繋がっているようで繋がっていない100のお題

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  038 鏡に書いた小さな叫び  


「養子、ですか?」
 自分にとっては縁のない言葉に、一護はきょとんとした顔で何度も瞬きを繰り返した。
「うん。父の知り合いの方でね、是非に、ということらしい」
 十三番隊の隊主室。どこか困ったような表情を浮かべる浮竹の隣では、京楽が胡座をかいて寛いでいた。いつものように、暇でもないのに暇を見つけて、十三番隊の親友の元に顔を出した京楽に、まさか養子縁組の話をされるとは一護は思いも寄らなかった。
「お茶貰ってもいい?」
「え、‥‥あっ、どうぞ、」
 そうだ、頼まれて持ってきたお茶をまだ出していなかった。慌てて差し出そうとしたが、手が滑って盆の上にぶちまけてしまった。
「うわっ、すいません!」
「いいんだよ。火傷してない?」
 自然な動作で手をとられ、熱い茶のかかったところに手拭を押し付けられた。あ、と一護は声を上げた。
「どうした、黒崎」
 浮竹の問いかけに、一護は首を勢いよく横に振った。顔が熱い。
 今、自分の手に押し付けられている彼の手拭。何の変哲もない、どこにでもあるようなそれは、以前は一護の所有物だったものだ。
 貴族なのだからもっと良いものを持てるだろうに、あのときから、肌身離さず持っていてくれていたのだろうか。
「それでねえ、」
 一旦、手が離される。茶を拭った手拭は、そのまま京楽の懐に再び仕舞われた。それだけのことなのに、一護は無性に恥ずかしい気持ちにさせられて、ひりひりする手をぐっと握りしめた。
「一度、会ってみないかい?」
「俺を養子にしたいと言っている人とですか?」
「うん」
 柔らかい笑みを向けられて、一護は思わずはいと頷きそうになってしまう。本音を言えば、断りたいのだが。
 しかしこうしてわざわざ話をするからには、相手は京楽にとって無碍にできない人物に違いない。京楽の生家は上級貴族であると言うから、相手もおそらく同等の家格を持っていると考えるのが自然だ。ここでいきなり断ってしまっては、養子縁組を申し出てくれている人にも、そして京楽にも恥をかかせることになりはしないだろうか。
「黒崎。気が進まないのなら断ってもいいんだぞ?」
「いや、それは、その‥‥」
 ちら、と京楽を見る。相変わらず見ているこちらが照れてしまうような笑みを浮かべる京楽がいて、一護は面と向かって否とは言えなかった。
「ほら見ろ。黒崎が困ってしまったじゃないか」
「でもねえ、本当に良い方なんだよ?」
 実は他人を滅多に褒めない京楽が言うのだから、間違いないのだろう。しかし見たことも聞いたこともない人間と、これから家族になろうだなんて、一護には到底許容しきれることではない。
「会って話をするだけでもいいんだ。先方は、何も強引に君を養子にしようだなんて思っちゃいない。まずはじっくり話をして、親交を深めたいと仰ってくれている。最終的に決めるのは君なんだ」
 決定権は一護にある。
 しかし京楽の目には、まったく逆の思惑が見てとれた。
 もちろん嫌だとは言わないよね、と。
「‥‥‥‥俺、」
 一護は迷った。迷いに迷った。京楽はこの話、受けてもらいたいと思っている。養子どうこうは置いておくとして、話だけも聞きなさいと暗に視線が訴えてきているのには、鈍いと称される一護ですら容易に察することができた。
 しかし会ってお喋りするだけなら構わないが、まかり間違って養子縁組みの話が進んでしまったら大変だ。己の口下手のせいで、過去に幾度も無理を押し通されてしまったことがあるのだから。
 かといって断るにしても‥‥‥盗み見た京楽は、憂いに満ちた表情でふっと溜息をついていた。駄目だ、無理だ。
「‥‥‥‥お話だけなら」
 そんな顔をされたら嫌だと言える筈がない。
 最初から、勝負はついていた。















