繋がっているようで繋がっていない100のお題
044 心地よい温度
「甘いな‥‥」
「もうとろとろじゃないか‥‥」
「こんなに汗をかいて‥‥」
「‥‥‥‥果肉が、美味い」
「こら一護っ、ヤラしくアイスを食べるという主旨から逸脱するな!!」
憤慨するルキアを横目で見て、一護はしゃくりとアイスを噛んだ。
「普通に食べたらいいじゃねえか」
「何を言う! この残暑を乗り切る為に、少しでも気を紛らわそうとだなぁっ、」
「そうだぞ黒崎っ、普通にアイスを食べてるだけじゃ暑いだろうが!」
「色々と妄想を加えながらアイスを食うっ、暑さも気にならなくなる!」
「いや‥‥‥皆さん、汗だくですけど」
だらだらと汗を流して力説する十三番隊の面々は、途端に手拭で汗を拭い始める。暑い。残暑厳しい今、書類作業もただ普通にやっているというのは相当苦痛なものだった。
「あちー」
「もうアイス無えし。なあ、まだ在庫あったっけ?」
「おい、誰か現世に買いに行けよ」
暑いと作業効率が落ちる。そういうときは特例として、現世の嗜好品が解禁される。
ちなみに技術開発局が開発、販売しているアイスキャンディーがあるのだが、誰も手を出そうとしない。技局の技術力は認めるが、摂取だけはするなというのが暗黙の了解だった。
「じゃあ、黒崎だな。買ってこい下っ端」
一護は渋々ながらも承諾した。
いつか必ず出世してアイスを買いに行かせてやると決意して、部屋を出ようとしたところ。
「一護、いるか?」
団扇を片手に海燕が顔を出す。ちょいちょいと手招きされて、一護はこれ幸いとばかりに駆け出した。一護が抜けた部屋では、誰が買いに行くかでジャンケンが始まっていた。
「なんですか、海燕さん」
「これを隊長んとこに届けに行ってくれ」
渡されたのは書類、ではなく。
「‥‥‥‥‥アイス」
アイスだ。アイスに見える。いやしかし、この暑さだ。一護の目にはアイスに見えるが、実際には書類なのかもしれない。暑さのせいで意識が朦朧として。
「さっさと持っていけ。溶けるだろ」
やっぱりアイスだった。しかしなぜにアイス。
「隊長、この暑さでバテてるからな。仕事がちっとも進まねえ。これでも食わせて早く仕事しろって発破掛けてくれ」
「なんで俺が‥‥」
「これはお前にしかできないんだ。任務だ。命令だ。行け!」
これなら現世にアイスを買いに行ったほうがましだった。一護が渡されたアイスは二つに割って仲良く半分こ、というタイプのもの。
恨めしい、という視線を一護が送れば、にかりと真夏の太陽みたいな笑みを向けられた。
不覚にも胸がきゅんとして、一護は思わず「はい」と言っていた。
一護を送り出して十分。
今頃、浮竹と一護は仲良くアイスを半分こしている筈だ。
「さすが俺」
あとで浮竹から感謝感謝の雨霰だろう。海燕は己の粋な計らいを自画自賛していた。なにか奢ってもらおうかな、と考えながら廊下を歩いていれば、縁側に座るオレンジ色が目に入った。
一護だ。その隣にはルキア。
二人はなぜかアイスをバリバリと貪っていた。
「‥‥‥ってオイ! なんでお前らが食ってんだよ!?」
一護に渡したアイスだった。それをきっかけに浮竹といい感じに、というのが海燕の作戦だったのだが、間違ってもルキアと仲良く半分こする為のものではない。
「アァン?」
思い切りガンを飛ばされた。
そのあまりの迫力に気圧されて、海燕は後じさる。
「‥‥‥‥浮竹、隊長は、どうしたんだよ、」
「起きてましたよ、元気そうでした」
「それ、渡さなかったのか‥‥?」
「必要無さそうでしたからっ、なんかねっ、今頃二人でぺろぺろしてんじゃねーでしょーかね!!」
まったく意味が分からなかった。一護はなかばヤケクソ気味に捲し立てるとアイスを平らげた。
「当たり! よっしゃー!」
そしてなぜか当たりと書かれたアイスの棒を庭へと投げ捨てている。意味不明だ。
そのとき死覇装の裾を引っ張られる。見ればルキアがいて、海燕に小さく耳打ちした。
「浮竹隊長が‥‥」
「隊長が?」
「浮気しました」
「なにぃ!!?」
信じられない。
ルキアは更にぼそぼそと続けた。
「隊首室に行ってみれば、浮竹隊長と女人が、このクソ暑いのに抱き合っていたそうです」
そんな馬鹿な。一護に恋してからはまさに一途を絵に描いたようなあの浮竹隊長が。
しかし元はタラシだ。天然物のタラシなのだ。間違いがあってもおかしくは、ない。
「朽木、女のほうは、その、‥‥‥巨乳だったか?」
「メロンパイだったと一護が言っておりました」
元カノーーー!!
