繋がっているようで繋がっていない100のお題

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  050 揺蕩う髪  


 浦原喜助が護廷で名を馳せる以前のこと。
「誰もいないけどただいまー」
 と、誰もいないのに帰りの挨拶をして家の敷居を一歩跨いだとき。
「お帰りなさい」
 誰もいない筈なのに答える声がした。浦原は耳を疑った。
 働き過ぎか。過労による幻聴か。とにかく何かの間違いに違いない。しかし、薄暗い室内に人の気配がした。
「‥‥‥君、誰です?」
 子供だった。十二歳くらい、オレンジ色の髪が特徴的だった。
 随分と小さな不法侵入者に、浦原は目を丸くする。子供は気にしたふうもなく進み出ると、玄関先で正座した。
「食事にしますか、お風呂にしますか」
「は?」
「それとも私?」
「はぁああ?」
「冗談です」
 子供は実にマイペースだった。唖然とする浦原を放って、家の奥へと消えていく。浦原は慌てて草履を脱ぎ、子供を追いかけた。居間に出ると、さらに驚いた。
「あれ!? え、ちょっと、ここに置いてた本とか資料は!?」
「まとめて蔵に」
 居間は綺麗に片付けられていた。資料の山で足の踏み場も無かったその部屋は、食事をするための部屋に戻っていた。埋もれていた食卓も顔を出し、今は温かい食事が並べられている。まるで別の家にいるみたいだ。
「どうぞ、座って」
「あ、はい、」
 大人しく腰を下ろすと、絵でしか見たことのないような山盛りご飯を差し出された。
「ボク、こんなに食べられないんですけど‥‥」
「じゃあこっち」
 大盛りを自分に、そして浦原は普通盛りを渡された。子供は大盛りご飯を黙々と食べ始めたので、浦原もいただくことにした。
 久し振りに食べる炊きたての白米は美味しかった。いつも食べているものといったら出来合いだったり缶詰だったりしているので、湯気を立てた食事にはここ最近とんとお目にかかれていない。
「あのー、ところで」
「食べながら喋らない」
 ぴしゃりと言われて、首を竦める。大人しく目の前の食事に集中することにした。
 子供は山盛りご飯を難なく平らげた後、一枚の紙を差し出した。
「‥‥‥何これ?」
 手に取り、読み上げる。
「『黒崎に娘が生まれたらいただきます。うちの息子の嫁にします』‥‥‥これ、ボクの父上の字だ」
「つまりはそういうことです」
「いやいや、どういうこと?」
 浦原の父親は既に亡くなっている。ちなみに、死んだら現世の七つの海に遺骨を撒いてくれと言われたが、面倒くさかったので彼がよく釣りをしていた川に流してやった。今頃喜んでいると思う。
「こんなのに効力なんてあるわけ無いでしょう? 真面目にとらなくていいから、もう帰りなさい」
「そうはいかないんです」
 子供が言うには、浦原の父親には大変な恩義があるとのこと。約束を違えるわけにはいかないとの一点張りだった。
 しかし死んだ父親が生前に交わした約束なんて、浦原には関係の無いことだ。結婚なんて興味は無いし、それも相手が子供だなんて興味以前の問題である。あたしと仕事どっちが好きなのよ、と聞かれたら迷いなく仕事と答えられるのが浦原だった。
「奥さんなんていりません」
「食事は? 掃除は? 洗濯は? 全部してあげるのに」
 たしかに食事は美味しかったし掃除してくれたのはありがたい。洗濯物も溜まっている。
 しかし、だからといって嫁にするなんておかしな話だ。変人だとよく言われるが、常識くらいは持ち合わせている。
「お生憎様。ボクの世話したいって女は他にもわんさかいるんですよ。君みたいな子供にやってもらわなくても結構です」
「その割には散らかってるけど?」
「あるべきところにあるべきものを配置してるだけで決して散らかってるわけじゃありません」
 屁理屈、と言われた。生意気なガキだ。
「嫁が駄目なら飯炊き女でいい。あんたに人間らしい生活をさせてほしいって言われてるんだ」
 父上め、余計なことを!
 今年の墓参りは絶対に行ってやらない。もう十年くらい行ってないけど。
「君ねえっ」
「もう寝る時間。風呂は湧かしてあるからどうぞ。おやすみなさい」
「あ! まだ話は」
 終わってないのに子供はさっさと居間を後にした。追いかけようと廊下に出たが、子供の姿は消えていた。
 まったく現実感が伴わない。ずるずると座り込むと、浦原は頭を抱えて唸った。突飛な思考と行動の目立つ父親だったが、まさか死後、あんな子供を嫁に寄越すとは思わなかった。してやったり、と笑った顔が容易に思い浮かんで腹が立つ。
「いいやもう、明日考えよう‥‥」
 現実逃避。風呂に入ることにした。













 月日は流れ、十二番隊隊長という重責を担ったその日。
「おめでとう、浦原」
 元上司、そして今は同僚となった夜一の祝の言葉を、浦原は複雑な心境で受け取った。白の羽織が未だに慣れなくて、また隊長となった実感も持てていない。誰かの下で無責任に働いていたほうが楽だと思っている。へらへら笑ってそう言ったら、夜一が呆れた顔をした。
「馬鹿者。これから部下を率いる男が何をぬかしておる」
「頑張ろうとは思ってるんですけどぉ、十二番隊の人達がなんだか冷たくてぇ」
「だろうな。胡散臭い」
 幼馴染殿は容赦ない。彼女は妖艶な顔を浦原に近づけ、「で?」と聞いてきた。
「もう一つのほうの責任はどうとるつもりじゃ」
「‥‥‥‥えーっと」
「どうせとっくに手は出しておるのじゃろ。これを期に一緒になってしまえばよいのに」
 幼馴染殿は何でも知っている。いや、何で知っているんだ。態度に出ていただろうか。
 誤摩化すように頭を掻きつつ、同居人の顔を思い出す。来たときは本当に子供で、今でもまだ子供だ。けれど夜一が言ったように、浦原とはそういう関係にある。
 好きか、と聞かれれば返事に困る。押し掛けられたときは扱いに困ったが、実際あの子はよく働いてくれた。気に入りの人間であることは間違いない。成長して、思わず手を出してしまうくらいには可愛らしい。
 二人で一緒の朝を迎えてからも、特に態度は変わらなかった。独占欲も見せないし、自分が浦原の女だと周りに誇示もしない。飯炊き女でいいと宣言した通り、それはもう慎ましやかだ。
 そういえばここ数年、あの子以外抱いていない。夜一の言う通り、責任をとるべきなのだろうか。
「でも別に今のままでもいいかなーって。だって夫婦になったところで何が変わるっていうんです?」
「気持ち」
「目に見えないものには興味無いです、ボク」
 強いていうならば、資料にある浦原という項目の記載が少々変わるだけだろう。
 まったく夢の無いことを言い連ねると、夜一は意地の悪い顔をした。
「いつまでもあると思うな親と嫁」
「は?」
「親はもう他界しておるな。特に親父殿はお前に似て変人だったが、少なくとも誠実であったと記憶しておるよ。嫁のほうだが、逃げられぬうちに確保しておけ。今のまま無責任に放置しておくと、気付いたときにはいなくなっておるからな」
 ふん、と最後に鼻で笑うと、夜一は颯爽と去っていった。彼女のこの言葉が現実になるのは数日後のことだった。

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