繋がっているようで繋がっていない100のお題

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  043 如雨露から注がれる雫  


 感情を露にしない人なのだと知った。
 あの日、鼻緒を直してくれたときは、もっと感情豊かに感じたけれど、護廷での彼はひどく自分というものを押し殺しているように思った。控えめだとか、謙虚なのとは違う。『自分なんかが』という、‥‥‥なんだろう、責めているような、誰よりも自分を嫌っているのかなって。
 表情は分からないけど、頭巾の向こうでいつも悲しい顔をしている気がして放っておけない。おせっかいだろうか。でも少しでいい、楽しい気分になってくれたら嬉しいんだ。
 何が好きなんだろう。知りたい。けど話しかける機会が中々なくて困ってる。
 護廷には馴れただろうか、隊長自らが案内するっておかしいかな、どう思う、京楽さん。
「へえ、一護ちゃんは尽くすタイプなんだ」
「な、何で今の話でそうなるんだよ、」
「彼に幸せになってもらいたいんだよね?」
「うん」
 何の迷いも無く頷く一護は、一途そのものだった。京楽は笑みを深め、小さな頭を撫でてやった。
 途端、一護は頬を染めた。曰く、彼を思い出すらしい。
「今だけじゃないんだ、何やってても思い出しちゃうんだよ。恋したら相手のことをずっと考えるって言うだろ? 俺、そんなのずっと嘘だって思ってた。けど、本当だったんだな」
「だから隊首会でもぼんやりしてたんだね」
「いつの間にか、あの人のことばっかり考えてるんだ。京楽さんもそうだろ?」
「えっ、あー‥‥‥うん、そうだね」
「恋するって大変なんだな」
「‥‥‥‥‥‥そうだねー」
 京楽は曖昧な相づちを打った。一護が言う、胸を焦がすほどの恋というものにはとんと縁がない。
 けれど一護の気持ちは痛いほどよく分かる。もう全身が恋をしているという甘やかな雰囲気を身に纏っているのだ、周囲もそのうち気付くだろう。
「一護ちゃんはどうしたいの?」
「あの人と仲良くなりたい」
「それだけ? お付き合いしたくないの?」
「‥‥‥‥できたら、したい。けど無理だろうな」
「なんで?」
「俺ってこんなんだし、‥‥‥男が好きになりそうな顔と性格してないってことくらい分かってるよ」
 少女というよりかは少年に近い容姿の一護が、自分の短い髪を気にしたように引っ張りながらそう言った。
 たしかに気が強くて口調の男らしい一護は、大概の男からは敬遠されるかもしれない。腕っ節の強さもその一つだろう。
 恋をすると臆病になる。自分の中の劣等感を自覚し、激しく責めている時期なのかもしれない。
 十分、可愛らしいじゃないか。京楽は口元を緩め、一護に語りかけた。
「君はどうして彼を好きになったの? 顔も知らない彼を好きになったのはどうして?」
「それは、」
「彼の優しさに触れたからだよね。見た目じゃない、彼自身に。なのに君が自分の容姿を気にしてどうするのさ」
 はっと目を見開き、けれど納得しきれないように一護は唇を突き出した。
「でも可愛くないよりかは、可愛いほうがいいだろ?」
「そりゃあね。だから努力して磨けるところは磨いたらいいんだよ。でも一番大切なことはもう分かってるでしょ」
 一護の唇がむぐむぐと動き、やがてはきゅっと結ばれ、そしてうんと頷いた。












