護はああ見えて繊細なのだぞ。貴様と違って容易く傷ついてしまうおなごなのだ」
「兄様、以前もこやつは一護に無神経なことを」
目の前で告げ口を始めるルキアに恋次はうんざりした。たしかに先輩と一緒になって一護をからかうことがあるが、一護のほうだって女の子扱いなんてされたく無い筈だ。
修練場で一緒に汗を流しているときや、馬鹿な話で盛り上がっているときの一護は、女の欠片も無い男の親友みたいだと恋次は思っていた。思っていたのだが。
「恋次! 聞いておるのか!!」
思い切り頬を引っ張られて、恋次は無理矢理に現実へと引き戻された。
「せっかく兄様がありがたいお言葉をくださっていた最中だというのにっ、お前という奴は!」
それは聞かずに済んで良かった。白哉の言葉は貴族にありがちな華美な装飾てんこもりの台詞が多い。本を読まない恋次には到底理解し難いので、苦痛以外の何者でもない。
「恋次。とにかく貴様が悪いのであろう。聞かずとも分かる」
「はぁ‥‥」
この人、俺の隊長だよな。信頼とかそういうの‥‥‥と考えて、恋次はやめた。白哉はルキアと、そして一護に甘い。心の中では自分の妹になっているらしい。ルキアから聞いた。
「私が悪かったと、地面に頭を擦り付けながら許しを乞うがいい。行け」
この人はどうしてこう偉そうなんだろうか、実際に偉いけど。
言いたいことも言えずに、しかし言ったら問答無用で散り散りにされるので、恋次は黙って頷いた。
見てはいけないものがこの世にはある。
例えばそれは。
「海燕さん‥‥」
泣きそうな顔で、好いた男を見下ろす一護の顔だとか。
「好き、」
木の根元に腰掛けて、熟睡する海燕に、そっと想いを告げる一護の姿。
自分には関係無い。ここは素知らぬフリをして、立ち去るのが親友の務めだ。一護が上司の海燕を慕っているのは知ってはいたが、それは憧憬に近いものだと恋次は思っていた。なにせ相手は妻帯者だ。引き裂くような真似、一護にできる筈が無い。
「好き‥‥‥‥」
それなのに、どうして一護は膝を折り、顔を近づけていくのだろう。書類をきつく抱きしめて、海燕に覆い被さっていくのだろう。
二人が触れ合うその前に、恋次は叫んでいた。
「やめろ!!」
一護の動きがギクリと止まる。目が合って、震えているのが遠くからでも分かった。
「ん‥‥‥なんだぁ? 一護か‥‥?」
恋次の声に、海燕が目を覚ます。
「え、おいっ、どうした!? なんで泣いてんだ!?」
「‥‥っひ、‥‥ひぃ、ひっく‥‥‥うっ、ぅぐ‥‥‥ごめんなさ、ごめんなさい、かいえんさん‥‥っ」
小さな子供のように声を上げて一護は泣いていた。それを宥める海燕に、一護はますます泣きじゃくっていた。
後悔している。
他人の色恋ごとに、首を突っ込むべきではなかった。
一護をあれほどまでに泣かせたのはきっと、この自分だ。
「‥‥‥一護」
とぼとぼと歩く一護を見つけたのは、いかなる因果か、一護が海燕に口付けようとした場所だった。件の木の下で、一護は項垂れていた。
「なあ、一護、」
呼んでも返事をしてくれない一護に焦れて、恋次は傍まで近寄った。いつものように豪快に肩を叩く真似が出来なくて、恋次はそっと一護の肩に触れた。
「‥‥‥っおれ、」
「一護?」
口元を押さえる一護に、恋次は慌てて顔を覗き込む。
「‥‥っ、俺っ、恥ずかしい‥‥っ」
顔を真っ赤にさせて一護は泣いていた。
「恋次、恋次っ、‥‥‥頼むから、誰にも言うなっ、」
ぽつぽつと雫が地面に落ちて染みを作る。一護は体を小さくさせて、必死に懇願した。
「誰にもっ、せめて海燕さんにだけはっ、‥‥恋次、頼む、何でもするからっ、」
耳の先まで赤くして、一護のそんな弱々しい姿に、恋次は何も言うことが出来なかった。
「どうかしてたんだっ、俺、そんなつもりじゃなかった、‥‥‥なあ、恋次、なんか言えよ‥‥!」
「うぁ‥‥」
間抜けな声が出た。
縋り付いてきた一護の泣き腫らした顔に、なぜだか全身が熱くなるのを感じた。涙は女の武器だと言うけれど、今の一護の泣き顔といったら、そんな大層な武器とはお世辞にも言えないほどにぐちゃぐちゃなのに。
ぽかんと口を開けたまま、恋次は一護から目が離せない。
「お前っ、聞いてんのかよ!? この俺が一世一代の頼み事してんだぞ!」
胸ぐらを掴まれると乱暴に揺さぶられる。泣いた顔が間近にあって、零れる涙を舌で啜ってやりたいと思う。
「言わねえよな!? ぜったいぜったいっ、言ったりしねえよな!!?」
「あ、うん‥‥いや、」
「どっちだよ!? はっきりしねえ男だな!!」
それは白哉にも言われた。恋次は今度はなんとかはっきりと頷いた。
「‥‥よ、かったぁ‥‥!」
再び一護の両目から、大粒の涙がぼろぼろと零れ落ちる。そしてそのまま、恋次に抱きついてきた。
その突然の行動に、恋次は硬直した。そして最初に気になったことは自分の汗臭さと、一護の柔らかさ。
「恋次っ、恋次っ、お前ってほんと良い奴!」
一護の頬が、恋次の首筋に、素肌に当たる。それだけでカーッと頭に血が上った。
こいつこんなに小さかったっけ、と動揺して、力加減が分からない。一護の背中へ回した手に、恐る恐る力を込めた。
「れんじ‥‥」
「っお、おう、」
なんて声を出すんだ。
溜息みたいに名前を呼ばれ、恋次の心臓が飛び跳ねる。一護は泣いて熱くなった頬を恋次の肩に押し付けて、甘えるようにしばらくそのままでいた。
「‥‥‥俺、もうあんなことしねえからな」
「そうか、」
「うん。しない。だから、誰にも言うなよ」
「しつけえって」
「ん。‥‥‥‥でも、恋次、恋次‥‥」
じわりと恋次の肩が熱くなる。一護は休むことなく涙を流し、恋次にしがみついて言った。
「好きだったんだ‥‥。本当に、好きだった」
「あぁ」
「だから恋次。あのとき止めてくれて、ありがとな」
今だ涙に濡れる顔で、一護は困ったように眉を寄せて笑った。そして恋次の肩口に頬を擦り寄せて、ここにはいない男を想って涙を零し続けた。
「‥‥‥‥海燕さん‥‥」
一護の髪を優しく指で掻き混ぜながら、恋次は震えるオレンジ色に、そっと唇を押し当てた。