叫び出したいところをなんとか堪え、海燕は同情を込めて一護を見た。一護の頬に流れる汗が、まるで涙のようだった。
可哀想に。裏切られて。あんなに悲しそうな顔をして。
悲しそうな。‥‥悲しそう。‥‥‥‥‥あれ、悲しそう?
「なんであんなにショック受けてんだ、アイツ」
まるで嫉妬しているかのようだ。そう指摘すれば、ルキアもまた今気付いたと言わんばかりに目を見開いた。
これは。
「おいおいおいおい‥‥‥まさか、なあ?」
「ねえ?」
「暑さで苛々してんだろ」
「ですね」
まさかこんなにうまく事が進む筈は無いと思いながらも、海燕が見た一護の背中は、あまりにも小さく泣いているようだった。
「お早う、いち、ごー‥‥‥?」
するっと無視された。
浮竹は微妙に引き攣った笑みのまま、颯爽と去っていった一護の後ろ姿を見送った。
「お早うございます、浮竹隊長。ふられましたね」
「海燕っ、俺は何かしただろうかっ」
「さあ、俺は知りません。下半身にでも聞いてみたらどうですか」
なんだそれは。
取り敢えず己の下半身を見下ろしてはみたが、まさか答えてくれるわけも無く。
そして海燕の視線が冷たい事に気がついた。軽蔑の目だ。
「メロンパイ‥‥‥」
「は?」
「昨日は元カノとクソ暑いのに抱き合ってたそうですね。一緒に汗でも流したんですか」
「っはぁ!?」
「一護がばっちり見てましたよ。浮竹隊長の浮気者」
体がすーっと寒くなった。
一護に、見られた。
「違うっ、誤解だっ!!」
「はいはい」
「真面目に聞け! 暑さで立ちくらみを起こした彼女を抱きとめただけだっ、俺は潔白だ!」
「またベタな。そんな話を信じるバカがいますかっ!」
「そのバカはお前だ!」
一護と似た顔。この顔で疑われるのは正直辛いものがある。
瞳の中に浮かぶ真実の色を見てもらいたくて、浮竹は真剣な目を向けた。しばらく二人は見つめ合う。
この暑さの中、互いに汗をかいて息を乱しながら見つめ合う男二人という光景は中々に奇異なものだった。目撃した男性隊員は「っげ」と声を上げ、女性隊員は「っきゃ」と嬉しそうな声を上げて通り過ぎていった。
「‥‥‥‥‥分かりました。信じます。信じますからもうちょっと離れてくれますか」
なぜか敬遠されたのが癪に障るが、信じてもらえたのならいい。ほっと息をはいた浮竹に、海燕が耳を疑う一言を言った。
「一護のやつ、怒ってましたよ。この意味、分かるでしょう」
「‥‥‥‥!! 海燕!!」
「うおーっ! 抱きつくんじゃねえ気持ちワリー!!」
キスしたい気分だった。しかしそれは本命に取っておくとして、浮竹は部下をぎゅうっと抱きしめるとぱっと体を離す。そして一護が去った方向へと駆け出した。
「海燕っ、愛してるぞ!」
十メートルくらい後退されたが気にしない。
蝉が鳴く残暑の昼間、少し走れば汗が出た。それでも走って走って、辿り着いた廊下の先に、俯き加減のオレンジ色が。
「一護‥‥‥‥」
名前を呼べば、一護がゆっくりと振り返る。その顔は怒りに燃えていた。嫉妬の顔だ。
それまでの不安が一気に消し飛んで、浮竹は笑みを浮かべる。一護は悔しそうにそっぽを向いて、無言で去ろうとした。しかしそれを捕まえて、浮竹は胸へと引き寄せた。
意外にも一護の体温は低く、いつまでも抱き合っていたいと浮竹に思わせる。腕の中で猛然と暴れる一護を少しも苦にせず抱え込んでいると、しばらくして一護が大人しくなった。
「‥‥‥あんたなんか、嫌いだ、」
浮竹はなおも笑みを浮かべ、一護の髪に指を埋めて何度も梳かす。いつの間にか、蝉の声がぴたりと止んでいた。
しんとした静けさの中、愛してる、という言葉が静かに鳴った。