繋がっているようで繋がっていない100のお題
041 爆風は雨を呼び
風の音かと思った。もしくは、ひゅうと吹いた風に混じった雑音かと。
「‥‥今、何か言ったかい?」
厚い雲が空を覆っていた。重苦しく肌寒い、そんな日だった。
藍染は後ろを振り返り、雑音の元に視線を向ける。馴れて久しい裏切り者達が揃っていた。
「君かい?」
「‥‥‥はい」
短く切り揃えられたオレンジ色の髪が、風に舞い上がり乱れていた。今日は風が強い。嵐になるかもしれないと、藍染はふと考える。
オレンジ色の髪を靡かせた部下はきつく唇を結び、こちらを見据えていた。
「よく聞こえなかった。君は今、何を言ったんだい?」
結ばれた唇が開く。しかし何かを言う前に、隣にいた東仙が仲間の発言を制した。よせ、と小声で止めようとしているのが分かる。それでもオレンジ髪の部下は一歩前に進み出ると、少しも澱みの無い口調で言った。
「もうたくさんだと言ったんです」
「どういう意味かな?」
「やめましょう」
「何を」
「貴方は間違ってる!」
湿り気を帯びた空気が、怒声に震えた。
頭上の雲がうねり、不穏な音を立てている。一雨来そうだ。目の前で怒気を孕んだ瞳を向けてくる部下のことよりも、天気のことばかりを気にしている自分が藍染には不思議だった。
「不安なんだね。分かるよ」
護廷に楯突こうというのだ、気持ちは分からないでもない。特にこの子は優しい気質を持ち合わせているから。けれど。
「こうでもしなければ世界は変えられない。覚悟はとうに決めたものだと思っていたが、違ったかい?」
優しい声音で語りかける。言うことを聞かない子供を宥めすかそうとするように。
「大丈夫だ、僕がいる。信じてついてきてほしい」
手を差し伸べる。出会ったばかりの頃、そうしたように。共に修羅の道を歩もうと差し伸べた手を、この子は迷いも無く握ってくれた。
「いいえ、藍染様」
しかし、寸前で拒まれる。茶色の目は、藍染の手を心底穢らわしいとでも言わんばかりに見下ろしていた。
「俺は分かったんです。貴方のやり方では、誰も救えない。何も変えられない。ただ傷つく人間が増えるだけなのだと」
「目先のことばかりを見ていると、なるほど、そう思えるかもしれないね」
「いいえ、‥‥いいえ! 貴方はそうやって俺を騙す。斬魄刀と同じだ。見せたいものだけを見せて縛り付ける。もう騙されない、こんなことはもう終わりにしなければ‥‥っ」
今日は口がよく回る。普段はむすりと黙ってばかりのくせに。
席官入りした頃から目にかけていた、気に入りの部下だった。鬼道はさっぱりだが剣の腕は立つ。思慮深く、常に一歩下がったところで控える謙虚さ。ギンと違って減らず口を叩かず、東仙と違って融通も利く。それらすべてを藍染は好ましく思っていた。己の右腕とも呼べる存在だと認めていた、それなのに。
「終わりにすると言ったね」
「ええ、そうです」
「そうか‥‥‥‥口だけならば、僕は君を許そうと思う。だから斬魄刀から手を下ろすんだ」
抜けば、対応を考えなければならない。沈めた声音で警告する。
両隣には、いつでも飛びかかれるようにギンと東仙の二人が構えている。圧倒的な戦力差。勝てるとでも思っているのか。
「君を殺したくない」
空が光った。
その一瞬でギンと東仙を斬り裂き、光を受けて煌めく刀身が藍染の目前に迫る。
「残念だ‥‥」
随分近くで雷の落ちる音が聞こえた。わずかな振動が足下から伝わってくる。
雫が一粒、藍染の頬に当たり、弾けた。それから立て続けにざあざあと。
「‥‥‥殺してしもたん?」
脇腹を押さえたギンが、頼りない声で問いかける。東仙は口を噤み、見えない眼をそっと逸らした。
雨に濡れた斬魄刀が、雫と一緒に血を流していた。それをゆっくりと収めると、藍染は膝を折り、息絶えた部下の顔を覗き込む。
「‥‥‥行こう。ギン、要」
雨がひどく、風が強くなっていた。
穏やかな死に顔が、藍染の脳裏から離れなかった。
夢を見ていた。
仄暗い室内で、藍染はゆっくりと王座から身を起こす。
「ウルキオラか」
「はい」
気配も無しに佇む破面に視線を向け、藍染は一度大きく息を吐き出した。随分長く眠っていたらしい、強張った体に苦笑した。
「治療が済みました」
「そうか」
ようやくこの日がやってきたのか。尸魂界では一度の邂逅、それもほんの短い時間であった為に、まともに顔を会わせるのは初めてになる。
自然と早くなる足が辿り着いたのは、虚夜宮の奥深いところにある一室だった。ウルキオラを扉の外に控えさせ、藍染一人が入室する。
「遅いで、藍染様」
「来ていたのか」
寝台傍に佇む影が二つ。ギンと東仙。どこで聞きつけてきたのか、既に寛いだ様子でいる。
背後で扉が無音で閉まった。
「四人揃うのは、久し振りのことですね‥‥」
東仙の声がわずかに震えていた。その声に滲むのは慈しみか。裏切られた悲しみも憎しみも、そこにはない。ギンに至っては楽し気にオレンジ色の髪に指を絡ませていた。
「早く起きひんやろか。ボクのほうが背が高くなったん、自慢したい」
「きっと悔しがるだろうね」
今よりもずっと背の低かったギンを子供扱いして、よく面倒を見てくれていた。そしてギンが人殺しをするたび、誰よりも心を痛めていた。あの日、殺せたものを、手加減して浅く斬った心優しいかつての部下。
色を失い白くなった頬に、藍染は指を滑らせた。殺すなとは命じていたものの、ウルキオラが手酷く傷つけたものだから、閉ざされた瞼は当分開きそうにない。ただ穏やかな寝息だけが、生きていると告げていた。
そう、生きている。ここで、息衝いている。
あの日殺した指で、ほんのり温かい唇に触れた。そして唇に限りなく近い頬に口付けを施す。
「一護、」
力の抜けた左手を掬いとり、唇を押し当てた。
言いたかった言葉がある。
「私を、許してほしい‥‥」
ずっと、後悔していたんだ。