 養子の話を切り出されてから三日後。
 一護は朽木家の屋敷にいた。
「で、どうだったのだ」
 ルキアが丁寧な仕草で茶を注ぎながら、件の話について切り出してきた。
 正面の庭を向いて早咲きの桜を眺めていた一護は、その問いかけにやや間延びした沈黙を置いた後、ゆっくりと唇を解いた。
「うん、すっげー良い人達だった」
 と、面白みも何も無い感想を言う。ルキアの不満そうな視線に一護はにやりと笑い、差し出された高級羊羹を頬張った。そして、昨日のことをつらつらと話しはじめた。
 呼び出されたのは高級料亭。ガチガチに緊張する一護に、京楽が付き添ってくれていなかったらと思うとぞっとする。ちなみにそのとき身につけていたのが、ルキアに借りた着物だった。今日はその着物を返却ついでに、報告に来ていた。
「上級貴族って言うから、結構覚悟して行ったんだよ。そしたら案外、普通、‥‥って言ったら悪いか。でもなんか見るからに人が良さそうな夫婦がいてさ、拍子抜けしたっていうか、‥‥‥まあ、話してて楽しかった、かな?」
「ふうん。お前が初対面の相手に対してそう思うのなら、実際、善人なのだろうな」
 そう、善人。あの人達を言い表すのなら、その言葉が一番しっくりくる。
 予想通り、彼らは上級貴族に籍を置いていた。しかし態度は尊大どころか、一護に対して誠意を尽くしてくれたし、向ける眼差しはとても優しかった。
「俺のこと、一護さん、って呼ぶんだぜ? 初対面で、しかも流魂街出の俺なんかに。最初から最後までずっと気を遣ってくれてたんだ。こっちは何言われるか、ずっとびくびくしてたってのになあ」
「貴族らしく見下してくれたほうがよかったとでも言うのか」
「まさか」
 嬉しかった。人から受ける厚意に反発していたのは昔のことで、今は素直に受けとめられる。
 けど、と続けて、一護は含みを持たせた視線をルキアに向けた。
「なんで俺だったと思う?」
 その質問に、ルキアが可憐な顔を悩ませる。小さな頭をくくっと傾け、ううんと唸る。仔栗鼠みたいだ、と一護は思った。
「むう‥‥‥‥‥そうだ、実は亡くした妻の妹がお前だった、とか?」
「そりゃお前のことだろ」
 ぺしっとルキアの頭を撫でるように叩いた後、一護は教えてやった。
「死んだ息子と俺が、そっくりなんだと」
「息子‥‥‥」
 変な沈黙が落ちた。
 ルキアは丸くなった目をしぱしぱと開閉し、そしてゆっくりと一護から庭へと視線を移していった。
「そういえば兄様が」
「話を逸らすんじゃねえよ。逆に悲しくなるだろが」
「いやっ、しかしっ、‥‥‥本当に息子なのか?」
 娘でなくて。
「一人息子だそうだ」
 途端、御愁傷様、というルキアの視線が投げかけられた。内心カチンときたが、自分が男らしいのは今さらなので、いちいち怒ることではないと一護は受け流すことにした。ルキアが無言で二きれ目の羊羹を差し出してきたが、その意味を深く考えることはせずにありがたく頂いた。
「‥‥で、そんなに似ていたのか」
「あの人達に言わせりゃ瓜二つらしい。確かに会った瞬間、二人とも驚いてたからな」
 特に奥方のほうは感極まって涙まで浮かべていたように思う。一応正装を、ということでルキアに借りた女物の着物を着ていたというのに、一護の顔を見て、しきりに頷いていた。
「写真を見せてもらったんだ。まあ、確かに似てた。でもあっちは俺を百万倍賢そうにした顔つきだったけどな」
「想像できん」
「喧嘩売ってんのか」
 謝るルキアに、一護は湯飲みを突き出した。言いたいことはまだたくさんある。一杯飲むだけでは足りないほどに。
「で、また会いたいって。今度は屋敷に来てほしいって言われた」
「一護、それは、」
「うん。本気なんだなあ、って俺にも分かった」
「‥‥‥‥もちろん、断ったのだろうな?」
 緊張した面持ちのルキアに、一護は言った。
「断れる雰囲気じゃなかった」
「馬鹿者!!」
 静かな庭に、ルキアの一喝が響き渡った。一護は自嘲気味に口元を吊り上げ、興奮に立ち上がったルキアを見上げた。
「できるわけないだろ。だって別れの間際まで俺の手握って、どうかどうかってお願いしてくるんだぞ」
「だがそれでも、お前は断らねばならなかった。一度きりと決めて会ったのだろう? なのに屋敷に招待されたからといってのこのこと行ってみろ、養子になると了承したも同然だ」
 興奮を落ち着けるように大きく呼吸を繰り返すルキアの横で、一護は妙に静まり返った己を自覚していた。慌てることも、ルキアのように憤慨することもできない。招待を受けたあのときから、まるで考えることを拒否してしまったかのように、心が動こうとしない。
「京楽隊長が一緒にいたのだろう? 何をしていたのだ、あの方は!」
 ルキアの言う通り。大丈夫だと思っていた。一護の様子を見れば、気が乗らないことは誰の目にも明らかだった。だからあの人ならきっとうまく話を断ってくれると、一護自身も信じて疑わなかった。
 それなのに、まさかあんな形で裏切られるなんて。
『ご招待を受けなさい。断っては失礼だよ』
 どう断ろうかと言葉を探す一護だけに聞こえるように、あの人は確かにそう言ったのだ。
「最初から変だと思ってたんだ。あの人は、俺を貴族の養子にさせて一体何がしたいんだろ‥‥」
 思ったよりも寂し気な声が出たことに、一護は情けなさで顔を伏せてしまった。
 考えれば考えるほど、嫌な想像が膨らんでいく。利用されたのか。貴族同士、より深い繋がりを得る為に、まさか自分を。
 違う、そんな人じゃない。
 でも、本当に?
「一護!」
 唐突に肩を引かれ、一護は正気に戻った。なぜかルキアが驚いた顔で、こちらを凝視している。なんだろう、顔に羊羹の食べカスでも付いているのか。
「一護っ、」
 だから何なのだ。
 口元に手をやり、違和感に気がついた。そして、視界がぼやけだす。
「ーーー大丈夫っ、大丈夫だ一護、私がいる‥‥っ」
 顔面を柔らかい感触が覆った。ルキアに抱きしめられている。なぜ。
「だから泣くなっ、そんなふうに泣いたりするなっ、」
 瞬間、一護の中で、心の糸が切れてしまった。張り詰めていたそれが、ぷつりと音を立てて。
 それからは雪崩の如く、押し込めていた感情が溢れ出してくる。我慢しようと腹に力を込めても、あっけなく決壊した。子供のような泣き声が、ルキアの胸に吸い込まれていった。
「なんで‥‥」
 本当はあのとき言いたかった、どうしてなんだと問い詰めたかった。
 京楽さん。
「なんでっ、」

 俺の人生、勝手に決めちゃうんだよ。


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