繋がっているようで繋がっていない100のお題
040 爆ぜるような音で掻き消えた
等間隔に設置された照明が、虚夜宮の廊下を幻想的に照らし出していた。石造りの廊下は、歩くたびに固い音を響かせる。自分のものと、男のもの。二人分の靴音を聞きながら、一護は慎重な足取りで歩いていた。
「本当に大丈夫なのか?」
声が、思った以上に響き渡った。高い天井に反響して、一護はびくりと体を竦ませる。
隣を歩く男がくすりと笑った。
「怖い?」
「馬鹿言うなっ、俺は、勝手に出ていいのかって聞いてんだよ」
今度は声を潜めて問いかけた。男は、ギンは笑みを深めて「大丈夫」と繰り返すばかりだった。その台詞がどうにも信用できなくて、一護の不安は募る。
自然、繋いでいた手を握り込むと、ギンの背中がぴんと張った気がした。それからなぜか歩調が速くなって、一護は駆け足で隣に並ぶ。
「速いっ、速いって!」
「あ、うん、ごめん、」
ぴたりと止まり、またゆっくりと歩き出す。一護の歩調に合わせた足取りで。
ギンの顔は、どこか嬉し気だった。
ときどきすれ違う破面達が、一護の顔を見て睨みつけてきたり、興味深そうに覗いてきたりした。しかし回廊を進めば進むほど、出会う破面の数が限られてくる。
「なあ、怒られたりとか、しないよな?」
「ボクが? 藍染様に? なんでそう思うん?」
「だって、今まで一度も出してくれなかったじゃねえか」
監禁生活が始まってから、正確な日時の経過は分からないが、おそらく一月ほどが経っている筈だ。その間、自由な外出は一度も許されなかった。
不自由の無いようにと、一護が望むものはすべて揃えてくれた。けれど監禁という不安の中、斬魄刀さえ奪われて、精神は日々擦り減っていった。給仕の破面を襲って外に出ても、三歩と歩かぬうちにウルキオラに取り押さえられる。
そんな、一護が弱りきったところでの外出。「遊びに行こう」との誘い文句で。
もしかして、気遣ってくれたのだろうか。
「出たくなかった?」
「んなことねえけど、でも、」
「ボクが心配?」
ギンが立ち止まり、一護の顔を覗き込んできた。間近で視線が合い、一護はわずかに顎を引いて後ろに下がろうとした。
「ありがと、センパイ」
「うひぇっ」
頬に口付け。銀髪が掠めていった。
「お前なぁっ」
心配してやってるのに、という台詞は呑み込んだ。面白くない気持ちで、唇の当たった頬を擦る。
ふと目の前が翳り、一護は視線を上げた。視界一杯を覆う白。背中を引き寄せられ、頬に固い衣服の感触を覚える。
「堪忍なぁ、センパイ」
「市、丸?」
抱きしめられる理由が分からず、一護は混乱した。きつく回った腕の中でなんとか顔を上げたが、ギンの顔は見えなかった。一護の肩口に埋まり、銀髪がさらりと落ちる。
「ボクのこと、嫌いにならんといて」
「はぁ?」
「約束して。ボクのこと、嫌いにならんて。お願い」
「て、言われてもなぁ、」
「約束してくれんかったら、ボク、泣いたるからね。声出して泣いたる。センパイに抱きついてぴぃぴぃ泣いたるから!」
ギンの脅迫に一護はぎょっとした。
思い出すのは、ベッドの上で押し倒されて泣かれた出来事。大の男がまさにぴぃぴぃと泣いて、一護の服を涙で濡らすは皺にするはで大変だった。
東仙という男が現れてギンを回収するまで、子供みたいに泣いて喚いて一護をどれだけ困らせたことか。どんな慰めの言葉も効果無く、引き剥がそうとしても、センパイセンパイ、と駄々をこねて離れてくれなかった。今まで我慢していたものが堰を切ったかのような、凄まじい泣きっぷり。
あれを、この往来でやろうというのか。
「分かった! ならないから、な?」
「ほんとぉ?」
既に涙声。
「本当。ていうか元からお前のこと嫌いだし」
「うっ、」
「冗談だ。嫌いじゃねえけど好きでもねえから安心しろ」
「はっきり言わんといて!」
抱きしめる力が強まり、一護は息を詰める。ギンはやはり涙混じりの声で言った。
「好き」
ほろりと零れた涙が、一護の頬に伝った。
辿り着いたのは、立派な扉の前。
