繋がっているようで繋がっていない100のお題
036 哀れな幼子
恋人が技術開発局に務めていると色々と特典がついてくる。
「伝令神機の調子が悪いんだけど」
例えば無料で機器類の整備をしてくれること。
しかし技局にいる浦原を訪ねた一護だったが、局長室はしんと静まり返り、電気すらついていなかった。
「浦原?」
四六時中、研究に没頭している男だ、いないとは思わなかった。一護は勝手知ったる感じで積まれた書類を避けながら部屋の奥まで進んだ。そこには居心地の良いソファがある。
「‥‥‥‥なんだ、いるじゃねえか」
大きめのソファをいっぱいに使って眠りにつく男がいた。他人の気配に気付かないほど疲れているのだろうと一護は思い、起こすことはせずにソファの近くへと腰を下ろした。
無防備な顔を晒して眠る男の顔を一護は覗き込む。起きているときはへらへらしていて、実は二枚目な顔だと気付きにくいが、こうして眠っていればとても整った造作をしているのだ。無精髭を剃って髪も綺麗に纏めればきっとモテるだろう。変態的な性格を抜きにすれば、だが。
「浦原」
甘い声音で囁きかける。起きていれば決して出さないような声を出し、一護はそっと顔を近づけた。
「‥‥‥‥ごめん」
掠めるようなキスをした。寝込みを襲うなと浦原に言う一護だが、これでは人のことは言っていられない。疾しさから、今日はもう帰ろうと腰を上げた、そのときだった。
「一護様」
紛れもなく浦原の声だった。
見下ろせば確かに浦原は起きていた。しかし「一護様」だと?
「寝ぼけてんのか」
「いいえ、正常です。一護様、一護様ですよね?」
起き上がった浦原は丁寧な口調だけではなくその所作までもが別人だった。一護の知っている浦原なら、起きたと同時にぼりぼりと首筋を掻いて、乱れた着物もそのままだ。
だがどういうことだろう。一護の目の前にいる浦原は身なりを綺麗に整えると、それはもう上品な笑みを浮かべて一護に挨拶をした。
「な、何者だ‥‥」
「浦原喜助です、一護様」
今度は優雅な仕草で一護をソファへと座らせると、自称浦原喜助は手を握ってきた。
「一護様‥‥‥ずっとお会いしたかった」
「昨日会ったよな‥‥?」
一護は眼を凝らして浦原を凝視した。誰か別人が浦原のマスクでも被っているのかと思ったが、どこからどう見ても浦原だ。ただ中身が違う。
「そんなに見ないでください。恥ずかしいです‥‥」
恥じらうように睫毛を伏せる、その姿に一護は驚愕した。あの変態がまさかの変身を遂げている。どこからどう見ても誠実な青年だ。
不思議なショックに陥っていると、一護は唐突に抱きしめられた。
「いきなりなにすんだっ、やっぱてめえ浦原だな!?」
実は少しほっとした。おかしくなったかと思ったがやはりこれは浦原だ。やめろと言いながらも一護は抵抗とも言えない抵抗をした。
「お嫌ですか? 一護様」
しかし本物だと思った矢先にしゅんとした声が落ちてくる。傷ついたようなその表情は、いつもの演技掛かったものではない。
「お前ほんとにどうしたんだよっ」
「私は私です。一護様、嫌なら嫌と仰ってください。無理強いはいたしません」
「っう、いや、嫌では、ないけどもっ‥‥‥‥お前、ほんとのほんとに浦原だよな?」
「はい」
目映い笑みに一護はくらっとした。誰だこの美青年。全然違う、絶対ニセモノだ。
なのに動悸は激しくなる。
「一護様、お慕いしております‥‥」
熱く火照った頬にキスされて、一護はソファへと押し付けられた。
ご無礼をお許し下さい。申し訳無さそうな断りと同時に、浦原の手が一護の死覇装の衿を割って、中へと滑り込んできた。
「‥‥‥‥うらはら、」
「可愛い、一護様」
肩から死覇装を下ろされて一護は咄嗟に目を瞑った。
「ぬぁあああにやってんですかアンタ達!!」
「っえ!?」
「‥‥っち」
聞き慣れた、そういつもの浦原の声だった。ということは今自分の上に乗っている浦原はどこの浦原だ。
「一護サンの上からどきなさいこの変態!」
「貴方に言われたくありません」
「このアタシに向かってなんて口を‥‥っ、一護サンも一護サンですっ、アタシ以外の男に足を開くなんて!!」
「まだ開いてません。まあ時間の問題でしたけど」
浦原が二人いる。
そしておそらく後からやってきた浦原が本物の浦原だろう、たぶん。
「廃棄にしてやるっ、ヌキ姫っ、ヌキ姫は!?」
「これですか?」
「なんでお前が持ってんですか!!」
頭上で繰り広げられる舌戦に一護はただ開いた口が塞がらない
「ねえ浦原様。この方、私にくださいませんか」
一護を抱き寄せて偽浦原は言った。本物の浦原は般若の形相で拳を鳴らした。
「‥‥‥‥面白いことを言いますね、このポンコツ」
「ありがとうございます、ポンコツ制作者」
「だぁあああ!! ムカつくムカつくっ、一護サぁああン!!」
子供みたいな顔で浦原が突進してくる。それから守るようにして偽浦原が一護を引き寄せた。
「触らないでください」
そのとき一護は気がついた。聞こえる筈のものが聞こえない。
「試験管の中からずっと見ておりました。貴方に会いに来る一護様を、ずっと見ておりました。この方が欲しい。浦原様、貴方には他の方でもいい筈だ」
「‥‥‥‥‥己の立場を弁えなさい」
浦原から本気の霊圧が発せられる。びりびりと窓が悲鳴を上げ、部屋に積まれた書類が雪崩を起こした。
「いいえ、弁える立場など最初から持ち合わせてはおりません。私はただ、この方と睦みたいだけなのです」
偽物の浦原は苦し気にそう吐き出すと、一護を一層強く抱きしめた。腕の中に閉じ込められて、聞こえてこない心臓の鼓動が一護を悲しい気持ちにさせた。
「ごめんな‥‥‥‥」
「一護様?」
「ごめん。俺は、あいつじゃないと駄目なんだ」
深く心を傷つけられた顔をする男を見上げ、一護の心も痛みを覚えた。慰めてやりたいと思うけれど、この男は違うのだ。二人一緒に眠るとき、浦原の心臓の音を聞いて眠りに落ちるときのあの安心感、それがこの男には欠けていた。
「そんな‥‥」
「ごめん、」
「そんな!!」
ぽろぽろと涙を零すその姿に一護は何も言わなかった。言えなかった。縋り付いてくる手を無情にも振り払った。
「一護様‥‥一護様一護様!! 行かないでください、お願いです、どうか私を‥‥私を!!」
次第に嗚咽を漏らして崩れ落ちる男を置いて、一護は部屋を出ていった。
後日、浦原が義魂丸をくれた。使い物にはならない義魂丸を。
それを地面に埋めて花を添え、一護は少しだけ泣いた。