「なぁんか最近、京楽さんと仲良いですよねぇええ」
 おどろおどろしい声が聞こえたのは隊首会が終了した直後のこと。
 犯人は、一護の背中に張り付いた幼馴染。
「二人っきりで内緒話してるでしょ。ボク、見たんスから」
「ただの打ち合わせだ。邪推すんな」
 視界の端には、苦笑した京楽が。今日これからも相談しようと思っていたのにと、一護は複雑な表情を浮かべて彼を見送った。
 べったりと張り付く浦原をそのままに、一護は自分の隊舎へと歩き出す。
「お前、重い。太ったんじゃねえのか? 研究ばっかやってっからだよ」
「たしかにお腹にちょっと肉がついたかもしれない」
「そういやお前、ガキの頃ちょっと太ってたよな」
「太ってません! 子供特有のぷくぷく感っスよ!!」
 その頃、可愛らしい顔も相まって、浦原はよく女に間違えられていた。今は男らしくなったとはいえ、幼少期の可憐さを十分に残した美形顔だ。
 間近で確認し、一護は「へ!」と吐き捨てた。
「くっそ、てめえ、顔じゃねえんだからな、いい気になんなよ」
「い、いきなり何?」
「何でもねぇ! もう離れろ、十二番隊はあっちだぞ」
「えぇ〜、もっとお話しましょうよぅ」
 くっついてくる浦原に押され、踏ん張ったが一護は数歩たたらを踏んだ。なよなよしているのは雰囲気だけで、この幼馴染は力強い。昔は吹けば飛ぶほど儚かったくせに、今は立派な成人男性。早くに体の成長を止めてしまった一護よりも、浦原のほうが一回り体が大きかった。
「ねぇ、一護さん。本当に京楽さんとは何にもないんですよね?」
「しつけえな」
「変なことされたりしてない? あの人、すぐに手を出すんだから」
「変なのはてめえだろ。あ、あんまりくっついてくんなよっ、」
 隊舎の壁に追いつめられて、正面から覆い被さってくる浦原が少し怖い。押し返した手は握り込まれ、壁に縫い止められた。なんだろう、これは。
「き、喜助、」
「可愛い。怯えてるの?」
 カっとして睨みつけた先には、綺麗に笑む男の顔があった。嗜虐心に染まった、一護の知らない顔。
「もうちょっと幼馴染ごっこを続けてもいいかなあって思ってたんスけど、やめることにしました」
 何を言われたのか分からなくて、だんだんと近づいてくる男の顔を一護は呆然と見上げた。自分の顔に影が重なり、やだ、と叫ぼうとしたときにはもう遅かったかに見えた。
「失礼仕る」
 重なる寸前、声が掛かった。浦原が舌打ちし、一護はへなへなと崩れ落ちそうになる。
 稀に見る巨躯が、二人の視線の向こうにあった。
「黒崎隊長。至急、十番隊にお戻りください」
「あ、うん、‥‥うん、狛村っ」
 安堵に息を吐き出しかけたが、今のこの状況。浦原に覆い被さられたままなのを思い出し、一護は羞恥に頬を染めた。
 なんて姿を見せてしまったんだ。
「喜助、離せ、」
「‥‥‥‥今度は離したりしませんから」
 そう言って、一護に重なる影は消えた。
 手首についた指の形をした痣に恐れを抱きながらも、一護はゆっくりと浦原の傍から離れていった。背中に視線を感じたが、振り返ることができなかった。



 十番隊へと戻る道中、始終二人は無言だった。けれど人気のない通りに差し掛かったとき、一護は意を決して話しかけた。
「ひっ、久しぶりっ」
 声が裏返った。
 なんたる失態。一人で焦っていると、隣を歩く狛村が立ち止まった。そして、
「これまでの無礼、お許し頂きたい」
 頭を下げるではないか。一護は面食らって固まった。
「隊長とは知らなかったとはいえ、儂は」
「ま、待てよっ、何? え、何で謝るんだよ、」
「無礼を詫びたいのです」
「ぶれいって何!? 俺は、俺のほうこそずっとあんたにお礼がしたくて、あ、会いたくって、」
 ようやく会えて、こんなにも近くにいるというのに無礼とか言いだされても困る。交わしたかった言葉はもっと他の、もっともっと、何だろう、頭が混乱して分からない。
「名前も言わずに行っちゃうから、俺、色んなところ探して、なのにいきなり十番隊に来るからびっくりして、変じゃなかったか俺っ、けっこう緊張してたんだ、でも嬉しかった、‥‥狛村左陣、っていうんだよな、格好良い名前だなっ」
 言いたいことのすべてを言おうと奮闘して支離滅裂。けれど興奮は収まらない。
「狛村、あ、あぁ、あの、左陣って呼んでいいか? 駄目?」
「いえ、隊長、‥‥はぁ、構いませんが、」
「俺のことも一護って呼んでいいからな!」
「それは、なりません」
「駄目かっ、駄目‥‥そ、そうか、駄目だよな、」
「あの、隊長、」
「左陣、」
 知らず、熱っぽく呼んでいた。
 本人を目の前にすると、どうしようもなく体が震えた。甘い痺れが全身を駆け巡っている。
「会いたかった、ずっと、忘れられなかったんだ、」
 声も手も優しさも全部。思い出しては焦がれて悩んで苦しんで。人生に、これほどまでの苦しみがあるのだと初めて知った。けれど苦しむ価値のあるものだと、拙いながらも理解した。
 涙がせり上がってくるのを感じ、一護は慌てて袖の端で拭おうとした。しかしすばやく差し出されたのは、浅葱の手拭。
「乱暴に拭いては赤くなります。そっと」
 こういうふうに、と一護の目元を押さえるようにして涙を拭ってくれた。これには顔中赤くなり、一護は自分で拭くどころではなくなった。
 結局はすべてを狛村に拭ってもらい、濡れた手拭は洗って返すと一護が強引にもぎ取った。
「ありがとう、左陣」
 頭巾の向こうの顔が、初めて笑った気がした。

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