ギンの手が触れた途端、その扉は無音で内側へと開いた。一護は手を引かれるまま、室内に足を踏み入れる。
薄暗く、音の無い空間だった。
「遊ぶって、ここでか? なぁ、本当は何しに、」
背後で扉が閉まり、一護は口を噤んだ。辺りは一切の暗闇で、前を歩くギンの姿すら見えない。繋いだ手だけが頼りとなって、力を込めると、ギンが唐突に立ち止まった。
「市丸?」
暗闇の中、抱きしめられていた。目を凝らしても何も見えない空間で、すっぽりと体を抱きしめられると、相手がギンだとしても安心できた。自分がここにいるという安心だ。
ギンの手が、一護の背中を這い、肩に辿り着いた。まるで形を確かめるようにゆっくりと動いていく。
少し体を離され、額に風を感じた。なんだろうと身じろいだ瞬間、唇に何かが触れた。
「連れてきました、藍染様」
直後、室内に光が差し込んだ。それほど強い光ではないが、一護は手をかざして目を凝らす。
「ありがとう、ギン」
耳に心地良い低音が、一護の全身を総毛立たせた。強く握った手に、ギンのそれは既に無い。食い込んだ爪によってもたらされた痛覚が、どうにか一護を冷静にさせた。
大きな椅子の背中が見える。その先に広がる長テーブル。左右、そして奥に、いくつか知った顔の破面が座っていた。
「皆に紹介するよ。我らが同胞だ」
言われた言葉の意味も理解できず、ギンに背中を押されるがまま一護はふらりと足を踏み出した。
丁度隣に、藍染がいる。一護の手を引き寄せたかと思うと、皮膚の薄い甲に藍染が唇を寄せた。
「何しやがる!」
「見ての通りのじゃじゃ馬だ。皆、よろしく頼むよ」
「何をっ、何を言ってんだよっ、‥‥‥同胞? 俺が、そうだと?」
藍染の笑みが深まった。いや、唇がただ吊り上がっているだけの表情だ。一護を見据える眼にあるのは、追いつめる強者の喜び。
「‥‥‥‥っ! か、帰るっ、」
たとえ監禁されていても、ここにいるよりかはマシだ。踵を返した途端、背中と胸に痛みを感じた。
腕を捻られ、一護は床に押さえつけられていた。
「構わない、ウルキオラ」
丁寧とは言えない動作で抱き起こされ、しかし腕は拘束されたまま。ウルキオラの冷たい呼吸を背後で感じながら、一護の心臓の鼓動は次第に速くなっていた。
「どういうことですか、藍染様」
激情を押し殺したグリムジョーの声が、広間に響く。目が合い、睨みつけられるも、藍染の視線に比べれば可愛いものだ。困惑した表情を浮かべ、一護はわずかに首を横に振った。
「私達は、元は四人だったのだよ。すべては四人から始まった」
「四人?」
「そう。ギン、要、私。そして一護」
「俺を入れるなっ、」
身を乗り出した一護の首を、ウルキオラが窒息しない程度に締め上げた。悔し気に睨む先で、藍染が紅茶で喉を潤している。
「ある日、悲しい誤解から、一護、君を死なせてしまった」
反論する言葉が見つからなかった。
死んだ? 俺が?
「君の魂をずっと探していた。朽木ルキアの件では、まったくの運命の悪戯としか言いようがない。何かの、いや誰かの意志すら感じたよ。それとも我々が引き寄せたのだろうか。元は四人だったのだから、あるべき形に戻ろうと、‥‥‥そうだな、自然の成り行きだったのかもしれない」
誰も、何も言わなかった。言えなかった。ただ藍染の言葉を理解しようと、思考を巡らせている。
「一護、君なんだ。君なんだよ。我々の、四人の中の、最後の一人。ようやく手に入れた」
細く、長く吐き出される溜息。ウルキオラの腕の中で、一護は小刻みに震えていた。呑み込む唾すら出てこない。
「同じ魂だと?」
破面の一人が言った。
藍染が満足そうに頷き、一護に視線を向ける。広間にある目という目が、一護に集中した。
違う、と。
そう言った筈なのに、一護の唇からは震える吐息だけが零れ落ちる。
「混乱するのは分かるよ、一護。だが心配することはない」
藍染の指が、恐怖に引き攣る一護の頬に触れた。
「じき、思い出す」
触れた場所から、力が抜けていくのを感じた。眠いような、意識が奥へと引っ張られる心地。
センパイと叫ぶ声が、遠くで聞こえた。